第2話「加護を持たない青年」
全身の筋肉が、ズタズタに引き裂かれたように痛む。
後ろ手に縛られ、村の広場の中央に引きずり出された俺は、冷たい土の上に座らされていた。橋で十五人分の力を『総和』した反動だ。俺という一つの肉体に許容量を超えた負荷を通したのだから、動けるだけでも御の字だった。
「火を起こせ。水を出せ。せめて、その自身の擦り傷でも癒やしてみせろ」
見下ろしてくる純白の法衣、神官ガルドが冷徹な声で告げた。
俺の足元には枯葉が置かれている。だが、俺の身体の中には彼らが言うような『加護』の力など一滴も存在しない。
沈黙する俺を見て、ガルドは嘲笑するように鼻を鳴らした。
「やはりな。お前は空っぽだ。ルミナ様の加護を何一つ持っていない」
「……俺が空っぽだとして、それがどうした」
「加護を持たぬ無能力者が、橋を飛び越えるような力を振るえるはずがないのだ。お前が使ったのは、周囲の村人たちの魔力を無断で吸い上げ、無理矢理に従える寄生の業。……他者の力を奪う忌まわしき異端だ」
ガルドの言葉に、広場を遠巻きに囲んでいた村人たちがざわめいた。
橋で自分から縄を握った男が、何か言いかけて一歩出る。だが隣の妻が子供を抱き寄せ、怯えた顔で袖を掴むと、男は唇を噛んで止まった。
彼らは俺に救われた事実を忘れたわけではない。神官へ逆らえば家族ごと村で生きられなくなる。その恐怖が、十四人の口を塞いでいる。
奪ったわけではない。俺は力を貸すかと尋ね、彼らは自分で縄を握った。あの選択がなければ、一人分すら束ねられなかった。だが、言葉で説明したところで、神託とやらに心酔しているこの男が納得するはずもない。
「神託の都を脅かす病魔め。本来ならばここで焼き殺すべきだが、慈悲を与えよう。この村からの永久追放を命じる。結界の外で、魔物の餌食となるがいい」
それは実質的な死刑宣告だった。
兵士が俺の腕を掴み、立たせようとしたその時だ。
「お、お待ちくだせえ、ガルド様!」
白髪の老人が、泥に膝をついてガルドの前に進み出た。村長のドルフだ。その後ろには、橋の最後尾で俺が抱え上げた子供――ドルフの娘であるミラが、怯えながらも必死に頭を下げている。
「こいつは、わしらを助けてくれた恩人です! 追放されるにしても、せめて一晩の猶予を……! 怪我をしたまま夜の森に放り出されれば、命が持ちませぬ!」
「恩人だと? お前たちの魔力を喰い物にしたのだぞ」
「それでも……誰も死なずに済んだのは、この青年のおかげなのです!」
額から血を流す勢いで土下座するドルフに、ガルドは忌々しげに舌打ちをした。
「……よかろう。夜明けと共に村から叩き出せ。それまでは倉庫にでも放り込んでおけ。監視は忘れるなよ」
ガルドが踵を返し、兵士たちもそれに続く。
俺は村の男たちに抱えられるようにして、広場の外れにある石造りの食料倉庫へと運ばれ、重い木の扉に鍵を下ろされた。
◆
窓のない倉庫の中は、埃と乾燥した麦の匂いが充満していた。
床に転がされたまま数時間が経った頃、ガチャリと鍵が開く音がして、細い光が差し込んだ。
ランタンを持ったミラが、お盆を抱えてこっそりと入ってくる。
「ごめんなさい、こんなことになって……」
ミラは申し訳なさそうに俺の拘束を解き、お盆を床に置いた。
木製の椀に入っていたのは、野菜の切れ端が数切れ浮いているだけの、お湯のように薄いスープと、石のように硬い黒パンだった。
「これ、今日の配給の残り。少しだけど……熱いから気をつけて」
ミラはそう言うと、椀に向けてふっと息を吹きかけた。
彼女の手に淡い光が灯り、椀の表面に微かな風が巻き起こってスープの熱を冷ます。それが彼女の『加護』らしかった。
「……私、これくらいしかできないの」
「風か」
「村でも一番弱い風の加護。いつも神殿の神託で『無価値』って判定されてる。だから、私も役立たずなんだけど……」
自嘲するミラから椀を受け取り、俺はスープを口に含んだ。
温かいが、塩気もほとんどない。
「役に立たないことと、存在しないことは違う」
「え……?」
「お前の風がなければ、このスープはすぐには飲めなかった。それだけの話だ」
事実を述べただけだったが、ミラは目を丸くした後、少しだけ嬉しそうに俯いた。
俺は再びスープを見る。いくらなんでも薄すぎる。秋の収穫が終わったばかりの時期にしては、村の食料事情が逼迫しすぎている。
「……おい。この村の備蓄は、ここにあるもので全部か?」
俺は、暗闇に沈む倉庫の奥へ視線を向けた。
「うん。秋の収穫を終えて祝福税を納めたあと、冬越し用の麦が二百袋残ったの。倉庫を封印する日に神官様が神託碑へ問いかけて、『現時点の備蓄で春まで足りる』って答えも出た。だから安心なはずなんだけど……最近、配給が少なくて」
「神託とやらは、間違えないんだな?」
「絶対に。女神様の答えだもの」
「そうか」
俺は壁に寄りかかり、倉庫の空間全体に意識を広げた。
対象は『麦の袋』。暗闇で目は見えなくとも、俺の感覚には明確な『量』が流れ込んでくる。
空間に対する占有率。空気中の湿度の偏り。麻袋の重量感。
それらが一つの単位として揃い、俺の頭の中で自動的に合計(総和)されていく。視覚ではなく、確固たる数学的な事実として。
「なら、神託が確かめたものと、ここにある現物が違う」
「えっ……?」
「ここにある袋の合計は、百三十二袋だ」
「な、何を言ってるの? 真っ暗で何も見えないのに」
「百三十二袋のうち、奥に積まれている三十二袋は、藁で膨らませただけのダミーの空袋だ。さらに下段の二十袋は、湿気を吸ってカビが回り、質量が変わっている。まともに食えるのは八十袋だけだ」
俺は椀を床に置き、ミラを真っ直ぐに見据えた。
「封印した時に二百袋あり、今ここに食える麦が八十袋しかないなら、半分以下だ。……消えた百二十袋は、どこにいった?」




