第40話「王と民の重さ」
『見つけたぞ、シグマ! 民衆の魔力が吸い込まれている本当の核は、地下の霊廟だ!』
総和線を通じて、西の貴族塔の地下へと駆け込んだイクアの力強い声が響いた。
俺の脳内に浮かぶ西の戦場の数値も、彼女の座標の先に異常に高密度な魔力の渦が存在していることを示している。偽装結界の裏に隠されていた、真の吸収中枢だ。
「よし、そのまま一気に破壊――」
俺が指示を飛ばそうとした、その瞬間。
中央の神託塔にいるアインの莫大な魔力が、総和線のネットワークを伝って逆流してくるのを感じた。
『ほう。なかなか鋭い剣を持っているではないか、異端審問官。だが、その天秤は少し狂っているようだな。私が正しく直してやろう』
アインの冷酷な音声が総和線に直接割り込んだ直後、イクアの持つ『均衡』の魔力波長が、俺の知覚の中でグンと歪められた。
『なっ、私の術式が、勝手に……ッ!』
イクアの驚愕の声に重なるようにして、想像を絶する激痛が俺の全身を駆け巡った。
「ぐあっ……!」
瓦礫の上に座り込んでいた俺は、痛みのあまり身をよじり、石畳に血を吐き出した。全身の骨がミシミシと軋み、筋肉が内側から引き千切られそうになる。
俺だけではない。総和線で繋がっているすべての仲間たちの『肉体の消耗度』の数値が、一斉に危険水域へと跳ね上がった。
『きゃああっ!』
『痛ぇっ! なんだよこれ!』
イネラとゼロの悲鳴、そして南の水運塔にいるミラや村民たちの呻き声が脳内に響き渡る。
アインはイクアの『均衡』へ干渉し、比較する二対象をすり替えたのだ。
一方は、四塔を束ねる吸収回路。もう一方は、俺たち全員が繋がる総和線。二つの魔力網を巨大な一対として扱い、塔に蓄積した負荷を総和線側へ移している。イクアの力が二対象しか扱えないという制約そのものを、アインは逆手に取ったのだ。
演算器である俺の脳には、数万人分の苦痛のデータがノイズとなって殺到し、意識が真っ白に飛びそうになる。
これ以上の負荷は、戦闘訓練など受けていない南の村民たちを確実に殺す。
俺の左手が、反射的に総和線の接続を自ら断ち切ろうと動いた。線を切れば、アインの強制的な均衡は解除され、少なくとも仲間たちの命は助かる。
以前の俺なら、迷わずそうしていただろう。彼らを守るための全体最適だと、己に言い聞かせて。
だが、俺は血まみれの手で地面を叩き、その衝動をギリギリで抑え込んだ。
「全員、聞いてくれ……ッ!」
俺は息も絶え絶えになりながら、総和線に音声を乗せた。
「アインがイクアの能力を逆用し、塔の負荷を俺たち全員に押し付けてきている。……俺が今、この総和線を切れば、お前たちは痛みから解放される。だが、連携は途絶え、塔の破壊は失敗する」
痛みに耐え、歯を食いしばる。
「……俺はもう、勝手にお前たちの運命を決めない。線を切るか、このまま痛みに耐えて作戦を続行するか。……お前たちが、選んでくれ」
数秒の、永遠にも感じられる沈黙。
最初に声を上げたのは、最も魔力が弱く、最も痛みに苦しんでいるはずの南の村民たちだった。
『切らねえでくれ、兄ちゃん……ッ!』
『ここで諦めたら、俺たちは一生、あの人形みたいな連中と同じになっちまう! 痛みがあるのは、生きてる証拠だ!』
『シグさん! 私たちは大丈夫です! だから、繋いだままで!』
ミラの叫びに続き、イネラも、ゼロも、途切れ途切れの音声で「切るな」と同意を伝えてきた。
俺の脳内に、彼らの『生きたい、戦いたい』という強烈な意志の数字が流れ込んでくる。
『……聞いたか、シグマ。これが、自ら選んだ者たちの意志だ!』
西の塔のイクアが、苦痛を跳ね除けるような力強い声を上げた。
だが、アインの逆用による負荷は物理的なものだ。意志の力だけで相殺できる量ではない。
『イクア殿、あなたの天秤を正常に戻すための「重り」を取り除きましょう』
イクアの傍らにいる王女セレナの、凛とした声が響いた。
俺の知覚が、西の貴族塔の中枢に施された奇妙な術式を読み取る。
それは以前、地下区画で壊した貯蔵回路とは別物だった。王都が包囲された時、中央塔の魔力を王族の居住区へ優先して送るため、何百年も前に作られた『王家専用の迂回導管』。平時は閉じているはずの古い非常路を、アインは自分の余剰魔力を逃がす経路として使っていた。
王家の免除契約によってその導管だけが均衡の対象外に置かれたため、イクアの天秤には、負荷を受ける総和線と吸収回路しか載らなかったのだ。
『私はルミナリア王家、セレナ・ルミナリアの名において! 平民を犠牲にして成り立つ王族の特権を、今この瞬間をもって永久に破棄します!』
セレナが自らの手を短剣で傷つけ、その血を真の中枢の扉へと叩きつけた。
ガキンッ! という鋭い音と共に、貴族塔に何百年も張り巡らされていた特権の防衛術式が、正当な王位継承者の血と宣言によって粉砕される。
免除契約が消滅し、王家専用の迂回導管を流れる莫大な魔力が、初めて西塔の回路上へ露出した。
『見えた。私は何も生み出せないし、負担を消すこともできない。だが、隠されていた重さを正しい場所へ戻すことはできる!』
イクアの二本線の紋章が、かつてない純白の光を放つ。
『対象指定。王家の迂回導管を流れる魔力。そして――アインが私の力を歪めている均衡中枢を流れる魔力!』
二つは同じ西塔術式を流れる魔力の流量だ。イクアが等しくした瞬間、太い迂回導管へ逃げていた流れの半分が、細い均衡中枢へ移った。総量は一つも増えていない。だが、負荷を他人へ逃がす前提で作られた中枢は、その流量を受け止められない。
『真の公平とは、痛みを同じにすることではない。隠した条件を晒し、負うべき側へ負担を戻すことだ!』
イクアの振り下ろした双剣が、過負荷でひび割れた均衡中枢を完全に一刀両断した。
ドゴォォォォォンッ!!!
俺の脳内で、西の塔の吸収量が今度こそ完全に、そして永遠にゼロへと落ち込んだ。
同時に、全身を苛んでいた激痛がスッと霧散する。
『やった! 西の塔、完全沈黙よ!』
『すげえ! 兄ちゃん、やったな!』
イネラや村民たちの歓喜の声が総和線に溢れる。
俺も大きく息を吐き出し、額の汗を拭った。俺が独断で線を切っていれば、この勝利はなかった。彼らを信じて選ばせたからこそ、この結果に辿り着いたのだ。
だが、その安堵は、一秒と持たなかった。
『シグ……』
東の鉱山塔にいるゼロの音声が、ひどく掠れ、ノイズ混じりになって届いた。
彼の現在位置を示す光点が、まるで明滅する蝋燭のように激しく揺らいでいる。
「どうした、ゼロ! 敵の増援か!?」
『違う……なんだよ、これ。痛くはないんだけど……』
ゼロの声は、かつてないほど怯えていた。
総和線が伝える彼の「生命力」と「魔力量」の根本的な数値が、まるで砂山が崩れるようにサラサラと減少していく。
『シグ……俺の手が、身体が……透けてるんだ』
俺は心臓が凍りつくのを感じた。
アインの無限の拡張力が削り取られた余波。それは、人間から意味を忘れられ、消滅しかけていた「数字の概念」である俺たちにとって、存在を維持するための魔力基盤の揺らぎを意味していた。
虚無である『ゼロ』の存在が、世界から完全に消去されようとしている。
新たな、そして絶望的な危機が、俺の計算式を真っ黒に塗り潰そうとしていた。




