第7話「神託が示した滅亡」
「……滅亡、だと?」
ドルフ村長が、足から崩れ落ちるようにその場にへたり込んだ。
狩猟別邸の広間は、取り戻した麦袋を前にした歓喜から一転し、凍りつくような絶望に支配されていた。
女神ルミナの神託は絶対だ。それが「三日後に魔物の大群に襲われ滅亡する」と告げたのであれば、ルミナリア王国の常識において、それはすでに確定した未来と同義だった。
「に、逃げよう! 今すぐ村の皆を連れて、別の領地へ行くんだ!」
「駄目だ、この大量の麦袋を抱えて大所帯で動けるわけがない! 麦を置いていけば、どうせ冬を越せずに餓死するぞ!」
「じゃあ村に残って魔物の餌になれって言うのか!」
村人たちが口々に叫び、パニックが広がる。縛り上げられたヴァルドだけが、「だから言っただろう、神託の計算には逆らえないと」と、どこか安堵したように歪んだ笑いを浮かべていた。
俺はため息をつき、広間の床に転がっていた『魔物誘導石』を蹴り飛ばした。
「静かにしろ」
俺の低く平坦な声が、騒ぎ立てる村人たちを黙らせた。
「避難すること自体は否定しない。だが、相手の数も規模も知らずに、闇雲に冬の森へ逃げ込めば確実に死ぬ。戦うにせよ逃げるにせよ、まずは迫ってくる『滅亡』とやらの実数を確かめるのが先だ」
「実数を確かめるって……神託碑が『大群』だと言ったのよ!?」
ミラがすがるような目で俺を見る。
「その大群が、どこにどれだけいるかを調べる。猟師を数人貸してくれ。森に入る」
俺はドルフにそう告げ、足早に別邸の外へと出た。
ミラと、弓を背負った三人の猟師が、恐る恐る俺の背中についてくる。
冬の森は静まり返っていた。冷たい風が木々を揺らす音だけが響く中、俺は立ち止まり、深く息を吸い込んで意識を森の奥へと広げた。
俺の『総和』は、対象を直接目で見なくとも、同じ目的に属する数字を合計できる。
今回の目的は『魔物の規模』の算出だ。
俺はまず、半径数キロの森の地表に残された「獣の足跡」へ意識を向けた。魔物特有の重い体躯が土を押し潰した圧力の痕跡。それをすべて集計する。
次に、「食害の量」。魔物が通り抜ける際に喰い荒らした木の実や、小動物の死骸の数。
さらに、「排泄物の量」。そして、巨体が通り抜ける際に「へし折られた枝の数」。
本来であればバラバラの事象だ。しかし、これら一つ一つの痕跡が示す熱量と質量を、俺という演算器の中で「魔物一頭が一日で消費・行動する規模」という単位に変換し、合計(総和)していく。
脳内で無数の数字が弾き出され、一つの明確な答えへと収束する。
「……シグ? 何がわかったの?」
じっと立ち尽くす俺に、ミラが不安げに声をかけた。俺は目を開き、猟師たちを振り返った。
「この森には今、神託が言うような『村を滅ぼす大群』は存在しない」
「え……?」
「足跡、食害、排泄物。森に残されたすべての痕跡を計算した。現在この森を徘徊している魔物は、多く見積もっても四十から五十頭。確かに危険な数だが、村を物理的に踏み潰して滅ぼすような数千の群れには程遠い」
俺の言葉に、猟師の一人が信じられないというように首を振った。
「ば、馬鹿な! じゃあ神託が嘘をついたって言うのか! 女神様の言葉が間違っているはずがない!」
「神託の予測自体は間違っていない。だが、麦の時とは手口が違う」
俺は、別邸にあった不気味な石と、その周囲の焦げ跡を思い返した。
「ヴァルドたちは『魔物誘導石』をこの森に置いた。あの石は時間をかけて周囲の魔物を引き寄せ、凶暴化させる。神託が見た三日後の大群は、今も実際に作られ続けている」
「あ……」
ミラが息を呑んだ。
「奴らは答えをごまかしたんじゃない。先に滅亡という答えを出させ、その答えどおりになるよう現実の方を動かした。予言を信じて逃げれば土地を奪える。残れば、誘導した魔物が村を潰す。どちらでも奴らが得をする仕掛けだ」
「そんな……じゃあ、あの石を壊せば、滅亡は防げるってことか!」
猟師の顔に希望の光が差す。
計算上はそうなる。だが、俺の脳裏には、誘導石の周囲にあった『曲線状の焦げ跡』が焼き付いて離れなかった。
あれは、石が発する魔力の波紋をどうにかして抑え込もうとした痕跡だ。俺のように、世界の法則に干渉できる『誰か』が、石の増殖や誘導効果を意図的に遅らせていた。
つまり、あの石は本来であれば、もっと早く村を滅ぼすほどの大群を呼び寄せていたはずなのだ。抑制の魔法がなければ。
「……待て。様子がおかしい」
不意に、俺の足裏から微かな振動が伝わってきた。
一つ一つの振動は、木の葉が落ちる程度の微小なものだ。だが、それらが数百、数千という単位で同時に重なり合っている。俺は足元に意識を集中させ、地面から伝わる物理的な運動エネルギーの合計値を『総和』した。
同時に、森の奥からバサバサとけたたましい羽音を立てて、大量の鳥たちが一斉に空へ逃げ出していくのが見えた。
「シグ、これ……」
ミラの声が震える。
間違いない。微小な振動の合計値は、数十頭の魔物が移動する熱量などではない。間違いなく『大群』と呼ぶべき質量の移動だ。
曲線の魔法による抑制が限界を迎えたのか、あるいは俺たちが石に近づいたことで何らかの歯車が狂ったのか。原因はわからない。だが、結果だけが冷酷な数字として迫ってきていた。
「どうやら、ゆっくりと逃げる相談をしている暇はなくなったらしい」
俺は腰のナイフを抜き放ち、暗く沈む森の深部を睨みつけた。
木々が次々と薙ぎ倒される不吉な地響きが、確かな死の足音として近づいてくる。
「三日後じゃない。予定より丸一日早く、群れが動いている」




