第四話 休む勇気(二)
その夜、灯は宿で、ひとつの決意をした。
(そうだ。私が、休んでみせよう。神官が率先して休めば、みんなも、休んでいいって思えるはず)
我ながら、名案だと思った。問題は――。
(……休み方が、わからない)
旅の宿で、灯は途方に暮れた。休むとは、何をすればいいのか。手が、勝手にそわそわする。気づけば、灯は宿の祭壇の前に膝をつき、女神像のまわりを、せっせと磨きはじめていた。埃をはらい、燭台を拭き、供え花を整え――。
「……はっ」
我に返る。休むと言って、掃除をしている。これでは、休んだことにならない。
と、そこへ、王都のエルデン神殿から、巫女見習いのフィアの手紙が届いた。旅立つ灯を見送ってくれた、あの少女だ。便箋を開いて、灯は、うっと呻いた。
『アカリ様。ミラ様から聞きました。アカリ様は、休むと言ったら、きっと祭壇のお掃除を始める方だとか。……アカリ様。お掃除は、お休みではありません。剣を置くように、筆を置くように、"務め"を、いったん手放してくださいませ。何もしない時間を、どうか、ご自分にも許してあげて』
十四の少女に、諭されてしまった。灯は、真っ赤になって、便箋に突っ伏した。
その夜の女神への日報には、こう記された。
「本日、休むことを学びました。……未遂ですが」
◇
翌日、灯は世話役と、リリィと、町の主だった人々を、広場に集めた。枯れた庭木の下だ。灯は、旅人のフードのまま――けれど、その声には、神官の芯があった。
「皆さんに、聞いていただきたいことがございます。休むことは、わがままでも、怠けでもございません。それは、守られるべき"権利"なのでございます」
人々が、ざわめいた。灯は、みなの目の高さに、そっとしゃがんだ。
「難しい話ではございません。たとえば――半年、まじめに勤めた人。その間、決められた日の八割以上、ちゃんと出てきた人には、給金を減らさずに休める日を、十日、与えていただきたいのでございます」
「十日も!?」世話役が目を剥いた。
「はい。しかも、長く勤めた人ほど、その日数は増えます。いちばん多い人で、二十日まで。休みは、働いた年月の"証"として、その人に貯まっていくのでございます」
リリィが、息をのんだ。
「それと」灯は、リリィのほうを見た。「いつ休むかは、雇う側ではなくて、休む人自身が、決めていいんです。お母さんの誕生日に休みたいなら、その日を選んでいいんです。……ただし、その休みは、二年で消えてしまいますから、ためこみすぎには、気をつけてください」
「わ、わたしが、決めていいんですか。休む日を……?」
「ええ。あなたの権利ですから」
リリィの目に、みるみる涙が盛り上がった。
「あの、でも」パン屋の主人が、おずおずと手を挙げた。「うちの、半日だけ手伝いに来る婆さんは……ああいう人は、どうなるんです」
「短い時間の人、幾日かだけの人にも、ちゃんと、その分に応じた休みが与えられます。誰も、置いていかれません」
人々が、顔を見合わせた。希望と、それでもまだ拭えない不安が、その顔に入りまじる。世話役が、腕を組んだ。
「だが……そう言われても、この町の者は、遠慮しちまう。休んでいいと言われても、誰も、言い出せんよ」
灯は、うなずいた。そこが、いちばん大事なところだ。
「だから――ここからは、逆なのでございます」
「逆?」
「休みを"お願い"するのは、もう終わりでございます。年に十日以上の休みがある人には、雇う側から、"必ず五日は休ませなさい"。それは、働く人の願いではございません。雇う側の、務めなのでございます」
世話役の、目が、見開かれた。
「……雇う、側の。務め」
「はい。取りにくい空気があるのでしたら、雇う側から日を決めて、順番に休ませる。町の皆さんで相談して、休む日を割り振ってもよろしゅうございます。誰かに全部しわ寄せがいかないように、交代で。――そして」
灯は、まっすぐに世話役を見た。
「もし、休ませなければ。その時は、雇う側が、咎めを受けるのでございます」
しんと、静まりかえった。世話役は、長いあいだ、枯れた庭木を見上げていた。そして、ふう、と大きく息を吐いた。
「……そうか。休ませるのは、わしらの、務めか。恵みではなく」老いた顔に、ふっと、憑き物が落ちたような色が差した。「わしはずっと、休ませてやれんことを、心のどこかで、後ろめたく思うておった。だが――違ったのだな。休ませることこそが、わしの、役目だったのだ」
◇
満月の夜。
広場の中央、枯れた庭木の下に、白い衣に着替えた灯が立った。水路の水面に、月が二つ、揺れている。集まった町の人々が、息をひそめて、灯を見上げていた。リリィも、世話役も、老婆も、その中にいる。
灯は、大きく息を吸った。自分の一言が、一年間、この町を縛る。誤れば、誰も逆らえない。その重さに、指先が震えた。
(……でも、怖がっている場合じゃない)
胸の奥に、あの温かさが、そっと差してくる。顔の見えない、声のかすれた、けれど確かに温かいあの人の――手のひらの感触。
――民を思え。
その言葉だけが、まっすぐに届いた。灯は、まぶたを閉じ、そして、開いた。
「――女神のお告げを、授けます」
広場が、しんと静まる。
「半年、まじめに勤めた者には、休みを与えなさい。休む日は、その人自身が、選べるようにしなさい。そして――年に五日は、雇う側から、必ず休ませなさい」
光の文字が、月明かりの中に、ゆっくりと浮かび上がった。ざわめく人々に、灯は、静かに続けた。
「休むことは、怠けではございません。休むことは――明日も働くための、力でございます」
その言葉を、灯は、心のどこかで、自分自身にも、言い聞かせていた。
◇
数日後。
灯が、また旅人のなりで町を訪れると、そこは、すっかり変わっていた。
人々が、交代で、堂々と休んでいた。水車のそばのベンチで、水車番の老人が、日向ぼっこをしている。休んだ次の日の人の顔には、光と力が戻っていた。休むことは、もう罪ではなかった。
広場では、リリィが、母のとなりに座っていた。膝の上で、色とりどりの花を、器用に編んでいる。青いリンドウ、白い小花、水辺の若葉。やがて出来上がった花冠を、リリィは、そっと母の頭にのせた。
「お母さん、お誕生日、おめでとう」
母は、花冠に手をやって、目を丸くし――それから、くしゃりと、笑った。二人が、久しぶりに、ただいっしょに、笑い合っている。
灯の目に、じわりと、熱いものがこみ上げた。
(……守れた。今度は、守れた)
前世では、うまく言えなかった。「大丈夫です」と言い張る人に、「休んでいいんだよ」と。手が届かなかった人が、いた。でも、今は。
広場の隅で、灯は足を止めた。
枯れた庭木の、すぐ隣に。小さな苗木が、一本、植えられていた。まだ細い幹に、若葉が数枚、風に揺れている。誰かが、植えたのだ。倒れた庭師への祈りと――次の人を、もう倒れさせないという、静かな誓いを込めて。
灯は、その若葉に、そっと手を触れた。
「……ちゃんと、休みながら、大きくおなりなさい」
水車が、いくつも、ゆっくりと回っていた。止まることを覚えた町の上を、花の匂いをのせた風が、やさしく渡っていく。エルデン王国の周りに、また一つ、灯がともった。
◇
王都へ戻った夕暮れ、城門の前で、灯は、また、あの人に捕まった。
ルシアン王子殿下である。今日は、ゴミ拾いらしい。麻袋を提げ、堀端の枯れ枝や紙くずを、鼻歌まじりに拾い集めている。
「おかえり、神官さま。花の町を、休める町にしてきたんだって?」
「……お耳の早いことでございます」
「それでさ」王子は、麻袋を置いて、悪戯っぽく笑った。「休むのは、権利なんだろ? だったら神官さまも、今度おれと一日、サボ――」
「休みは、権利でございます。殿下とのお出かけは、権利ではございません」
「ひどいなあ」
ちっともひどいと思っていない顔で、王子は笑った。灯は最速の会釈をして城門をくぐり――くぐってから、ふと、気づいてしまった。いま自分は、王子相手に、一歩も引かずに言い返していた。あの軽薄さは、腹立たしいことに、妙に、話しやすい。
(……気のせいです)
灯は、神殿への坂を上りながら、小さく首を振った。そして、今夜の日報にこう書き足そうと、心に決めた。
――本日、私も、少しだけ休みました。「明日も働くための力」を、ようやく、自分にも許せそうです、と。
■今回のオーダー
半年、まじめに勤めて、決められた日の八割以上を出た人には、給金を減らさず休める日が十日。長く勤めるほど増えて、いちばん多い人で二十日まで。短い時間で働く人にも、その分だけちゃんと。休みは、あなたが働いた証として、あなたに貯まっていくものなの。
いつ休むかは、あなたが選んでいい。お母さんの誕生日でも、なんでもない一日でも。ただし、その休みは二年で消えてしまうから、ためこみすぎには気をつけて。休む日を選ぶ権利は、ちゃんと、あなたのものだから。
年に十日以上休みがある人には、雇う側から「必ず五日は休ませる」のが務め。それは、あなたがお願いすることじゃなくて、雇う側の義務。休みは、忙しくなると消える"恵み"じゃない。休むことは、明日も働くための力。それは、人に説く私自身にも、いちばん言い聞かせたい言葉です。
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■今回の学び(社労士試験対策)
・労働基準法39条(年次有給休暇): 6か月継続勤務+全労働日の8割以上出勤で10日付与。勤続年数に応じ加算、最大20日。
・時季指定権・比例付与・時効: いつ休むかは働く人が決められる(使用者には事業の正常な運営を妨げる場合の時季変更権)。パート等にも日数に応じて比例付与。時効は2年。
・年5日の時季指定義務: 年10日以上付与される人には、使用者が年5日を確実に取得させる義務。計画的付与も活用可。違反には罰則。
関連判例: 白石営林署事件(年休の自由利用の原則)/時季変更権の基本判例
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■一問一答(社労士試験の頻出論点から)
【問】年次有給休暇の付与要件である出勤率の算定に当たっては、業務上の負傷により療養のために休業した期間は、出勤したものとみなされる。(◯か✕か)
(答えは、次の話の一回めの後書きで)
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次回予告:第五話「別れにも、礼と理を」——気まぐれに人が追われる国境の町で、あの騎士団長と再会する。




