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第十四話

幼少期、小学校にも満たないような時期の話だ。

僕は体の弱い少年だった。

何となくの気怠さから、立てなくなる体調の悪さ。

吐き気、眩暈、意識の白濁。

ぐらつく体をよろめかせながら、一日を無駄にして、病院に行こうという気も起きなかった。

僕は元来病院嫌いであった。

「病院」に酷い嫌悪感があるのもその為だ。それだけとは、決して、決して言えない、言い切れないけれど、幼い頃のその苦手意識を、ずるずると引っ張ってしまっている部分はあるのだろう。

消毒液の、澄ました匂いも、院内のあの、病的な、圧倒的な白さも、労い、慰め、刺激しないようにと静かな空気。ぴんと張り詰めたあの空気。

図々しいようなその日常に差し込まれる変化が、僕は嫌いだった。

けれども意地を張っていて状況が好転したことはなかった。

吐き気は嘔吐という行為に転じたし、気だるさは発熱という現象に転じたし、意識の白濁はうわごとから奇行にまで及んだ。

あれらは幼い精神に苦痛に映った。

数日に一度は動けなくなっていた。

寝台に身を沈め、幼稚園や仕事の為に家を出ていく家族を「いってらっしゃい」と見送るのは、寂しく、淋しく、辛かった。

けれども、暫く、数回それを重ねてみると、何でも無い、ただの日常の一部になった。

僕は苦痛の一切を受け取れなくなった。

肉体的な苦痛に限った話だが、それでもそれは、人間という種族にとっては、最も苛まれるべき肉体への戒めを否定する形になってしまった。

その機能はそのまま、相手への共鳴、共感能力の欠如を意味した。

それに自覚が無いのが余計に僕を意味不明な孤独へと追いやった。

今思えば、あれは無理に動くことによる臓器や肉体への負担、つまり僕が「自己再生」を発動するきっかけになった、あの現象が起こっていたのだろう。

幼い僕は考えなしで、走り回ることも飛び跳ねることも好きだった。

そのせいだったのだろう、と「先生」は言っていた。

しかしそれは僕からの共感能力の奪取を意味し、幼い頃は苦労させられた。

つまり痛みが理解出来なかった。

現在の僕に痛みらしい痛みは無い。

それは昔からで、もっと小さな、五、六歳の時は確かに存在していた。

だからどういう感覚なのかは知っているものの、昔の、幼少の人間に、とうに感じなくなった、過ぎ去った苦痛を思い出し、それに寄り添えと言って、一体何人がそれを実現させられるのだろう?

僕は孤立気味になった。

リズムが合わない、反応が無い、不気味、怖い。

幼さ故の迫害だった。

僕はそれに何も感じなかった。

でも暇で、時折クラスの人間に強引に会話に混ぜてもらい、迫害されていることへの意趣返しをした。

困惑する様子を楽しんだ。

嫌がらせとまではいかなかったけれど、例えばグループ活動で僕はあぶれ、ペア活動では僕以外の三人のペアが出来上がった。

そこに空気の読めないふりをして割り込んだ。

性格が悪かった。今もだけれども、昔は特に。

中学校になれば他者と迎合する術を得た。

というよりも、あからさまに他人に関心を持ち、痛みに共感しろと言葉と言葉の間で無言で訴える者もいなくなり、会話についていける、性格の相性が合う、つまり自分の気分を良くしてくれる人間を、それぞれが求め始めたのだ。

僕はそれに順応したのだ。

おちゃらけて、軽くふざけて、その言い表しようの無い孤独感と、他人へのひっそりとした害意を押し込んでの生活は、今思えば苦行だった。

つまり他人を貶め、傷付けるのに抵抗の無い、最低な人間だという、とっくに分かり切った話なのだけど、何故僕が今そんなことを思い出しているのか。

それは、目の前に、他人を傷つけ、弄ぶことを良しとしている人間がいるからだ。

「お前!何をぼけぼけとしているんだよ!奴隷の癖に!」

鞭のしなる音が聞こえる。

その音に合わせて、その鞭の先にあった体が震え、わななく。

王城からの帰り道。

僕と暮ちゃんは事情聴取を受けることすらなく元いた図書館の前に戻った。

シークさんは後から向かうと言い残して事後処理をしていて、僕達だけが戻った。

そして服屋に行ったであろう二人に会うために道を歩いていた。

その道中でこれだ。

割と見目の良い男が、僕と同じくらいの年齢の汚れた服の人達に鞭を振るっている。

その首と足には金属製の枷がついていて、それはどこかに伸びている。

屋台のようで、簡単に移動できるようにあえて雑多な作りになっているようだ。

その上から、どこかで見たことがあるような無いような、西洋にありがちなデザインの紋章が掲げられている。

何だこの状況。

白昼堂々馬鹿じゃないのか。

「・・・この国って、奴隷とか良かったんですかねぇ?」

「さぁ。見たことはありませんが、良くないとするならばこんな往来で奴隷なんて言わないでしょう。」

「それもそうだ。」

じゃあ合法なのだろう。

よく考えれば、街の人も視線は向けても止めていないようだし、これは通常の光景と見ても良い。

これもまた経済だ。

見ず知らずの人間をいちいち助けていては身が持たないし、何より僕にそんな殊勝な精神は無い。

そう考えて通り過ぎようとすると、鉄製だろう檻の中に、殊更傷だらけの人が数人入っていた。

彼らは光の無い、この世の全てに絶望し、その絶望こそが世界を覆うべきと信じている破壊願望、破滅願望をその瞳の中に讃え、それはどろどろと煮詰められていた。

「・・・。」

僕はそれを見つめた。

ぎゅ、と身を縮こめて、その様は少し前に拷問したホルへさんを彷彿とさせる。

奴隷は男女問わず美しく、皆が皆、人間らしくない容姿をしていた。

角が生えている子、耳が尖っている子、片方の瞳の瞳孔が奇妙な子。

総じて人間が持ち合わせない特徴。

しかし僕は同じような人を見たことがある。

「・・・魔族・・・?」

暮ちゃんも同じ結論に行き着いたらしい。

「お目が高いねぇ!お客さん!!」

「あ、いえ、客ではないのでぇ。」

「その檻に入っているのは魔族の中でも特に容姿が優れた奴隷だよ!魔族の領地を転移者様が奪い返した時に仕入れた奴らでね、一級品だろう?どうだい、一人くらい買って行っても良いと思うよ?」

「結構です。」

隣の暮ちゃんが即座に拒否した。

まぁ僕も賛成だ。

というか、そんなことしているから戦争が終わらないんだよ。

和平の芽がこれでもかという程、それこそすり潰してるんじゃないのというくらい潰されているじゃないか。

この国の人間は何を考えているんだ。

エリザベスちゃんを見る限り、そんな愚かなことを許可するとは思えなかったのだけど。

買い被り過ぎだったらしい。

「美人さんですね。」

「そうだろう?お嬢さん、どうだい。お安くしておくよ。」

僕はその言葉を暮ちゃんに翻訳して伝える。

なるだけ素早く、簡潔に。

彼は話せはしないがアレトラン王国の言葉は通じるようで、僕からの翻訳は必要無いらしい。

「いりません。必要性も感じませんし。」

「そうかい。残念だよ。」

奴隷商はその顔に醜く皺を寄せ、その厚ぼったい唇を歪ませる。

それは一般的に笑顔と呼ばれるものだけど、僕はこの類の笑顔は嫌いだ。

何故ならそれは、この世で生きていくに必要な類の笑顔、その最たる例だからだ。

「・・・時間もありますし、一人くらい買って行っても良いですよぅ?」

「これ以上。人は。いりません。秘密を必ず守れる人徳が無ければなりませんし、第一必要なものが一気に増えるのはディエスさんの負担になります。」

「残念。転売でもしようかと思ったのに。」

この世界に娼館でもあれば、化粧をさせ、身なりを整えさせ、教養でも軽く仕込めば高く売れると思ったけれど、まぁ魔族では駄目かもしれない。

何より時間も無いし。

仲間が増えられても困るし。

考えるだけ無駄だ。

「じゃ行きましょうかぁ。」

「はい。」

その時、殺気とは違う、それは虫の知らせに近かったのだろう、ざわ、と、心の内側をさすり、愛撫するようにねっとりと、ざらざらとした、急に後ろから声をかけられて、心底驚いた時、その直前に駆け巡る刹那の予感、それにも近い、端的に言ってしまえば、嫌な予感がした。

危機管理能力が低い、と常々言われてきた僕に、唐突に降ってきた何かだった。

あの二人、人間として僕や暮ちゃんに近しい、そして僕よりも確実にスペックの高い幼い為政者に触れたからであろうか、誘発されているのか、このまま歩いていけば、近い内に確実に死ぬ、という必然じみた何かを、どこかで受け取った。

自分で書いた文章にうっとりとする、恍惚に浸る、しかしそんな自分に絶望する、そんな無常感、虚無感、それを口の中で目一杯噛み砕くような嫌な気分。

それに気分を害するのは当然だった。

僕はむしゃくしゃして、暴れ散らかしたくなるようなそんな気分になって、しかしその嵐のような何かはすぐに去って、代わりにその奴隷商の頬を殴った。

ほけ、と形容できる間の抜けた顔をして、奴隷商は倒れる。

派手な音がする。

周囲の人間が何か何かと集まる。

僕はその、倒れた汚らしい男の胸ぐらを掴む。

その手には見たことの無い何かがしっかりと握られていた。

形状的には鞭に近いだろうか、しかし肝心のしなる部分が極端に短く、殆ど意味を為していない。

持ち手の部分に、不安を無条件に掻き立てるような紋様と宝石が埋め込まれている。

不吉の気配のする道具だった。

「それ、壊しなさい!」

誰かの声がしたので、踏んで砕いた。

手応えが軽かった。存外も脆いらしい。

僕は再び奴隷商に向き直る。

「他の奴隷商さんとか、いるんです?」

「な、何なんだよ、いきなり・・・!」

「うんうん、僕もそう思いますぅ!痛いですよねぇ怖いですよねぇむかつきますよねぇ!実際にやられたら僕もやり返しちゃう。でもねぇ、何だろうなぁ、この、嫌な感じ。あんまりそっち方面の能力は高くないんですけどねぇ。嫌ぁーな気分ですよぅ、本当。予感の方が正しいんでしょうかねぇ?」

同じく「病院」にいた子の中には、その、嫌な予感というか、争いの気配というか、そういう、不吉の匂いを敏感に感じ取り、それから逃げるのが最も得意と掲げる少年もいた。

人の機嫌や動き方、あらゆる事象やその伏線を無意識の内に記憶し、物事が転落し、悪くなるのをそういう意識の外側で推察し、それから逃げていたのだ。

僕はそういうのは苦手だったのだけど、今は違うのかもしれない。

何かを見落としていて、しかしそれによる予兆を無駄にせんとばかりに、脳が警告をしているのかもしれない。

そう思うと、仲間というのは警鐘という意味でも必要なのだろう。

僕が一人であれば、確実にこんなことにはなっていないのだから。

「ねぇ、どう思いますぅ?どうすれば良いんでしょうかねぇ?」

「し、知らねぇよ!」

「えー?意地悪ですねぇ。奴隷商。他にもいるんでしょう?」

少し口ごもる。

そして、ゆっくりと話し始める。

その場所は基本的には日陰であり、路地裏だったり、目立たない建物の中だったり、この場所のように大っぴらな場所は無い。

僕に助太刀の助言をくれた人がいたのを見るに、心理的に決して肯定されているという訳ではなさそうだけど・・・。

そもそも見たこと無いし、合法とは言い難い。

ならば何故、この人だけ?

「どうもぉ。」

僕は立ち上がり、檻に近付く。

それを蹴る。

がこん、と硬い音を立てて檻がたわむ。

「先生、蹴ってしまっては中の彼らが。」

「あぁ、確かに。」

僕はたわんだ数本を掴み、曲げる。

鉄を曲げるのが得意という訳ではなく、単にこの世界の製鉄技術があちらよりも低いだけだ。

不純物が混ざりやすいからか脆い。

だから僕でも曲げられる。

あちらでは無理だ。

ギリギリ曲げられないし、壊せない。

「ほら、どうぞ。」

中で縮こまる彼らに手を差し伸べてみる。

折れて、壊れて、大きな空間が空き、そこから出られるようになっている。

「何するんだよ人の商品に!」

「はいはいそうですねぇ。大事な商売道具ですもんねぇ。だから僕は嫌がらせをするんですよぉ。」

怯え切り、体を震わせ、隅に固まってお互いがお互いを守るように庇い合っているように見える。

「ほら、どうぞぉ。」

待っているのも飽きたので、腕を中に入れて細い、汚れた二の腕を掴んで引き摺り出す。

「あ・・・。」

声にならない、掠れた声がした。

その子も美しい少女だった。

長い髪の毛で、腰まで伸びた髪の毛。

床に落ちるそれは水のように広がっている。

日に当たっていないからか、肌は圧倒的に白く、日光を反射して輝いているように見える。

「はーい他の人もーぉ。あ、君は残って下さいねぇ。」

最初に出した人の手を掴んだまま、他の人も出していく。

外に出ると、太陽の光に目を細め、それに怯えながら、人混みの間を駆け抜けていく。

往来で立ち尽くしていた野次馬も、そっと進行方向からどき、道を開ける。

人情を見た気がした。気のせいだろう。

「お、おい!俺の商品だぞ!この泥棒!!俺は今日から王家に認められた奴隷商だからな!これは立派な犯罪だ!!」

「王家に認められていなかったら取っても許されるんですかぁ?あ、暮ちゃん、ローブの代えとかありますかぁ?」

「持っていません。」

「じゃ良いや。」

未だに何故か床に座り込んでいる奴隷商の顎を蹴り飛ばして、昏倒させる。

惨めに白目を剥いて、半開きの口を恥じることなく見せつけている。

王家ねぇ・・・。

ふと、普通に人間なのだろう他の奴隷を見る。

彼らは僕を見つめていた。

助けて貰えない絶望、怒り、それ以上の何か。

僕の後ろに観音様か、神様でもいるのだろうか?

その瞳には何かを讃え、その先に希望があると思い、その信仰自体が救いに直結すると確信している光がある。

「・・・お好きにどうぞぉ。」

僕は奴隷商の服をまさぐり、鍵束を差し出す。

それは軽い金属音を立てる。

泥で汚れ、痣で彩られた体を引きずり、僕に近寄ってそれを受け取る。

お互いがお互いの枷を外していく。

その表情には、決意、そう形容すべき悪しき野蛮な勇気が滲んでいた。

彼らの未来に、幸福はあれど、客観的に肯定されることは無いだろう行動の結末を合間見た気がした。

僕は助けた少女の手を引く。

「暮ちゃん。行きましょうかぁ。」

背を向けた。

どんな結末になろうとも、僕には関係の無いことだ。

「彼女、どうするんですか?先程言いましたよね?」

「あぁいえ、ちゃんと理由はありますしぃ、後で解放しますよぅ。」

「奴隷として売られていた人を解放してどうなるのですか。」

どうなると言われても、関係無いしなぁ。

「盗品みたいなものですしねぇ。」

僕と暮ちゃんは歩いていく。

手を引いている奴隷少女は頼りない歩調で僕らの後ろを歩いて付いてくる。

「訊きたいことがあるんですけどぉ、良いですよねぇ?」

「ひっ。」

「・・・良いですか?」

暮ちゃんが無表情で、その大きな瞳を見せつけるように視線を向ける。

その視線にも怯えている。

奴隷として捕まって長いのだろうか?

それとも人間という汚らしい種族全体に対する抽象的な恐怖が、その胸中を包んでいるのだろうか?

「魔族さんですよねぇ?」

「は、はい。ごめんなさい。」

「いちいち謝られると話が続かないんですよぅ。」

「ごめんなさい。」

「話が続かないというか、通じないなこれは・・・。」

虐げられてきた人間の性なのだろうけど、それはそれとして困るな。

「僕は貴方の主人ではありません。盗人ですからねぇ。だから畏まらず。」

「・・・はい・・・。」

「で、質問なんですけどぉ、魔王様とかって会ったことはありますかぁ?」

「・・・そんな、恐れ多いこと、ありません。大半の人間は会えません。」

「じゃあ、戦争が始まる前までどんな世界情勢、いや違うな、どんな場所に住んでいたんですかぁ?」

領地を奪ったという口ぶりだったが、種族が違うというだけで、普通に共存できていたのだろうか?

だとするならば、戦争をすることによって共存相手の全てを敵に回し、かつそれ以上の利益が回収できる見込みがあったということだが、どうなのだろう。

「一部、私達の、先祖の、土地がありました。そこが今の、領地で、魔王様がいるのも、その領地、領域の、一つです。あとは、人間の中で、紛れて、暮らしたり、森の中で暮らしたり、です。」

「いきなり現れた訳ではないんですねぇ。」

先程の、王家公認という言葉。

今日からという偶然。

他の奴隷商の位置。

僕が帰るのに使用するであろう道に、あからさまに頭の緩い奴隷商を置いた意味。

何かあるのだろうか。

そうした意味が。

無意味なことをする子ではないと思うし、過大評価だと思うし、買い被り過ぎだったのだろうけど、僕は今も、彼女達に、人よりも、僕よりも優れていて欲しいという想いを抱いている。

「人の中に紛れている間、どうでしたぁ?人は優しかった?」

「・・・差別はありました。奴隷だって、秘密裏に売られたり、買われたり。でも、公然とは、存在していなくて・・・。」

「彼らが何も言わなかったのはそのせいだと?」

「・・・王家公認、と、言っていたから、では・・・ないかと・・・。」

「王家が認めれば非人道も合法になると。」

便利だなぁ、それ。

僕も王家に認めてもらおうかなぁ。

証拠いちいち気にするのも面倒臭いし。

「魔王様はどうなんですぅ?聡明な方なんですかぁ?」

「とても。とても。そのお力の強大なこともそうなのですが、私達を導いてくれるその頭脳は、素晴らしいです!」

そう、押し出すように勢い良く言い切ると、ごほごほと乾いた咳をする。

生憎手ぶらなので飲み物は差し出せない。

無一文なのだ。

しかしその咳は止まらない。

段々流石に可哀想になってきた。

僕はそこらの座れそうな場所に暮ちゃんと奴隷少女を座らせる。

「ちょっと待ってて下さいねぇ。」

「あの、どちらへ・・・?」

「まぁまぁ。」

不安げに見つめられながら僕はその場を離れる。

そして適当な人に目星を付ける。

裕福そうな人、しかし貴族ではないであろう人を見つけ、後ろからナイフを刺した。

ぐらりと倒れる。

僕はそれを仰向けにさせ、救急手当てをするふりをして財布を抜き取る。

そして大声で、「誰か来て下さーぁい!」と叫んだ。

人が来たタイミングで僕はその場を離れ、適当な店で飲み物を買った。

二人分だ。

果実水でも良かったけれど、アレルギーがあるかもしれないからお茶を買い、二人の元へ戻る。

「どうぞぉ。」

「どこから奪ってきたんですか?」

「ちゃんと買ってきましたよぉ。」

「どうだか。」

暮ちゃんは両手で受け取り、ちびちびと飲み始める。

奴隷少女も、こちらを伺うようにしながら受け取り、未だに咳が止まっていなかったのだろうか、時折咳をしながら飲み下す。

「病気か何かお持ちでぇ?」

「・・・いえ、喉が、弱くて。ずっと、叫んだり、話さなかったり、だったので。」

可愛らしい声だ。

鈴の転がるような、と言えばその通りだが、もっと、もっと表現のしようがあると考えられ、それを考えても最適な例えが見つからない。

例えば、群衆、大勢の群衆の中にいる、その中でこの奴隷少女が、小声で呟くように吐息混じりに言葉を発する、それはそれだけでどんな声よりもすんなり聞こえ、聞き取れる。

喉からひり出される声は、そういう、人間に通常の聴覚を超越させる声なのだ。

それが泣き叫ぶのならば、惹かれる人間も一定数いるだろう。

「魔王様のことを知られたいのですか?」

「そうですねぇ。どうにもどんな人なのか、人物像を掴み損ねているんですよねぇ。何で戦争を仕掛けているのかも、明確な理由が分かりませんしぃ、転移者を帰せる理由も・・・あ、もしかして、嘘だったりするんですかねぇ?」

「いえ・・・帰せるという話は聞いています。実際に帰った方は、いないようですが・・・。」

「眉唾の可能性はまだ否めませんね。」

まぁ、いたらそれは魔王が屈したということだ。

つまり魔王の敗北を意味する。

そんなことが起こっていれば元々僕はこの世界に来ていないだろう。

「じゃあ魔王の出来ることとか。」

「うーん・・・情報漏洩を、防ぐ箝口令が、敷かれていて・・・私には・・・。」

「ですかぁ。」

だろうな。

奴隷になっている少女が知っているならば誰も苦労はしない。

思いの外苦労することになりそうだ。

「じゃ良いや。どこか行く所とかってあるんですかぁ?」

「・・・ありません。」

「へぇー。」

「では魔王様の元に転がり込んでは?」

「そんな恐れ多い・・・。」

僕の隣に暮ちゃんが歩いてくる。

奴隷少女は心配そうに、恐怖という感情を飼い慣らそうと自分の片手を自分の片手で包み込み震えている。

座ったまま、次の指示を待とうとしているのだ。

でも僕は主人ではない。

何なら盗人だ。

「魔王様のいる場所への道は封鎖されているそうですよぅ。

「・・・そう、ですか・・・。」

すっと顔に影が差す。

陰鬱で、陰惨なその心境を、正確に描写できる人間などいないだろう。

「でもその封鎖はもう解かれるそうですからぁ。明日、行ってみると良いでしょうねぇ。」

「・・・!」

その影は即座に取り除かれた。

一気に明るい表情になり、神か恩人でも見るような表情を向けてくる。

その表情を裏切りたくなるのは人の性ではないだろうか。

輝かしいが故に眩しくて、それに背を向けたくなる。

けれども、ここで手を出してはいけないのだろう。

多分それが、あの悍ましき王女が差し出した何かなのだろうから。

「じゃ、これでぇ。」

「もう先生とは会わせませんからね。」

暮ちゃんが変なことを言ったのを見て、元の道に向かう。

雑踏に混じって人々の噂話が飛び交う。

「あそこで強盗殺人があったらしいぜ。」

「死んだらしいな。」

「かわいそうに、随分苦しんだんだって。」

「そりゃ残忍なことだ。」

そんな声が広がっている。

話が飛び交い、噂になっていく。

「衛兵は動くでしょうかねぇ。」

「少なくともあの二人には釘を刺してくれるのではないですか?」

「そうだと良いんですがねぇ・・・。」

「地図無用」で服屋を探し、その一つ一つを見て行った。

三つ目の服屋で三人を見付けた。

シャルル君は先程よりも可愛らしい格好をしていた。

桃色のワンピースをひらめかせ、長い背中のリボンをはためかせ、フリルとレースを揺らめかせ。

背を向けている状況ならば少女に見えるだろう。

「あ、やっと帰ったのね。これ買ってくから。」

「俺これ。」

二人が山盛りの服の入った籠を手渡してきた。

「ただいまでぇす。あ、暮ちゃん、中一周してきて、気になったのあったら中に入れて下さいねぇ。」

「はい。」

籠を持たせる。

暮ちゃんは籠を両手で持って店内の奥に歩いてく。

「あ、お前おそかったな!待ちくたびれたぞー!」

楽しそうに両手に洋服を抱えている。

「どうもすいませんねぇ。」

店員さんがお辞儀をする。

僕もお辞儀を返す。

礼儀のなった人だ。

「で、どうなったのよ?交渉は。」

「何とかなりましたよぉ。明日には封鎖も解除されます。一時的ですけどぉ。」

「へぇ?凄いじゃねぇかよ。」

「まぁ命張りましたしねぇ。」

二人は気怠げに床に膝をつき、四角形の椅子に上半身をもたれ掛かけている。

「疲れてますねぇ。」

「いちいち反応求められるのよ?服大好きねあいつ・・・。途中から寝てた気がするもの・・・。」

「頑張ったんですねぇ。」

後で何か買ってあげよう。

美味しい食事所でも探しておこう。

「明日発つのね?」

「はい。良いですぅ?」

「別に私達は良いわよ。」

「どうもぉ。」

僕は店内を歩き回る暮ちゃんを見る。

後で改めて聞いておこう。

奴隷少女は置いてきたけど、良かっただろうか?

僕のことを言っていなければ良いけれど。

多分彼女は言わないけれど、言われるとあの正義二人組はそれを小さく細かく揚げ足を取って僕の命を取りに来るだろう。

殺しておけば良かったかな、と思うけれど、あの王女様の手助けだろうそれを否定する気は起きない。

「・・・彼女達、どこまで見透かしているんでしょうねぇ。」

「?」

思考回路が似通っているだろう彼女らのことだ。

僕が積極的にやりたがらないことをやらざるを得ない状況にして楽しんでいるであろうことは透けて見える。

「・・・はーぁ、疲れたぁー。」

アロト君の腕を退けて、胸の辺りに手を回し、一時的にどいて貰うとその椅子に座り、大腿部に頭を乗せる。

「かてぇ・・・。」

「僕も重いですぅー・・・。」

暫く脱力しながら時間が経つのを待つ。

暮ちゃんが戻ってきた時、僕は精神的にダメージを負っていたのだろう、ぐっすりと寝入っていたそうだ。

恥ずかしくて死にたくなった。

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