第24話「止めた後にも、人は生きる」
灰色の空の下、かつて千人の労働者とその家族が暮らしていた居住区は、見る影もなく赤茶けた土砂に覆い尽くされていた。
坑道の底での魔石の暴走は止めた。鉱夫たちの命も救った。
だが、限界まで膨張していた地盤の歪みは、巨大な地滑りという物理的な被害となって、彼らの家と財産を完全に飲み込んでしまったのだ。
冬の冷たい風が吹き抜ける中、泥だらけになった鉱夫たちは、すべてを失った現実にへたり込み、子供たちは寒さと恐怖で泣き声を上げている。
「……ごめん」
不意に、俺の後ろで掠れた声がした。
振り返ると、白髪の少年――ゼロが、自らの細い腕を抱きしめ、後ずさりを始めていた。
「俺が、もっと早く魔石を消すって決めていれば……。いや、俺みたいな災厄がいるから、こんなことになったんだ。やっぱり俺は、何もない、誰も幸せにしないマイナスなんだよ」
ゼロは泣きそうな顔を歪め、鉱夫たちから距離を取るように、山を下る獣道へと背を向けた。
坑道の底で、彼自身が「不都合な魔力だけを消す」という繊細な仕事を見事にやり遂げたというのに、目の前に残った巨大な被害という『結果』が、再び彼を強い自己否定へと突き落としていた。
「どこへ行く気だ」
俺は歩み寄り、ゼロの腕をガシリと掴んだ。
「お前のせいじゃない。増殖魔石の負荷はとっくに限界を超えていた。だが、死を防いでも被害が残ったのは、紛れもない事実だ」
「だから! 俺がいたら、もっと酷いことに……」
「家がマイナスになったのなら、また一から足し直せばいいだけだ」
俺はゼロの虚無の瞳を真っ直ぐに見下ろした。
「マイナスの数字が出たからといって、計算をそこで終わらせる法はない。止めた後にも、こいつらは生きていかなければならないんだ。俺たちの仕事はまだ終わっていない」
俺はゼロの腕を放し、絶望に沈む鉱夫たちと、様子を見に出てきていた近隣の村人や、街道で足止めを食らっていた商人たちに向かって声を張り上げた。
「聞いてくれ! 悲しむのは後だ。日が暮れれば、冬の寒さで死人が出るぞ! 生き延びたのなら、今日と明日を凌ぐための『家』を建てる!」
「家って……資材も道具も、全部土砂の下だぞ!」
鉱夫の一人が悲痛な声を上げる。
俺は傍らに立つ銀髪の相棒を振り返った。
「資材なら、土砂の下にあるものを再利用する。イネラ、できるか?」
「ええ。任せて」
イネラは静かに頷き、曲線状の紋章を光らせた。
鉱夫たちが土砂の中から掘り出した、折れた柱や腐りかけた廃材。イネラが手をかざすと、木材へ積み重なった損耗が紫の濃淡となって浮かび上がった。腐朽している箇所、内部まで裂けた箇所、表面が汚れただけで芯は生きている箇所。それらが一目で判別できる。
イネラは過去へ戻して新品を作ることはできない。代わりに、鉱夫と大工が使える部分だけを切り出し、短くなった材を継いだ。商人が荷台から接着用の樹脂を提供すると、イネラはすでに始まっている乾燥と硬化を数時間分だけ積算し、接合部を短時間で固めていく。
「新品じゃないが、芯は十分だ! これなら家が組めるぞ!」
「俺たちも手伝う! 馬車に積んである防水布を使ってくれ!」
商人たちも自発的に資材を提供し始める。絶望というゼロの地点から、明確な目的を与えられたことで、彼らの中に『生きる』という強烈な同意の数字が生まれ始めていた。
――総和。
俺の左手首が熱を持つ。
鉱夫たちの腕力、土を平らにならす土魔法、資材を運ぶ村人たちの体力。それら「家を建てる」という同一の目的に属する無数の力を束ね上げ、極大の作業効率へと変換していく。
俺の肉体は悲鳴を上げ、視界がチカチカと明滅するが、それでも計算式を止めることはしない。千人が凍死せずに眠るための巨大な長屋。その枠組みが、常識では考えられない速度で組み上がっていく。
だが、もう一つ足りないものがあった。
「シグ、家は組めたけど、隙間風が酷いわ。このまま夜になれば、子供や怪我人は寒さに耐えられない」
イネラが防水布を張りながら顔をしかめる。
火を焚くにしても、千人を温めるだけの薪はない。代わりに坑道から運び出した低級の暖房魔石があったが、増殖の残滓が混じり、熱が暴走するため誰も使えずにいた。
俺は、俺の背後でただ立ち尽くしている白髪の少年を見た。
「ゼロ。お前の出番だ」
「俺……? でも、俺は魔法を消すだけで、暖かくすることなんか……」
「何も、火を生み出す必要はない。お前はさっき、坑道で不都合な魔力だけを消しただろう。この暖房石に残る『増え続ける魔力』だけを消せ。正常な発熱まで消すなよ」
ゼロは息を呑み、自分の両手を見つめた。
彼は今まで、自分の力を暴走する災厄としてしか認識していなかった。だが、魔石を壊すのではなく、暴走だけを消せれば、残った小さな発熱を安全に使える。
彼自身の力を、生存のために使うのだ。
「……やってみる」
ゼロは長屋の中心に立ち、深く目を閉じた。
ゼロは暖房魔石を両手で包み、脈打つ魔力のうち、際限なく増えようとする残滓だけを選び出した。小さく『零化』を発動させる。
パリン、という微かな音。
直後、暖房石が爆ぜることなく赤く灯り、長屋の寒気が少しずつ和らいだ。ただ消すだけだった彼の力が、危険な道具を使える状態へ戻すという生活の仕事を見事にやり遂げたのだ。
「あったかい……」
「すごいぞ、坊主! お前のおかげで凍えずに済む!」
鉱夫たちが歓声を上げ、ゼロの頭をくしゃくしゃに撫で回す。
ゼロは驚いたように目を丸くした後、照れ隠しのように鼻の頭をこすった。
「へ、へへっ。まぁね。俺、ただのマイナスじゃないからさ」
すっかり夜が更ける頃。
千人が雨風を凌げる巨大な仮設長屋が完成し、人々は商人たちが提供してくれた暖かいスープとパンでようやく息をついていた。
約束通り、大きな干し肉の塊をもらって頬張るゼロの顔には、もう自己否定の影はない。
俺も冷たい土壁に背を預け、痛む全身の筋肉を休めていた。
「見事な指揮だったわね。あなたがいなかったら、今夜だけで何人も死んでいたわ」
隣に座ったイネラが、温かいお茶の入った木のカップを差し出してくれる。
俺はそれを受け取り、小さく首を振った。
「俺が計算の枠組みを作っただけだ。こいつら自身が生きたいと選び、ゼロが自分の力を制御した結果だ」
俺一人の最適解じゃない。それぞれが選択し、足し合わされた答え。
それが少しだけ心地よかった。
「あんたが、彼らをまとめてくれた指揮官かい」
不意に、恰幅の良い中年の商人が俺の前に進み出た。先ほど、馬車の防水布を率先して提供してくれた男だ。
「助かった。あんたのおかげで俺たちも野宿せずに済んだ。……だが、少し厄介な情報があってな」
商人は声を潜め、周囲を気にするように視線を泳がせた。
「ここから北へ向かう街道で、妙なことが起きている。大量の穀物を積んだ巨大な輸送隊が、街道のど真ん中で立ち往生しているんだよ」
「立ち往生? 馬車が壊れたのか?」
俺が問うと、商人は渋い顔で首を横に振った。
「違う。馬も荷車も無事だ。だが、隊を率いる神官が『神託によって定められた目的地以外では、絶対に荷を下ろさない』と命令して、一歩も動かないんだ」
商人の言葉に、俺の計算式が微かに警鐘を鳴らす。
「その街道の周りには、今回の地滑りや魔物騒ぎで家を失った難民がごまんといる。皆、飢えて死にかけているんだ。だが、輸送隊は彼らを前にしても、穀物の袋を一つたりとも分け与えようとしない」
商人は忌々しげに地面に唾を吐いた。
「行先が固定されているせいで、荷車の上ではすでに大量の穀物が腐り始めているってのにだ。……狂ってると思わないか?」




