第38話「四つの塔を、一つの戦場にする」
王都の東西南北の空を、禍々しい漆黒の光柱が貫いている。
アインが起動した四つの地方塔は、巨大なポンプとなって周囲の大地と、意識を奪われた数万人の民衆から魔力と生命力を吸い上げ続けていた。
崩落した神託塔前広場の中央。俺は瓦礫の上に腰を下ろし、左手首の完全な『Σ』の紋章に右手を添え、深く目を閉じた。
「……計算を開始する」
俺の意識は、肉体の視覚から切り離され、純粋な数字と座標の海へと潜り込んでいく。
『総和線』を通じ、俺の脳内には四方へ散った仲間たちの現在位置が、光の点となって正確にマッピングされていた。送られてくるのは映像ではない。彼らの「魔力残量」「肉体の消耗度(疲労度)」、そして周囲の「敵の魔力反応の推移」という客観的なデータだけだ。
俺はそれらの数字をリアルタイムで整理し、遠く離れた四つの塔を、頭の中で『一つの戦場』として統合した。
『シグさん、南の水運塔の敷地に入りました!』
総和線から、ミラの短い音声が響く。彼女の後ろには、フェル村の村人たちが続いているはずだ。俺の脳内の数値では、南の光点の集まりは一つ一つの魔力こそ微弱だが、総数で敵の警備兵を上回っている。
「ミラ、正面突破はするな。お前たちの魔力では神殿兵の防壁は抜けない。数字を見る限り、塔の東側基礎部分の魔力反応が手薄だ。そこへ迂回して、水路の基部を物理的に破壊しろ」
『分かりました! みんな、こっちよ!』
ミラの声が遠ざかり、南の光点群が俺の指示通りに東側へと滑るように移動していく。
かつての俺なら、「俺が計算したのだから絶対にその通りに動け」と命じていただろう。だが今の俺は、あくまで盤面の状況を翻訳し、提案するだけだ。彼女たちはそれを自らの意志で選び取り、動いている。
『東の鉱山塔、中に入ったぜ! なんか床がピカピカ光ってて危なそうだったから、全部消しといた!』
ゼロの無邪気な声と共に、東の塔の入り口付近にあった高密度の罠の魔力数値が、片っ端から『ゼロ』へと叩き落とされていくのが分かった。ゼロの魔力消費は少ない。そのまま強行突破が可能だ。
だが、問題は北の農業塔だった。
『……一階の警備は抜けたわ。今から螺旋階段を上がる』
イネラの声には、隠しきれない荒い息遣いが混じっていた。
広場での崩落から子どもたちを救った代償。彼女の肉体の消耗度を示す数値は、すでに危険水域である赤色に張り付いている。
「今すぐ戻れ」。そう叫びたくなる衝動が、喉の奥まで込み上げてきた。全体の最適解だけを考えれば、これ以上の彼女の進行は命の危険が高すぎる。
だが、俺は固く拳を握り締め、その命令を飲み込んだ。彼女は自らの意志で、戦うことを選んだのだ。俺にその選択を奪う権利はない。
「イネラ。お前の体力は限界に近い。これ以上の戦闘は避けろ。上の階層は中央階段に敵の魔力反応が集中している。右の換気通路を使え。そこなら魔力を使わずに登れるはずだ」
『……ええ。ありがとう、シグ。あなたの計算通りに動くわ』
イネラの光点が、中央を避けて右側へと移動していく。
彼女の選択を尊重し、それを最大限にサポートする。それが、今の俺にできる唯一の仕事だった。
四つの戦場の数字を同時に処理し続けることで、俺自身の脳髄が焼け焦げるような負荷がかかる。だが、決して接続は切らない。
その時、西の貴族塔に向かっていた光点が、異常な速度で塔の上層へと駆け上がっていくのを捉えた。
『シグマ! 中枢に到達したぞ!』
イクアの弾むような声だ。
王女セレナの権限による隠し通路の利用と、かつて神殿の異端審問官であったイクアの内部構造の知識。二人の組み合わせが、最も早く魔力吸収の要へと辿り着いたのだ。
「イクア、中枢の防衛結界の数値は異常に高い。強引に斬り結べばお前の魔力が先に尽きるぞ」
『問題ない。神殿の結界は二重だ。外層の継ぎ目だけ、整備のために薄く作られている!』
総和線越しに、鋭い双剣が空を切る音が響いた。
『対象指定! 同じ防衛結界を構成する、無傷の中枢面と――私が傷を入れた外層の継ぎ目!』
イクアが『均衡』を発動させたのが、魔力の波長で伝わってきた。
彼女は無関係な物体の強度を入れ替えたのではない。同じ結界の二面に生じている『損傷』を等しくしたのだ。継ぎ目へ刻んだ一筋の亀裂が、無傷だった中枢面へ広がる。傷の総量は増えていない。ただ一点に留めていた破損を、結界全体が分け合った。
『砕けろッ!!』
ガシャンッ!! という、硬質なガラスが粉々に砕け散る音が響いた。
俺の脳内で、西の貴族塔が吸い上げていた莫大な『魔力吸収量』の数値が、滝のように急降下し、一瞬にして完全にゼロへと落ち込んだ。
目を開けると、王都の西の空を汚していた漆黒の光柱が、フッと霧散して消え去るのが見えた。
『西の塔、吸収術式の破壊に成功した!』
イクアの勝利の報告に、俺は思わず息を吐き出し、口元を緩めた。
「よくやった、イクア、セレナ。これで一つだ。他の三つもこのまま……」
安堵しかけた、その時だった。
俺の脳内の計算式が、突如として真っ赤な警告色に染まり、凄まじい不協和音とともに破綻を告げ始めた。
「な、なんだこれは……!?」
俺は慌てて西の区画の数値を再確認した。
イクアが中枢を破壊したことで、西の塔による「民衆からの魔力の吸い上げ」は確かに停止している。そこまでは俺たちの計算通りだ。
だが、吸い上げが止まったにも関わらず、西の塔の周囲にいる民衆たちの『生命反応』の数値が、突然、限界を突破して異常な急上昇を見せ始めたのだ。
『シグマ!? どうした、様子がおかしいぞ!』
イクアの焦った声が響く。
『倒れていた民衆たちが……身体から異常な熱を発して、痙攣している! 魔力を吸われるのを止めたはずなのに、なぜだ!?』
俺の背筋に、氷のような悪寒が走った。
間違いない。これはただの機能停止ではない。
アインは、地方塔が破壊されることすらも最初から計算に入れていたのだ。吸収を止められた瞬間に、その反動のエネルギーが接続された民衆の肉体へ逆流し、内側から彼らの命を暴走させるという、極悪非道なトラップ。
生命反応の数値が、まるで破裂寸前の風船のように膨れ上がっていく。
このままでは、西区画の民衆全員が、自分自身の膨張した生命力に耐えきれずに肉体ごと弾け飛んで死ぬ。
たった一つの塔を止めただけで、俺たちの前に、さらなる絶望の計算式が立ちはだかろうとしていた。




