第6話「一袋ずつなら罪にならない」
「さあ、大人しくその食料をよこしてもらおうか。なに、心配はいらん。王国の法に則った正当な『臨時特別税』だ」
広場の中央に積み上げられた食料の山を前に、徴税官ヴァルドは薄ら笑いを浮かべて宣告した。背後に控える十数人の兵士たちが、剣の柄に手をかけて村人たちを威圧する。
村人たちが自発的に持ち寄り、ようやく確保した三日分の希望。それを横取りしようとする男の理不尽な要求に、ドルフ村長が血を吐くような声で抗議した。
「そ、そんな法外な要求が通るはずがない! 我々はすでに冬の祝福税を納めきったのですぞ! これ以上奪われれば、村の者は全員飢え死にだ!」
「法外だと? 勘違いをするな、老人」
ヴァルドは羊皮紙の束を取り出し、見せつけるように広げた。
「私が要求しているのは、一世帯につきほんの数日分の備蓄に過ぎない。王国の規定では、各家庭の余剰から五パーセント以下の臨時徴収は合法と定められている。各家庭から『一袋ずつ』集めるだけだ。お前たち一人一人の負担はごく僅か。決して罪にはならない」
「だが……!」
「神託にもすでに確認済みだ。『この程度の徴収で、対象となる世帯が直ちに餓死することはない』とね。女神様の計算に逆らうつもりか?」
神託。その絶対的な言葉を出され、村人たちは顔を青ざめて押し黙った。
だが、俺の頭の中の計算式は、その欺瞞を完璧に暴き出していた。
「……詭弁だな」
俺が一歩前に出ると、ヴァルドが怪訝そうに眉をひそめた。
「確かに、一世帯ごとの徴収量を見れば規定内かもしれない。だが、五十世帯すべてから同時に、今ここにある食料を持っていけばどうなるか」
対象は、ここにある食料の総量。
そして、ヴァルドが奪おうとしている分量の合計。
数字は即座に出力される。
「お前が奪おうとしているのは、この村が三日間を生き延びるために必要な総熱量の『四割』だ。お前の言うように一袋ずつ切り分けて考えれば死なないかもしれない。だが、全体として見れば、村の四割の人間を確実に飢え殺す数字だ」
「ほう、暗算が得意なようだな、無加護の若造。だがそれがどうした?」
ヴァルドは嘲笑った。
「村全体がどうなるかなど、私の知ったことではない。神託への入力条件は『各世帯ごとの負担』だ。村全体の合計など、書類にも神託にも入力されない。法律が数えない以上、全体としての飢えなどこの世に存在しないのと同じなのだよ」
私が数える必要のないものは、存在しない。
その言葉が、俺の胸の奥底にある冷たい何かを逆撫でした。
計算機としての機能を都合よく悪用し、実際にそこで血を流し、苦しむ人間を『いなかったこと』にする。最適解を導くためではなく、自分の利益のために数字を切り刻み、見えない死者を大量に生み出す行為。
腹の底から、静かだが、どうしようもなく冷たい怒りが湧き上がってきた。
「……数えなかった人間は、いなかったことになるのか」
「あぁ? 何を言って――」
「お前の計算には、致命的な欠陥がある」
俺はヴァルドから視線を外し、絶望に沈む村人たちを振り返った。
「お前たちの中で、『身体強化』の加護を持っている奴はいるか。どんなに弱くてもいい」
俺の唐突な問いに、数人の若者や猟師が戸惑いながら手を挙げた。
「お、俺は持ってるが……腕力が少し強くなるだけだ。とても兵士相手に戦えるような力じゃない」
「私も、走るのが少し早くなる程度で……」
「十分だ。俺にその力を寄越せ」
俺は左手首の袖をまくり、Σの紋章を露わにした。
「一人一人の力は、兵士一人倒せない無価値なものかもしれない。だが、お前たちの『村を守りたい』という意思を合わせれば、あいつらを叩き潰すには十分すぎる数字になる」
俺の真っ直ぐな視線を受け、身体強化を持つ七人の村人たちの瞳に、確かな『同意』の光が灯った。
――総和。
左手首が焼け焦げるように脈動する。
七人分の『弱い身体強化』が、同じ目的に属する力として俺の肉体へ一気に収束した。
直後、全身の筋肉がミシミシと悲鳴を上げ、筋繊維が断裂しかける激痛が走った。三人分の治癒を束ねた時とは違う、物理的な運動能力の強制的な引き上げ。俺という一つの肉体が許容できる限界ギリギリの負荷だ。
だが、この程度の痛み、計算に入れる必要はない。
「や、やっちまえ! その生意気なガキを切り捨てろ!」
ヴァルドの命令で、十数人の兵士が一斉に剣を振り上げて襲いかかってきた。
遅い。
七人分の身体強化を合計した俺の視覚には、彼らの動きが酷く緩慢なものに映っていた。
俺は足元の土を蹴り飛ばした。爆発的な推進力で兵士の懐に潜り込み、剣を振るわれる前にその手首を打ち据え、膝裏を蹴り抜く。
非殺傷の部位だけを的確に狙い、関節を外し、脳震盪を起こさせる。一撃ごとに俺自身の骨も軋みを上げるが、構わず演算と行動を連続させた。
「な、なんだこいつは……っ!?」
「ぐぁっ!」
ものの十秒。
広場には十数人の兵士が昏倒し、あるいは痛みにうめき声を上げて転がっていた。
立っているのは、俺と、腰を抜かして震えるヴァルドだけだ。
「ば、馬鹿な……神託を持たぬ無能力者が、たった一人で正規の兵士を……!」
「たった一人じゃない。俺が計算したのは、八人分の総和だ」
俺は肩で息をしながら、ヴァルドの胸ぐらを掴み上げて引きずり倒した。
「さて。お前の書類に載っていない『消えた百二十袋』を数えに行こうか。案内しろ」
◆
村人たちと共にヴァルドを縛り上げ、俺たちは荷車の轍が続いていた森の奥へと足を踏み入れた。
やがて木々の隙間から、石造りの立派な狩猟別邸が姿を現した。兵士たちはすべて広場に置いてきたため、警備の姿はない。
扉を蹴破り、広間へと踏み込む。
そこには、村から消えた『冬越し用の百二十袋』が、壁際に山のように積み上げられていた。
「ああ……よかった、本当にあった……!」
ミラやドルフたちが歓喜の声を上げる。これで村は冬を越せる。
だが、俺の視線は麦袋ではなく、広間の中央に置かれた不気味な台座に釘付けになっていた。
台座の上には、どす黒い光を放つ手のひら大の石が置かれている。そこから、周囲の空間を歪めるような、嫌悪感を催す微弱な魔力の波紋が広がっていた。
「……おい、ヴァルド。この石はなんだ?」
縛り上げられたヴァルドを蹴り飛ばすと、彼は顔面を蒼白にしながら震える声で答えた。
「そ、それは私じゃない! 領主様が、王都の怪しげな商人から買い取った『魔物誘導石』だ! 村の連中が餓死したあと、魔物に村を襲わせて跡形もなく消し去り、その土地を王都の貴族へ売り払う計画で……」
「村をまるごと証拠隠滅するつもりだったのか」
底知れない悪意の計算に、俺は舌打ちをした。
誘導石に近づこうとした時、石の周囲の床に奇妙な痕跡があることに気がついた。
黒く焦げたような、微かな魔法の残滓。それは『曲線状』の形を描き、石から漏れ出る魔力の波紋を、どうにかして遅らせようとしたかのように囲んでいた。
――知っている。この曲線の形を。俺のΣの紋章と同じように、かつて隣にあった『何か』を。
記憶の底が揺らぎかけたその時、足音を荒立てて一人の村人が別邸へと駆け込んできた。
「そ、村長! 大変だ!」
「どうした! 麦は見つかったのだ、落ち着け!」
「違うんだ! さっき、広場にある村の神託碑が突然真っ赤に光り出して……女神様の神託が下ったんだ!」
村人は恐怖に顔を引き攣らせ、絶叫するように告げた。
「『三日後、この村は魔物の大群に襲われ、滅亡する』って……!!」




