第29話「不要と判定された人々」
ミラが連れ去られた重厚な鉄扉の鍵をゼロの『零化』で粉砕し、俺たちは王都の地下へと続く薄暗い階段を駆け下りた。
カビと汗の混じった湿った空気が、鼻腔を突く。
最下層へ辿り着いた俺たちの目に飛び込んできたのは、想像を絶するほど巨大な地下空間と、そこに押し込められた無数の人々の姿だった。
「ひどい……こんな所に、何万人いるの……」
イネラが息を呑む。
そこは、王都の華やかな地上とは完全に切り離された、巨大な強制労働施設だった。
薄暗い魔石の灯りの下で、人々は黙々と作業を続けている。ある者は山積みの汚れた衣服を洗濯し、ある者は下水管に詰まった汚泥を掻き出し、ある者は欠けた歯車や道具の修理を行っている。
ミラもその中にいた。彼女は自身の『微弱な風の加護』を使って、巨大な乾燥室に風を送り、地上の貴族たちが着るであろう衣類を乾かす作業を強いられていた。
神託によって「不要」と判定された人間たち。彼らは一様に生気を失った目をし、ただ機械のように手足を動かしている。
「ミラ!」
俺が声をかけると、ミラは驚いたように顔を上げ、手にしていた布を取り落とした。
「シグ! どうしてここに……逃げて、ここは神殿の監視が……」
「お前を連れ戻しに来た。こんな所にいる必要はない」
俺はミラの腕を掴んだが、彼女は弱々しく首を振った。
「駄目だよ。神託が、私はこの地下で働くのが一番適正だって。それに、私たちがここで働かないと、地上の人たちが困るから……」
「そうだな。地上の連中はお前たちがいなければ生きていけない」
俺は周囲の労働環境と、彼らが処理している物資の量を『総和』の知覚で計算した。
対象は、この地下で生み出される労働力。そして、王都の地上で消費されるインフラの維持量。
計算結果は、残酷なまでに明確だった。
「お前たちがこの地下で手を止めれば、地上の王都の機能は『三日』で完全に停止する。下水は溢れ、道具は壊れ、生活は立ち行かなくなる」
俺は、無機質に働き続ける周囲の人々を見渡した。
彼らの持つ加護は微弱だ。だが、その小さな力も束ねられ、適切に配置されれば、王都という巨大な都市を支える絶対に必要な土台となる。彼らは決して『不要』などではない。
「アインの野郎は、お前たちを無価値だと切り捨てて視界から消した。その上で、お前たちの労働力だけを極限まで搾取し、地上の連中に『無限の恩恵』だと錯覚させているんだ」
単独での評価が低いものを「不要」と断じ、暗闇に隠して都合よく使い潰す。
それは、数字の表面だけを掬い取り、裏で泥をすする人間を「いなかったこと」にする最悪の計算だ。胸の奥底で、静かだが確かな激怒が熱を持ち、左手首のΣの紋章が脈打つ。
「こんな狂った計算式、俺が全部叩き壊す。行くぞ、ミラ」
俺がミラの腕を引き、地上への階段へ向かおうとした、その瞬間だった。
ビーーーーッ!
鼓膜を劈くような耳障りな警報音が、地下空間全体に鳴り響いた。
同時に、地上へと続くすべての鉄扉が、凄まじい音を立てて完全に封鎖される。
「な、何!? 何が起きたの!」
イネラが周囲を警戒する中、地下の岩盤に張り巡らされていた巨大な幾何学模様の溝が、突如として不気味な赤い光を放ち始めた。
それは、地下区画の全域を覆うほどの巨大な魔法陣だった。
「あっ、あぁぁっ……!」
赤い光が明滅した途端、作業をしていた住民たちが次々と苦悶の声を上げ、その場に崩れ落ちた。ミラもまた、膝から崩れ落ち、胸を押さえて苦しげに喘いでいる。
「ミラ! しっかりしろ!」
俺はミラを抱き起こしたが、彼女の身体から急激に熱が失われていくのが分かった。
俺の知覚が、足元の魔法陣から立ち上る異常なベクトルを感知する。
「……吸い上げているのか」
俺は歯を食いしばり、魔法陣の構造を睨みつけた。
アインが地上で宣言した『無限神託』。あらゆる物資を無限に拡張し、与え続ける奇跡。
だが、その莫大なエネルギーを王都の地脈だけで賄うことは不可能だ。だから奴は、この地下に「不要」な人間を数万人も集めたのだ。
彼らの微弱な魔力、そして生命力そのものを、世界式の燃料として強制的に抽出するために。
労働力として搾取し尽くした後は、文字通り命の最後の一滴まで燃料として使い潰す。これが、アインの描いた完全なる統制の行き着く先だった。
「ゼロ! この魔法陣を消せるか!」
「や、やってみる!」
ゼロが床の赤い光に掌を押し当て、『零化』を発動させる。
だが、魔法陣の光は一瞬揺らいだだけで、消えることはなかった。
「駄目だ……っ! 俺の力より、向こうから流れてくる魔力の量がデカすぎる! 押し負けちゃう!」
ゼロが額から汗を流し、弾き飛ばされるように尻餅をつく。
強大な世界式と直結したこの吸収術式は、ゼロ一人の力では相殺しきれないほどの巨大な力を持っていた。
このままでは、数分と立たずにここにいる数万人が完全に干からびて死ぬ。
「くそっ……!」
俺が総和で強引に魔法陣を破壊しようと魔力を練り上げた、その時だった。
ドゴォォォォォンッ!!
地下空間の壁面、巨大な下水管が通る分厚い石壁が、外側からの凄まじい衝撃によって完全に吹き飛んだ。
舞い上がる土煙と砕けた石の雨。
ぽっかりと開いた大穴の向こう、王都の地下水路の暗闇から、二本の真っ直ぐな刃の輝きが現れた。
「……計算が狂っているな、神殿」
土煙を払って姿を見せたのは、銀色の軽鎧を纏った女騎士だった。
右手と左手に構えた双剣。二本線を思わせる真理紋。
独自の調査のため、領都で別行動をとっていた異端審問官・イクアだった。
「イクア……! なぜここに」
「王都の地下に不可解な魔力集中の記録があったのでな。確かめに来てみれば、この惨状だ」
イクアは冷徹な眼差しで、赤い魔法陣に魔力を吸い上げられ、苦しむ数万人の市民たちを見渡した。
「一部の者にのみ無限を与え、残りの者を燃料として消費する。……神殿が語る公平が、これほどまでに醜悪な不均衡の上に成り立っていたとはな」
彼女の言葉には、かつて自分が信じていた組織への完全な決別と、明確な怒りが込められていた。
「シグマ。そこの女と少年も」
イクアは双剣を交差させ、俺たちを一瞥した。
「神殿の天秤は壊れている。私が、この手で正しく釣り合わせる」
絶望の吸い上げが続く地下区画で、双剣の騎士が再び俺たちの隣に並び立った。




