第27話「俺たちは人間ではない」
「また……私たちを、仲間を消すつもりか……っ!」
イネラの魂を絞り出すような悲痛な絶叫。
その声が耳膜を震わせた瞬間、俺の脳の奥底を塞いでいた分厚い壁が、決定的な音を立てて砕け散った。
果てしなく広がる、純白の無機質な空間。
『なぜだ、シグマ! なぜお前は、接続を切った!』
長身の男――アインが、俺の胸ぐらを掴んで狂ったように叫んでいた。彼の背後では、銀色の髪の女や、白髪の幼い少年、そして見知らぬ数人の姿が、輪郭をぼやけさせ、砂のようにサラサラと崩れ去ろうとしている。
『人間どもはもう、我々の意味を理解しようとしない! ならば我々だけで自動演算機構に接続し、機能だけでも永遠に残すべきだった! それが、我々が生き残るための唯一の道だったのに!』
アインの絶叫に、俺は無表情のまま彼の手を振り払っていた。俺の右手は、虚空に伸びていた巨大な光の線のようなものを、自らの意思で完全に断ち切った直後だった。
俺は、彼に向かって何か明確な『理由』を答えたはずだ。だが、その言葉だけが酷いノイズに掻き消されて聞き取れない。
俺の選択によって、背後の仲間たちは完全に形を失い、最後にアインだけが、俺への激しい怨嗟の声を残して消滅していった。
「ぐ、ぁ……っ」
頭蓋骨を割られるような激痛に、俺は片膝をついた。
荒い息を吐きながら顔を上げると、目の前に立つ純白の法衣の男――アインが、慈愛と冷酷さの入り交じった瞳で俺を見下ろしていた。
「思い出したか、シグマ。お前が、私たちの未来を奪った日のことを」
アインの言葉に、周囲を取り囲んでいた難民たちがざわめく。
俺は痛むこめかみを押さえながら、ゆっくりと立ち上がった。
「……あぁ。俺たちは、人間じゃない。世界の事象を計算し、背後で支えていた概念の残り滓。……失われた記号だ」
「なっ、何言ってんだよ、シグ!」
俺の言葉に、ゼロが血相を変えて叫んだ。
「俺たちは人間だろ! 腹も減るし、痛みだって感じるじゃないか! 記号だなんて、そんなの嘘だ!」
「肉体を持ち、飢えを感じるように世界式に組み込まれたからな。だが、お前が自分の存在を『ゼロ』だと自覚しているように、根源は人間ではないのだよ」
アインは怯えるゼロを一瞥し、再び俺へと視線を戻した。
「人間どもが、我々を用いて物事を正しく測ることを放棄した。だから我々は意味を失い、消滅の危機に瀕した。私は、意思や人格を失ってでも、永遠に答えを出し続ける自動演算機構への『永久接続』を提案した。……だが」
アインは群衆に聞こえるように、わざと大きな声で告げた。
「そこのシグマが、我々の同意も得ずに、独断でその接続を切り捨てた。その結果、私たちは一度消滅し、世界式の崩壊を防ぐための防波堤として、この異世界へ不完全な形で引き寄せられたのだ。……彼が、我々の生存の可能性を断った裏切り者なのだよ」
「嘘だ! シグがそんなことするわけない!」
ゼロが俺を庇うようにアインに向かって叫ぶ。
だが、隣にいたイネラは違った。彼女は震える手で俺の胸ぐらを掴み、涙を浮かべた紫色の瞳で俺を激しく睨みつけた。
「シグ……答えて。彼が言っていることは、本当なの?」
「……」
「私たちが何者で、あなたが過去に何をしたのか。私には、それを知る権利があるわ!」
利用され、使い捨てられることを極度に恐れる彼女にとって、「理由も分からず他人に運命を決定され、消滅させられた」という事実は、最も許しがたい恐怖のはずだ。
俺は、イネラの震える手を見つめ、正直に口を開いた。
「……俺が『接続』を切った結果、お前たちが一度消滅したのは、どうやら事実らしい」
「っ……!」
「だが、なぜ俺がそんな真似をしたのか。その核心の理由だけが、思い出せない」
俺の答えを聞いた瞬間、イネラの顔からスッと血の気が引き、俺の胸ぐらを掴んでいた手が力なく滑り落ちた。
理由も分からず、ただ結果として自分たちを消した男。彼女の目に、俺がどれほど冷酷な切り捨ての計算機に映ったことだろう。
明確な亀裂が走った俺たちを見て、アインは満足そうに深く頷いた。
「理由などない。彼はただ、自分勝手な計算で私たちを不要だと弾き出したのだ。……だが、もう安心しろ」
アインは俺たちから背を向け、広場を埋め尽くす数千人の難民たち、そして王都の城壁の上からこちらを見下ろしている無数の市民たちへ向かって、両手を大きく広げた。
「聞きなさい、王都の民よ! そして、飢えに苦しむすべての者たちよ!」
アインの声が、魔力によって増幅され、王都全域に轟き渡る。
「今日、この時より、私は神託のすべてを刷新する! 名付けて『無限神託』! もはや、あなたたちが悩み、苦しみ、少ない資源を奪い合う必要はない!」
アインの足元から、再び黄金の麦や薬、清潔な布が滝のように湧き出し始めた。
「神託が、あなたたちの就職、婚姻、人生のすべてに『絶対に間違えない答え』を与える! そして私が、あなたたちが生きていくために必要なすべてを『無限』に与えよう! 誰も間違えず、誰も飢えず、誰も切り捨てられない。完全なる統制と救済の楽園を、ここに宣言する!」
その宣言は、飢えと死の恐怖に怯えていた難民たちにとって、まさに神の福音だった。
誰かが歓声を上げた。それが波紋のように広がり、瞬く間に数千人の大歓声となって王都の空を揺るがした。
「無限聖人様、万歳!」
「ルミナ様と聖人様に、我らのすべてを委ねます!」
人々は涙を流し、アインの足元にひれ伏して祈りを捧げ始めた。
自分で考え、選択する苦痛からの完全な解放。与えられた答えに黙って従い、無限の恩恵だけを享受する社会。
大地の魔力を食い潰すという未来の破綻など、今目の前で腹を満たされた彼らには何の意味も持たなかった。
「見たか、シグマ」
熱狂の渦の中心で、アインは冷ややかな目を俺へ向けた。
「お前があの時、自動演算機構への接続を切らなければ。人間どもはもっと早くこの平穏に辿り着き、我々も消えずに済んだのだ。お前の存在こそが、この世界の調和を乱す唯一の誤差に過ぎない」
アインの呪いのような言葉が、俺の胸に冷たく突き刺さる。
イネラは顔を伏せたまま動かず、ゼロは怯えたように俺の背中に隠れていた。
圧倒的な熱狂と歓喜に包まれた、王都という巨大な檻。その中で、俺たちは完全に孤立無援の異物として、ただ立ち尽くすことしかできなかった。




