第8話「弱い魔法を、全部集める」
地響きが、確かな死の足音として村の防壁に迫っていた。
丸一日早く動き出した魔物の群れ。別邸から駆け戻った俺たちを迎えたのは、恐怖に泣き叫ぶ村人たちと、今にも破られそうな貧弱な木柵の門だった。
「弓隊、構えろ! だが矢が足りんぞ!」
猟師たちが叫ぶ。視界の先、冬の森を薙ぎ倒しながら、数十頭の黒い獣の群れが雪崩れ込んでくるのが見えた。このまま衝突されれば、門は数秒で粉砕される。猶予はない。
「全員、俺に力を寄越せ」
俺は広場の中央に立ち、左手首のΣの紋章を露わにした。
「火、水、風、土。加護の種類は問わない。お前たちが持っている微弱な魔力をすべて、俺という一つの器に流し込め。俺がすべてを束ねて、あいつらを焼き払う」
それは、もっとも手っ取り早い最適解だった。本来、俺の『総和』は同目的の力しか足せない。だが、異なる属性の魔力であっても、俺の体内で強引に負荷をかけて変換・圧縮すれば、巨大な破壊力として一括で撃ち出せる。
もちろん、処理の過程で俺の肉体は内側から焼き切れ、死ぬか、良くても二度と動けなくなるだろう。だが、村人全員が生き残るという結果(答え)を得るための代償としては、十分に釣り合っている。俺一人の破損など、数えるに値しない不都合な項に過ぎない。
俺が強制的な演算を開始しようとした、その時だった。
「ふざけないで!」
甲高い声と共に、ミラが俺の胸ぐらを掴んだ。
「全部一人で背負う気!? リタちゃんを治した時、あなたが血を吐いて倒れたのを忘れたとは言わせないわよ!」
「……合理的な判断だ。俺一人が壊れるだけで済む」
「全然合理的じゃない! あなた自身の命を最初から捨ててるじゃない! そんなの、神託が私たちを『無価値』って切り捨てたのと同じ計算よ!」
ミラの言葉が、鋭い刃のように胸に突き刺さる。
『そんなの、神託と同じ計算よ』。
リタを治した時、ミラに問われた言葉が蘇る。俺の負担は、最初から式になかった。
理由はまだ分からない。だが、同じやり方を繰り返せば、今度こそ俺が途中で潰れ、村を守る計算そのものが破綻する。それだけは理解できた。
「……シグ」
ドルフ村長が、震える手で鍬を握り締めながら進み出た。
「わしらも、ただ守られるためにここへ残ったわけではない。どうすればいいか、教えてくれ」
村人たちの目には、恐怖を押し殺した確かな意思があった。
俺は小さく息を吐き、頭の中の計算式を組み替えた。
「俺の力は、同種、あるいは『同じ目的』の力を合計するものだ。俺が無理やり全部を混ぜ合わせるんじゃない。お前たちが、自分の役割を決めろ」
俺は迫り来る魔物の群れと、村人たちを交互に見据えた。
「火花を出せる者は、門の前に散らばった枯れ草に火を放つことだけを考えろ。目的は『炎壁の構築』だ」
「微風を起こせる者は、その火を煽る役割に入れ」
「小石を動かせる程度の土の加護を持つ者は、門の前の地面を掘り返すイメージを持て。目的は『足場崩し』だ」
「そして、身体強化を持つ者は、絶対に門を突破させないために、丸太を支えろ。目的は『門の防衛』だ」
俺は村人たちに役割を細分化して提示した。
「誰が何をやるか、自分で選べ。お前たちの意思を、俺が束ねる」
一瞬の静寂の後、村人たちが弾かれたように動いた。
「俺は火花を出せる! 前へ出るぞ!」
「土をいじるのは得意だ、地面を掘る!」
それぞれが自分の持つ小さな加護と向き合い、自らの意思で立ち位置を選び取る。
「グルルルルァァッ!」
先頭の魔物が跳躍し、門へと迫る。
「役割を選んだ者だけ、今、その力を俺に預けろ!」
――総和。
持ち場を選び、力を預けると決めた村人だけが、一斉に応じた。返事の大きさではない。選んだ場所で魔法を放つ、その行動そのものが同意となって俺の左腕へ流れ込んでくる。
今回は俺一人で全てを処理する激痛はない。彼らが選んだ目的ごとに式を立て、俺はその『合計値』を出力する導管に徹した。
指先でこする程度の「火花」と、頬を撫でる程度の「微風」。それが数十人分合計され、目的を同じくして重なり合った瞬間。
ゴォォォォッ!!
門の前に、高さ三メートルを超える巨大な炎の壁が吹き上がった。
「ギャンッ!?」
炎に焼かれ、悲鳴を上げて後退する魔物たち。
その足元を、「小石を動かす」力の総和が襲う。数十人分の土を動かす力が、魔物たちの足元の地盤を局所的に泥濘へと変え、深い落とし穴(足場崩し)を作り出した。
体勢を崩し、穴に落ちる魔物の群れ。
それでも炎を抜け、穴を這い上がってきた数頭が、狂暴な勢いで木柵の門へ激突する。
メシャァッ、と木が軋む音。
だが、門は破られなかった。門の裏側では、身体強化の加護を持つ村人たちが一丸となり、丸太を全力で支え込んでいた。「門の防衛」という単一の目的に束ねられた彼らの筋力は、巨大な魔物の突進を完全に受け止めていた。
「押し返せぇぇッ!」
村人たちの怒号と共に、防衛の力が反発力へ変わり、張り付いていた魔物を弾き飛ばす。
炎、陥没、そして強固な盾。
それぞれの小さな力が目的ごとに束ねられ、完璧な防衛陣形として機能していた。俺が無理やり全てを背負わずとも、彼ら自身の選択と力が、確定していたはずの『滅亡』という神託の答えを書き換えていく。
◆
数分後。
炎が収まり、土煙が晴れた時、門の前に動く魔物の姿はなかった。すべてが倒れ、あるいは恐れをなして森の奥へ逃げ去っていた。
「……勝った。わしらで、村を守り切ったぞ……!」
ドルフの震える呟きが、やがて爆発的な歓声へと変わる。
俺は小さく息を吐き、汗を拭った。反動がないわけではないが、以前のように血を吐いて倒れるほどではない。役割を分け、一人で背負うのをやめた結果だ。
「言った通りでしょ。あなた一人で壊れる必要なんてないのよ」
ミラが誇らしげに笑いかけてくる。俺は彼女の言葉に、どう答えるべきか分からず、ただ無言で視線を逸らした。
その時だった。
「……見事な計算ね。でも、相変わらず自分のことを数えるのは下手くそみたい」
ふと、広場の外れから涼やかな声が響いた。
歓声がピタリと止む。
そこには、村の者ではない一人の女が立っていた。
長く美しい銀色の髪。深い紫色の瞳。彼女の足元では、焼け残った根が蓄えていた春芽を一斉に解放し、焦土の間から青い芽を吹いていた。
彼女の右手首には、俺のΣとは違う、流れるような『曲線状』の紋章が刻まれている。
誘導石の周りにあった魔法の痕跡と同じだ。そして俺は、記憶がないはずなのに、彼女のその佇まいを深く知っているような、奇妙な感覚に囚われた。
女は真っ直ぐに俺の目を見つめ、静かに言った。
「あなたも、落とされたのね」




