第三話
「失礼でなければの話なのですが、先生の紙に書いてあった、「否定症候群」についての詳細を教えて頂けますか?」
「良いですよぅ?」
お金は大量に手に入った。
流石王族は溜め込んでいる物の量も質も違う。
それこそ本当に、数年遊んで暮らせるような大金がぽんと湧き出るように手に入り、お高めの料理を食べ、寝心地、居心地の良さそうな宿を取った。
人の金で得る安息は良い。
今日の所はここで一夜を明かし、そして明日出発する。
魔王の所に辿り着き、元の世界に帰してもらうのだ。
ちなみに同室。
寝台は二つあって良かった。
暮ちゃんはその内の一つの寝台に腰を下ろし、僕は針のメンテナンスをしている。
「・・・随分あっさりとしたものですね。秘匿情報の中の秘匿情報かと思っていました。」
「そんな大層かつけったいなものではないですよぅ。むしろ誇りです。」
「性格歪んでますし終わってますね。」
「事情があるんですよぅ。」
今日は数本しか使わなかったし、回収も出来たけれど、手元の針の中には、もう使えない物もある。
ここでは調達出来ない以上、これからは削れ、いずれ全て使えなくなるだろう。
少々勿体無いが、しょうがない。
帰ってからまた買えば良いのだ。
「僕の「否定症候群」は、周囲の、あるいはそれ以外の事象、行動、信仰、存在、心情、まぁとにかく全部ですね。それを否定したくなるーという物ですねぇ。簡単に言ってしまえば。それだけです。」
「名前通りなんですね。何というか、それだけ?という感情が無いことも無いですけれど。」
「捻って欲しいですよねぇ。けれどもそう単純な話でもなく、倫理的・社会的に禁忌とされる事柄程それを否定、つまり実行したくなるという傾向があります。」
「はぁ・・・成程・・・?」
首を傾けることで、暮ちゃんの真っ直ぐでばらつきのある髪の毛が肩の上でたわむ。
扇状的だ。
非常に。
しかし何故だろう、僕の中で性的な感動は見られない。
「暮ちゃんは可愛いですねぇ。つまり、タブー程実行したくなる。強姦、強盗に収まらず、殺人は当然として、拷問、食人・・・それに抵抗無く生きられるような人間。僕も他に「否定症候群」の人を見かけたら、きっと殺すでしょう。そういう怪物達ですよぅ。死んだ方が良い。」
「先生に向けて云っているように聞こえてしまいます。自殺志願ですか?」
「嘗てはね。今は目的も、病名もある。随分救われました。「彼女」に。」
「否定症候群」の厄介な所はその不安定性にある。
隣の人間を今日殺し、昨日は愛しているかもしれない。
自分の不幸を否定し、呪い、己の正しさを侮蔑し見下し、自身の幸福を拒絶し、嘲う。
何を否定するかはその時次第。
近くに人なんて置けない、倫理も規則も無視した存在。
とはいえそんなにも不安定な状態になるような患者は滅多にいない。
それはこの僕が良く知っていることだ。
「案外少ないんですよねぇ。僕くらいの年齢まで生きられる子。」
「私はその「彼女」さんの話が聞きたいのですが。質問、宜しいですか?」
「後で受諾しまーす。僕は今年で、えーっと・・・十七歳になるんですけど、大抵は十二歳位で自死するんですよねぇ。否定に否定を繰り返して、自分の存在意義とか、そういう、小さなことばかり気にしてしまって、愚かしくも自らこの世を去るそうでぇ・・・狂死と捉えても良いって。」
「「彼女」さんがおっしゃっていたのですか。」
「いえ、先生が。」
登場人物がまた増えた・・・と暮ちゃんは呟く。
苦々しげで、可愛い。
苦悶には届かないけれど、悔しさでは足りない、そんな感情がない混ぜになっていて、大変可愛らしい。
「あ、先生っていうのは、僕が居た病院の精神科医さんですよぅ。すっごい優秀でー。この僕と向き合っても心が折れない人でしたしぃー。揶揄い甲斐もありましたしぃー。頑丈でしたしぃー・・・何より、「特定保護対象精神病」が寛解した唯一の人物でしたからぁ、随分お世話になりましたねぇ。」
「それはようございました。では「彼女」さんのお話を。」
「僕はもう疲れましたので寝まーす。」
「刺しますよ?親睦を深めようではありませんか。」
「仮にも親睦を深めようという言葉の文頭に「刺す」なんて使わないでくれます?良いですけどね?全然。良いんですけどね?」
暮ちゃんが自身の隣を叩くので、僕は針を仕舞い、暮ちゃんの横に座り込む。
寝台に僅かに沈む。
しんみりしたくなくて、話したくはないけれど、誰かに話すことで、もしも僕が死んでも覚えていてくれる人が居てくれる、ならば話しても良い、というのは、幸せ者の発想だろう。
期待も含んだ空気には逆らえなくて、つい話す。
「「彼女」の名前は知らないんですよねぇ。ただ、僕に「否定症候群」という病名も無く、とにかく周囲の人間への敵愾心と恐怖を募らせていた頃にいきなり現れて、「否定症候群」という分類を与えて、約束を破って、逃げてしまった子なんですよぅ。それだけ。だからいっそ殺してやろうかと思って、追いかけているんです。」
「名前も知らないのに?どうやって。」
「その子自身、「突発性逃避行依存症」という病を患っていましたからぁ。病院に入院していた記録が残っていて。とは言っても、写真一枚でしたけど。」
その写真も、今は手元に無い。
この世界にも、そもそもいない。
記憶力ならば自信はある。
だけれども、それを他人に共有できないのは少し虚しい。
「これでお終いです。僕もう寝ますねぇ。」
立ち上がって、暮ちゃんの寝台とは違う、もう一台の寝台に寝転がり、布団にくるまる。
布団に入っても眠気は来ない。
ただ意味も無く瞼を閉じているだけ。
暮ちゃんも布団を被ったのであろうばさばさとした音が耳に入る。
それでやっと、夢と現実の境目が曖昧に混ざり、溶けて、見分けが付かなくなっていく。
思考は鈍り、体の感覚が遠ざかる。
辛うじて最後に聞こえたのは、「本当に殺したいんですか?」という確信を帯びた、疑問の形を取った確認、いや違う、未だ嘗て追いかけられている彼女、そして僕への、忠告じみた警告だった。
その日、懐かしい夢を見た。
場面がくるくると、万華鏡のように華やかに移り変わり続ける、地獄を認識させる夢。
地獄を認識させる、地獄そのものではなく、個人としての形を取った、僕を責め立てる獄卒に思える。
「それは慣れているだけです。適応しているだけ。適合ではない。貴方は社会不適合者です。」
そう言って僕を見ていた「彼女」。
「お風呂上がりのアイスを探していました。」
柘榴味のソフトクリームを探して冷凍庫を漁る「彼女」。
「先生。死にたいですか。」
そう言って、少しだけ疎ましそうに、カッターや練炭を見つめた「彼女」。
そして。
「一緒に遠くに行きましょうよ。遠く。誰も居ないような静かな場所へ。悪も常識も無いような、当然のような自由のある静寂へ。そこで誰にも知られず二人で空気に溶けるように消えましょうよ。僕は、君とどこかへ行きたい。逃げましょう。逃げてしまいましょう?大丈夫、それを邪魔立てするような悪漢は、皆殺してしまいますから。」
そんな僕の言葉に、僅かに目を見開いて、じっと、信じられない物を見るような、実際信じられなかったのだろう、僕の顔を見つめた後、その、長く上品な睫毛に彩られた瞳の端に涙を浮かべ。
そっと頷いた彼女。
喜んでくれていたのだろう。
僕も嬉しかったし、喜ばしかった。
この社会も世界も憎らしかったし、恨めしかったから、世俗から離れたいという思いは強かった。
「彼女」もきっと、大人や人間にはうんざりと、いや違うな、うんざりとか、そういう一般的な思いではないし、愚直で単純な話ではない。
見捨てられたと思った筈だし、見捨てた筈だし、悲しかった筈だし、迎合出来なかったという不甲斐なさもあっただろう。
希望だって、捨て切れてはいなかった筈だけれど、それでも僕との逃避行を選んでくれたのだ。
全てを投げ出したかったのだ。
彼女へ安寧と僅かな幸福を享受させてあげたかったし、それによって幸せになりたかった。
家に戻って、別々の部屋で寝た。
充足した気持ちだった。
明日に、目が覚めた後の時間に胸が躍ったのは初めてだった。
けれども、それっきりだ。
それっきり、「彼女」には会えていない。
だから追い掛けている。
殺してやろうか。
そう言ったのは別に偽りを口にしたでもないし、騙くらかそうとした結果でもない。
ちゃんと本心だ。
でも何だろう。
「彼女」がこの世から消えるというのは、酷く惜しいことに感じられた。
虚しい気がした。
夢から覚めて、夢の大半は忘れていても、それだけは覚えていた。
陽は完全に昇っていて、熟睡していたのであろうことは分かった。
暮ちゃんは既に起床していて、ローブも着込んでいた。
「おはようございます、先生。」
「・・・おはようございますぅ。何だか、嫌ーな夢を、見ていた気がするんですよねぇ。」
「?随分楽しそうでしたけれど。それより、早く身支度を整え終わって下さい。お腹が空きましたし、そろそろ国から出なくては。」
「あら、そういえばそうでしたねぇ。了解です。じゃ、ちゃっちゃと終わらせちゃいますねぇ。」
女性の方が身支度に時間がかかるという話は聞いたことがあるけれど、一体何にそんなに時間をかけるんだろうか?
化粧?着替え?ヘアセット?
僕も両親と、そして弟と暮らしていたけれど、母の身支度は見ないようにしていたので未だに知らない。
勿論家族ではあるし、非常に仲の良好な家庭ではあったけれど、女性の身支度をまじまじと見るのは何だか重い罪を犯しているように思えて、誰も何も言わないのに責められているように感じられて、いつか人の世界にあるマナーを破ろうものなら、それはもう、頭上に存在する人智を超えた存在を怒らせるようで、幼い頃からその強迫観念に従ってきた。
この世界にはそんな存在はいないし、脅迫観念とはお別れしたので、今度暮ちゃんに頼んで見させてもらおう。
身支度を素早く終わらせ、部屋から出ていた暮ちゃんと合流し、朝食を取る。
宿屋はきちんと食堂も完備されていて喜ばしい。
僕はあまり朝は食べないのだけど、暮ちゃんはがっつり食べたい派のようだ。
ミートボールやパンをしっかり食べていた。
途中から僕のもあげた。
見ていてお腹がいっぱいになった。
何なら胃もたれした。
「今日の予定は何ですか?」
「予定、ですかぁ?取り敢えずこの国に関する情報はなるだけ多く欲しいですねぇ。国によって違うでしょうから、各国で聞き出し続けるのは少々骨が折れるでしょうしぃ、万が一僕らが、ほら、昨日。」
「王様殺しですか。」
「ちょっと声抑えましょうか。あの人達を殺したって知られては事ですからぁ。」
あちらの攻撃はこちらに効かない。
それだけで大きなアドバンテージであるし、素手で大体の人を殺すも壊すも自由自在、ぶっちゃけ負ける要素が無いので、(あるのか知らないが)警察や衛兵が来た所で問題無さそうだが、面倒は回避するに越したことは無い。
いやー、「自己再生」なんて素晴らしいものが手に入って良かった!
「ふふっ・・・。」
「先生?急に気味が悪いですよ。」
「えっ酷い・・・良いですけどぉ・・・。」
「で、どうするつもりなんですか?ガイドブックでも買うとか?本屋にでも向かうんです?」
「いえ、本屋では売っていません。欲しいのはあくまでも、その国に滞在するにあたって必要な政治体制や治安の情報ですしぃ・・・それによって身の振り方は大きく変わってきますからねぇ・・・そうですねぇ・・・。やっぱり誰かを脅して同行させるとか?」
「裏切られたら困りますよ。何より、怯えながら側にいる同行人って・・・いくら何でも怪しすぎます。暴力的です。却下ですよ。」
そう言われてみればそうだ。
何でもかんでも暴力、略奪で解決するのは人としてどうなんだろう。
人というのは本来、卑しくも知識と言葉を扱う種族の筈だ。
知性と理性を併せ持ち、品性と品格と品位を同時に持つ、憎たらしくも大人しく、下卑た慎ましさを抱いた何とも共感出来ない詐欺師。
その特性を放り投げるのは些か、いやかなり、それこそ僕の方が蛮性を持った詐欺師ではないか。
「ふむ・・・では情報収集から始めてみますかぁ。何か妙案が浮かぶかも。」
「えぇ。」
僕と暮ちゃんは席を立つ。
宿から出て、さてどうしようか、こうも歩いては見ているものの、全く持って何も考えていないので、きちんと行動している筈なのに退廃的な一途を辿っている気分になってくる。
退廃的・・・。
壊滅的・・・。
「暮ちゃんって、誰か好きな小説家とかいますかぁ?僕は太宰治ですねぇ。彼ね、とても好きなんですよぉ。メジャーですが「人間失格」とかもね。好きなんですよねぇ。」
「どういう文脈ですか。・・・黙秘します。」
「君って何でそんな頑なに個人情報教えてくれないんですかぁ?あ、坂口安吾とか?」
「彼女」は好きだと言っていた。
無頼派ならば大抵好きだけど、特に坂口安吾の「桜の森の満開の下」が好きだと言っていた。
結局僕らはメジャーにしか惹かれないような大衆的な人間なのだ。
ちなみに僕の中での次点は太宰治の「駆け込み訴え」。
口調が時々崩れる感じがユダの必死さを表していて好きだ。
暮ちゃんは少し考えて、少しだけ呼吸を深くして、何をそんなに緊張しているのだろう、「そうですね。坂口さん、好きですよ。」と答えた。
嬉しくなった。
でもそれを明らかにひけらかすのも憚られて、「そうですかぁ。良いですよねぇ。」と何てこと無いように返しておいた。
接点を、共通点を、共通項を見付ける度に嬉しくなる。
石畳の道なんてあんまり歩いたことが無いから、少し楽しい。
帰りたいと思うのは本当だけど、今直ぐにでも帰りたいけれど、やはり観光に来た気分になる。
何人かとすれ違うけれど、道が広いから混雑していないし、中々どうして快適だ。
最後にあちらの世界で滞在していたのが九州の中でもそこそこ人が多い場所だったので、開放的に思えるまでもある。
とはいえ、時折子供にぶつかられたりもするが。
それでもやはり、スムーズに移動が出来て、人と適度な距離が取れるのはありがたい。
「あんな愚王でも割と政治はしっかりしていたんですかねぇ。愚王なのに。」
「どこまで死者を冒涜するんです。そんなに愚かでしたか?私には圧政を強いているようにも見えませんが・・・。」
緩慢な動きで街並みを見渡す。
確かにそうだ。
前にも思ったことだが、ここは理不尽な政策は取られていないし、魔王の脅威があっても市民の恐怖による暴動も起きていない。
しかしそれとこれとは違う。
「僕らは転移者です。しかも別の国の、別の世界の。そして貴族制や王政が無いことは恐らく理解していた。ここまでは良いですね?」
「えぇまぁ、はい。そうでしょうね。跪かなくても許す寛大さがありましたし、何人も喚んでいたようですしね。」
「うんうん。流石の理解度です。そしてそこで考えるべきなのは、僕らを引き止めることです。少なくとも君は。」
暮ちゃんは眉間に僅かに皺を寄せ、不可解な表情を、目を細め、口元を硬く結んだ、そんなどこにでもありそうだけどもどこか思慮深い、美しい、そうだ美しい、そんな、非常に奥深い表情を向けてくれる。
「何故?」
「こちらと彼方の政治は違うからですよぅ。彼が王族として政治を行うならば、当然、異世界で、かつ絶対的に制度も価値観も違う僕らの世界の政治体制も聞くべきなのです。何人も喚んでいたとはいえ、一人一人知識は必ず偏っている筈ですからねl。」
「それが何故と訊いています。刺しますよ。」
「平和的に終わらせましょう。王族が権威を持たないというのに政治は成立している。もしかしたらそれはより良い政治なのかもしれないし、価値観の違いかもしれないし、絶対王政以外の効率的な民の支配方法があるかもしれないから。暴動の心配の無い政治は理想ですよねぇ。」
あの王様は、戦闘能力だけを期待していた。
その方面で使えないのなら切り捨てるべきではなかったし、当然、別の利用価値を見出すべきだった。
本人が強く望んだとはいえ、それはどんな方法を使ったとしても避けるべきだったのだ。
「ま、僕としては、殆ど何も出来ない奴は野垂れ死ね!って感じだったんでしょうけどねぇ。こんな危険人物。」
「自分で言いますか。」
「言っちゃなんですけど、情緒不安定ですから。いつ隣の人間を殺すのか、分かったものじゃない。これでも結構、悩んでいたんですよぅ。人間そのものから切り離されている訳じゃないですからぁ。」
暮ちゃんはと、と、と、とリズム良く小気味良くスキップしながら僕を追い越す。
「私にその価値は見出せなかったのでしょう。この世は小説ではありません。人生に関わる皆、異世界の皆が愚かではない。理由あってのことです。」
背中は酷く小さく、頼りなく見える。
随分とまぁ、弱々しいものだ。
「貴方が質問するならば答えますが・・・どうします?」
「後で聞きますよぅ。今は情報収集です。」
「あぁ、そのことですが、問題無いと思いますよ。」
「?」
珍しく意味が分からない。
国に関する話だよな?
暮ちゃんはローブをしっかり被り直し、僕を見る。
「先生。暴力よりも確実な方法は、懐柔なんですから。平和に聞きましょうよ。」
「ですからそれをしようと言っているんですよぅ?その、手軽に情報を取れそうな人間を探そうって話ですから。」
「負い目がある人間の方が聞き出しやすいという話です。私達はこの世界の常識を知らないのですから、怪しまれても問題の無い人間が良い。かつ足元を見られない相手です。」
「はぁ・・・。」
「先生、もしかして知識だけあるタイプですか?」
暮ちゃんは真っ直ぐに、いや、それより少しだけ下向きに、腕、人差し指を伸ばし、それ以外の指を決して折り畳んだりせず、それぞれの角度で伸ばした状態で、薄暗い道を指す。
「先生。盗人に話を聞くんですよ。社会的信頼の無い、しかも状況判断能力の低い子供を。」
結局話をまとめてしまうのなら、僕は財布をスられたらしい。
肩からかけた鞄が僅かに開いていて、それは一度開いた後に強引に閉まったということを表していた。
何百万円分のお金。
それが強引に纏められた布袋だったが、格好の的だっただろう。
途中ぶつかった子供が恐らくそれで、僕はまんまと気が付かなかった。
暮ちゃんは気が付いていたようだが、何故その時に言ってくれなかったのか。
逃げて行く方向は覚えていたようだし、ここでも「地図無用」は活躍してくれた。
しっかりバッチリと場所の特定は完了し、速やかに辿り着くことに成功した。
何でもありだなぁ、本当に。
子供の数は二人。
男の子と、女の子。
どちらも整った容姿をしている。
「・・・何?何の用?」
女の子はそんな調子で睨んできて、男の子の方は黙秘。
僕の財布は隠しているのか、一瞥しただけではどこにあるのか分からない。
服装は質素かつ汚れたものだが、今日食べる物に困っている程困窮しているようには見えない。
体型も骨が浮き出る程痩せている訳ではない。
「お財布、返してくれますかぁ?お金、そこに全部入っているのでぇ。」
財布の中身は、大抵の人が見ればまず懐に入れようとするだろう。
それを盗み、中身を確認したのだとすれば、隠し通したいのも頷ける。
実際女の子はき、と眉を顰め、険しい表情で「何の話?全く心当たりが無いのだけど。」と否定を入れる。
「いえ、私達、しっかりスられてしまった時お顔を見ていますので、貴方達だということは理解しております。」
「だから!人違いだよ!私達は盗んでなんてない!どこにも無いじゃない!」
「はぁ・・・まぁそうなんですけどぉ。別に怒って無いですよぅ?正直に言ってくれれば、少しくらいなら分けてあげられますしぃ。」
どうせ無くなればまた奪うだけだ。
お金にいちいち執着はしない。
しかし二人は依然強気だ。
かなりの量だった筈だし、実際ポケットではなく鞄に入れて持ち運んでいた。
それを僕らよりも小さな二人が隠せる訳がない。
服に膨らみは見えないし・・・。
ここは路地の突き当たりで、隠せそうな場所も無いし・・・。
「ねぇ暮ちゃん。」
「何ですか?」
「この子達、脅しちゃった方が良いですかね?僕あまり子供に拷問とかしたくないんですけど。」
小声で相談し合う。
暮ちゃんは本気で驚いたような顔をしていた。
初めて見た。
そんな表情筋あったんだ。
「え、どうしたんですぅ?」
「先生、子供に拷問したくないという感性があったんですね。」
「まぁ僕も人間ですし、反応ありきたりでつまらないですし、虫平気で触りますし・・・てか何気に酷く無いですかぁ?」
「日頃の行いですよ。そして話は恐ろしく逸れますが、恐らく彼女達は「技能」か「恩恵」を持っているのではないですか?」
最後の声だけ大きかった。
二人はそれを聞いて、ぐっと体を強張らせる。
互いの腕を掴み、身を寄せ合っている。
分かりやすい。
いっそ微笑ましくすらもある。
「当たりですか。」
「ち、がう。知らない。財布なんて盗んでない。」
男の子の方も必死に頷く。
いっそ微笑ましい。
幼い子供を愛でる気持ちも無い訳ではないし、自分よりも一定以上年下の子供に愛着を持つことだってある。
暮ちゃんもきっとそう思ったのだろう。
「先生。彼女達には付いて来て貰いましょうよ。どうやら荷物を簡単に持ち運べるようですし、お金で雇う形にすれば良いのでは?」
「成程ー。それもそうですねぇ。ここから先、荷物は多くなるでしょうしぃ、荷物持ちには使えますよねぇ。」
「子供ならばその国の常識を知らずとも許されるでしょうし、アリですね。」
僕らの内緒話は聞こえていないのか、二人は徐々に後退している。
逃げるつもりのようだけど、この場合では悪手だろう。
人は客観的に見なければ自分の愚かさすらも認識出来ない。
問題は、他人の愚かさも、主観的に見るせいで正しく認識出来ないことだ。
主観が入るから好意的な人物の愚かさも欠点も見えず、客観的に見ようと努力する悪意や敵意を持った相手の短所が透けて見える。
そういう意味では、他人に対して殆ど同じような感情しか持たない僕は、人を正しく見れていると言うのではないだろうか?
僕にその見たものを正しく解釈する力があったならばの話だけれど。
二人は髪の毛が長い。
女の子は骨盤のある位置まで、男の子は前髪が鼻まで届き、髪の毛も肩を超えている。
散髪に回すお金が無いことを意味する。
ある程度生活は出来る環境、逆に言えば最低限しか生活を整えられない。
そういう生活ライン。
「貴方達のご両親はどこに?お説教して貰いましょうかぁ?」
「いない。もう死んだわよ。説教なんて、する奴らでもなかったしね。だから早く帰って、弟にご飯作らなくちゃいけないのよ。もう帰っても良い?」
「成程。盗みで生活を立てているんですねぇ。頼りになる大人も居ないと見ましたよぅ?」
「人聞きが悪すぎるわよあんた・・・いないからって馬鹿にするの?別に構わないけれどね、その侮蔑の視線は、自分の醜さの自己紹介ってことに気が付いているんでしょうね?」
侮蔑なんてしていない。
何なら尊敬の念を送りたい気持ちでいっぱいだ。
僕にも弟はいたけれど、同じ状況になればきっと、こんなにも必死に守ることは出来なかった。
きっとどこかで突き放していただろう。
実際、僕は「彼女」と弟、そして両親を天秤にかけ、そして「彼女」を選んだのだから。
そんな僕とは違う。
目の前にいる彼女達は家族なのだ。
姉は弟の代わりに話して注意を引き、弟は余計なことを言わないように黙り続けている。
例え拷問を施したとしてもこの形は変わらない。
家族。家族だ。
互いに守り合う、命を削り、献身を与え続け、血反吐を吐き続けながらも気が付かせない心遣いと離れることの無い心の距離。
血が繋がっていなくとも、思いやる心があればその関係性に落とし込むことが出来る、深い愛情が無い限りなり得ない、唯一無二の、神経と血液を繋いだような存在。
良いなぁ。
「お二人が荷物を隠したり運んだりすることが出来るのでしたら、僕としても雇いたい。僕らは外国に出て魔王の元へ向かわなければなりません。」
「は?・・・魔王?何だってそんな辺鄙かつ危険な場所なんかに足を伸ばそうとしてるのよ?」
「それは僕らが元の世界へ帰るためですよぅ。」
二人は呆けた表情で、口を少し開けて、僕の顔をじっと見つめている。
「そういう訳です。先生が戦闘はしてくれるそうなので、お二人は本当に荷物だけ運んで、あとは・・・この国の細やかなマナーだけ教えて下されば。」
「え、戦闘全部僕なんですかぁ・・・。良いですけどぉ・・・。」
「ほらこう言っていますから。」
「・・・お金、払ってくれる訳?本当に?」
お、割といけそう。
僕と暮ちゃんを見る目が変わっている。
期待だ。
期待が、僅かな希望が、その心に虫のように少し噛み付き、牙を立て、くっと食い込んでいる。
それが食い破ろうとしているのだ。
黒い心の内側を、そして外側、やわく暖かな部分を。
「はい。勿論。ちゃぁんとお金は払いますしぃ、衣食住は、まぁ、提供しますよぅ。宿屋とかで良かったらですけど。」
「ふぅん・・・ね、あんたどうしたい?」
女の子は自らの腕に縋る男の子に優しげに声をかける。
男の子は頷く。
「良ぅし、今から君達は僕らの仲間です。ならば手始めに君達のお話を聞きたいんですけどぉ・・・場所を移しましょうか?」
「そうしてよ。あ、あとこれ。あんたから借りたお金。返しておくわね。」
女の子は服の、申し訳程度に付いたポケットから明らかに面積が足りないであろう僕の財布を取り出し、少しも悪びれずに差し出す。
「あぁ、どうも。ありがとうございますぅ。」
僕はそれを受け取ろうとする。
しかし考える。
鞄の中に入れるのも悪くはない。
しかし重い。
それにじゃらじゃらと音がする。
恐らくそれで狙われたのだろうし、同じ過ちはなるだけ繰り返したくない。
何よりも、この金額のお金をどこにも属していない、服装もおかしな奴らがいきなり持っていては、城内から消えた金品と結び付ける輩がいるかもしれない。
「それはそのまま持っておいて下さい。僕らが持つよりよっぽど安全でしょうしぃ。」
「?はぁ・・・まぁあんたが良いなら良いけど・・・そんな簡単に信頼なんてしちゃって良いの?盗人よ?」
その言葉に口腔内に含み笑いが込み上げてくる。
「嫌ですねぇ信頼だなんて。僕は生まれてこの方、誰かを信頼とか信用とか信心とか、そんなものは全く無用の長物と信じて疑わずに御伽話を見る稚児のように切り捨て続けてきた、最低の殺人鬼ですよぅ?そんなことはありません。これは自信ですよぅ。」
その喉元に、それぞれ一本の針をそっとあてがった。
幸いその針の先端はあと数ミリの所で届いていないが、その煙、熱気、鋭利さ、躊躇の無さは肌を突き抜け奥の肉から神経まで伝わっていることだろう。
両手で一本ずつ。
抜いてから狙いを定めるのにそこまで時間はいらないのだ。
「君達が裏切ろうが力で屈服させられる自信。同時に、君達に何かあっても庇い切れる、守り切れる自信。分かって頂けたましたかぁ?」
二人は分かってくれたようで、壊れた人形のように首を縦に振り続ける。
すると後ろから暮ちゃんが、服の裾をくいくいと緩急を付けて引っ張ったり戻したりした。
僕はそれを一瞥する。
「先生、少々乱暴が過ぎるのでは?」
「そうですねぇ。うーん、では食事でもどうでしょう?奢りますよぅ?」
「最初からそういう約束よ。行きましょ、アロト。」
「アロト?」
暮ちゃんが反応する。
女の子は男の子から離れ、手を繋ぐ。
「そうよ。この子はアロト。私はディエス。よろしく。」
アロト君と、ディエスちゃん。
僕は二人に、心からの笑みを向ける。嘘でもないし、僕には世の人々のように作った表情で他人を騙くらかすような能力は既に失われている。
二人の同行に微笑みを浮かべる程度には喜ばしく思っているのだ。
「よろしくお願いしますねぇ、二人共。」
二人は頷いた。
暮ちゃんはじっと見ていた。
こうして奇妙な二人組は奇妙な四人組になった。
同行人になったからには、一旦二人にも服を購入した。
僕もこの世界では珍奇な服装をしているものだけど、見窄らしい服装と珍奇な服装は別だ。
お金はあるしそこはケチりたくない。
それに彼女達は一応盗人。
僕達と同じ犯罪を犯した人間だ。
服装や印象を変えるのは大切なこと。
警戒心を取り除く為にもこれくらいの贈呈品は必要だと判断した。
髪の毛もついでに切ろうと思ったけれど、床屋らしき店が中々見つからなかったので僕が切った。
アロト君の前髪を手頃な鋏で切って、ディエスちゃんの髪の毛を切り揃えたくらいだけど、そこそこ印象は変わった。
繁盛していないご飯処を選んで、そこで話を聞いた。
「親が死んだのよ。火災か何かで。つい最近。」
「へぇ。」
「何か反応薄いわね。」
「そう言われましても。」
アロト君はお肉を注文して、ディエスちゃんはそれに更にサラダ、スープ、パン、オムレツを注文した。
僕と暮ちゃんは飲み物だけ注文した。
「そこまでは良かったのよ。国からお金、貰えるしね。」
「へぇ。そうなんですか?」
「えぇ。数年前からよ。ホジョキン?とか何とか。それで私十六なんだけど、アロトは十四なのよ。」
「はいはい。それで?」
「そのホジョキンを貰えるのが十五まででね、アロトだけが対象だったんだけど、そこそこ多額でね。それに目を付けたよく知らない親戚さんが家に無理矢理住み着いたのよ。ずかずかと家に上がり込んで来て。」
アロト君が、力強くナイフとフォークを机に叩きつける。
大きな音が響く。
ディエスがそっと片手で嗜め、話を続ける。
「それだけなら別に勝手にしてって感じだけど、アロトと私にも暴力振るい始めたの。お金も全部持ってっちゃって。経済取られると行動出来なくなるわよね。生活させてやるから言うこと聞けって感じ。最初っからそれが目当てだったんでしょうね。だから荷物盗んで逃げちゃった。」
コミカルに肩を竦めるが、実際悲劇の類だろう。
「それは大変でしたねぇ。」
「そう。私達には少しも渡さない癖に、自分の物ばかりにお金かけて。ばんばん新しい物を買ったり、売ったり。同じ物が一月以上家に残ったりしなかったわよ。次々入れ替わって行くんだもの。もう両親の物はなーんにも残ってない。最低よ、あいつら。」
「それはそれは。」
「・・・やっぱ反応おかしくない?薄くない?話聞いてる?」
「先生はこういう方ですよ。あまり気にせず話を続けた方が賢明です。」
暮ちゃんの中の僕のイメージがおかしい気がする。
「僕も両親は死去していますよぅ。弟も。お揃いですねぇ。」
「不謹慎。最悪。倫理観。」
ディエスちゃんは湿った目線を向けてくる。
机の皿をどけて頬杖をついて、何か悍ましいものを見ているような目だ。
「それもそうですかぁ。うーん・・・、暮ちゃんのご両親はどんな人ですかぁ?」
「黙秘します。」
「暮ちゃんって何でそんなに個人情報秘匿するんです・・・。別に隠すことでもないじゃないですかぁ。」
「特に、話すようなことでもありません。」
その横顔は悲壮感を漂わせていた。
陰鬱、陰惨、無惨なその心境。
後ろ暗さすらも感じ取れる木枯らしのような秋風、それを纏った孤高の境遇。
その秋風は、僕が生まれながらに纏っているであろう刺々しい、周囲との圧倒的な決裂を作っている壁をじんわりと中和してくれる気がするのだ。この、明らかにイカれた僕に通じるような、不幸なんてものはきっと一笑できるような異質な、そして何より言いようのない悲しい、侘しい過去。
それを示唆する何かがあった。
話したくないような何かがあるのだろう。
粘れば教えてくれる。
その確信はある。
けれどもそれをするのは憚られた。
僕だって触れられたくない記憶や過去はあるし、そういう場所は大抵、未だに熱を持ってじわじわと柔らかい箇所に深い傷となって残り続けている。
そこに触れられるのは嫌という言葉では表せない。
こんな僕でもそこら辺の分別はつく。
特にこの子に対しては。
「じゃあ君達には付いて来て貰いますけどー・・・何かこの街でやり残したことは無いですかぁ?あと一日位なら待てますよぅ?」
ディエスちゃんとアロト君は顔を見合わせる。
二人にだけ理解出来るような無言のやり取りがあったのだろう、暫く僕と暮ちゃんを忘れたかのように、時折身振り手振りで表現なんかしちゃいながら相談を重ね、僕に向き合う。
真摯な姿勢だ。
僕なんかにはとても眩し過ぎるような誠意を感じる。
「この街には無いわ。でもちょっと、ちょっとだけよ、ほんの少しすぐ終わるような寄り道をしたいのよ。何、何なら外で待っていてくれても良いのよ、私とアロトだけで、数分で終わらせてあげるんだからね、ね、良いでしょう?」
アロト君も激しく首を上下に振っている。
暮ちゃんが僕にそっと耳打ちをする。
「聞いてあげては?」
元よりそのつもりだ。
二人は僕の同行人になったのだから、後腐れ無くこの街を離れ、命に危機に瀕しても良いと思えるようにしなければならない。
後悔も未練も無いように。
「良いですよぅ。それくらい待てない僕ではありません。理由は?お聞かせ願えますかね?」
「勿論よ。私達が元いた家に行きたいの。帰るんじゃないわ。行くのよ。向かうの。赴いて訪ねて、他人みたいに出向いてやるの。それでもって、あの親戚共にどうにか復讐してやりたいのよ。」
確か補助金を使い込み、家を我が物顔で占領していたんだっけ。
そこから家を飛び出して来て、歩いて来たのだったら、子供の足で、そこまで遠くは無いだろうし、それ以外の方法だとしても大した時間もかからない筈。
国もまだそこまで混乱している訳じゃないし、何なら王様殺しを探していない可能性すらある!ならば少し、この可愛らしいお願いを聞くのも大いに結構、好きにして下さいと胸を張って言える。
「了解しましたぁ。復讐の方法はどうします?何かしたいこととかあるんですか?経済的、社会的、肉体的、様々ですけれども。」
「ん・・・そうね。じゃあ・・・道端で大声で怒鳴りつけるとか?」
「それ小さな子供の虚勢みたいでは?もっとこう、無いんですかぁ?」
「うーん・・・。」
この子は知性というか、人間としての伸び代は感じるものの、いまいち悪意というか、それに追いつく悪虐な方法が脳に入っていないように思う。
この子の出来ることは盗み以外にもあるだろうし、稼ごうと思えばもっと別の方法で稼げるだろうに。
復讐だの何だのは向かないだろう。
まぁ言ったら僕とわざわざハイリスクな雇用関係を結ぶ理由も無くなるので少なくともこの世界に居る間は言わないが。
「先生。良い方法がございます。」
「何です?」
くっと自分の拳を握りしめて見せる。
「暴力は先生の好む所でしょうが、生憎それは彼女には荷が重く見えます。ならばここはそれ以外の制裁を下すべきという所までは宜しいですね?」
「えぇ、まぁ。僕を何だと思っているんだろうという疑問は残りますけど、概ねその通りですねぇ。」
今度はその華奢な指をそれぞればらして見せて、手をひらりひらり、と鳥のような優雅さを持ってして動かしている。
「こういうのはどうでしょう。恐らくその親戚連中は、彼女達の失踪に関しては、周囲や国に嘘なんて吐いているかもしれませんし、金品に執着があるのも疑いようがありません。ここは一つ、奪われたのなら奪い返してみませんか?お金ではなく、家でもなく、大切なものを、よすがを、支えを、何か、血肉の一部とも取れるような非常に感慨深い、記憶に残った品を。」
「・・・それ、出来る訳?ていうかそんなもの全く覚えが無いんだけど。」
「それは探しましょう。別に、そうですね、相手も人間なんです、何かしら大切に取っておいている物もあるでしょうし、無ければ無いで最もお金を掛けたであろう物を最も恥辱と屈辱に満ちた方法で奪い取りましょう。」
ディエスちゃんは険しい表情で何か言い返そうとする。
蕾のような口から呼気と共に反論を溢れ出さんとする。
それをアロト君が止めた。
その細い腕を掴み、というよりしがみ付き、必死の表情を浮かべている。
怯えに近いその鬼気迫る雰囲気にディエスちゃんも閉口する。
「もう、大丈夫でしょ。この人達は、一生懸命考えてくれてるよ。ちゃんと、信頼出来る人だよ。ね。それであいつらから、誇りも矜持も奪ってやろうよ。」
「アロト・・・。」
話せたんだ。
もうてっきり僕らとは会話しない方向で行くのだと思っていた。
「アロト君良い声ですねぇ。声優さんみたい。」
「声優?」
二人の声が重なる。
警戒していたから話さなかったとするならば、よくもまぁ呻き声さえ上げなかったものだ。
全くてっきり、僕は彼は心因性の失語症のように思えて来ていた。
「声で商売をする人のことですよぅ。歌手とは違います。僕もね、意外と好きなんですよぅ。アニメとか、映画とか。良い暇潰しになってましたよぉ。」
「どうでも良いけど、やっぱり反応薄いわよね。」
「こういう人です。諦めましょう。死ぬ覚悟があるのでしたら、この人の過去に触れればそれなりに感情は揺さぶれるかと思いますが・・・まぁ生きて知りたいのでしたら何かしら別の方法が必要ですね。」
「そういう奴なんだなって軽蔑するだけに留めておくわ。気持ちが悪いもの。」
アロト君も頷く。
もう何か、二人の中で親戚連中よりも僕に侮蔑と軽蔑の念が向いている気がするが、まぁ腹を立てる程じゃない。
実際その通りというか、それを受けるに値する人間性だとは思うし。
「じゃあそういうことで良いですねぇ?それじゃ出ましょうか。」
僕は席を立つ。
「承知しました。」
「分かったわよ。」
「うん。」
悠長に安穏とのんびり過ごしても問題は無い。
あちらでは国際指名手配犯に匹敵する罪を犯しただけで、こちらでは案外問題になっていないのかもしれない。
そう考えていたし、そう確信していた。
全然そんなことは無いというのに。
顔を見ている人間が全滅しているというだけで、状況的推察は出来るし、大問題だし、死罪確定だし、僕らは確実に終われる側の立場だ。
それを忘れるどころか、自覚した上で何の手立ても打たないというのは、きっとこの世に二人といない大馬鹿野郎、愚かな野郎の行為だっただろう。
その愚か者の喉元に、ゆっくりと刃を突き立てんとしていることに、気が付かなかったのだから。




