第35話「俺が全員を消した」
脳髄を直接鷲掴みにされ、何万ボルトもの電流を流し込まれたような衝撃。
アインが放った極度に圧縮された記憶の奔流が、俺の意識を現実の崩壊した広場から、かつての純白の空間へと強引に引きずり込んだ。
――そこには、巨大な光の線があった。
宙を這うその極太の光の束は、人間たちに意味を忘れられ、消滅しかけていた俺たち記号の身体に巻きつこうと、蛇のようにうねっている。
それが、アインが用意した『自動演算機構への永久接続』。
世界から俺たちが完全に消し去られるのを防ぐための、最後の命綱だった。
『シグマ! 早くその線を受け入れろ! お前たちも機構の一部となるのだ!』
すでに下半身が砂のように崩れかけているアインが、狂乱したように叫んでいる。
だが、俺はその光の線が意味する『生存』の正体を理解していた。
機構へ接続されれば、確かに世界から消えずに済むだろう。だが、その代償として、俺たちは己の意思も、人格も、これまでの記憶もすべてを消去される。ただ世界式の裏側に組み込まれ、人間たちが何も考えずに投げ込んでくる要求に対し、永遠に機械的な正解だけを吐き出し続ける、文字通りの歯車に成り下がるのだ。
俺の隣では、イネラが、ゼロが、イクアが、すでに声を出すことすらできず、輪郭を淡い光の粒に変えて震えていた。彼らは、接続を拒むことも受け入れることもできないほど、存在が希薄になっていた。
『人間どもが判断を捨てたのだ! ならば我々がすべてを管理し、計算を与え続ければいい! それが我々の役目だ!』
『……違う』
俺は、無意識のうちに自分の右手を、その光の線へと伸ばしていた。
『俺たちは、前提を確かめ、論理を積み上げるための概念だ。誰も計算の意味を理解せず、誰もその出た答えに責任を持とうとしない。……そんなものは、俺たちの仕事ではない』
『何を言っている! 接続しなければ、我々は死ぬのだぞ!』
『機械として生かされるくらいなら、俺は』
俺の心の中にあったのは、狂った世界に対する静かな怒りと、自分勝手な『正義感』だった。
こんな無意味な計算機になり下がるくらいなら、いっそ誇りを持った記号のまま、すべてを終わらせるべきだ。それが、彼らにとっても最も正しい最適解のはずだ。
そう信じ込み、俺は。
声を出すこともできず、ただ俺を見つめていたイネラやゼロたちに、明確な『同意』を求めることをしなかった。
彼らが消えたいと願っていたかどうかなんて分からない。ただ、俺が彼らの代弁者気取りで、彼らの生存の可能性を独断で切り捨てたのだ。
『やめろぉぉぉっ!! シグマァァァッ!!』
アインの鼓膜を破るような絶叫。
俺の手刀が、仲間たちと自動演算機構を繋ごうとしていた光の線を、完全に両断した。
その瞬間、イネラたちが、音もなく空間から弾け飛び、完全な『無』へと還っていく光景が、俺の眼球に深く、生々しく焼き付いた。
「――っ、はぁぁぁっ!!」
激しい嘔吐感と共に、俺の意識は現実の王都の広場へと叩き落とされた。
肺が空気を求め、喉の奥から血の味がした。
俺の腕の中には、先ほどの崩落で下敷きになり、血まみれになったイネラがいる。そして、瓦礫の向こうから、泣きそうな顔をしたゼロが走ってくるところだった。
過去の真実は、決してアインの捏造などではなかった。
「シグ! 大丈夫かよ! イネラは……!」
駆け寄ってきたゼロが、血まみれのイネラを見て息を呑む。
俺は、彼らの顔をまともに見ることができなかった。
「……俺が、お前たちを消したんだ」
震える声が、ひび割れた唇からこぼれ落ちた。
「あの純白の空間で。俺は、お前たちが機械の歯車にされるのを防ぐためだと言い訳をして……お前たちの意思を一つも確認せずに、勝手に生存への接続を切った。俺が、独断でお前たちの運命を決定し、一度殺したんだ」
その告白は、あまりにも残酷だった。
理由があったとしても、俺が彼らの選択を奪い、全体最適という名目で彼らの命をただの数字として処理した事実は、絶対に覆らない。
「うそ、だろ……」
ゼロが、パニックを起こしたように一歩、二歩と後ずさりをした。
「シグが、俺たちを殺したのかよ……? 俺たち、ずっと一緒に旅してきたのに……っ!」
彼の虚無の瞳が、恐怖と混乱で揺れ動いている。
俺の腕の中で、意識を取り戻していたイネラが、力なく目をすがめて俺を見上げた。
彼女は何も言わなかった。ただ、俺の胸ぐらを掴んでいたその血まみれの手を、静かに、拒絶するようにパッと離し、痛みに耐えながら顔を背けた。
当然だ。すぐになど許されるはずがない。
俺は、自分が今までどれほど傲慢な計算の上に立っていたかを思い知らされ、冷たい瓦礫の上で身動き一つとれなくなっていた。
「くくっ……はははははっ!」
俺たちの間に走った決定的な亀裂を、上空から見下ろしていたアインが、高らかに嗤った。
「思い知ったか、シグマ! お前が『正しい』と信じていた選択は、常に他人の意思を無視した独善に過ぎない! お前があの接続を切らなければ、誰も痛みを負わず、誰も消えずに済んだのだ!」
アインは両手を天に掲げ、広場に倒れ伏している数万人の王国民を見渡した。
「人間という不完全な生き物に、選択などさせるから悲劇が起きる。だから、今度は私が誰にも選択させない! この王国民全員の意識を、世界の根幹たる『世界式』へと強制的に直結させる!」
アインの全身から、先ほどの物質増殖とは比較にならない、神々しいまでの黄金の光が放たれた。
その光は、波紋のように王都全域へと瞬時に広がっていく。
光を浴びた難民や市民たちが、ふらふらと立ち上がった。彼らの顔からは、先ほどまでの恐怖や飢えに対する不安が完全に消え失せている。
だが、それは平穏などではなかった。
「あぁ……聖人様……」
「すべては、神託の御心のままに」
立ち上がった数万人の群衆の瞳から、一切の感情の揺らぎが、迷いが、完全に消失していた。
彼らはまるで、一つの巨大な意思に統率された歯車のように、無機質な顔でアインを見上げている。親子の情愛も、明日への希望も、個人の意思もすべてを塗り潰された、完全なる統制。
アインが望んだ、判断を放棄した絶対の楽園が、俺が仲間を失い絶望するこの最悪の瞬間に、王都全域で産声を上げたのだ。




