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第五話

「おい、何してんだ?」

「?実験ですけど。」

「それは分かる。その内容について聞いているんだ。」

床に足を放り出して、座り込む僕に、上から声が落ちてくる。

アロト君がタオル代わりの布を手渡してくれる。

ついでに何故か怪物か何かを見る目をされている。

僕は今腹を切り開いている。

他人ではない。

自分の腹、胴体だ。

周囲は血に塗れている。

草や花が元からそうだったように総じて赤色になり、雫の重みでふらふらと自分の頭を揺らしている。

流石に学ランは脱いで、白いシャツを上に捲って切っていたが、特に意味は無かったように思える。

下の方が随分汚れてしまって、洗濯が必須になってしまっている。

今迄使って来なかったナイフはここで使っている。

川のほとりで、汚れを洗い流せるようにして、周囲を血まみれにしている。

「僕の「自己再生」の実験です。どのくらいの治癒スピードなのか、重要器官も治るのか、どこまでがその「再生」の範囲なのか。そこら辺をしっかり理解しておかないと。いざという時に困りますからねぇ。」

痛覚は殆ど無い。

痛むことがあったとしても特に抵抗感は無い。

それ幸いとばかりに、臓器を切り離したり、皮膚を刻んでみたり。

腕や足を切り離してみたり。

そうやって実験を繰り返していた。

何かあった時に初めて知る、では駄目なのだ。

事前にどこまで出来るのかをしっかり把握しておかなければ。

「だからってさ、そこまでしなくても良くないか?痛くないのか?」

「それ僕に言いますぅ?」

「そうだったわ・・・。」

それで実験して分かったのは、「自己再生」は基本的にどんなダメージでも回復するということだ。

臓器などの重要な箇所は、腕や足よりも早く再生するということ。

しかし再生が間に合わない程切り付けたり、切り離したりすると、一度再生は止まってしまうらしいということ。

止まる時間は数秒間、もっと言えば三秒から四秒。

皮膚を剥ぐ、殴打するという軽傷も同じ位の速さで治る。

髪を抜く、爪を切るというダメージにならない物は回復しない。

失った部位が消失するか、しないかは意識すれば変動することも分かった。

疲労による肉体へのダメージも恐らく効果範囲内。

大量失血、溺水によるダメージはどうかと思ったけれど、大量失血は範囲内、溺水は流石に範囲外らしい。

「ふむ・・・。」

針による火傷も治った。

電流や毒は今は試せないが、大方同じように再生、回復をするだろう。

しかし「自己再生」自体は勝手に、自動(オートマチック)的に発動するらしい。

一度発動してしまえば永遠に解けないのか、僕がまだ感覚を掴みあぐねているのかは知らないが、それだけは困り物だ。

「アロト君。」

「あん?」

「「自己再生」が出来る人はどれくらい居るんです?珍しいんですかぁ?」

「「自己再生」か・・・あんまし居ないな。居たとしても失った部位の欠損は無理だ。無理、無理。そんなの魔獣でもなきゃ出来ないよ。」

僕の片腕を見つめながらそう言ってみせる。

やはりあの場での暮ちゃんの判断は正しかった訳だ。

再生の阻害も、試した所によると、ナイフが突き刺さったままの場合は再生しない、強い力による圧迫も同じく、布で覆っている場合も同様だ。

無敵に見えて隙が多い。

けれどもそれは、今は有難い。

「あっと、忘れてた。」

僕はそう呟くと、ナイフを握り直す。

既に握り慣れたものだ。

手に力を入れて、腕に垂直に差し込む。

肉を裂き、骨を折る。

すぐに腕が取れるので、手早く傷口に布を巻く。

血潮が滴る。

「あ・・・お前、本当に何してんだ?いい加減、お前に関する理解を放棄したくなってきたぜ。」

「それで結構ですよぅ。僕を理解出来る奴なんて、居ない方が良い。一応アリョーシャさんに切り落とされた訳ですし、再生しているのを見られても厄介ですからねぇ。」

「だからってせっかく生えたのをまた切るとか、本当にイカれてるぜ。」

「雇用主がこんなで失望します?」

「当たり前だろ?お前も、俺も、皆、ここが物語の中だとしたら、失望して、呆れた顔で、至極不愉快そうにページなんか閉じちゃって、そのまま忘れようと努力するだろうな。」

全く、言ってくれる。

布はじわじわと、更に汚れていく。

「終わったか?さっき、親戚連中の姿を見た。宴会してるっぽいけど、そろそろ帰ってくる時間だ。」

「それ先に言って下さいよぉ。ディエスちゃんと暮ちゃんは?」

「先に家の前を見張ってる。」

「重畳。」

学ランを羽織る。

切られた分の布地は地面に転がっていたので適当に縫い合わせた。

これでいつもの姿だ。

赤い部分は隠せるし、こういう時は多少奇抜な方が良い。

傷口や布を剥き出しというのも心象が良くないし、そういう意味でも役に立つ。

「じゃあ始めましょうかぁ。」

「何するんだよ?もう盗める物は大抵盗んだだろ?」

「おやおやアロト君らしくもない。君程の人間が僕の行動の一つや二つ、読み切れないと?」

「過大評価は良くねぇ。全く良くねぇぞ。人間を駄目にする。で、ふざけて勿体ぶらないで教えろよ。こっちも何をすれば良いのか分かりやしねぇ。」

「それはそうですねぇ。詐欺ですよ。」

「詐欺?」

「そう。詐欺。」

僕に、当然ながら詐欺の経験は無い。

しかし今回ばかりは出来なければ困るのだ。

いい加減にこの寄り道を終わらせて、魔王の元へ向かい、元の世界に戻り、「彼女」を見つけ出さなければならないのだから。

「僕らはこれから、詐欺を吹っ掛けるんですよぅ。」

アロト君はそれ以上何も聞いて来なかった。

会話を諦めたらしい。

二人で女性陣の元へ向かうと、二人は屈んで木の陰にそっと存在していた。

「遅かったですね、先生。何をされていたんです?」

「少し自分を見つめていましたぁ。」

「それ今やることではないでしょ、間違い無く。」

「まぁそうですけどねぇ。」

そういえば、恩恵や技能ってどうやって授けられるんだろう?

神様とかかなぁ。

ここ宗教とかどうなっているんだろう。

後で聞いてみよう。

「詐欺と聞きましたが、どうするんです?」

「まぁ見ていて下さい。」

写真に写っていた二人が家に入っていく。

夜遅い上に街灯もあまり無い、そんな中でならば木の陰に隠れるだけで十分姿を隠せる。

あちらからは見えない。

暫くの沈黙。

段々と、棚を引き摺る音、物を引っくり返す音、乱暴にドアを開け閉めする音が耳に入り込んでくる。

「混乱しているようですねぇ。」

「?そう、なの?ここからじゃ何も分からないわよ。」

「聴覚も良いんですよぅ、僕は。」

「つくづく怪物じみてるわ、あんた。」

「僕を無闇矢鱈に喜ばせたくないのなら、そんな褒め言葉はしまっておいた方が良いでしょうねぇ。」

ディエスちゃんは眉を顰めた後に、「前言撤回するわ。」と素直に撤回した。

素直が過ぎる気がするが、まぁ悪い気はしないので良し。

意識を向ければ、苛立っているのだろう、家の中から奇声、金切り声、それに近い声が聞こえてくる。

どたどたとやかましい。

「ふふ、良い感じに焦ってるみたいですねぇー。そろそろ行きましょうかーぁ。本当に僕と暮ちゃんが行くので良いんですか?」

一応の確認だ。

二人は追われている僕と雇用関係に置かれることになる。

途中で不満や不信感を持ち、荷物を持ち逃げされても困るのだ。

信頼関係を築くというのは僕の最もと表現しても差し支えない、実際、昔からそれで苦労してきたものだが、人を信頼することも信頼されることも理解出来ずになぁなぁにして生きてきた腐敗野郎なので、手探りで何度も質問と対話と確認を繰り返しながら試していくしか無いのだ。

「思ったよりも臆病なのね。構わないわよ。痛い目見てくれればそれで良いんだから。」

「おう。そうだよ。俺達はもうあいつらとは顔も合わせたくない。ばっちり他人のふりして不幸を笑わせてくれ。」

確固たる意志というやつなのだろう。

何があろうと何が揺さぶろうと何が差そうと、堅牢な鉄の牢、檻、それの内側に身を竦めたまま隙間からじ、と覗く悪意、それの隣に静かに置かれた復讐の意、それは決してあの、写真の中に居た彼等が見ることの無い物だ。

僕のような捻くれ者には出来ない。

「了解でぇす。暮ちゃんも準備は良いですかぁ?」

「先生の説明不足を除けば。」

「よぅし、行きますよーぅ?」

「愚かですか?刺しますよ。説明を望んで居るんです。」

「暮ちゃんがするべきことは僕の後ろでそれっぽく頷いていることですよぅ。」

「成程、承知しました。」

僕と暮ちゃんは木の陰から出る。

堂々と、何もやましいことは無いのだぞ、と主張するように、歩幅を大きく、背筋を伸ばして、一般的な通行人と変わらないように、実際歩いているだけなのだからおかしなことはしていない、それを前面で主張する。

段々と騒音に近付いていく。

そしてドアの前に立つ。

鍵は開いている。

簡単に開く。

しかし外に出てもらわなくては困るのだ。

家の中に入る訳にはいかない。

今一度服を整えて、ドアを思い切り叩く。

ゴンゴン、という硬い音が響く。

周囲にもびりびりと、空気を浸透していくように残響が広がっていく。

ドアは木製なので、亀裂が入り、もう一度触ろうものなら手を切る程に木の硬い繊維が剥き出しになっている。

金属製ならもっと響いていただろう。

まぁ静かな夜ならこれでも十分過ぎる程うるさかっただろうけど。

「・・・耳破れたかと思いましたねぇ。」

「先生が言うんですね。うるさかったですよ。」

顔を顰めて耳を塞いでいる。

真後ろに居たのだ、相当だっただろう。

それにしたって敏感だとは思うけれど、「彼女」もそうだったし、そういうものなのだろう。

中から騒々しい移動の音が聞こえる。

ドアが開かれる。

「こんばんはぁ。どうしたんですぅ?金切り声が外まで響いてましたよぉ?」

親戚の一人、写真の女の方。

それが、かなり取り乱した姿で出てきた。

髪の毛は掴まれたのかと質問したくなる程乱れ、服装も荒々しくよれている。

その服も、髪の毛についた髪飾りも豪奢だというのに台無し、形無しだ。

「そ、そうなの!実は今、空き巣に遭ったみたいで、大変なのよ!!すぐに人を呼んで頂戴!!」

「それは大変。落ち着いて下さいねぇ。」

「落ち着いていられないわよ!宝石も、写真も盗まれたのよ!!あぁ、あれは、あれは新婚旅行の時の写真なのに・・・!!!」

髪の毛をぐしゃぐしゃと、自らの手で汚らわしく、見窄らしいものにしていく。

取り乱している、なんてものではない気がする。

鬼気迫る、人としての、集団で生きる者として当然のように超えない線を、ぐいと超えてしまいそうな迫力を秘めている。

そしてそれは僕のような者が、患者が秘めているものに形が似ていて、写真で見た時よりもずっと、ずっと親近感を感ぜられる人間に見えるのだ。

「写真、ですかぁ。それに宝石まで。それはさぞやさぞや凄まじい被害金額なんでしょうねぇ。」

「当たり前よ!それより、早く人を!逃げられるわ!!」

「ご婦人、気を確かになされて下さい。その話をしに来たのです。」

暮ちゃんが割って入る。

詐欺をするということしか知らない筈なので、後は僕が話せということなのだろう。

一瞥される。

いつも基本的に表情が変わっているな、と自覚することは少なく、薄気味悪い、にたにたとした微笑みばかり浮かべている気はするが、それでもなるだけ表情が変わらないように注意し、表情筋を意識しながら、目一杯の優しい、慈愛、慈悲の笑みを向けてみる。

「その空き巣被害なんですけどぉ、空き巣の主犯と思われる男女四人組の逃亡が確認されたんですよぉー。」

「はぁ!?どこに!!」

「さぁ。」

今貴女と話しているのがその犯人で、何なら見てますよー、すぐ近くに居ますよー、それでも貴女には一つも返って来ませんよー、と、拘束し、耳元で囁き続けたいと思いながらも、それを口に出したら全てが台無しになるというのは分かり切っているので考えないふりをする。

「困ったことに、既に近くには居ないみたいなんですよねー。」

「そんな・・・!どうすれば・・・!!」

「ですのでね、貴女にご相談があって来たんですよねぇ。聞いてくれますぅ?良ければ旦那さんなんかも呼んじゃって。」

僕の相談を聞いてくれる気になったらしい。

言語と思えない声を吐き出しながら家の中に転がり込んでいく。

「・・・暮ちゃん。知ってます?中世ヨーロッパにおける王都付近の街・村の仕事。」

「?いえ。寡聞にして存じ上げませんが、何です?」

「流通を担うことが多かったようです。特に彼等は引っ越して来たばかり。だというのにああも手慣れた様子で生活基盤を整えているとなると、職務内容は場所に左右されない・またはそれに近いのでは無いですかねぇ。」

「はぁ・・・。ではそれは何ですか?」

「流通です。」

中世ヨーロッパにおいて幾つか日本とは違う制度がある。

その上で、先程書斎にあった書類から、彼等の職務は、中世ヨーロッパにおける重要な職務、代理人会計を務めていると分かった。

少し見ただけでは恐らく理解できなかったろう面倒さだった。ややこしいというか、面妖というか、とにかく背を丸め、背を向けて、走って、もんどりうって逃げたくなるような、そんな気分に落とし込まれるような感覚だった。

ここが日本だったらもっと分かりやすかったのだが、嘆いてもしょうがない。

「病院」で暇で良かった。

暇じゃなかったら、縁もゆかりも無いヨーロッパの会計情報の本なんて読まない。

イタリアにおいては、それを起点にして複式簿記が始まったとも言われている。

重要な仕事だ。

「代理人会計は幾つか種類はありますけどぉ、あれは恐らく商人さんのでしょうねぇ。」

「はぁ。それで?」

「彼女らが任されていたのは原価の簿記ですねぇ。まぁ複式簿記程几帳面なものではなかったですけどぉ。記録の粒度が荒いと思ったんですよぉ。」

ばたばたとした足音が戻ってくる。

「お待たせしてしまったかね。」

「いえいえぇ。お気になさらず。あ、僕、ジェイと申しますぅ。」

「そうでしたかね。で、家内はこの通りで、説明も満足に出来ない状況なものなのですから、説明を願いたいものですね。」

「勿論ですよぅ。」

暮ちゃんは僕の後ろにすっかり隠れてしまう。

「実はですねぇ、貴方達の財産を、すっかり取り戻してしまう方法があるとしたら、どうしますかぁ?それを相談しに来たんですよぅ。」

「!!」

奥方の方が先に反応する。

欲に塗れた顔に、希望が差し込む。

何とも可愛らしい。

少し愛着が湧かないでもない。

蟻の巣を壊す、それを必死に直す蟻を見て、微笑ましい、そう思う子供の気分だ。

「とある魔術師の『技能』でしてねぇ。特定の人間の居場所を特定出来るんですよぅ。僕はその護衛なんですよぅ。」

口先八丁、口からでまかせだ。

魔術師の知り合いなんていないし、護衛なんてしていない。

「何ともまぁね・・・それが本当ならば、喜ばしいことなんだがね。」

「冷静ですねぇ。」

察したらしい。

暮ちゃんが一歩横にずれる音と気配を感じる。

そして、僕の横に出てきて、その手を器の形にする。

手元が揺らめき、煌めき、「地図無用」が発動する。

「おぉ・・・!!」

地図はかなり範囲が大きく、その端で赤い点滅が目立っている。

こうなってくると、暮ちゃんが髪の毛を隠す為に被っているローブは丁度良かったかもしれない。

とても雰囲気が出ている。

「こちらがその魔術師様ですよぉ。この技能を使えば、盗人の居場所もあっという間に特定出来るでしょう。」

「おぉ・・・!!おぉ・・・!!有難いかね、是非お力、お貸し頂きたいですね!」

「まぁ貴方、これで一件落着ね!早く写真を取り戻しましょう!!」

はしゃぐ二人。

大人とは思えない思慮の浅さだ。

何でこんなにも良いタイミングで来たのだろうとか、怪しいとか、そんなものを少しも考えていない。

自分だけに降りかかった幸運というものを、律儀に、謙虚に、卑しく信じているとでもいうのだろうか?

だとすればあまりにも幼く愚かしい。

「ただし、ですよぅ?勿論こちらも商売ですのでぇ。相応のお代は頂かなくてはいけません。」

「無論そうでしょうね。どの程度で?」

「貴方!!ねぇ早く!!」

奥方が旦那さんを揺さぶる。

大分激しめで凄く大変そうだ。

そしてここが肝心だ。

これは詐欺なのだ。

詐欺。

相手を騙し金を取る行為。

腐る程あるけれど、これは復讐でもある。

金額は大きい方が良い。

しかし吹っ掛け過ぎるのもなぁー・・・。

「よし、では500万リーブルでどうでしょう?」

ちなみに1リーブルで一円。

500万リーブルで500万円だ。

二人は顔を見合わせた後、「了解したね。払わせて頂くね。」と旦那さんが頷く。

ふぅん。やっぱりか。

予定通りに、予想通りに事が運ぶというのは、何だか浮つくような、そわそわするこそばゆさを覚えさせる。

「良いですよぅ。でもそんなお金あるんですかぁ?空き巣に入られたばかりなんですよね?それにしたって、失礼ですけどぉ、お家の外観を見た感じ、払えるとは思えませんがぁ、どうなんです?」

視線を感じる。

事が、想像以上の結果が、自ら転がってきている感覚だ。

復讐とは、こんなにも容易なものなのか。

「いえいえ、その程度でしたら問題ありませんね。お恥ずかしい話ですが、貯金はありますね。」

「へぇ?補助金で暮らしていたというのにぃ?」

「!?」

隣の気配が、再び後ろに下がる。

戦闘を警戒したらしい。

そんな事態は無いのに。

「これ、貴方達の資料ですよねぇ?先日偶然手に入れる機会がありましてねぇ。」

「なっ・・・!!そんな訳がないね!!」

僕は昼間、書斎から拝借しておいたものを取り出した。

それは簿記だ。

仕入れや売り上げを記すもの。

複式簿記とは違い、箇条書きに近いものだが、材料費や労務費も書いてある。

そしてそれが二枚。

製造費と、それに合わせて販売費やら一般管理費を書き留めてある、総原価の書かれている一枚、製造費だけなのが一枚。

正式に報告の形になっているのは製造費だけの方だ。

つまり、販売費や一般管理費を含まない方を正式に報告して、その分の差額を掠め取っている。

詰まる所の横領だ。

「でもでも、これは事実ですよねぇ?だからそんなにお金があるんですよねぇ?お金の動きなんて見れば分かりますよぅ。補助金の為にアロト君の補助金を奪い取ったっていうのに。」

「そんなっ・・・!!そ、そんなの出鱈目に決まっているでしょう!?何をそんなに自信満々に!!どうせ貴方が盗んだのでしょう!!」

「後ろで大声をピィピィと・・・小鳥ですか貴方はぁ・・・。盗んだって、それじゃ自白と同じですよぅ。」

しかし憶測が外れているというでもない。

実際盗んでいるし。

けれども終わりだ。

お金があるという自白も出た。

それの出所も、多少強引だが辻褄が合う。

ならばもう終わりだ。

「ぐぅ・・・!!「焔遣い」!!」

「?」

旦那の方が両手を掲げたと思ったら、煌々と輝く、暗闇の中ではより一層はっきりとその色が視認できる、とても自然界ではあり得ないような色の炎が起こる。

それがじわじわと形を取る。

槍のような形になり、それが僕の首に向かう。

僕は抵抗しない。

『恩恵』か『技能』の類だろう。

僕のと比べて便利そうだ。

首に掠る。

肉の焼ける匂いがする。

しかしそれだけだった。

旦那の方の腕が、ごとりと落ちたのだから。

「ぎ・・・」

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!!」

甲高い悲鳴が、周囲に響き渡る。

それを煩わしそうにしながら、髪の毛をはためかせる女性と、無骨に見つめる男性。

「お昼ぶりですねぇ。アリョーシャさん、コーリャさん。」

「・・・そうねぇ、私も流石に想定外だったわね。」

一拍置いて、薄汚い悲鳴が、遅ばせながら上がる。

「ぎやぁぁぁぁぁ!!!腕が!!腕が!!!落ち、落ちたぁぁぁぁ!!!」

「貴方!!貴方!!何をするのよおぉ!」

「殺人未遂に横領よ?犯罪以外何があるの。許されないことを犯している自覚があるというの?コーリャ。」

「言われずともだ。」

金属製の輪っかを付けられ、どこかに運ばれていく。

「腕を切るだなんて、酷いじゃないの!助けて頂戴!!誰か!!誰かーぁぁ!!」

「誰も来ないわよ。分かるでしょ。愚図ねぇ。」

愉悦、うん、愉悦なのはそうなのだが、やはり彼女達は、食事や睡眠のように、愉悦や快楽の対価として行動するのではなく、その行動自体が見返りとなる人間だ。

恐らく、正しいのはいつだって彼女達なのだ。

「策士なのね?随分と。びっくりしてしまったわ。こんな詰まらないことにいちいち時間を使うようには思えなかったものだから。」

「・・・それは、先生を馬鹿にしていますか?」

「褒め言葉よ。」

やはり、この女には、院長が浮かぶ。

瞼の奥に刻み付けられた、まぁ憎い存在だ。

あの人は明るい声色で、ショタロリコンという肩書きを背負い、そして可愛い可愛いと院内の患者達を可愛がりながら、愛でながら。

研究の為、知的好奇心の為に痛ましい行為を押し付ける人間だった。

流石の僕もあれは堪えた。

あの人に襲い掛かり、殺しかけ、何百人も殺したにも関わらず、「彼女」を探す許可を出してくれたのだけは感謝しなくもないが、別に感謝しないが、その苦痛、僕でももう思い出したくない苦痛を与える事が出来たその技術は今でも嫌悪として残っている。

それを想起させるなんて大したものだ。

暮ちゃんはとっくのとうに「地図無用」をしまっている。

しかし恐らく最初の段階から見ていただろう。

その為にあんなにも大袈裟にノックしたのだから。

「僕はこれで。」

華奢な手を引く。

ふと、「彼女」の感覚を思い出した。

あの夜のことは酷く曖昧だ。

曖昧、曖昧模糊、不透明、そうだ、記憶ははっきりとあるのだが、感覚、感触、それが実際に思い出せない。

思い出している訳ではないのだろう。

記憶にあるだけだ。

その感触。

「彼女」の手を引いて歩いた、寒い冬の夜。

わざと強く引っ張ってもそれに応じようとする健気な姿。

それが唐突に思い出された。

思い出す、それだけで、目頭が熱くなりそうな程嬉しい。

アリョーシャさんは何も言わなかった。

ただ僕達二人を観察していた。

何も出来ないだろう。

だって僕らは何も嘘なんて言っていないし、盗みなんて今更問えないから。

盗んだかなんて分からないから。

隠れている二人は、僕と暮ちゃんが近付くと駆け寄ってきた。

「おい、平気か!?」

「大丈夫なの?早速また会ってたけど。」

「平気ですよぅ。何ともありません。多少はスッキリしましたしねぇ。」

二人は、あの悲鳴で満足したのだろうか。

僕には分からない。

他人の感情やその基準が、肝心な所で。

「どうです?足りましたぁ?まだ足りないようでしたら、リスクを冒すのもやぶさかではないですけどぉ。」

学ランを脱ぎ、腕に巻いた布を解く。

腕の再生が始まる。

暫くあの二人は己の正義に則って、あの二人の対処をするだろうから、僕と顔を合わせる機会は無いだろう。

二人は黙りこくる。

その段階で僕は、連行されて行った二人にどうにか追いつき、あの強靭な大男から奪い取り、暴力的な制裁を与える方法を模索し始めた。

まぁ、うん、はいはい、うん、足と腕を一本ずつ奪われるくらいなら、何とかなるだろうし、制裁も与えられるだろう。

そう思い、覚悟を決め始める。

「何言ってんのよ?適切どころじゃない、やり過ぎてくれたって言っても良いわよ。」

「おう。全くもってその通りだわ。あの悲鳴。短絡的っていうか、下劣っていうか、本当に最高だった。」

「アロト、あんたも最高ね。」

「そっちもな。」

二人で笑っている。

とても、嬉しそうに。

鬱憤を晴らすように。

「お気に召したようですね。光栄です。」

「・・・あ、満足して貰えたんですねぇ。良かったぁ。」

あれで良かったのだろう。

時間を使った甲斐があった。

「これで寄り道は終わったようですねぇ。」

「えぇ。ありがとね。沢山。」

「本当だよ。ここまでして貰えて、あいつらも想像以上の罪で捕まって。ありがとう。いや、違うな。違う。」

「?」

「ありがとう、ございました。」

「侮辱の鬱憤も、屈辱の応報も、私達二人では出来なかった。ありがとうございました。」

二人は頭を下げた。

他人のように畏って。

それは僕を無性にイラつかせた。

二人の頭を掴み、無理矢理上を向かせる。

「!?痛!?」

「何すんだよ!?」

これで対等だ。

満足。

「あ、何だか急に畏まられて怖くなってしまって・・・。」

「あんたって怖いものの頭鷲掴みにするのね・・・。」

「お前が一番怖いわ・・・。」

引かれた。

よし、満足した。

「・・・先生、こういうのは素直に受け取りましょう。」

「嫌ですよぅ。」

巻いていた布を適当な枝にかける。

今回はかなり単純なことだった。

不正をしているのは内装から理解していた。

子供一人分の補助金でそんなに贅沢出来るものか。

何か他の、違法な稼ぎ方をしているだろうなと目星をつけ、それが当たった。

正義感の強い二人、しかも公的に裁ける二人が来たのも幸運だった。

まぁアリョーシャには、良いように使っているというのは勘付かれていたと思うが、それを飲み込める正義の心、正しいを押し付ける力を持っていた。

それを宿から出して、会話を聴かせた。

ついでに殺人未遂を起こさせた。

それで解決だ。

「さて、これで気はすみましたか?予定通りに他国へ逃げましょう。」

「一応夜が明けるまでは休めるのよね?」

「当たり前ですよぅ。僕だってぶっ通しではそんなに動けませんしぃ。」

「何か意外だな。」

「怪物か何かと思われている・・・。」

いよいよ僕についての認識を問いただしたくなった。

ふと家を見る。

荒らされた家は静かだ。

先程の騒ぎはどこへやら。

静寂に包まれ、あまりに穏やかな時間が流れている。

あの家の入り口で、先程あんなにも凄惨な騒ぎがあったというのに。

秘密だ。

一生の秘密。

あの空気、雰囲気に、愛着が湧き、味方をしてあげたくなったのは。

仲間にしてあげなくもない、鞍替えしなくもないと思ったのは。

一生の秘密。

彼等を仲間にしようと思い立ってしまった時、その時に、迸るような吐き気を催した。

瞬時に否定し、その考えを消した。

あってはいけないと思ったから。

考えついた、あってはいけない考えを更に否定した。

だから秘密だ。

それが仲間意識だという考えも、同時に否定しながら、僕は三人を見た。

三人は僕が迎合しなくても良い異端者、日陰者の類だからこそ、僕はきっと、集団として動けるのだ。

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