第28話「神託の都」
「無限聖人様、万歳!」
「ルミナ様と聖人様に、我らのすべてを委ねます!」
アインの宣言が引き起こした熱狂は、数万人の群衆を飲み込む巨大なうねりとなって王都の広場を支配していた。
誰もが思考を放棄し、ただ与えられる奇跡に涙を流してひれ伏している。俺、イネラ、そしてゼロの三人は、その狂信の渦から弾き出されるようにして、薄暗い路地裏へと身を潜めた。
「……あれが、彼が望んだ世界。人間から選ぶことを奪い、ただ正解と資源だけを与え続ける檻……」
イネラが、震える両腕を抱きしめながら呟く。
路地裏から見上げる王都の街並みは、一見すると美しく豊かだった。だが、行き交う人々の行動には奇妙な違和感があった。
街角に設置された小さな神託碑の前に人々が列を作り、その青い光の点滅に従って、次々と自分の行動を決定しているのだ。
『あなたは第三区画のパン屋で働きなさい』
『あなたとこの者の相性は最高値です。婚姻を結びなさい』
『あなたの加護は弱いため、治療順位は後ろに回されます』
就職、結婚、住居、そして命に関わる治療の順位まで。すべてが神託によって数値化され、機械的に振り分けられている。誰も疑問を持たない。誰も逆らわない。それが「絶対に間違えない答え」だと信じ切っているからだ。
「……気持ち悪い。みんな、頭の中まで石ころになっちまったみたいだ」
ゼロが顔をしかめ、俺の服の裾を強く握る。
俺の計算式から見ても、この異常なまでの依存は、社会の仕組みとしてあまりにも脆い。前提の条件設定一つで、何万人もの運命が狂わされる。
「シグ、どうするの。このままじゃ私たち、王都の中で見つかるのも時間の問題よ」
「まずは現状の情報を整理する。この街の構造と、あの無限の魔力の出口を……」
俺がそう言いかけた時、路地裏の少し先から、鋭い抗議の声が聞こえてきた。
「離して! 私はただ、村の復興のために働きに来ただけなのに!」
「大人しくしろ。神託の決定は絶対だ」
聞き覚えのある声に、俺は咄嗟に足音を殺して角を曲がった。
そこにいたのは、フェル村の村長の娘、ミラだった。村を襲った魔物騒ぎの後、地滑りや疫病で苦しむ近隣を助けるための資金を稼ごうと、単身王都へ向かっていたのだろう。
だが今、彼女の両腕は、無機質な顔をした二人の神殿兵によって乱暴に掴み上げられていた。
「ミラ……!」
イネラが声を上げそうになるのを手で制し、俺は静かに二人の兵士の背後へと近づいた。
「どういうことだ。彼女が何をした」
俺の低い声に、兵士たちが振り返る。
ミラが俺の姿を認め、パッと顔を輝かせたが、すぐに恐怖に引き攣った表情に戻った。
「シグ! 逃げて、この人たち……!」
「お前は何者だ。神託の執行の邪魔をする気か」
兵士の一人が、冷酷な目で俺を睨みつける。
「執行だと? 彼女は盗みでも働いたのか」
「違う。神託による『労働力再配置』の計算結果が出たのだ」
兵士は羊皮紙を広げ、淡々と読み上げた。
「この女の持つ『微弱な風の加護』と、辺境の平民という身分。これらを入力条件とした結果、この地上区画における彼女の存在価値は基準値に満たず、『不要』と判定された。よって、規定通り地下区画へ移送する」
「……不要、だと?」
俺の胸の奥底で、静かだが確かな怒りの火が点いた。
「ふざけるな。こいつはフェル村で魔物が暴走した時、自ら持ち場を選び、俺たちと協力して村を防衛しきった。その実績と、最後まで逃げなかった意志が、無価値なはずがないだろう」
「村での実績だと?」
俺の論理的な反論に対し、兵士は鼻で嗤った。
「そんな不確かな記憶や意志など、神託の入力条件には含まれていない。神託が計算するのは、現在所有している魔力量の絶対値と、血統という確かな数字だけだ。それ以外のノイズは、計算式には入らない」
ノイズ。
人間の勇気、選択、積み重ねてきた努力。それらをすべて「計算に不要なノイズ」として切り捨てる、冷酷な最適化の罠。
俺がかつて陥りかけた、そしてアインが現在進行形で王都全域に強いている狂った計算式が、ミラの存在価値を一方的に『ゼロ』と弾き出したのだ。
「その計算は間違っている。彼女を離せ」
俺は兵士の手首を掴み、ギリリと締め上げた。
兵士が痛みに顔を歪める。だが、俺が兵士をねじ伏せようとしたその時だった。
「何をしている! 神託の決定を邪魔するな!」
「異端者だ! 聖人様が与えてくださった秩序を乱す気か!」
周囲の通りから、次々と王都の市民たちが湧き出してきた。
彼らは武器こそ持っていないが、その目にはアインへの狂信と、自分たちの安寧を脅かす者への強烈な敵意が宿っている。彼らにとって、神託に逆らうことは悪そのものなのだ。
数十人の市民が、壁のように俺たちの前に立ちはだかる。ここで力ずくで突破すれば、暴動となり、ミラやイネラたちにまで危害が及ぶ。
俺が舌打ちをして動きを止めた一瞬の隙を突き、もう一人の兵士がミラを強引に引きずり出した。
「シグ! イネラさん!」
「ミラ!」
路地裏の奥にある、重厚な鉄の扉。
兵士は鍵を開け、ミラをその暗闇の向こう側へと突き飛ばした。ガシャンと重い音を立てて扉が閉まり、複数の鍵が下ろされる。
「不要と判定された人間は、地下区画でその身の丈に合った労働に従事する。それがこの王都の完全な秩序だ。……文句があるなら、お前たちも神託を受けてみるか?」
兵士が嘲るように言い捨て、市民たちと共に俺たちを威圧する。
不要と判定された人々が送られる『地下区画』。
そこでは一体、どんな恐ろしい計算が行われているのか。
俺は固く閉ざされた鉄の扉を睨みつけ、左手首のΣの紋章を強く握り締めた。この狂った王都の仕組みを根底から変えるためには、あの暗闇の底へ潜らなければならない。




