第37話「間違えない国」
瓦礫に覆われた王都の広場は、薄気味悪いほどの静寂と秩序に支配されていた。
つい先ほどまで、足場を失って絶叫し、あるいは奇跡のパンに群がって暴動寸前だった数万の群衆。彼らは今、アインの『無限神託』によって意識を中央の世界式へと直結され、一切の感情を剥奪されていた。
俺の目の前で、巨大な石柱の破片を十数人の男たちが息を合わせて持ち上げ、的確な場所へと運んでいく。足元がぬかるんで転んだ幼い子どもがいれば、すかさず隣の大人が手を差し伸べるが、そこに「大丈夫か」という気遣いの声はない。助けられた子どもも礼を言わず、すぐさま瓦礫の撤去作業に戻る。
犯罪、争い、物資の奪い合い。そして飢え。
かつて王都が抱えていたすべての社会問題が、この数十分の間に完全に消滅していた。
無駄な行動をとる者は一人もいない。極限まで効率化された、食い違い一つない社会。
だが、そこには親が子を愛おしそうに抱きしめる姿も、明日の夢を語る若者の無駄話も、遊び回る子どもたちの笑い声も、自発的な喜びも何一つ存在しなかった。ただ神託の命じるままに動き、アインの与える無限のエネルギーで生かされ続けるだけの機械の群れ。
全員の胸元には、小さな『∞』の光が刻まれている。命令を受けるたび、人々は無感情な声で「無限聖人アインの答えに従う」と復唱した。効率のためには不要な手順だ。それでもアインは、自分の記号と名前を一人ずつへ刻まずにはいられなかった。
「これが、お前が辿り着いた答えか、アイン」
俺は、崩壊した地盤の向こうにそびえ立つ、中央の神託塔を睨みつけた。
人間から選択という不確定要素を完全に奪い取った、間違えない国。それがどれほど醜悪で、冷たいものか。
吐き気を堪えながら広場に立っていると、左手首に焼き付いた『Σ』の紋章が熱を帯び、淡い金色の光が明滅した。
――総和線。
俺と、四方へ散った仲間たちを繋ぐ、意志の接続。
映像や彼らの内面は見えない。だが、俺の脳内には、王都の地図に重なるようにして、四つの光点と、そこに付随する「残存魔力」や「肉体の消耗度」を示す客観的な数値が、整然と並べられていた。
『シグ、聞こえるかしら。北の農業塔の前に着いたわ』
イネラの短く、張り詰めた声が脳に直接響く。数値を見れば、彼女の魔力は先ほどの重傷の治癒と回復によって、七割程度で安定している。
『俺も東の鉱山塔に着いたぜ。周り、目が死んでる奴らばっかりで気味が悪い』
ゼロの声。彼の魔力と体力はほぼ万全だ。
『西の貴族塔、到着した。セレナ殿も無事だ』
『南の水運塔、着きました! 村のみんなも一緒です。シグさん、いつでもいけます!』
イクアとミラの報告が続く。
アインの無限神託の波紋から逃れられたのは、真理紋という規格外の概念を持つ俺たち四人と、明確に「自分の意志で戦う」と選び、俺の総和線に接続したセレナやミラたちだけだ。
彼らがそれぞれの塔の前に配置されたことを、俺は数字の羅列から確認した。
「ああ、全員の位置と数値は把握した。これより、アインの統制を支える四地方塔の機能を停止させる」
俺は指揮官として命令を下すのではない。現状の数値を整理し、彼らに共有する演算器としての役割に徹する。
「敵は塔の防衛機構と、アインに操られた無数の兵士たちだ。無理はするな。お前たちの魔力や体力が低下すれば、俺が他の場所から余裕のある力を回す」
『分かっている。頼むぞ、シグマ』
イクアの力強い声が返ってきた、その直後だった。
ズゴゴゴゴォォォォッ……!!
王都の大地が、先ほどの地盤崩壊とは質の違う、不気味な震動を始めた。
「なっ……!?」
俺が目を見開くと同時、王都の東西南北の空の果てにそびえ立っていた四つの地方塔から、禍々しい漆黒の光の柱が一斉に天を貫いた。
ただの巨大な建築物であったはずの塔が、まるで脈打つ血管のように明滅を始める。
俺の総和の知覚が、王都全域の魔力の流れが劇的に変化したことを捉えた。
四つの塔が、周囲の大地が持つ自然の魔力と、そこにいる民衆たちの生命力を、まるで巨大なポンプのように猛烈な速度で吸収し始めたのだ。
『シグ! 塔の周りの土が、どんどん黒くなっていくわ!』
イネラの切羽詰まった声が総和線を通じて飛び込んでくる。俺の脳内に表示されている北の農業塔周辺の「自然魔力」の数値が、滝のように激減していくのが分かった。
『こっちの塔もだ! 吸われてる、空気中の魔力も、倒れてる人たちの力も!』
ゼロの焦る声。
「……アインの野郎」
俺は唇から血が出るほど強く噛み締めた。
あの無限の物質拡張は、アイン一人で維持できるような規模ではない。無限神託という絶対的な統制を維持し続けるため、彼は四つの地方塔を巨大な「吸収装置」として起動し、接続された数万人の民衆を文字通り「燃料」として使い潰しにきたのだ。
このまま吸い上げが臨界点に達すれば、王都の大地は死に絶え、感情を奪われた民衆たちは干からびて死ぬ。
「全員、聞いてくれ!」
俺は左手首の紋章に意識を集中させ、四箇所の戦場にいる仲間たちへ現状の数値を伝達した。
「四つの地方塔が、民衆の命を中央の神託塔へ吸い上げ始めている。このままじゃ三十分も持たない。塔の内部に侵入し、魔力吸収の要となっている術式を破壊してくれ」
『了解した。西の貴族塔、これより突入する!』
イクアの声を皮切りに、四つの光点がそれぞれ塔の内部へと動き始める。
俺の視界には映像はない。
頭の中に浮かぶのは、仲間たちの現在位置、目減りしていく魔力、深まる疲労の割合。そして、塔が民衆から吸い上げている命の残量。
王都全域を巻き込んだ、四つの戦場。
俺はそのすべてを同時に計算し、支え続けるための孤独な戦いを開始した。




