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第四話

大人を信用しないと決めた瞬間があった。

明確な転換期だった。

僕はあの時学生で、まだ世間という世界に迎合しようという志を抱く少年で、その少年は一人心底悩んでいた。

周囲の人間が全てマネキンか人形か、或いはそれ以上に人間離れした何かに見えていれば、そんなにも思い悩むことは無かったのかもしれないが、そんなことは無く、僕は人間で、皆人間だった。

例えば、道徳の授業の際、プリントに考えを書き出し、四人一組になってその解答を共有する。

答えは僕とは食い違っている。

僕はその答えに執着なんて持っていないので慌てて書き直す。

プリントに残るのは消しかすと、僕の本意になっていない道徳観。

それが何だという話なのだが、結局、僕は他人の倫理を迎合することが出来ず、またその現実を受け入れることも出来ずに宙ぶらりんだったという話だ。

僕は生きているだけで屈辱的だった。

全員が揃って僕を嘲笑しているように思えた。

誰かが話す。

しかしその意図は読み取れない。

何を思って話しているのか、その発言の裏の意味は?

全てが曖昧模糊としていて息苦しく、何を思って皆生きているのか、何が楽しいのか、僕とどこが違うのか、普段、あんなにも大きな声で笑っているけれど、何がそんなに面白いのかしら、もしかして、皆面白いふりをしているだけで、本当はちっとも、これぽっちも面白いだの可笑しいだの、そんな前向きなことは考えていないのだろうか。

騙し合って、楽しいふりをして、日々を消化するだけの、怪物か何かなのかな。

今ではほんの少しだけ、周囲の人間の感情の機微は理解出来るようにはなったものの、共感はしにくい。

それが毎日、更に苛烈に起こっていて、聴覚や嗅覚なんかも人より少し良いものだから、騒ぎ声が、げらげらという大口開けた品の無い笑い方が、年相応に可愛らしいその声が、頭にガンガンと響き、耳を引き千切りたくなる衝動に駆られていた。

全員が僕の敵のように感じられて、それでいて憎み、恨むことが出来なかった。

一人でいることへの恐怖があり、複数人の暴力を信じていた。

誰かと一緒に過ごしたかったけれど、その人を真に愛することも、何か特別な情を抱くことも出来なかった。

その場凌ぎの道具に過ぎなかったのかもしれないけれど、その自覚も無かった。

その時仲が良くても、その時が終わってしまえば名前も忘れてしまうような他人だった。

印象に残らないのだ、どうにも、話している間はとても個性的な、雰囲気の良い人間に見えてきて、共に居たいと思えるのに、一時離れてしまえば風化してしまい、心に残ることは無かった。

だからか、僕の周囲に気を許せるような人間は一人も居ない、と確信していて、その確信は酷く邪悪な、そして不吉な、縁起の悪い死神のように思えた。

とにかく教室にいるのが苦痛だった。

理解出来ないものが怖く、恐ろしく見えた。

先生、僕、クラスの人が理解出来ないんです。いえ、分かっているんですよ、皆何かしらを考えて生きている、何も考えていないだなんて、僕と同じような不快感を抱いているなんて、そんなの嘘っぱちです、ある訳が無い、しかしならば、彼らは何を思って生きているんでしょう、どういう時に悲しんで、どう云う風に怒るんです?想像がつかない。

いつも楽しそうで、それが本当に楽しいのかも分からないし、一体普段誰かを褒める時、貶す時、どういった心境で、例えば風が通り過ぎるみたいに意味なく発言して忘れてしまうのか、計画的に誰かを貶めているのか、それすらも判断付きません。

皆僕のことを受け入れてくれているようだけど、愉快な人物、好意的に捉えることのできる人間だと思っているように見えるんですけど、それはどこを見て言っているんですかね?

僕には彼らの視界を共有することすらも出来ないのに、どうしてあんな表情で、声で、僕に話し掛けてくるんです、恐ろしい、空恐ろしい、苦痛ですよ。

先生。僕はどうすれば、もっと楽に生きられるでしょう。

彼らの中に真の意味で迎合するには、どうすれば良いでしょう。

僕はどうすれば良いでしょう。

教えて下さい、先生。

大人なのですから、僕よりも何倍も生きているような敬うべき師なのですから、きっと道標の一つや二つ、三つや四つ、置いてくれるのでしょう?

担任の先生は答えてくれなかったが、代わりに人間心理に精通したスクールカウンセラーとの相談時間を取ってくれた。

その人も的外れな答えをくれた。

僕が求めているものでは無かった。

「まず七星君はどうしたいのかな?」

そう問われて言葉に詰まった。

どうしたいのか分からないから聞いているのに、何なのだこの人は。

結局二回程でカウンセリングは途絶えた。

一応、解決策らしい物は置いて行ってくれたけれど、とてもそれが僕のこの世界を、視界を、価値観を、通常通りに矯正する力を秘めているとは思えなかった。

だから、カウンセリングに対しての興味や期待が薄れてしまい、カウンセラーの人は心配だと言っていたが、僕の方から拒否した。

しかしそれから一月経って教師に呼ばれた。

体育の教師で、カウンセラーさんと相談する時間を作ってもらうのにプリントを出す必要があり、そのプリントを提出した人だった。

名前は覚えていない。

というか思い出したくない。

酷く優しそうな声で、酷く残酷な人だったと思っている。

虫を、その手で、未成熟な手で、何ということは無いとでも言うように、静寂に包まれた心でそっと引き裂いてしまう幼児、儚げな命を弄び、無邪気に笑い、殺すまで真剣にその手で力を込め続け、死んでしまえば思い出すこと無く次を探す、そういう倫理を外れている!と大きな声で言えないが不愉快になる修羅、それより遥かに残酷な大人だったと思う。

「最近どうだ、調子は。クラスの奴とは馴染めているか?」

「まぁ、ぼちぼち。」

馴染めている、と言うのはどういう線引きの上でそう呼ぶのだろう。

いじめ無く、それなりには話す人が居ればそう呼べるのだろうか。

少なくとも僕はそう思えず、ぼちぼちと答えたものの、ちっとも変わってはいない、と思った。

頼んでもいないのに声を掛けないで欲しいとも思った。

その人はわざわざパイプ椅子を持ってきて、僕を職員室の自分の席、その真ん前に座らせた。

事情聴取をされる犯人の気持ちを味わわせて貰った。

「カウンセラーの人から聞いたが、クラスの奴らはどうだ、まだ嫌か。」

その瞬間、何だか失望してしまった。

スクールカウンセラーの人は言っていなかったし、担任からも、その時話していた教師からも聞いていなかったのだが、どうやらスクールカウンセラーに相談した内容は教師に伝わるらしいということで、僕は当然のように預かり知らぬ所だった。

信頼してみようかと思っていた。

父も母も目上の人間は敬えと言っていて、元来素直であった僕はそれを殊勝に受け入れながら生きていた。

多分そうでもしないと、僕の「否定症候群」は悪化していたと思う。

抑制力を作ることで、辛うじて、僕の「否定症候群」は前面に出ない、ギリギリのラインを超えず、人間の中に一人苦悶しながら溶け込む事が出来たのだと思う。

両親は、まだ悪化していない異常者の息子に、図らずして最適な教育と環境を与えていた。

「病院」の「先生」は、僕の主治医は、それを褒めていたし、僕もそう思う。

しかしその時、僕の目上の人間への敬意、少なくとも教師に対する敬意は消え失せてしまった。

その後も話は続いた。

「お前にもお前の世界はあるように、他人にも他人の世界や価値観があるんだよ。」

知っている。そんなことは昔からとっくのとうに知り尽くして、人間の持ち合わせた性分や、一人一人の嗜好に一喜一憂する馬鹿らしさを怯えながらも受け入れていた。

「それをどうにかするのも良いと思うけど、自分を変える方が簡単だと思わないか?」

知っている。その方法が知りたくて足掻いていて、それが発見出来ずに、皮膚を剥がされ肉を削ぎ落とされた人形のようにぼろっちく惨めに打ちひしがれていた。

「まぁ相手もお前もまだ学生なんだからさ、俺もしょうがないって思う部分はあるが、お前はそう思えないんだろ?」

分かったような口を聞かないで欲しかった。

知っている、知っている、知っている、馬鹿にするなよ、貴方よりもずっと、僕は長い間悩んで、悔やんで、悶えのたうち回るような苦しみを飲み込んで来たんだぞ、他人のことなんて誰よりもよく見て、誰よりも近付こうと努力しているんだぞ。

そこらの餓鬼と同じにするなよ、いや、そうじゃない、それならば嬉しいんだ、だってそうだろう?そこらの人と同じ反応、行動、それに身を浸すことが出来ていると言うことだから、しかしそうではなく、僕は自分よりも物を分かっていないと思われているだけで、それに腹が立っていたのかも知れない。

この人も自分が言っている言葉をちゃんと聞いて、考えたのだろうか。そんなことを、分不相応に考えた。

下らない話に聞こえて、全て肯定して、さっさと話し終わって帰して欲しかった。

僕の欲しい言葉は何だったのだろう。

何て言って欲しかったのだろう。

どう言って貰えば満足して、「ありがとうございます、流石先生です。」と笑顔で受け入れることが出来たのだろう。

その答えを「彼女」が届けてくれたのだ。

僕を救ってくれたのは「彼女」だったのだ。

せめて名前だけでも知っていれば、「彼女」の人生を知れたのに。

「彼女」に会った時に、「彼女」が欲しがっていたであろう言葉を与えられるのに。

そう思えどここは異世界で、「彼女」はいなくて、帰宅する手立てもまともに無い。

そして今、他人の家に不法侵入しているのだから、何を思案しても仕方が無いだろう。

「ねぇ!!やっぱ無理なんじゃないの!?聞いてる!!?あんたこれ見つかったらどうするのよ!?」

ディエスちゃんが小声ながらも声を張り上げている。

「うん?あー・・・何とかしますよーぅ。お気になさらずー。」

「気にするって!ていうか何とかってどうするのよ!?金でも握らせるの!?」

「殺しまーす。」

「お前仮にも法律を知った人間なんだよな!?とても冗談には聞こえねぇしそれ俺達殺人幇助じゃね!?」

仮にも元盗人が何を言うのか。

大して変わらないだろうに。

「アロト君雰囲気違いますねぇー。何だか男前だなー。」

「弱いふりしてる方がバレた時に同情引けるんだよ!良いから黙って探せ!」

僕はその言葉で手元を見る。

二人が嘗て住んでいた家は歩いて一時間程の場所にあった。

こじんまりとした、見てくれは他の民家と大して変わらない一軒家で、一瞬間違えたのかと思ったけれど、内装は大違いだった。

厳粛かつ質素な外を嘲笑し隔離するような豪奢さ、しかもそれがちっとも美しくない。

明らかに高価な物をあからさまな場所に置いていて成金趣味とはまさにこのことだ。

美意識なんて感じない。

これじゃ札束を飾っているようなものだ。

お金を見せたいだけ。

何とも醜悪。

住民の顔がありありと浮かんでくる。

「おっえー。これとか見て下さいよぅ、何ですこのお人形。宝石とか付けてますよぅ?」

「・・・そうですね。人形への装飾品にしては些か度が過ぎているかと。」

「こんなの無かったわよ。あいつらが買ったんでしょ、気味が悪い。」

暮ちゃんを除き一同が顔を歪めていることだろう。

家全体が見栄の塊みたいなもので、心底可笑しく愚かしい。

取り敢えず宝石だけ取る。

「流れるように盗むじゃないの。」

「ここにあったってどうせ意味無いですしねぇ。」

「まぁ良いのではないでしょうか。元は貴方達の為のお金ですし。」

「それはそうなんだけどねぇ・・・。」

ディエスちゃんは苦虫を噛み潰したような、納得しかねているような不服を表情で表しながら室内を物色する。

今回探すのは高そうな物、または大切にされているだろう物だ。

僕と暮ちゃんは主に高価そうな物を探し、ディエスちゃんとアロト君は大切にされているであろう物を探す。

「こうも様変わりしているとはね。」

「ん、もしかして、以前家に居た時はもっと()()でした?」

「いや、まぁ、私達が居た頃から壁紙とか、絨毯が変わっている訳じゃないんだけどね。小さな小物が引くほど変わってるのよ。写真立てとか、ほら、こういう時計とか。」

ディエスちゃんがひょいとそこらの小物を手に取る。

実に官能的な動作だ。流れるようにという言い方は陳腐過ぎる。

鳥が羽を広げるような、本能に刻まれたような、生命に直結する動きを脳裏に映し出す、腕の筋肉全てを使った動き。

普通の動作の筈なのに、神聖さすら抱擁している。

「・・・何見てるのよ。」

「あぁいえ、お気になさらず。別に特段やらしいことは考えてないですからぁ。」

「あそう。どうでも良いけどあんまり遊ばないでよね。」

この家は兎に角物の数が多い。

所狭しと物がひしめき合っていて、下品だ。下劣だ。下衆の極みだ。

ただの補助金では説明が付かない。

少々想定外な程だ。

僕は一度部屋を出る。

三人には引き続き探してもらう。

目指すは書斎だ。

聞いた所によると、この家は小さいながらも書斎が存在しているらしい。

僕の家には無かったけれど、それは中々楽しい空間なのだろう。

読書は好きだ。

早く帰りたい。

そういう焦燥を掻き立てられる位には好ましい。

書斎はよく想像するような部屋で、天井まで届くような本棚の中に本がびっしりと置かれている。

この家の元の住民、二人の両親は、やはり勤勉だったらしい。

部屋の内装は簡素な物だったけれど、窓の位置が独特で、それは本が日焼けしないようにという配慮が込められていた。

きちんとした脚立に近い踏み台もあり、それもまた質素な物だ。

この部屋に手は加えられていない。

僕は床に触れる。

埃が積もっていない。

入っていない訳ではないらしい。

何となく見えてきた。

本棚の中の本はどれも煌びやかな装丁を施されている。

ペーパーナイフを使わなければ読めないような本もあるが、未読の本は無いようで、流し見した感じ誰でも読める状態のようだ。

その内の一つを適当に手に取ってみる。

どうやら異国の御伽話らしい。

元の場所に戻して次の本を取る。

探すついでに、社会情勢でも知ろうと思ったのだ。

魔王のことや転移者のこと、この国の歴史。

外国の本も探したいが、第一にこの国についての情報は少しでも多く必要だろう。

そう考えついての判断だ。

題目が意味不明の物も多かったけれど、辛うじて情報になる物もあった。

魔王は数十年前に突如として人間の脅威になったらしい。

人の田畑を荒らし、街を壊し、高名な戦士や魔術師を連れ去る。

幾度となくそれを繰り返し、人々は疲弊し切っている。

そこで各国の王は協定を結び、魔王の討伐を最優先とし、異世界より勇者を呼び寄せる方法を編み出した。

そんな所だった。

国の歴史書的な物は無かった。

そこが残念。

飽きて机やその下、床下を探す。

目的の物を見付けると僕は三人と合流した。

「ただいまでぇーす。」

「お帰りなさいませ、先生。どうです、何かありましたか。」

「えぇ。とても。」

「それはようございました。こちらは一応、高価そうなアクセサリを見付けたのですが・・・。」

暮ちゃんはそっとその掌の上に乗ったアクセサリを見せてくる。

大粒の宝石がふんだんに使われたぎらついた物品。

成程確かに高価だろう。

「良いですねぇ。僕はこういうのには疎いので分かりませんが、中々どうして価値がありそうじゃないですか。」

「良かったです。」

「ねぇ。それ以外はどうするのよ。」

アロト君とディエスちゃんは想像以上に部屋を荒らしまくっている。

正常な位置にあるものが何も無い程に荒れている。

探し物をしているとは思えない。

「・・・空き巣でも入ったんでしょうかねぇ。」

「えぇ。何でも男女四人組の人でなし共らしいわ。アロト、戸締り気を付けなさい。」

「ん。そうする。」

ああは言ったけれど僕は一般家庭で育った。

その後は国の施設、病院の皮を被った悍ましい場所で監禁状態だった。

更に後は放浪に等しかった。

目利きの才能なんて無い。

宝石なんてテレビか漫画位しかまともに見た事が無い。

どれが一番価値があるだの、一番取られたら屈辱的だのは知らない。

なので確実に追い詰めたいのなら、手放したくないような品を取ることが求められる。

「これも、持っていきましょぉう。」

「・・・それ、写真立て?」

「はい。」

僕は置かれた写真立てを手に取る。

随分とまぁ悪趣味な(もう慣れた)物品で、権威や見栄を主張する方法を金を掛けることでしか表せないのかと疑いたくなる。

「先生。確かに随分ごてりとした一品ですが、何故そちらを?」

「これが写真だからです。」

中世ヨーロッパ。

ここがそれに非常に似た世界であることはもう既に嫌という程分かり切っている。

そしてその時代に写真は無い。

基本的に写真という記録媒体が人類の歴史に現れたのはもっと後の話だ。

恐らく僕よりも以前に来た転移者が作ったのだろう。

しかしこの文明レベル、しかも魔王という脅威がある中でそれが発展することも、娯楽として広がることも無い筈だ。

其れをわざわざ撮って、置いてある。

ご丁寧に写真立てに入れちゃって。

間違いなく、そう簡単に取り返せない筈だ。

「写真立ては、変わったんですよね?中の写真はどうなんです。」

「え、ど、どうだろう。変わった、のかしら?あんまりまじまじ見たこと無いし・・・。」

「変わってないよ。ちっとも。あの女と、その旦那。二人の仲睦まじーい写真だ。」

ふむ、と僕は一人その写真を改めてまじまじと観察する。

男女が写っている。

二人、想像よりもずっと細く、見た目もそこら辺の典型的な男女、という印象を覚える。

その雰囲気は凡庸かそれ以下、見窄らしいまでもある。

背景は海のようだ。

白黒の写真なので何とも言えないが、穏やかな波のようである。

虚栄心が強い人間ならばまず見栄を張るために飾ったりしないであろう写真。

「うん、やっぱりこれで行きましょう。」

「では、撤収ですね?」

「えぇ。」

「片付けは?どうするのよ?」

ディエスちゃんは家財を蹴飛ばしながら尋ねてくる。

「片付けたいのでしたらそれで結構ですけどぉ・・・どうします、怪文書でも残しておきますかぁ?」

「どんな内容にするのよ!死ね!とか?」

「急に楽しそうにしないで欲しいんですけど・・・そうですねぇ、うーん・・・。」

アロト君が走って部屋から出て行ったと思えば、紙とペンを両手に戻ってきた。

暮ちゃんも其れを興味深そうに見ている。

僕らの中で、そういう雰囲気、空気が出来つつあった。

僕はペンを片手に持つ。

「うーん、宝は預かった、と・・・。」

「怪盗ですか?真面目に書いて下さい、刺しますよ。」

「だから何で君はそう刺したがるんですかぁ・・・どうせ再生しますよぅ。」

僕は一先ずそれっぽいことを書いていく。

それをディエスちゃんとアロト君は興味深そうに観察している。

じ、と、湿っぽさは無い、害意も無い、かと言って何も無い訳でも無い、興味、そう、本当に興味と未知への好奇心が模る視線。

「・・・あの、何です?」

「いや、お前、何を書いてるんだろうって。」

「え?何?」

暮ちゃんは早かった。

「あ、ちょっと。」

ばっと勢い良く僕からペンを奪い取り文字を書き連ねていく。

実に真っ直ぐな伸び伸びとした字だ。

美しい。

そんな動きで流れるように書いているのは五十音表だ。

ちょっと分からない。

「何してるんです?」

「これ、読めますか?」

二人にそれを見せる。

二人は黙って首を横に振る。

「文字習ったことありますぅ?」

「馬鹿にしてるでしょ。」

「純粋な疑問ですよぅ。」

僕も暮ちゃんも文字は読める。

話すことも出来ている。

しかし・・・。

「書く」という行為を試した事はまだ無かった。

「習ったわよ。一通り。でも見たこと無いわよそんな文字。読めない。・・・本当よ。」

「疑ってないですからねぇ。」

「言っとくけどね、私達だけが無知って訳じゃないと思うからね!こんなへんてこなの誰も使おうとはしないわよ!」

「だから疑ってませんって。信じてますって。」

「あー、やっぱり転移者だったのか。外国語も少しは知ってるけど、言葉は話せるのに文字だけ少しも書けないなんておかしいしな。」

「良かった、やっと信じてもらえそう。」

「だから俺達のこと見下そうとか思うなよ。」

「泣いて良いです?」

楽しかった。

要は僕と暮ちゃんは、あくまでも読める・会話が出来るというだけで、その文字を書くことは出来ないらしい。

いや何で?

あくまでも翻訳の対象外とか、そういう話?

それとも何、生活に聞く・話す・読むは必須だけど、書くのはそうではないっていう認識なのか?

釈然としない。

「じゃあ私達が書くわね。」

「後で文字教えて下さぁい。」

「嫌よ。」

「けーち。」

二人は実に愉快であることを表情で表しながら文字を新しい紙に書き連ねていく。

僕と暮ちゃんはただそれを突っ立って見ていた。

文書は結局三枚分になった。

僕らには読めないが、きっと相当に愉快、痛快、爽快、奇怪な気分になれるような、曲がりくねり捻くれたようで実直な文句と言葉がつぶさにぶつけられているのだろう。

見たいような、見たくないような。

「じゃ、これ全部持って行くということでぇ。」

「分かった。さっさと押し込んじゃうわね。」

ディエスちゃんはポケットの中に腕を突っ込み、もう片方の手で物品を押し込み始める。

ポケットは一切膨らまない。

何も入っていないかのようで、目の前で見ている僕も不思議と、何も入っていない、あれは空だ、空だと脳が囁き始める。

「凄いですねぇ。」

「これくらい普通よ。普通。」

「それすら出来ない僕は平均以下と?」

「そうだけど?」

「引っ掻きますよぅ?針で。」

僕が持っているのは「自己再生」だけだ。

他人の傷を癒す事は出来ない。

アロト君が出来る事は未知数だとして、一番他人の役に立たないものは何かと問われれば僕だろう。

暮ちゃんの「地図無用」も既に何度も大いに役に立っているし。

二人に静かに距離を取られながら、その後も幾つかの金品を盗む。

僕らが外に出たのはそれから更に数十分後。

着いた時には太陽が高く昇っていたというのに、既に空は白み始め、暮色蒼然とはこのことだな、と思った。

「じゃあ、帰宅を外で待ちましょうかぁ。」

「それは良いんだけどね、この後どうするの?」

「あぁ、それは・・・。」

「少し、良いかしらね?」

話し合いは中断された。

それは女性の声によるものだった。

「・・・はい?」

声の主は、嘗て在住していた「病院」の院長を彷彿とさせる女性だった。

小柄だ。

身長は140センチ程。

髪の毛は腰まであり、其れを一つの束にしている。

瞳も髪の毛も艶のある黄緑。

姦しい雰囲気で、今その口が結ばれ、静かに動かず黙っているのが奇跡に思えてくる。

そしてその目つき。

この女性は僕ら、いや、正確には僕ただ一人を観察し、敵対しているのだ。

まだ一言しか会話をしていないにも関わらず。

敵と認識し、その敵愾心を隠しもしない。

写真を見ている気分だ。

院長を、そして昔確かに居た、哀れな少年を。

「良いかと聞いているのだけど、もしかしてその耳は飾り?」

「あー・・・はい。飾りですよぅ。」

「そう。整備しておきなさいな。貴方、名前は?」

「名前?僕です?」

「そう。貴方。」

指差される。

まずいな、と、思考の隅で感じる。

まずい。

実にまずいと、本能が警鐘を鳴らし、恐怖に近しい器官をしっちゃかめっちゃかに掻き回そうとしてくるのを、理性の力、そう、獣の咆哮を力尽く抑えるように、意思の力で邪魔をする。

殺してはいけない人間だ。

そう認識できた。

「・・・ジョンです。仲良くして下さいねぇ。」

「嘘ね。馬鹿言うのも程々にしないと、私の相棒がそりゃあ怒るわよ。短気だもの。」

「これは失礼。ジャックでぇす。」

「コーリャ。切り落とせ。」

腕が落ちた。

肩から、すぱっと、何の違和感も無く、そうあるべきだったように、重量を持って落ちた。

血液は止めどなく溢れ出る。

喪失感だけがぼんやりと、元々あった場所に残る。

「先生!ご無事ですか!」

「ちょっとあんた!止血!止血しなさい!」

アロト君が無言で布を用意してくれる。

三人共優しい。

どうせ治るというのに。

痛みが無いのがせめてもの慰めだ。

流石に僕も、腕が瞬きの間に切り落とされるなんて初めてだから。

「顔色一つ変えないのねぇ。」

女性は微笑む。

その女性の後ろ。

小柄な体躯の後ろに、大男が立っている。

増えた。

腰にサーベルをかけた男、太い眉が彫りの深い顔によく合った男が、女性の肩をそっと掴んでいる。

「離しなさい。コーリャ。」

「・・・ん?あぁ、了解した。」

「ぼんやりしないで頂戴よね。困るわよ。」

「困るのか。どれくらいだ?」

「そうね・・・ケーキの無い誕生日位よ。」

「成程、死罪だな?」

これがコーリャ。

コーリャというのはニコライの愛称だった筈だけど、ニコライはロシアに多い名前だった気がする。

まぁ何もかも中世ヨーロッパに準じているとは思えないし、そこは構わない。

問題はこの男、腕を切り離されるまで存在に気が付かなかったことだ。こんなにも大きな、目立つ男が。

僕もそこそこ早い動きが出来るけれど、それでも追いつけるかどうか。

これが、この男が、一部の隙も無駄も無いこの大男が、僕の腕を切り離してくれた男か。

気が付けば傷口から血液が止まりつつある。

「自己再生」が発動しようとしているのだ。

感覚で分かる。

「王が亡くなったわ。殺された。酷いものよ。よくもまぁあんなにも、そうね、人としての記号を剥奪したような、悍ましい、怪物のような所業を出来たなと感心したくなるくらいに、単なる腐肉になり果てた死体を作り出した奴がいるの。城の中でよ?しかも、城中の人間が殺されていた。」

「先生は関係がありませんね。お引き取り下さい。」

「聞きなさい。それでねぇ、探さなくちゃいけないの。私達はね、ほら、衛兵だから。」

肩を竦める動作、それは余裕を非常に大きく孕んだものだ。

余裕綽々、僕も、暮ちゃんも、ディエスちゃんもアロト君も、取るに足らない十把一絡げ、有象無象の内のたまたま話し掛けた一人、四人だと考えている。

障害や壁だとすら思っていないのだ。

腕に、あの、再生の感覚が湧き上がってくる。

「衛兵っていうのは、無辜の、無罪の、無害の民の腕を切り飛ばすものな訳?」

「無害っていうのは人を殺さない者を言うのよ?とても人がやったとは思えない現場だった。王城を警備する役でもあったのよ、私とコーリャは。たまたま遅刻して殺されなかっただけ。死体は私が検死したわ。」

「・・・そうですかぁ。今の僕はナイフ一本しか持っていませんけどぉ、見ます?多分刃渡り合いませんよぅ?」

買ってから一度も使っていない。

殺害には使っていないし、それで無罪だと思ってくれれば大歓迎だ。

「要らないわ。それよりも、その服。随分珍しいのね?私初めて見ちゃったわよ。」

「イカすでしょぉ?」

「とっても。初めて見たわ。」

「だから何です?」

針しか凶器に使っていない。

ナイフや棍棒も使っていないから、致命傷を与えた凶器の特定は出来ていない筈だ。

距離もあるし、探すとしても精々ポケット、服の内側を探そうとは思わない、と思いたい。

何より針で人を殺せると誰が思うんだ。

「あの傷口はね、私も初めて見た物だったのよ。見て驚いたわぁー。焼けているのか何なのか。何で止血に繋がるようなことをしたのかさっぱり。」

「そうですかぁ。僕もさっぱり。」

「そう。初めて見た。それがおかしいのよ。私もそこそこ死体は見てきたし、武器にも詳しいのに。見たことが無い。」

アロト君とディエスちゃんに詳しいことを話していなくて良かった。

きっと二人は顔に出ていた。

暮ちゃんは殆ど無反応で僕の腕の止血をしている。

力が強過ぎる程、傷口に布を押し付けている。

ぐいぐいと、痛めつけるように。

「だからよ。だから。異世界から来た武器でなければ有り得ないのよ。異世界から来た、こちらの世界に存在しない武器でなければ。有り得ないのよ。」

「・・・そう、ですかぁ。」

失敗したなぁ。

突きつけられる。

初めから、こうなると分かっていたというのに、僕の「否定症候群」は、僕が有利になるように動くのを許してはくれない。

捕まりやすいと分かっているのに、服を着替えず。

足がつくと分かっているのに針を使い。

それには快感も不快も無い。

そういう風にしか生きられないというだけだ。

初めっからそうだから、感傷すら無い。

腕に泡が沸く。

しかし再生しない。

暮ちゃんが強く押し付けているから。

不思議な程、強く。

不自然な程、強く。

「・・・アロト、下がっていなさい。」

「うん。」

「別に無関係な子は襲ったりしないわよー。」

その口元に笑みを纏う。

「先生は・・・殺していません。第一、王が亡くなったと言う割には国は静か過ぎます。貴方達の方こそ、何か、狂言で先生を殺そうとしている犯罪者では?」

「そんなまどろっこしいことをする意味が少し理解出来ないのだけど、一応納得しましょう。じゃあその服は何?」

僕の学ランを指指す。

この世界なのに、爪の形は丸く、たおやかな楕円形に整えられている。

何だか、顔よりも何よりも爪ばかり見てしまう。

その指先に人間性が宿っている気がして。

「これは先生が譲って頂いた(・・・・・・)服です。先生は、転移者では、ない。よって犯人ではありません。」

「誰に?」

「転移者に。」

暮ちゃんの意図が分かった。

この子は臆せず嘘を吐ける子なのだと、尊敬と畏怖、何より絶大な愛情が湧き上がってきた。

僕は人間の嘘が嫌いだが、それはその嘘が、どう足掻いても吐いている側の理にしかならず、自己満足にしか過ぎず、いつだって僕を呆れさせる、軽薄なものばかりだからだ。

腕を切り落とされた奴が真隣にいて、さっさと吐いてしまえば良いのに、庇うだなんて、意地らしいなんてものではない。

信頼されていることよりも、庇われているよりも、その胆力が、自分のしたいようにするその姿勢が、僕の心をいつだってやわく、暖かくくすぐるのだ。

「ふーん。どこで会ったの?」

「王都で。ここから歩いてすぐですからね、よく赴くんです。先生と共に。」

「その、先生というのは?」

「この人は私の教師なんです。」

「へぇ。面白いのね。どんな転移者にもらったの?」

「男性です。背格好は先生と同じくらい。学生と言っていました。」

遅刻した、と言っていた。

転移者はすぐに王城から出ていて、しかもその王城では大量殺人が行われた。

まだ昨日のことだ。

王都は大抵探してここに来たに違いない。

それまでさぞや駆けずり回っただろう。

転移者は王城に戻っていない。

そしてそれに会ってもいない。

話しても、勿論ない。

つまり。転移者の服装を知らない。

いちいち書類に残したりしてもいないだろう。

僕も彼女達には会っていない。

万が一、僕の服装や人相が、危険分子に対する対策として紙媒体に残っていても、誰かに押し付けるのは当然のこと。

僕は服を貰っただけの一般人のふりをするだけで良いのでそっちの方が有難い。

「つまり、貴方達はあくまでも、王に役立たずと言われた転移者から服を貰った、ただそれだけと?」

「はい。もう要らない、と口にしていました。ご本人達はよくある服装をしていたので、転移者というのは半信半疑でしたが、やはり本物だったのですね。」

「ふーん・・・。」

考える素振りを見せている。

あと一押しだろう。

ふと、ディエスちゃんが口を開く。

「ねぇ。」

「何かしらね?」

「怪しいのは理解出来るけど、いきなり腕を飛ばすのはどうなのよ。今日はもう良いじゃない。第一、凶器らしい物も持ってないし。ポケットでも何でもまさぐってみたらどうなのよ?」

僕はどうぞ、とポケットを叩いてみる。

コーりゃが動く。

足音も無く歩き始め、僕の服のポケットや、内ポケットまで探る。

しかしそこには何も無い。

袖口や布地の奥。

そこに返しを利用して引っ掛けてあるだけなのだから。

上手いこと動いて触れられないようにする。

すると、暫くするとコーリャは大人しく引き下がる。

そして顎を動かし、何かを示す。

「・・・そう。今日は大人しく引きましょう。」

「あぁ。」

安心はしない。

しかし上手くやれたな、という感情はあった。

「どうやら盗品やそれに見合うお金は無かったみたいだしね。」

「でしょうねぇ。」

ディエスちゃんに持っていてもらって正解だった。

二人は下がる。

そして、ゆったりと僕達に背を向ける。

「あそこに宿取りましょうか。それでい?」

「構わない。」

何事も無かったかのようだ。

人の腕を切り落として、その相手に執拗に尋問をしていたというのに、良心の呵責すら感じられない。

違う、良心の呵責なんて要らないのだ。はなから僕以外を疑っていない、僕以外にいないと、ある意味一途に、殺人犯として見ているから、一般人の腕を切り離してしまっていたらどうしようという不安、それから伴う良心が無いのだ。

ある意味でそれが日常の一部なのだ。

「一つ、最後に質問がぁ。」

「何?」

女性が振り向く。

コーリャは振り向きすらしない。反応もしない。

ただ立ち止まっただけだ。

「何故、そんなに殺人犯を追うんです?何となく、僕は君に、追う理由が無いように思える気がするんですがぁ。」

「そんなの決まってるでしょ。」

嘲りの視線、嘲りの微笑み、嘲りの口元、嘲りの声色。

それら一つ一つは僕達に向けられている。

正確には、僕一人に。

「私達は正義の人間だからよ。」

間違っていたと悟った。

嘲りの視線、微笑み、口元、声色は、嘲り以上の感情が内包されていた。

それは見下しや愉悦よりも凄惨で、ややもすれば恐ろしい、気持ちの悪い、ねっとりとした産物。

正義の、正しさの、誇りを帯びた、意思、その強靭さ、それを表す傲慢。

彼女達は、悪に対する憎悪を持っているのだ。

「申し遅れたわね。私はアリョーシャ。コーリャの相方で、相棒で、貴方を疑い、殺人犯と、殺人鬼と弾劾し、断行し、断罪しようとしている衛兵よ。」

その言葉に、僕は頷くしかなかった。

これ以上言葉を交わしたくなかった。

宿を取るというのは本当だったようで、踵を返し、二人は大きな建物へ入って行った。

それを見て、流石に肩の力が抜けた。

「はー・・・暮ちゃん、もう大丈夫ですよぅ。」

「・・・はい。」

暮ちゃんの手元や、布は赤黒く染まっている。

べたりとした、のっぺりとした赤と黒。

誰かの体内にあるには少々色合いが強い、そぐわない色、それ故に慣れ親しんだ色だ。

僕の腕は再生を始める。

毎度ながらあっという間だ。

「ちょっと、あんた大丈夫だったの?ていうかめっちゃ怪しまれてたじゃないの。」

「大丈夫ですよぅ。ほら、元通り。」

再生した腕を振って見せる。

きちんと動く。

無くなった部位も再生するとは中々どうして優秀だ。

「・・・そう、それなら安心だわ。あれ、「ヒミツケイサツ」?の類よ。私服っぽかったし。」

「秘密警察?警察なんて言葉あったんですね。」

「ここ数年の話よ。転移者が広めたんじゃないかしら。」

「へぇ。意外と転移者って色々してるんですね?有名みたいですしぃ。」

「そりゃあね。魔王を倒せる可能性があるのは転移者だけだし、国際的な取り組みだから。で、衛兵の中でも特にやばいっていうヒミツケイサツに追われてるっていうのはどういう気分なの。」

睨まないで欲しい。

奇跡的に平静を保てているだけで、今はそこそこぎりぎりなのだから。

「最悪ですねぇ。正直もう関わりたくない。」

「そうですね。私もです。」

「お前焦るとか、追い詰められるとかいう機能あったんだな。」

「?いえ。そういう訳ではないですけどぉ。」

切り落とされた腕を確認すると、既にそこにあった筈の肉塊は消えている。

生えたら消えるのなら、くっ付けることも出来るのだろうか?

それなら生やすよりも早く済むのだろうか?

少し気になる。

後で調べてみよう。

「暮ちゃん、ありがとうございますねぇ。止血。」

「これくらいなんてことはありません。私の為でもありますから。」

「?どういうことだよ。」

暮ちゃんは無言で僕の腕を指す。

「先生の「自己再生」は王に一度見られているんです。無論再生を見られたのではなく、文字として見ただけですが、この世界の基準が分からないので、一応手の内は秘密にしておきたかったんです。それは困ります。」

「はぁ・・・。だから?」

「行動を共にしている、頼みの綱の先生が捕まっては困るんですよ。」

「あ、思いやりではないんですねえ。」

「何を当然のことを。」

ああも執拗に腕を押さえていたのは再生を防ぐ為だったのか。

「あんたじゃなかったらキレてたんじゃない?再生するのにそれを防がれるって嫌でしょ。」

「必要なことですしねぇ。特に何も無いでしょう。」

汚れた布は適当な木に引っ掛ける。

僕らも宿を取ろうと思ったが、そこまで長居するつもりも無いので止めた。

「じゃあ予定通り親戚連中さん達に痛い目見せますかぁー。」

「精神おかしいでしょ。あんなに追い詰められたのに。」

「だから追い込まれて無いですってー。」

三人は僕をじっと見ている。

何で?そんなにピンチに見えていたのか。

ちょっとショック。

「あの人達、どう考えても殺すとまずいことになるのは分かり切っていますからねぇ。関係者全員を洗うなんて出来ないですしぃ。口封じが出来るものではないです。」

「・・・で?何だよ。それがどうしたよ?」

「だから、つい、殺してしまいそうで。本当に、ぎりぎりでしたねぇ。危なかった。薬剤も無いですから。僕凄いですねぇ。」

うーっと伸びをする。

「カラマーゾフの兄弟」のような名前をしておきながら正義を名乗るとは。

酷い、砂や泥を食わされるような雪辱、屈辱、恥辱を目一杯に味わったような感覚。

嫌いとまではいかないが、気に入るという感想は出て来ない。

「利用しましょうかぁ。彼女達。見た所正義感が強い。証拠が無いから一旦引くという冷静さもあります。」

「そうですね。」

「有名なようですし、正義の側であるという認識も根強いことでしょう。」

「はい。お言葉の通りですね。」

「はぁい。なので利用しましょう。社会的にも貶めることが可能になる。少しばかりの鬱憤も晴らせる。こんなにも良い状況は他に無い。」

僕は唇の端をくっと持ち上げ、目を細め、きっと、うんと醜悪な表情をしている。

「やり返しましょう。」

倫理など持ち合わせていない、しかし存在を理解出来ている、それの重要性も、社会的な地位、存在感も、過去集団生活をしていた頃に知ったからこそ出来ることもある。

タチの悪さは自覚している。

だからこそなのだ。

だからこそ、だからこそ。

常識や道徳を破壊するのは、ほんの少し、落ち着くのだ。

「頑張りましょうねぇ!」

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