第30話「平等ではなく、公平」
地下区画の岩盤に張り巡らされた赤い魔法陣が、数万人の市民から魔力と生命力を吸い上げている。
『無限神託』の燃料として使い潰されようとしている彼らの命の数字が、刻一刻とゼロに近づいていくのを、俺は歯を食いしばって計算し続けていた。
だが、絶望的な吸い上げのベクトルに、横合いから強烈な干渉が叩き込まれた。
分厚い石壁を破壊して現れた異端審問官・イクアが、両手に構えた双剣を赤い光の奔流に向けて真っ直ぐに突き出したのだ。
「対象指定。地下から生命力を吸い上げる収奪回路」
イクアの右手首にある『=(均衡)』の真理紋が、かつてないほどの激しい光を放つ。
「そして――同じ術式に繋がり、吸い上げた魔力を貯め込む地上の特権回路!」
彼女の宣言と共に、双剣の切先から放たれた銀色の光が、地下の赤い魔法陣の術式に強引に割り込んだ。
イクアの能力は、同じ種類の量を持つ二対象の間で、傷や魔力や負担を移し替える力。人の集団を好き勝手に一対象とみなせるわけではない。
だがこの魔法陣は、地下と地上を一本の術式で結び、収奪側と貯蔵側という二つの端点を最初から作っていた。イクアはその回路を逆用し、片側だけに押しつけられていた魔力損失と術式負荷を、二つの端点へ均等に戻したのだ。
「均衡……ッ!!」
イクアが双剣を振り抜いた瞬間。
ゴァァァァンッ! という音と共に、地下空間を覆っていた赤い光が、不気味な赤紫色に変色して激しく明滅した。
直後、俺たちの頭上――地上側の貯蔵回路へ直接接続していた神官と契約貴族たちの絶叫が、地下の換気口を伝って微かに響いてきた。
「あ、あああぁぁっ! なんだ、体が……痛い、苦しいッ!」
「お助けを! 神官様、聖人様ぁっ!」
悲鳴の主は、地下の連中ではない。地上で無限の食料や魔力を享受し、ぬくぬくと安全圏にいたはずの人間たちのものだ。
彼らの肉体に、今まで地下へだけ流していた術式の負荷が戻ったのだ。
「……見事だ、イクア」
俺は双剣を構えたまま肩で息をする彼女を見て、口元を緩めた。
負担が地上へと半分押し付けられたことで、地下にいる数万人の苦痛が劇的に和らいだ。ミラの顔に微かな血色が戻り、うめき声が小さくなっていく。
だが、それだけではない。
絶対的な質量を持っていた赤い魔法陣の『吸い上げの力』そのものが、術式の乱れと地上の混乱によって、計算上、ちょうど半分にまで弱体化していた。
「ゼロ! 今ならお前の力で押し切れる! 赤い術式の要だけを狙って消せ!」
「うんっ!」
ゼロが床の赤い光に再び掌を押し当てる。
パリンッ!
先ほどまでは弾き返されていた『零化』の力が、弱体化した魔法陣の魔力をガラス細工のようにあっさりと粉砕した。
地下区画全域に張り巡らされていた赤い光が、連鎖的にパチパチと音を立てて消滅していく。
燃料の供給源を断たれ、アインの用意した世界式の吸収術式が、完全に停止した。
「イネラ、奪われた分はまだ回路に残っているか」
「ええ。術式が止まったから、中央へ送られる直前の生命力が赤い導管に滞留している」
イネラの曲線の紋章が紫色の光を放ち、広大な地下区画に淡い波紋を広げていく。
彼女は時間を巻き戻したのではない。導管へ積み上げられたまま行き場を失った生命力を、そこに残る一人ずつの痕跡に沿って、元の持ち主へ少しずつ返していく。倒れていたミラがゆっくりと目を開け、周囲の労働者たちも次々と身体を起こし始めた。
「助かった……俺たち、生きてる……」
「ミラ! よかった……」
イネラがミラに駆け寄り、抱きしめる。
俺は安堵の息を吐き、静かに双剣を鞘に収めたイクアの元へ歩み寄った。
「お前の『均衡』は、同じ結果に揃える力だ。だが、今回は今までと違う使い方をしたな」
「……ああ。今までは、ただ数字の左右を合わせることだけが公平だと思っていた」
イクアは胸元から、神殿の異端審問官であることを示す銀の徽章を取り出した。
「だが、前提となる条件を隠し、選択の自由を奪った上で結果だけを等しく押し付けるのは、ただの暴力だ。同じ痛みを分かち合うことではなく……『条件を公開し、選んだ者がその結果としての負担を引き受ける』。それこそが、真の公平だと、ようやく気付いたよ」
イクアはそう言うと、銀の徽章を自らの手でグシャリと握り潰し、地下水路の濁った水の中へ迷いなく投げ捨てた。
地位も、神殿の法も捨て、彼女は自らの意思で、俺たちの計算式に加わることを選んだのだ。
「改めてよろしく頼む、シグマ。神託の嘘を、私のこの手で暴いてみせる」
「頼りにしているぞ、イクア」
四つの異なる記号が、明確に同じ目的の下に集った瞬間だった。
だが、その余韻を切り裂くように、瓦礫の向こう側から場違いな拍手の音が響いた。
「素晴らしい。やはり、神託の盲点を突き、痛みを可視化する計算能力……流石です」
破壊された壁の穴から、深いフードを目深に被った一人の人物が歩み出てくる。
警戒して俺とイクアが前に出ると、その人物はフードをゆっくりと下ろした。
現れたのは、豪奢だが動きやすい装束を身に纏った、若く凛とした顔立ちの女性だった。その瞳には、高い知性と強い意志の光が宿っている。
「王女……セレナ殿!?」
イクアが驚愕の声を上げた。
ルミナリア王国の改革派として、神殿の専横を苦々しく思っていると噂されていた王族の一人。彼女がなぜ、こんな地下区画に一人で現れたのか。
「お忍びゆえ、護衛もつけずに無作法な登場となったことをお許しください」
王女セレナは俺を真っ直ぐに見据え、不敵な笑みを浮かべた。
「あなたたちの領都での働き、そしてこの地下での『計算』の鮮やかさ、すべて拝見しておりました。……総和殿。いえ、無限を止める力を持つ者よ」
セレナの声が、静まり返った地下空間に低く響く。
「どうか、私と秘密の会談をしていただきたい。この狂った王都の神託を、根底から破壊するために」
アインの無限神託に覆われた王都で、俺たちを追う敵ではない、巨大な権力を持つ『協力者』が、明確に俺たちの前に姿を現したのだ。




