第20話「何もできない三人と一人」
暗闇に、重苦しい脈動の音が響いている。
ドクン、ドクンという一定のリズムは、岩壁の向こう側で異常な速度で肥大化を続けている『増殖魔石』の鼓動だ。
俺たち三人と、鎖を引きちぎられて一緒に突き落とされた白髪の少年、ゼロは、深い廃坑の底に閉じ込められていた。見上げれば、数十メートル上方に分厚い鉄格子がはめ込まれており、脱出の道は完全に塞がれている。
「……駄目だ。全く魔力が練れない。双剣もただの鉄の塊になっている」
イクアが舌打ちをし、剣を鞘に収めた。
イネラも額の汗を拭いながら、力なく首を振る。
「私の積算も発動しないわ。この子の『零化』の領域の中にいる限り、私たちは真理紋はおろか、一番弱い魔法の火花一つ起こせないみたいね」
「だから言っただろ。俺に近づくと、全部無意味になるんだって」
ゼロは薄暗い岩の隅で膝を抱え、冷めた声で呟いた。彼自身が能力を制御しているわけではなく、存在そのものが周囲の魔力的事象を強制的にゼロにしてしまうのだ。
つまり、今の俺たちはただの非力な人間ということになる。
「魔法が使えないなら、頭と体を使うだけだ」
俺は立ち上がり、周囲の岩壁を手で触りながら慎重に情報を拾い集め始めた。
「……おい、ゼロ」
俺が声をかけると、虚無の瞳がこちらを向いた。
「お前はどれくらいの間、この鉱山に繋がれていた?」
「……物心ついた時からずっとだよ。鉱山の奥深くで、魔物が寄ってこないようにするための厄除けの道具としてね」
「なら、この坑道の構造は誰よりも知っているはずだ。魔法が消えるのなら、お前の頭の中にある知識を貸せ」
俺は上部の鉄格子のさらに先、微かに見え隠れする坑道の光に意識を集中した。
「微かだが、上の方から風の流れを感じる。それと、一定の周期で鉱夫たちの足音と、トロッコの車輪の音が聞こえる。傾斜からして、おそらく三十分ごとに交替の班が通っているはずだ」
「……風の通り道なら、あの鉄格子の向こうの岩壁の裏に、古い通気口がある。大人が一人やっと通れるくらいの縦穴だけど、そこを登れば、上の層の採掘エリアに出られると思う」
ゼロがポツリと教えてくれた情報と、俺が五感で拾い集めた情報を頭の中で照らし合わせる。
「なるほど、計算が合った。その通気口を使えば、鉱山の外へ繋がる本坑道に出られるな。だが……」
俺はそこで少しだけ言葉を切った。
「上の層の採掘エリアを通るということは、一般の鉱夫たちが働いている場所に出るということだ。俺たちだけで最短で外へ逃げるなら、別の廃坑ルートを探すべきだが……」
「……シグ、あの鉱夫たちを置いていく気?」
イネラが静かに問いかけてくる。
増殖魔石の暴走は、もう誰にも止められない。このまま放っておけば、遠からずこの鉱山は熱と圧力で完全に吹き飛ぶ。俺たちだけが逃げたところで、あの監督に騙されて働かされている鉱夫たちは全員、巻き添えになって死ぬ。
「俺がそんな計算違いをすると思うか?」
俺が振り返って言うと、イネラは小さく笑みをこぼした。
イクアもまた、決意を込めた瞳で頷く。
「神殿の利益のために民が使い捨てられるなど、断じて許されない。全員を連れて脱出するぞ」
「よし。ルートは決まった。問題は、あの鉄格子をどうやってこじ開けるか、だが」
俺は鉄格子を見上げ、それから周囲の廃坑跡を見渡した。
「総和は使えないが、物理的な力の足し算ならできる」
岩陰に、放置された古い滑車と、腐りかけてはいるがまだ太さを保っている麻縄が転がっていた。
「これを繋いで、テコの原理と滑車を組み合わせる。イクア、お前は腕力があるな。イネラ、縄の固定を手伝え。ゼロ、お前もだ」
「俺も?」
「何もできないわけじゃないだろう。引っ張る力くらいはあるはずだ」
俺の言葉に、ゼロは不満げに口を尖らせたが、素直に立ち上がって縄の端を握った。
魔法も加護もない。あるのは、計算された物理の法則と、四人のただの腕力だけだ。
滑車を岩壁の突起に引っかけ、縄の片方を鉄格子の隙間に固く結びつける。もう片方を四人で握り、タイミングを合わせて一斉に引っ張った。
「せーのっ!」
ギギギギギッ!
錆びついた鉄格子が、不快な金属音を立てて歪み始める。
「もっとだ! 力を合わせろ!」
俺の掛け声に合わせ、イクアが力一杯に縄を引き、イネラも歯を食いしばる。ゼロも細い腕を必死に動かしている。魔法のように一瞬で破壊することはできない。だが、四人の力が合わさることで、確実に鉄の棒は曲がっていった。
バキィッ!
ついに、大人が一人通り抜けられるだけの隙間が空いた。
「開いたわ!」
「よし、急いで通気口へ向かうぞ。ゼロ、お前が先頭だ。道を案内しろ」
俺たちは一人ずつ隙間を抜け、岩壁の裏にある狭く暗い通気口の縦穴へと足を踏み入れた。
中は酷く埃っぽく、手足を突っ張って登らなければならない急勾配だった。能力が使えないため、身体への疲労がダイレクトにのしかかってくる。
「はぁ……はぁ……シグ、大丈夫?」
後ろを登るイネラが気遣うように声をかけてくるが、俺は返す余裕もなく黙々と登り続けた。
その時、俺の頭上からパラパラと土の塊が落ちてきて、顔面に直撃した。
「……っ!」
「あ、ごめん。手が滑った」
上を見上げると、先頭を登っていたゼロが、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。
「お前……わざと落としたな」
「さあね。俺、災厄だから。何が起きても俺のせいだよ」
そう言ってケラケラと笑うその顔は、ただの年相応の少年のものだった。
「こら、ゼロ! シグをいじめないの!」
下からイネラが声を上げ、イクアも小さく息をつく。
張り詰めていた暗い縦穴の空気が、少しだけ緩んだ。魔法を消す災厄だとか、無意味な存在だとか、そんな恐ろしいレッテルを貼られていても、こいつは少し捻くれていて、大人をからかうのが好きな、ただの子どもなのだ。
俺は顔の泥を拭いながら、小さく鼻を鳴らした。
「外に出たら、一番重い荷物を持たせてやるから覚悟しておけよ」
「えー、やだね」
軽口を叩き合いながら、俺たちは過酷な登攀を続け、ようやく縦穴の出口に辿り着いた。
古びた鉄板を押し退け、広い空間へと這い上がる。そこは、カンテラの光が灯る、一般の鉱夫たちが働く上の層の採掘エリアだった。
「なんとか、上の層に出られたな……」
俺が立ち上がり、服の埃を払った瞬間だった。
ズズンッ……!!
足元の岩盤から、これまでとは比べ物にならないほど巨大な地響きが、坑道全体を激しく揺らした。
「きゃあっ!」
イネラが体勢を崩し、イクアがとっさに壁に手をつく。
遠くで鉱夫たちの悲鳴が上がり、カンテラが次々と落ちて割れる音が響いた。
ドクン、ドクンという鼓動の音は、もはや一つの岩石の脈動ではなく、鉱山全体を震わせる巨大な心臓の音へと変貌していた。
「……臨界点を超えたか」
俺は床に耳を当て、その絶望的な数字の膨張を察知した。
増殖魔石が、地盤と熱の限界を突破し、一斉に暴走を始めたのだ。岩壁に無数の亀裂が走り、足元からすべてを焼き尽くすような熱風が吹き上げてくる。
一刻の猶予もない。
魔法が使えないこの状況で、数百人の鉱夫たちを連れて地上へ脱出する。
その不可能に近い計算式に、俺は立ち向かわなければならなかった。




