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坂の下の家  作者: 紙絵
野呂健 高校一年生

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3/10

日常の音

 外が明るくなってきた。

 結局、一睡もできなかった……

 何か食べたいし、ここに一人でいてもしょうがない。

 朝になって少し怖さが薄らいできた。そもそも、あれは現実だったのか夢だったのか、自信がなくなってくる。


 キッチンへ向かい、適当にパンを食べてテレビを付けた。普通の日常だ。ただ、父は誰かに首を絞められている。

 誰かがいたとしか考えられない。俺は玄関を確認するが、やはり閉まっている。


 他の場所から出入りしているのか?


 ◇


 俺は学校へと向かった。

 こんな時だし、休んでもよかったのだが、家に一人でいるのに耐えられなかったのだ。

 自転車を漕いで坂を登る。


 寝不足ですごく眠い。坂を漕ぐのを諦め、うつらうつらしながら自転車を押して歩く。坂を登り切り、何気なく見上げた時、瓦屋根の家のカーテンが勢いよく閉まった。


 見られていた?


 なんとなくそう思っただけで根拠はないが、自分が近付いたタイミングでカーテンが閉まったのが気になった。

 細かい所が気になる自分が嫌になりながら、俺は再び自転車にまたがるとペダルを漕ぎ始めた。


 ◇


 学校帰りに病院へ寄ってみた。父はまだ意識がはっきりしないらしい。しかし、一命はとりとめた。

 目を閉じたままの父親の隣に座る。病院のベットに寝かされている父親は現実味がない。


 病室は大部屋で、それぞれカーテンで仕切られている。小さいテレビと引き出し、椅子が個人に割り当てられている。六人部屋だが、入院しているのは四名で父の隣には誰もいない。

 花瓶に入った一本の黄色のバラが、殺風景な病室に映えている。


「こんにちは」

 病室に入ってきた年配の女性が挨拶をする。

「こんにちは」

 俺も挨拶を返す。女性は父親の正面のお見舞いのようだ。カーテンが一瞬開かれ、そして閉じられる。


 あれ?


 一瞬見えたカーテンの中。棚の上に花は置かれていなかった。


 病院の人が用意してくれた花じゃないのか?


「野呂さんこんにちは〜、今から検査行きますね〜」

 看護師のお姉さんがストレッチャーを持ってやってきた。

「あ、あの!」

「息子さん? 今からお父さん検査に行くから、しばらく戻らないけど……」

「わかりました。あと、この花って誰が持ってきたか分かりますか?」

 俺は黄色の薔薇を指差す。看護師さんは少し考え込む。

「誰かはわからないな……」

「病院側が用意してくれてるわけじゃないんですか?」

「それはないよ。お父さんが運ばれてきたのが昨日の夜だよね? じゃあ今朝誰かが持ってきたのかな?」

 遅れてもう一人、年配の看護師さんがやってきた。

「あ、小林さん、この花誰が持ってきたか知ってますか?」

「あぁ。多分、女性だったと思うよ。今朝、野呂さんの病室から女性が出てきたの見たから……」

「それって、どんな……?」

 俺は嫌な予感を覚えながらも、訊ねずにはいられなかった。そして聞いた事を少し後悔した。

「長い黒髪の女性だったよ。赤いワンピースを着てた」


 あぁ。やっぱり。


 俺は、そう思っていた。


 ◇


 あの女が家にいるかもしれない。

 そう思うと足が前に進まない。しかし行く所もない。


 やっぱり警察に連絡しようか……


 逡巡した末に、元バイト先のコンビニに着いていた。


 よし、店長に相談しよう。


 店に入るが、店長の姿がない。

「あの、今日店長は?」

 見たことのない男性店員に聞いてみた。

「店長、今日休みなんです。私は応援に来てまして」

「そうなんですか」

 俺は夕飯のおにぎりだけ買うと外に出た。


 俺が捕まえてやる。母さんの無実を証明する。


 家に戻った俺は、恐る恐る鍵を開けた。

 鍵はしっかりかかっていた。もしあの女がこの家にいるのなら、どこか開いている場所があるという事だ。


 物音であの女の居場所が分かるように、テレビや音楽は付けない。俺はリビングに入り、窓の鍵、キッチンからの勝手口の鍵、全てチェックした。結果、鍵はかかっていたのだ。

 風呂場とトイレに窓はないし、残すは二階のみである。しかし、まさか二階から出入りしていたら通報されるだろう。この家は交差点の近くで車通りも多いし、坂の上にある家からも遠目ながら見えるはずだ。


 あり得ないと思いつつも、気になると調べたくなるのが人間だ。


 俺は二階の部屋も一つずつ確認する事にした。

 二階は三部屋ある。俺の部屋と、父の部屋、母の部屋である。

 まずは父の部屋へと入る。下着やパジャマが一部ベットの上に乗っている。母が病気へと行く準備をしていたから、急いでそのままなのだろう。あの後、母は一度も帰ってきていない。

「はぁ」

 ため息を吐きながら、窓の鍵を確認する。鍵はかかっている。そのまま部屋の外へ出ようとして、クローゼットから何か挟まっているのに気が付いた。


 ネクタイ?


 クローゼットを開けると、ネクタイが一本だけ皺になって飛び出していた。

 父は結構細かい所がある。ネクタイは全てハンガーにかけて等間隔で並べているのだ。付けた後のネクタイを、クローゼットにまた仕舞う事はないだろう。

 不審に思いつつ、母の部屋へ向かう。


 母の部屋は、洗濯した服が積み上がっていた。父と違い、少しズボラな母はこういう片付け方をする。

 脱ぎっぱなしの服がベットの脇に落ちていた。


 なんでここに?

 そういえば、ピアスが落ちてたのってこの部屋だよな。後で捨てたゴミ箱を確認してみよう。


 鍵はやはりかかっていた。


 続いて自分の部屋へと向かう。

 俺の部屋は昨夜と同様、本棚がドアのそばに待機しており、布団はけられて丸まったままである。

「閉まってる」

 鍵は開いていない。俺は本棚をドアの前に移動させて、考え込む。


 どういう事だ? 全ての家の鍵が閉まっている。あの女はどこから入ったんだ……まさか幽霊?


 首を振る。いや、俺の自転車を押さえたり、病院でバラを飾ったり、実際に何かしているのだ。幽霊ならそんなこと出来ないはずだ。


 俺はコンビニのおにぎりを食べ、リビングのゴミ箱の確認を思い出した。


 そーっと下に降りて、ゴミ箱を漁る。ピアスが捨てられているはず……が、ない。


「んー……」


 俺はキッチンで水を飲んだ。

 すると、スマホの通知音が鳴った。ビクッと肩を震わせて、画面をタップする。ただのニュースのようだ。

 そこで他のニュースも確認したのがよくなかった。少しだけと思っても、スマホをいじっていると時間がどんどん過ぎてゆくものである。交通事故のニュース、行方不明のニュース、有名俳優が亡くなったニュース……ふと顔を上げると、目の前にあの女が立っていた。


 赤いワンピースの女は、シンクに寄りかかっている俺と同じくらいの目線で、長い髪が俺の顔にかかりそうなくらい近くにいた。赤い口紅が弧を描き、耳元では母が捨てたであろうピアスが光っている。


「うわああああああっ」

 自分の声とは思えないほどの悲鳴をあげ、俺は玄関へと走った。

 女は無言でシンク下の引き出しを開けると、何やら取り出した。それが照明に反射して光る。


 包丁だ。


 俺は頭が真っ白になりながら、玄関の鍵を開ける。手が震えてツマミをうまく持てない。


「くっ」


 あの女が近付いてくる。裸足で、音もなく、包丁を掲げてこちらに向かってくる。俺はそれがスローモーションに見えた。

 咄嗟に下駄箱の上にあった懐中電灯を持ち、女に向かって思い切り投げつけた。


「ぎゃ」


 女の顔に思い切り当たった懐中電灯は、ゴトっと鈍い音を立てて廊下に落ちる。横にポトっと血が落ちる。女の額から血が流れていた。


 ガチャ


 やっと開いたドアから俺は外へ走った。外は日が沈む直前、夕焼けが全てを赤く染めている。こんな時なのに俺はそれを綺麗だと思った。


「待てーー!」


 叫び声が俺を呼んでいる。俺は自転車に乗ると思い切り漕いだ。後ろを見ると、女は裸足のまま追ってくる。


 俺は死物狂いで坂を登り、坂の上にある家へ助けを求めた。

 俺は逃げ切った。


 ◇


 あの女は俺を追うのを諦めた後、忽然と姿を消した。


 家の中は警察によって、隅から隅まで調べられた。

 すると、風呂場の点検口を開けた空間に、人がいた形跡を見つけた。菓子パンのゴミ、洋服、そして合鍵も見つかった。


 あの女はおそらく、俺たち家族が入居する以前からこの家に住んでいたのだ。


 警察に事情を聞かれたが、何も答えられなかった。俺は家族以外の人間が家にいたことに、全く気が付かなかったのだ。


 母は釈放され、家に帰って来た。

「家族以外の人が、家に住んでいたなんてね……」


 意識を取り戻したと、病院から連絡があった。父は犯人の顔を見ていないらしいが、状況からしてあの女が犯人であろう。


 ◇


 ガチャ

「ただいま」


 日常の音だ。


 今日も三人で食卓を囲む。

 鍵も変えて、この家にいるのは三人だけだ。そのはずである。俺はバイトを再開した。もうあの女はいない。いつもの日常が戻ってきたのだ。

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