日常の音
外が明るくなってきた。
結局、一睡もできなかった……
何か食べたいし、ここに一人でいてもしょうがない。
朝になって少し怖さが薄らいできた。そもそも、あれは現実だったのか夢だったのか、自信がなくなってくる。
キッチンへ向かい、適当にパンを食べてテレビを付けた。普通の日常だ。ただ、父は誰かに首を絞められている。
誰かがいたとしか考えられない。俺は玄関を確認するが、やはり閉まっている。
他の場所から出入りしているのか?
◇
俺は学校へと向かった。
こんな時だし、休んでもよかったのだが、家に一人でいるのに耐えられなかったのだ。
自転車を漕いで坂を登る。
寝不足ですごく眠い。坂を漕ぐのを諦め、うつらうつらしながら自転車を押して歩く。坂を登り切り、何気なく見上げた時、瓦屋根の家のカーテンが勢いよく閉まった。
見られていた?
なんとなくそう思っただけで根拠はないが、自分が近付いたタイミングでカーテンが閉まったのが気になった。
細かい所が気になる自分が嫌になりながら、俺は再び自転車にまたがるとペダルを漕ぎ始めた。
◇
学校帰りに病院へ寄ってみた。父はまだ意識がはっきりしないらしい。しかし、一命はとりとめた。
目を閉じたままの父親の隣に座る。病院のベットに寝かされている父親は現実味がない。
病室は大部屋で、それぞれカーテンで仕切られている。小さいテレビと引き出し、椅子が個人に割り当てられている。六人部屋だが、入院しているのは四名で父の隣には誰もいない。
花瓶に入った一本の黄色のバラが、殺風景な病室に映えている。
「こんにちは」
病室に入ってきた年配の女性が挨拶をする。
「こんにちは」
俺も挨拶を返す。女性は父親の正面のお見舞いのようだ。カーテンが一瞬開かれ、そして閉じられる。
あれ?
一瞬見えたカーテンの中。棚の上に花は置かれていなかった。
病院の人が用意してくれた花じゃないのか?
「野呂さんこんにちは〜、今から検査行きますね〜」
看護師のお姉さんがストレッチャーを持ってやってきた。
「あ、あの!」
「息子さん? 今からお父さん検査に行くから、しばらく戻らないけど……」
「わかりました。あと、この花って誰が持ってきたか分かりますか?」
俺は黄色の薔薇を指差す。看護師さんは少し考え込む。
「誰かはわからないな……」
「病院側が用意してくれてるわけじゃないんですか?」
「それはないよ。お父さんが運ばれてきたのが昨日の夜だよね? じゃあ今朝誰かが持ってきたのかな?」
遅れてもう一人、年配の看護師さんがやってきた。
「あ、小林さん、この花誰が持ってきたか知ってますか?」
「あぁ。多分、女性だったと思うよ。今朝、野呂さんの病室から女性が出てきたの見たから……」
「それって、どんな……?」
俺は嫌な予感を覚えながらも、訊ねずにはいられなかった。そして聞いた事を少し後悔した。
「長い黒髪の女性だったよ。赤いワンピースを着てた」
あぁ。やっぱり。
俺は、そう思っていた。
◇
あの女が家にいるかもしれない。
そう思うと足が前に進まない。しかし行く所もない。
やっぱり警察に連絡しようか……
逡巡した末に、元バイト先のコンビニに着いていた。
よし、店長に相談しよう。
店に入るが、店長の姿がない。
「あの、今日店長は?」
見たことのない男性店員に聞いてみた。
「店長、今日休みなんです。私は応援に来てまして」
「そうなんですか」
俺は夕飯のおにぎりだけ買うと外に出た。
俺が捕まえてやる。母さんの無実を証明する。
家に戻った俺は、恐る恐る鍵を開けた。
鍵はしっかりかかっていた。もしあの女がこの家にいるのなら、どこか開いている場所があるという事だ。
物音であの女の居場所が分かるように、テレビや音楽は付けない。俺はリビングに入り、窓の鍵、キッチンからの勝手口の鍵、全てチェックした。結果、鍵はかかっていたのだ。
風呂場とトイレに窓はないし、残すは二階のみである。しかし、まさか二階から出入りしていたら通報されるだろう。この家は交差点の近くで車通りも多いし、坂の上にある家からも遠目ながら見えるはずだ。
あり得ないと思いつつも、気になると調べたくなるのが人間だ。
俺は二階の部屋も一つずつ確認する事にした。
二階は三部屋ある。俺の部屋と、父の部屋、母の部屋である。
まずは父の部屋へと入る。下着やパジャマが一部ベットの上に乗っている。母が病気へと行く準備をしていたから、急いでそのままなのだろう。あの後、母は一度も帰ってきていない。
「はぁ」
ため息を吐きながら、窓の鍵を確認する。鍵はかかっている。そのまま部屋の外へ出ようとして、クローゼットから何か挟まっているのに気が付いた。
ネクタイ?
クローゼットを開けると、ネクタイが一本だけ皺になって飛び出していた。
父は結構細かい所がある。ネクタイは全てハンガーにかけて等間隔で並べているのだ。付けた後のネクタイを、クローゼットにまた仕舞う事はないだろう。
不審に思いつつ、母の部屋へ向かう。
母の部屋は、洗濯した服が積み上がっていた。父と違い、少しズボラな母はこういう片付け方をする。
脱ぎっぱなしの服がベットの脇に落ちていた。
なんでここに?
そういえば、ピアスが落ちてたのってこの部屋だよな。後で捨てたゴミ箱を確認してみよう。
鍵はやはりかかっていた。
続いて自分の部屋へと向かう。
俺の部屋は昨夜と同様、本棚がドアのそばに待機しており、布団はけられて丸まったままである。
「閉まってる」
鍵は開いていない。俺は本棚をドアの前に移動させて、考え込む。
どういう事だ? 全ての家の鍵が閉まっている。あの女はどこから入ったんだ……まさか幽霊?
首を振る。いや、俺の自転車を押さえたり、病院でバラを飾ったり、実際に何かしているのだ。幽霊ならそんなこと出来ないはずだ。
俺はコンビニのおにぎりを食べ、リビングのゴミ箱の確認を思い出した。
そーっと下に降りて、ゴミ箱を漁る。ピアスが捨てられているはず……が、ない。
「んー……」
俺はキッチンで水を飲んだ。
すると、スマホの通知音が鳴った。ビクッと肩を震わせて、画面をタップする。ただのニュースのようだ。
そこで他のニュースも確認したのがよくなかった。少しだけと思っても、スマホをいじっていると時間がどんどん過ぎてゆくものである。交通事故のニュース、行方不明のニュース、有名俳優が亡くなったニュース……ふと顔を上げると、目の前にあの女が立っていた。
赤いワンピースの女は、シンクに寄りかかっている俺と同じくらいの目線で、長い髪が俺の顔にかかりそうなくらい近くにいた。赤い口紅が弧を描き、耳元では母が捨てたであろうピアスが光っている。
「うわああああああっ」
自分の声とは思えないほどの悲鳴をあげ、俺は玄関へと走った。
女は無言でシンク下の引き出しを開けると、何やら取り出した。それが照明に反射して光る。
包丁だ。
俺は頭が真っ白になりながら、玄関の鍵を開ける。手が震えてツマミをうまく持てない。
「くっ」
あの女が近付いてくる。裸足で、音もなく、包丁を掲げてこちらに向かってくる。俺はそれがスローモーションに見えた。
咄嗟に下駄箱の上にあった懐中電灯を持ち、女に向かって思い切り投げつけた。
「ぎゃ」
女の顔に思い切り当たった懐中電灯は、ゴトっと鈍い音を立てて廊下に落ちる。横にポトっと血が落ちる。女の額から血が流れていた。
ガチャ
やっと開いたドアから俺は外へ走った。外は日が沈む直前、夕焼けが全てを赤く染めている。こんな時なのに俺はそれを綺麗だと思った。
「待てーー!」
叫び声が俺を呼んでいる。俺は自転車に乗ると思い切り漕いだ。後ろを見ると、女は裸足のまま追ってくる。
俺は死物狂いで坂を登り、坂の上にある家へ助けを求めた。
俺は逃げ切った。
◇
あの女は俺を追うのを諦めた後、忽然と姿を消した。
家の中は警察によって、隅から隅まで調べられた。
すると、風呂場の点検口を開けた空間に、人がいた形跡を見つけた。菓子パンのゴミ、洋服、そして合鍵も見つかった。
あの女はおそらく、俺たち家族が入居する以前からこの家に住んでいたのだ。
警察に事情を聞かれたが、何も答えられなかった。俺は家族以外の人間が家にいたことに、全く気が付かなかったのだ。
母は釈放され、家に帰って来た。
「家族以外の人が、家に住んでいたなんてね……」
意識を取り戻したと、病院から連絡があった。父は犯人の顔を見ていないらしいが、状況からしてあの女が犯人であろう。
◇
ガチャ
「ただいま」
日常の音だ。
今日も三人で食卓を囲む。
鍵も変えて、この家にいるのは三人だけだ。そのはずである。俺はバイトを再開した。もうあの女はいない。いつもの日常が戻ってきたのだ。




