第3話「消えた百二十袋」
「消えた百二十袋は、どこにいった?」
俺の問いかけに、ミラはランタンを持ったまま硬直した。
無理もない。彼女の目から見れば、ここは天井近くまで麻袋が積み上げられた、豊かで安心な備蓄倉庫にしか見えないはずだ。
「……何かの間違いじゃない? だって、ちゃんと奥まで袋は積んであるし」
「なら、一番奥の列、上から三段目の袋を開けてみろ」
俺が顎でしゃくると、ミラは恐る恐る倉庫の奥へと進み、言われた通りの袋の結び目を解いた。
パラパラと、乾いた音を立てて床に落ちたのは麦ではない。ただの黄色い藁くずだった。
「えっ……嘘。どうして」
「その下もだ。一番下の段にある二十袋の底を触ってみろ」
ミラがしゃがみ込み、麻袋の底へ手を伸ばす。直後、彼女は「ひっ」と短い悲鳴を上げて手を引っ込めた。
「濡れてる……それに、カビの酷い匂い。中身が全部腐って、泥みたいになってる……」
「外側だけ乾いた袋を被せて、数をごまかしているんだ。お前たち村人が立ち入らない奥の列にダミーを置き、下段には使い物にならない廃棄品を敷き詰めている。まともに食える麦が入っているのは、手前の八十袋だけだ」
俺は暗闇の中で、それぞれの袋が持つ『重量』『湿気の偏り』『鼠に食い破られた損害』を明確な数値として知覚していた。
視力ではない。対象を一つ一つ数え上げたわけでもない。ただそこに『在る』という事実が、俺の頭の中で自動的に計算され、一つの答えとして出力されているのだ。
なぜ、自分はここまで正確に誤差の計算ができるのか。
記憶のない頭の奥底で、見えない歯車がカチリと噛み合うような奇妙な感覚があった。まるで、この冷徹な計算こそが、かつての俺の『仕事』そのものであったかのように。左手首のΣの紋章が、脈打つように微かな熱を帯びた。
「どうして……真っ暗なのに、シグにはそこまで分かるの?」
「分からない。だが、俺の答えを信じる必要はない。袋を開ければ確かめられる」
震える声で尋ねるミラに、俺は短く答えた。
村は冬を越せない。その冷酷な事実を前に、ミラはランタンを取り落としそうになりながら踵を返した。
「お、お父さんを呼んでくる! こんなの、神官様たちの前で証明すれば……っ!」
数分後。
見張りの目を盗んでミラに連れられてきた村長ドルフは、藁の詰まった袋と腐臭を放つ麦泥を前に、その場にへたり込んでいた。
「馬鹿な……あり得ん。祝福税を納めたあと、この倉庫には確かに冬越し用の麦が二百袋残っておった! 神託碑も、春まで足りると証明してくださったというのに!」
「村長。その神託を受けたのは、いつだ」
俺が問い詰めると、ドルフは白髪頭を抱えながら呻いた。
「徴税官のヴァルド様が倉庫を封印された、秋の収穫祭の日だ。碑は青く光り、『今この時点の備蓄ならば、村は春まで飢えない』と……村人全員の前で、女神様のお答えが響いたのだ」
「なるほどな。謎は解けた」
俺は壁から背中を離し、ドルフを見下ろした。
「神託は嘘をついていない。その日の倉庫には、本当に冬を越せるだけの麦があったんだ」
「どういう意味だね!?」
「答えには時点がある。秋の日に正しかった備蓄量が、その後も変わらない保証にはならない。ヴァルドは正しい神託を村人に聞かせたあとで、倉庫の封印を悪用して麦を運び出した」
ドルフが息を呑む。
神託が示した過去の答えを、現在まで効く保証書のように扱わせたのだ。答え自体を歪める必要すらない。誰も自分の目で倉庫を確かめなくなれば、正しかった神託ほど強固な目隠しになる。
「中身をすり替え、村人には『神託で安全が保証された倉庫だ』と思い込ませる。過去の正解を隠れ蓑にした、計画的な横領だ」
「そんな……女神様の御言葉を欺くなど、大罪ではないか! だが、百二十袋もの麦を、一体どうやって運び出したというのだ。誰にも見つからずに……」
「それを今から調べる」
俺は拘束されたままの腕をドルフに向けた。
「縄を解け。入り口の扉を開けてくれ」
ドルフは迷った末、俺の縄を解き、音を立てないように倉庫の重い扉を僅かに開いた。
夜の冷たい空気が流れ込んでくる。俺は倉庫の入り口付近の地面にしゃがみ込み、土の表面へ意識を集中させた。
俺の『総和』は、同じ目的に属する力や損害を合計できる。
対象は、この地面に残された『圧迫による損害』。
一つの荷車が通った程度の轍なら、風雨や人々の足跡で消えてしまうだろう。だが、百二十袋もの重量を運んだとすれば、複数台の重い荷車が、同じルートを必ず通っているはずだ。
視界には見えない、土の粒子一つ一つに残された微小な圧力。それらを俺という演算器へ引き入れ、一つの巨大な痕跡として合計していく。
――総和。
左手首の紋章が熱を持つと同時に、俺の眼の前の地面に、ぼんやりとした光の帯が浮かび上がった。
それは深くえぐられた轍の跡として、明確な一本の線を描き出していた。
「……見つけた。四台の重い荷車が、ここを通っている」
俺が光の帯を指さすと、ドルフとミラが目を丸くした。彼らには光は見えていないだろうが、俺が確信を持って指し示す先を見て、ドルフの顔色が一気に蒼白になった。
「そ、そんな馬鹿な。その方角は……」
「王都へ続く街道じゃないのか?」
「違う。そっちは深い森へ続く道じゃ。その先には……領主様の、狩猟別邸しかない」
ドルフの言葉に、俺は冷たく目を細めた。
消えた百二十袋の行方。そして、この村を飢えさせようとしている元凶の居場所。
答えは、すでに出ていた。




