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第十一話

女装と言えば思い浮かぶのは、谷崎潤一郎の「秘密」だ。

あれはオチも含めて素晴らしい作品だった。

耽美派という名の相応しい、女装に目を向けるのではなくその先、秘密というものの美しさ、秘匿というものの人を惹きつけて離さない世界への忠義。

それはそうとてだ。

無論僕の知り合いに女装をする人は居なかった。

学校限定の付き合いの人も多く、「病院」でも他の人間とは「先生」くらいしか会わなかったので、本当は僕の知らない所で女性の格好をしている人が居たのかもしれないが、少なくとも視界に入る場所には居なかった。

とはいえ偏見があるとは言わない。

元より他人の外見や服装に無関心というか、深くは考えない僕だ。

男が男を好きになろうが、女が女を好きになろうが、スカートを着ようがワンピースを着ようが、「転ばないように気を付けてね?」と口出すくらいだろう。

しかし目の前に居るとなると少々事情が違ってくるのではないだろうか。

偏見も差別も無いものだと思っているが、驚きはする。

あの後死骸、死体だらけではまともに話も出来ないと、近場の街に移動した。

移動した先は図書館だった。

その図書館は非常に大きい。

天井が高く、僕の身長の何倍もある。

その天井近くまで本棚が聳え立ち、インクの匂いが立ち込める。

本がぎっしりと詰まり、各々がそれぞれの本の中に埋もれてしまうような危うさがある。

よく手入れされているようで、古びた風体だというのに埃の匂い一つしない。

大きな窓が湿気の存在を忘れさせるものの、本棚のすぐ横には窓が無く、日焼けを防いでいるようだ。

「良い所ですねぇ。」

「そうでしょう?ここはねぇ、私とシャルルのお気に入りなのよ〜♡」

「師匠!あっちに行っても良いですか!良いですよね!」

「良いわよ〜。」

「わーい!」

シャルル君が走っていく。

しかし誰も注意しない。

「良いんですかぁ?ここ、走ったりとか。」

「多少はね。小走りだし。何より有名だもの♡権威の証よ♡これでも王族に会ったこともあるんだから〜♡」

「権威は失墜の象徴ですよぅ。」

「あら手厳しい。」

有名人、か。

まぁそうやって紹介されたようなものだし、魔族の研究で名を馳せているのかもしれない。

「・・・先生、楽しそうですね。」

「え、そうです?」

「とても。」

暮ちゃんの声には確信じみた意思が宿っている。

「めっちゃにっこにこしてんぞ。」

「アロト君まで・・・。僕はいつもにこにこと笑っているでしょう。」

「何か落ち着きって言うのか、平坦な雰囲気無くなってるし、あんた本か図書館好きでしょ。」

「まぁ人並みには・・・。」

こちらの世界に僕の好きな作家達はいない。

太宰治も、坂口安吾も、織田作之助も、檀一雄も、谷崎潤一郎も、佐藤春夫も、井伏鱒二も、こちらの世界では生まれていない。

海外文学も好きだけど、この世界でもそれはあるのかもしれないけれど、それでもそれは寂しいことだ。

寂しいけれど、本自体は好きだ。

文学でなくても大抵は読む。

良い時間潰しになるし、本自体に否定も何も無いから。

「魔族関連も読みたいですけどぉ、良い感じの本があったら後で本屋で買っても良いかもですねぇ。」

「俺は別に良いかな。姉ちゃんの荷物増やしたくねぇし。」

「別にそれくらい良いわよ。でも十冊とかは辞めてよね。」

「どうもぉ。」

九冊くらいにしておこう。

「で、魔族関連の本はどこです?」

「あっちねぇ。シャルルも暫く読み耽ってるでしょうし、先に行っちゃいましょうか。」

本棚の森を通り抜ける。

一際大きな本棚の横にラベルが貼ってあり、白い紙に黒い文字で『魔族・魔王・魔獣』と書いてある。

収まっている本を一冊引き抜き開いてみるが、当然この国の言語ばかりだ。

「・・・辞書、持ってきましょうかぁ。」

「そうして頂戴。」

「あら、貴方達は読めないのね?」

「先日ここに来たばかりでして、先生が理解しているので問題無いかと判断しました。」

「成程ね〜。辞書も良いけど、私が教えても良いのよ?」

言語は時折教えているけれど、暮ちゃん以外の二人はあまり覚えていない。

というより、学ぶことに対して消極的なのだ。

僕が翻訳することも多いし、言語が通じる人が多いので必要が無いと考えているのかもしれない。

暮ちゃんもまだ完全に理解しているとは言い難いし(当たり前と言われれば当たり前なのだが)日常会話もままならない。

僕一人が三人に教えながら魔族について調べたり教わるのは無理だろう。

「じゃお願いして良いですぅ?僕は一人で調べてますのでぇ。」

「あら良いの?三人も四人も一緒よ?」

「良いんですよぅ。」

これは紛れもない本音だ。

教わりたいとは思うけど、その内容は後で暮ちゃんにでも聞こうと思う。

椅子に座り、一人立っているシークさんが何かを話し始めたのを聞きながらその場を離れる。

僕は人を躊躇なく殺せる人間だ。

それは人間として紛れもなく最悪の、最低の罪悪、生まれたこと自体が許され難い存在であることを示すと同時に、全ての選択肢、瞬間において人を殺すという行動の余地が入り込むことを意味する。

人を殺すのに躊躇が無いというのに、それを積極的に受け入れられるというのに殺さないというのは、相当な精神力を要するものだ。

仲間と認めた人間ならば別の部分もあるが、僕には大人数を受け入れる土台は無い。

正確には四人。

僕を含めて四人、それ以上の人数は仲間とは認められず殺意を抱く可能性が著しく上がる。

というか殺意を抱く。

うっかり殺したこともあった。

あの時は「病院」に行く前だったから自力で証拠を隠滅した。

とはいえそれ一度っきりだ。

あの時の殺意は何とも、他の衝動的な、または利己的な殺意と違い、強大な拒否感を元にした形状の無い殺意。

抑えられない殺意程気持ちの悪いものは無い。

なのでこの四人、という数字はそういった経験則と「先生」による治療の成果だ。

以前はもっと少なかった。

つくづく損をする性格だ。

読みやすそうな本を手に取る。

魔族についてざっくりと書いてあるが、いまいち要領を得ない。

まわりくどい、それっぽい言葉ばかりでごてごてと飾り、遠回りを繰り返して最後にそっと最初に言えば済むことを結論として述べている。

で結局何が言いたいんですか、と聞きたくなるようものばかりだ。

他の本を読んでみても似たようなもので、本質的なことは中々書いていない。

年齢層が悪いのだろうか。

もう少し大人向けの、と言ったら聞こえが悪いか、高年齢層向けの本ならば詳しく載っているだろうか。

本棚を移動してみる。

タイトルが難しいものを手に取り中身を確認する。

・・・うん、これで良いかもしれない。

とはいえ専門用語が多くて内容が半分も理解出来ない。

仕方なく辞書を何冊か手に取り、その分からない用語について載っているであろう本を更に持っていく。

それを机に広げる。

「・・・僕は何をやっているんだろう・・・。」

そんなことを一人虚しく呟きながら開く。

曰く、魔族というのは人間の姿に似ているだけで全く別の種族らしい。

食べる物も似ているが、人間には毒となる物や有害な物、木の皮、魔獣の骨なんかも食べられるらしい。

ちなみに人間は魔獣の中で食べられるとされている部位はほんの一部だとか。

ちょっと美味しそう。

魔族も魔術に適性が必要だが、その適性の平均の数が段違い。

魔力の多さも桁違い。

技術面も人間を上回っている。

それに勝てるのはこちらの世界に無い技術や適正、『技能』や『恩恵』を持つ転移者だけ。

逆に言えばそれさえ封じられれば人間は勝てない。

「・・・へぇ・・・。」

全く別の生き物。

それにしては内臓の位置、神経の位置、痛覚の有無、見た目は何も変わらないように見えた。

角はあったけど。

食べ物も普通に食べたし、声の出し方、高さも普通の人間に見えた。

骨や筋肉の動かし方も同じくだ。

ならばどこが違うというのだろう?

例えば、魔族と人間の子供というのは成立するのだろうか?

昔ゴリラか何かと人間の交配実験があったらしいけど、それに近いことをすれば少しは詳らかになるだろうか?

「ホルへさん、残しておけば良かったかな・・・。」

あんなに美人なのだ、望めば皆こぞって彼女と性行為をしたがるだろう。

そこまで考えて止めた。

流石にそこまでして突き止めた訳でもない。

僕が知りたいのは魔王のことでもある。

人間の国と戦争をすることになったきっかけ。

戦争とは外交の手段だ。

何かしらの目的が無くてはならない。

それさえ分かればやりようはあるし、何なら僕がその目的を手土産にすることも出来る。

背景を読み取ることさえ出来れば何でも出来る。

しかし中々見付からない。

そもそも論文とか、歴史書とか、そういうものは極力分かりにくいように、まわりくどく、複雑に、長ったらしく書いてあるようなものだ。

文法こそしっかりとしているが、大人の文書が皆こうなのだと言うのなら僕は大人にならなくて良い。

そう思わせる難解さだ。

恐らく言語を司る脳の箇所とは別のどこかが発達している必要があるのだろう。

「これにも無し、と・・・。」

数えてみると丁度三十分。

収穫と言えるものはあまり無い。

これだけの時間をかけているのだから何かしら進展が欲しい。

・・・いっそ僕もシークさんに教わろうか。

しっかしなー・・・。

三人の誰かを省く訳にもいかないし、何より一時的に別の場所に移動させれば良いという物でもない。

あくまでも仲間の人数。

好意的であれどなかれど、仲間、というカテゴリになった時点でそれは殺意の対象になる。

言語にすれば、「こっちに土足で踏み入ってくるな」、と表すことが出来る。

それを打ち破れる程の精神の安定は、あちらの科学では難しかった。

「何か探してるのか?」

「うわぁ。」

後ろから声をかけられた。

シャルル君だった。

フリルとレース、そしてリボンを揺らして僕の肩に手を置いている。

音が無かった。

それどころか気配も無かった。

この子は強い。

そう、暴力的に伝える何かがある。

しかし本人はあどけない表情で僕の言葉を待っている。

この幼さこそが恐ろしいのだと、僕は遥か昔から、きっと知っている。

本人は何故か一人で僕が調べていることに驚いたようで、本や辞書の山を見て「うわぁ何だこれ!」と言っている。

まぁ、シークさんの話を聞きに来たんだしな。

「僕と三人の知識の基準が違うので、そっちを教えてもらっているんですよぅ。」

「なるほどな、そういうことか!分担、ってやつだな!」

「そんな感じですねぇ。」

片付けようか、と手伝いを申し出てくれるので、ありがたいが断る。

「で、何を探してるんだよ?」

「・・・魔族さんとの戦争の理由を知りたいなぁと思いましてぇ。」

「あぁ、何だそんなことか!それなら俺も教えられるぞ!」

「ははぁ。」

この子なら大丈夫という訳でもないだろうけど、元来子供は殺しにくい僕だ。

警戒さえしていれば数分の間は大丈夫だろう。

「それじゃあ教えて貰えますぅ?手短に。」

「おう!良いぞ!」

不敬、失礼極まりない僕の要求を快諾し、幼い声で説明を始める。

「そもそもあっちから仕掛けて来たんだって言ってたぞ!確か、三十年位前?魔族が人間を百人位殺して、戦争だ!って宣言したんだって。」

「へぇー。要求とかは?」

「特に無し。それから人間と魔族の関係はこーちゃく状態で、事態を解決する為の方法は転移者様に頼ってるんだって。」

「・・・突然見知らぬ世界に呼び出されて、親兄弟と引き離されて、何をさせられるかと思えば名も知らぬ民の救済ですかぁ。とても、飲み込めることではないでしょうねぇ。」

「?でも自尊心?が高い人が多いから、案外皆戦ってるって。」

つまり、いきなり強い力を手に入れて、それを振るだけで皆から感謝される、それへの内なる快感が、一過性の快楽が、故郷となる世界への郷愁を忘れさせ、それに伴う恨みつらみも押し潰してしまうと。

まぁ現代社会に不満を抱いている人間は多いだろうし、ゲーム感覚でいる人はいるのかもしれない。

それか権威に屈しているかの二択だろうなぁ。

「今はどっちが優勢なんです?」

「・・・魔族。」

「へぇ。やっぱり強いですんねぇ?」

「強い、らしい。転移者様は力を使えるようになるまで時間がかかるから、急に事態が好転したりはしないし。」

僕はシャルル君に椅子に座るように促す。

シャルル君はちょこんと小さく萎縮するように着席する。

?どうしたんだろう急に。

「どうしましたぁ?」

「叱るのか?」

「??僕は人を叱るのは苦手なので基本しませんけどぉ・・・怖い顔でもしてましたぁ?」

「だって、皆叱る時は座れって言うし・・・俺がふりふりだから怒るのかなって・・・。」

逆に聞くが、ここまで話を聞いた上で唐突にお説教に切り替える情緒不安定な奴がこの世に何人いるのだろう?

普通もっと先に叱るだろう。

いや、まぁ、叱る手順なんて人によるかもしれないが、少なくとも今急に怒る要素は無いように思える。

「別に叱りませんよぅ。他人が何を着てようが心底興味無いですしぃ。好きにしたら良いんじゃないですかぁ?」

「・・・そっか・・・!」

途端に表情を変え、目の前で何か奇跡でも起こった、それを目撃したことによって自分の幸せに通ずる奇跡も起こるだろうと信じて疑わない無垢な、無辜な人間、それの表情を、つまり喜び、歓喜を味わっている人間らしい、実に人の自尊心をくすぐる表情をした。

そのまま腕なんかを上下に激しく動かしたりする。

「そんなっ、そんなっ、優しいことっ、師匠以外言えないんだと思ってた・・・!!」

「そうですねぇー。僕もそう思いますぅー。人は優しい言葉程胸に秘めたがる畜生共ですからねぇー。」

「畜生・・・?動物ってことか?あ、確かに人って動物だな!」

「外道って意味ですよぅ。」

あ、でも外道って元々は仏教用語で、仏教以外の思想や宗教を指すんだっけ。

じゃあもっと別の言葉・・・。

「あぁ、そうです!人間の九割は知能と理性ある生物であるという誇りと向上心を捨てた、過去の遺物を貪り食う、品性無き生き物なんですよぅ!」

「えぇ・・・?え・・・?ひんせい・・・?ほこり・・・?どういう・・・?」

「人は最低だと思っておけば充分ですよぅ。」

シャルル君は困惑した表情で、口元を半開きにしている。

大人がやれば情けないだろうが、子供がやると可愛らしいのだろう。

「と、とにかく!人と魔族の戦いは三十年続いてるんだ!魔族は特に魔王が強いんだ!」

「へぇ、魔王が?」

「そう!そんなのも知らないのか?」

「田舎者でしてぇ。引きこもっていたんですよぅ。」

引きこもりっていうか、監禁だけど。

しかし国があんな計画や治療法を主導しているなんて泣ける話だ。

脱出防止に銃やら電流やら用意している病院なんて見た事が無い。

「引きこもりかー。俺も昔家にばっかりいたぞ。」

「何だか想像がつきませんねぇ。」

「うん。でも外に出たら怒られたから、仕方なく。」

「へぇー。」

僕の声は恐らく棒読みだろう。

変な所で論点が変わってしまった。

「で、魔王さんは強いんですかぁ?どんな風に?」

「どんな風にって・・・強い。」

「腕っぷしが?」

「そう!魔法も、剣も使えるらしい。とは言っても、召喚者様は辿り着いた段階で帰って来ないらしいし、大人数で乱戦していた所で乱入して来たのを見ただけらしいけどな!にくらしー奴だよ全く!」

「・・・魔族って、長は腕っぷしで選んでるんですかねぇ?」

そうでもなければあの統治は説明がつかない。

何度でも言うが、転移者さえ居なければ魔王はもっとスムーズに侵略行動を実行する事が出来る。

それを帰す技は人間へのご褒美ではなく攻撃なのだ。

なのに部下に教えない。

王様が嘘を言っていただけ?

だとすればあの男、もっと念入りに殺しておくべきだった。

生きたまま三百位の肉片にしれやれば良かった、と思うのは早計だろう。

「となると、どうして転移者を帰す方法を知っているんでしょうねぇ。人間が編み出した筈なのに。」

「さぁ。俺もそこまでは知らない。師匠も、多分知らないし。」

「でしょうねぇ。」

陰謀の可能性もある。

有名、高名とはいえ一人の市民が知っているとは思えない。

転移者についての本は殆ど無かった。

意図的に削除されているのだろう。

「・・・そろそろ、シークさんの所に戻ってはどうですぅ?」

「そうだな!一緒に戻ろう!」

シャルル君は立ち上がり手を伸ばしてくる。

そうだろう、そうなるよな。

でも大丈夫。

「僕は後から行きますよぅ。この本の山を元の場所に片付けないとですからねぇ。」

「あ、それもそっか・・・じゃあ後でな!」

「はい。」

シャルル君はまた小走りになりながらシークさんの居るであろう図書館の奥へ急いで行く。

注意したくはあるが、まぁ他に人も居ないようなので良いだろう。

今日は平日なのかな。

本を両手に抱えて、一つずつ、記憶を頼りに戻していく。

数分で本の山は無くなった。

少し物語の本棚に寄り道してみた。

小説の本棚には特に面白そうだと感じるものは無かったので暮ちゃん達の元へ向かう。

三人はぐったりと脱力しながら話していた。

「覚えましたか?」

「少しは・・・魔族って意外と色々分かってるのね・・・。」

「俺達が知らな過ぎたんだよ・・・いくら興味無かったとはいえ・・・。」

・・・時間をかけただけ色々詰め込まれたらしい。

昔テストが終わった直後の教室であんな空気があった気がする。

開放感、みたいな物だ。

僕からすれば勉学は暇潰しで、記憶力に頼れば難なく突破出来るものだった。

だから開放感なんて無かったし、日常が薄く醜く引き延ばされているだけ。

それが目の前で繰り広げられて不快だった。

今では、目の前の情景は、そうでも無いけれど。

「皆筋が良いわね〜。教え甲斐ありまくりよ?自信持ちなさい♡」

シークさんだけが一人楽しそうだ。

「師匠!師匠ー!俺は破門にしちゃうんですか!?俺よりもゆーしゅーだから!」

「そんなことする訳無いでしょ〜?こーんなにお馬鹿で可愛い子は他に居ないし♡」

「可愛いだけじゃ不服なんですー!!」

「そういう所が可愛いのよ〜!」

シャルル君がシークさんに力強く抱擁される。

それを嫌がりながらも、シャルル君は嬉しそうだ。

「先生。」

暮ちゃんが駆け寄ってくる。

「暮ちゃん。どうでした?」

「この国の言葉が少し分かりました。それと、教わったことも多かったです。後で教えます。」

「ありがとうございますぅ。」

ディエスちゃんとアロト君も本を片手に話している。

何やかんや楽しかったらしい。

「あら、ヨウイチも帰って来たのね〜。じゃあ片付けるの手伝って頂戴!」

「えっ何で僕が・・・。」

「サボったお仕置き♡」

「えぇ・・・。」

まぁそれはそうだ。

教えを乞うたのは僕だから、それを自ら跳ね除けたのは嫌だっただろう。

甘んじて受け入れよう。

僕とシークさんはそれぞれ本を持つ。

僕が全て持とうとしたが、そこは歳上と言うべきか、シークさんが半分持ってくれた。

「ねぇ。クラシは貴方の恋人?」

「え、違いますよぅ?何を言うんですか。」

「あらそうなの?随分嬉しそうだったし、楽しそうだったわよ?」

「仲良しなだけですからねぇ。」

本を本棚に戻していく。

先程と同じ工程だ。

手に感じる重みが減っていく。

「ふぅん。・・・ねぇヨウイチ。」

「何です?」

「替わりを愛でるのは虚しいわよ。」

本が落ちた。

ばさばさと、入れる筈だった物も含めて、既に本棚に収まっていた分も。

「・・・何の、話ですぅ?」

「代わりを、ね。愛でて、側に置いて。それは果たして本当にその子のことを大切にしていると言えるのかしら?双方に悪い影響しか無いわよ?」

「僕はね、貴方に会ってたった数時間です。何か文句を言われる筋合いはありません。」

そうだ、その筈だ。

僕が何をしようと、どうしようと、僕の勝手だ。

「そうかもねぇ。でもね、あの子は、クラシはとっても良い子よ?あの子を通して誰かを見るだなんて、尊厳も、威厳も、矜持も無視する行為よ。」

「誰かを見るだなんて、とんでもない。僕はきちんとあの子を大切にしていますよぅ?」

「大切に、そうねぇ。まぁ、肉体的には、そうなんじゃ無いかしらぁ?それが精神も肯定する行為だとは、思えないけど。ね、貴方は一体、クラシを通して誰を見ているのよ?」

「誰を・・・。」

暮ちゃんは「彼女」に似ている。

とても。

目線も、声も、顔も、身長も、肩幅も、髪の毛の質感、肌の艶かしさ、指のすらっとした美しさ、ふっくらとした大腿部とそれに続く真っ直ぐに伸びた脚も、瞳の色も唇も、何もかもが、強いて言うなら髪色と長さが違っているくらいで、それくらいに似ている。

生き写しとはまさにこのこと、嘗ての姿そのままで僕の前に舞い戻ってくれているかのようだ。

こちらに来て一番に話して、ますます似ていると感じて、感性や、話し方が本人のようで、それが嬉しくて、僕は暮ちゃんに同行を許可して。

ならば、僕が大切にしているのは「彼女」だけだと。

暮ちゃん一個人としては全く見ていないと。

それは最低の裏切りであり、人として超えてはいけない線であり、一人の人間として、最も施してはいけない絶望なのだと。

そう、言いたいのだろうか。

虚しいその行為を、虚無を撫ぜるような行為を、空間に一人呪いを吐くようなその行為を、さっさと打ち止めにしてしまえと、そう言いたいのだろうか。

全く持っておせっかいだ。

死んでしまって欲しい。

首元を狙った。

針は真っ直ぐ首の肌を突き破り、肉に到達しようとした。

しなかった。

腕が動かなくなって。

全く、痺れたようでもない、しかし押さえつけられたでもない、神経そのものが無くなり、電気信号が消滅したかのような不動さ。

「師匠に、何してるんだ・・・!」

いつの間にやら、シャルル君が本棚の隙間から姿を見せていた。

僕だけを見て睨みつけている。

針を握り、首を狙っている腕が、赤く、淡く、光っている。

腕を包み込むように、鈍く。

これは、シャルル君の魔術か、『技能』か、『恩恵』なのか。

「あらあら血気盛ん。」

「師匠!そいつから離れて下さい!俺が、俺が・・・!」

その表情は苦しげだ。

肉体的な疲労ではなく、心労による苦痛で顔を歪めている。

僕は咄嗟に足を出した。

足で、蹴って、シークさんの足を蹴り飛ばそうと、あわよくば粉砕しようと思ったのだ。

ぐっと力を込める。

「ストーップよストップ。止めなさい二人共〜。」

シークさんが両手を上げた。

ハンズアップ。

降参ということだろうか?

「師匠!危ないから離れて下さいってぇ・・・!そいつ、師匠に、師匠にぃ・・・!!」

「大丈夫よ、先走りちゃん。この子とはねぇ、そう、模擬戦!模擬戦をしてたのよ。」

「もぎせん?」

とんでもなく破天荒な言い訳に走っている。

僕だったら一笑に付しているぞ。

しかしその表情の中から焦りは読み取れない。

何かしら信じて貰える策でもあるのだろうか?

「模擬戦見たこと無いでしょう?こういう物なのよ〜♡」

「え、そ、そうなのか・・・?」

図書館で模擬戦なんてする訳無いでしょう。

とは言わない。

「そうですよぅ。」

「そうなのかー!」

「そうよ〜♡」

僕は針をそっとしまう。

どうやらあの不愉快な会話は打ち切ることが出来たらしい。

それだけで充分だけれども、異世界の武器を見られた。

咄嗟のこととはいえ、軽率に出すべき武器ではない。

使い慣れた物を使ってしまうのは悪い癖だ。

治さなければ。

「ヨウイチ。」

「何ですぅ?」

「お願いが、あるのよねぇ。」

僕の目の前までゆったりと歩いてくる。

その動きは艶かしく、悩ましい。

彼が歩いているだけで人々はありもしない憂いを感じ、その悩ましさ、奥ゆかしさに男は共感に、必死にその理由を探す内に魔力に取り疲れる。

魔術を使うような魔力ではない。

魅力だ。魅力は過ぎると魔力になるのは定石だ。

そんな、人を惹きつける動きで、僕の顎をそっと指の腹で撫ぜる。

「強いのねぇ。驚いちゃった。」

「・・・まぁ、これでもそこそこ訓練はしてますので。」

「そんな貴方に手伝って欲しいことがあるのよね。」

「何でしょう?」

腕っぷしなら他を当たって欲しい所だ。

僕は人が相手なら強いだけで、魔獣にはめっぽう弱い。

魔族も、相手が相手なら話は別だろうけど・・・。

「一緒にね、迷宮に行って欲しいのよ。シャルルの後学の為にも。」

迷宮。

魔族の作る施設。

魔獣蔓延る、危険極まりない地帯。

そこに後学の為に行きたいと?そして今まさに襲いかかった人間を連れていくと?

「馬鹿なんですかぁ?」

「誰よりも賢いわよ?ここの本の多くは私のだし。」

「そういう意味じゃありません。」

「ふふ、実はねぇ、私はただの学者なのよ。本当に強いのはシャルル。シャルルにね、自分の力の強さを自覚させたいの。その為に程よい強さの迷宮に行く必要がある。」

だから何だと言うのか。

まるっきり話が掴めない。

僕はきっと、精一杯の怪訝な表情をしている筈だ。

それを読み取ってくれたのか、シークさんが説明し直す。

「だからと言って、私と二人じゃ無理なのよね〜。私ってば、か弱いじゃない?」

「いや知りませんけどぉ?強いって話じゃありませんでしたっけ?」

「それはシャルルの話よ。私は平均。頭が良いだけ。それもノートの上でだけね。かと言ってそこらの人と一緒に行くと真相が明るみになって、シャルルが悪い大人に悪用されちゃうかも〜、・・・な〜んて言ったら、どうするの?」

成程、何となく話は見えてきた。

つまりこの人は、僕らが秘密を抱える立場なのを知っている。

他人と積極的に関わらない、秘密なんて話せないような立場、かつ自分やシャルル君を最低限守れるような戦闘力が欲しいのだ。

秘密、つまり自分の権威の庇護に隠れた真実。

シャルル君が自分の好きなことを出来るようにする為の保護。

それの保持の為に。

しかしそれは僕でなくても良い。

「僕、すぐにここを出なくてはいけないんですよぉ。」

「あら、もしかしてお話、聞いてなかった?ばら撒いちゃうわよ?貴方が私を攻撃せんとしたと。」

「もっと適任をご紹介しましょう。」

僕は他の三人を守る義務がある。

義務であり、権利であり、責任がある。

だからそれは出来ない。

ならば、とっておきがいるじゃないか。

「シークさん、先程、王族にも会ったと言ってましたよねぇ?」

「えぇ、まぁ、言ったわね?」

「じゃあ会いましょう。」

この国の王族に匿われている超重要人物。

かつ絶対に強いであろう人物。

なぁに、何かまずいことになったら、消せば良い。

何せこの人は、僕の心中の全てを察していない。

僕がシャルル君と仲良しになったと思い、あんな風にシャルル君の害を仄めかした。

ならばこの魂胆もバレていないだろう。

「転移者に会いましょう。王族に話を付けて、転移者に話を付け、貴方達に付けましょう。彼らなら、きっと分かってくれますよぅ。何せ、この国に来たばかりで身寄りも何も無いんですからぁ。」

まずくなったら、殺せば良い。

驚くシークさんを見ながら、僕はそうほくそ笑んだ。

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