第22話「消すことも仕事だ」
「駄目だよ……俺がやったら、全部消えちまう!」
頭上から降り注ぐ土砂と、メキメキと折れ曲がる木の支柱。
数百トンの岩盤が落ちてくる絶望的な状況の中、ゼロは頭を抱えてうずくまっていた。
彼が魔石に触れて力を解放すれば、間違いなく増殖の暴走は止まる。だが、対象を選べない彼の『零化』は、今まさに必死で天井を支えている鉱夫たちの「土を固める魔法」や「身体強化」まで一括で無に帰してしまう。
支えが消えれば、全員が生き埋めだ。
だが、このまま暴走を見届けても、遠からず鉱山ごと吹き飛んで全員死ぬ。
「……なら、消す対象を切り分ければいいだけだ」
俺は舞い散る粉塵の中で立ち上がり、背後の二人に鋭く声を飛ばした。
「イネラ、イクア。俺の計算通りに動け」
「魔法が消える領域の中で、どうしろって言うのよ!」
「ゼロ、一瞬だけ両手で自分の身体を強く抱きしめろ。お前の『魔法を消す力』を、お前の体の内側だけに向けるイメージだ。一秒でいい、外への干渉を止めろ!」
俺の意図を汲み取ったのか、ゼロが歯を食いしばって自身の両腕を強く抱き込んだ。
その瞬間、俺たちを包んでいた息苦しい虚無の感覚が、ほんの一瞬だけフッと薄れた。魔法が機能する。俺はすかさず指示を飛ばした。
「イネラ! 岩壁に触れろ。地脈の『自然な魔力』と、あの石から急激に増えた『人工的な魔力』。その二つが蓄積された時間の差を、お前の『積算』で可視化しろ!」
「……っ、わかったわ! 対象指定、過去の魔力の蓄積!」
イネラが岩壁に両手を押し当てた。
彼女の曲線状の紋章が紫色の光を放つ。すると、岩壁の表面に、大昔からそこに存在していた穏やかな地脈の魔力が「青い光」として、そして最近になって急激にねじ込まれた増殖魔石の暴走エネルギーが、毒々しい「赤い光」として、目に見える形で浮かび上がった。
「イクア、次はお前だ! 青と赤の魔力、その二つの境界に『均衡』の線を引け!」
「応!」
イクアが双剣を抜き放ち、青と赤の光が混ざり合う岩壁の境目に向けて切先を突き出した。
「対象指定。自然の力と、人工の力」
二本線の紋章が発光する。彼女の能力は、対象を比較し、等しく分断することだ。
イクアの剣閃が不可視の天秤となり、複雑に絡み合っていた青と赤の魔力は、決して混ざり合わない明確な「一本の境界線」を隔てて、完全に左右へと切り分けられた。
右には、坑道を支える自然な青い地脈。
左には、今まさに暴走し膨張しようとする赤い人工魔力。
「限界だよ……!」
ゼロが悲鳴を上げ、抱きしめていた両腕の力が抜けた。再び『零化』の領域が広がりそうになる直前、俺はゼロの肩を力強く掴み、岩壁の「赤い光」が蠢く側だけを指し示した。
「よく見ろ、ゼロ。お前の目の前には今、消してはいけない青い力と、消さなければならない赤い力がはっきりと分かれている。……俺が計算の条件は整えた」
「シグ……」
「すべてを無闇に消すのは、ただの暴走だ。だが、不都合な項だけを選び出し、計算式から正しく消去するのなら、それは立派な『仕事』だ。お前にもできるはずだ」
俺の言葉に、ゼロの虚無に染まっていた瞳が、微かに揺れた。
「俺は、災厄じゃない……。俺だって、ちゃんと……!」
ゼロは震える右手を伸ばし、イクアが引いた境界線の左側――毒々しい赤い光を放つ人工魔力の塊の表面に、その小さな掌を押し当てた。
パリンッ!
ガラスが砕け散るような、甲高い音が坑道の奥で響いた。
ゼロの掌が触れた瞬間、岩盤を内側から破壊しようとしていた莫大な増殖エネルギーが、一切の熱も衝撃も出さずに、文字通り「無」へと還ったのだ。
対象を選べずすべてを消していた災厄の力が、初めて明確な意思を持って「暴走の項」だけを消去した。
ドクン、という不気味な脈動が止まる。
だが、危機は去っていない。暴走が止まったとはいえ、一度ひび割れ、砕けかけた天井は、鉱夫たちの限界ギリギリの魔法だけでは支えきれず、今にも崩れ落ちようとしていた。
「俺の力も戻ったぞ」
ゼロが対象を限定したことで、俺の左手首に刻まれたΣの紋章が、焼け焦げるような熱を取り戻していた。
「生き残りたい者は、俺に力を預けると自分で決めろ!」
俺は崩れゆく天井の下で必死に耐える数百人の鉱夫たちに向け、容赦なく意思を求めた。
「お、おう! 俺たちの力を使ってくれ。死んでたまるかぁっ!」
鉱夫たちは互いに頷き、自分の意思で支柱へ手を当て直した。その選択が、明確な同意として俺の演算器へ流れ込んでくる。
――総和。
彼ら全員がバラバラに放っていた『土を固める微弱な魔法』と、必死に岩を押し上げる『身体強化の腕力』。それらを「崩落を止める」という同じ目的に属する力として一気に束ね上げ、散らさず天井の亀裂と支柱へ送り返す。
ゴォォォォォンッ!!
束ねられた圧倒的な補強の力が岩盤に行き渡り、砕けかけていた天井が、まるで強固な一枚岩のように完全に癒着し、固定された。
「……ふぅ」
反動で全身の筋肉が断裂しそうな痛みに襲われたが、俺は血を吐くのを堪え、静かに息をついた。
パラパラと落ちていた小石が止む。
静まり返った坑道に、やがて地鳴りのような歓声が響き渡った。
「た、助かった……!」
「天井が落ちてこねえ! あの兄ちゃんたちが止めてくれたんだ!」
鉱夫たちがへたり込み、涙を流して抱き合っている。
俺の隣で、ゼロが自分の掌を信じられないというように見つめていた。
「俺……全部を消さなかった。ちゃんと、悪いところだけを消せた……」
「ああ。見事な計算だった」
俺が短く労うと、ゼロはパッと顔を輝かせ、初めて子どもらしい笑みを浮かべた。
これで、鉱山の危機は去った。
そう誰もが安堵した、その時だった。
「ふざけるな。私の、私の莫大な富を……よくも無に帰してくれたなッ!!」
歓声を切り裂くような怒号と共に、坑道の入り口から多数の足音が雪崩れ込んできた。
現れたのは、先ほど俺たちを廃坑の底へ突き落とした鉱山の監督だ。彼らは数十人の武装した手下を引き連れ、松明の明かりで坑道を照らし出していた。
そして、監督の足元には。
「や、やめてっ! お願い、乱暴しないで!」
「マリア! ルーク!」
悲鳴を上げるみすぼらしい衣服の女性と、泣き叫ぶ幼い子ども。
彼女たちの首元には、監督の手下たちの冷たい剣が突きつけられていた。鉱夫の一人が絶叫し、その場に縛り付けられたように動けなくなる。
「貴様ら……逆らう気なら、こいつらの命はないぞ!」
監督は血走った目で俺たちを睨みつけ、忌々しげにゼロを指差した。
「増殖魔石という金の卵を潰した罪は万死に値する! だが、その災厄のガキを大人しく差し出せば、この家族の命だけは助けてやってもいい! さあ、どうする異端審問官殿!」




