第14話「左右は等しくなければならない」
地下水路の淀んだ空気を切り裂き、抜刀された双剣がギラリと光った。
神殿の異端審問官、イクア。逃げ場のない狭い空間で、圧倒的な殺意を向けられているというのに、彼女の瞳には怒りも憎しみも、一切の感情が存在していなかった。
「……処刑を実行する」
無機質な宣言と共に、イクアが一歩を踏み出す。
魔力を使い果たしたイネラは立ち上がれず、俺も広場の数千人から受けた疑似的な痛みの反動で、まともに足に力が入らない。
だが、イクアは無防備な俺たちの首を即座に刎ねることはしなかった。
彼女は双剣を交差させ、俺とイネラに向けて真っ直ぐに突き出した。
「対象指定。お前と私。そして、そこの女と私」
イクアの右手首にある、二本の平行線を思わせる紋章が発光する。
直後、俺の身体を苛んでいた激痛の半分が、空気を伝ってごっそりと引き剥がされた。同時に、隣で息も絶え絶えだったイネラの顔に、わずかに血色が戻る。
代わりに、イクアが小さく呻き声を上げ、その顔に苦痛の皺を刻んだ。彼女の息が荒くなり、足取りが微かにふらつく。
「な、何を……っ」
イネラが戸惑いの声を上げる。
痛みが引いたことで思考がクリアになった俺は、現状の数字を瞬時に計算した。
俺の疲労と痛みが減り、イクアが増えている。イネラの魔力残量が増え、イクアが減っている。
彼女の能力は『均衡』。二つの対象間で、傷、魔力、疲労などを等しく移し替える力。
イクアは、瀕死の俺と自分を天秤にかけ、傷を『等分』したのだ。さらに、魔力枯渇状態のイネラと自分の魔力を『等分』した。
一度に比べられるのは、双剣がそれぞれ指定した二対象の、同じ種類の量だけ。傷と金貨のように単位の違うものは直接交換できず、傷や魔力の総量そのものも減らせない。
「これで、お前たちと私の疲労と魔力は、完全に等しくなった」
イクアは荒い息を吐きながらも、双剣をピタリと正眼に構え直した。
「神殿の法は絶対であり、常に公平だ。無抵抗の弱者を一方的に殺すことは許されない。戦いの条件は揃えた。さあ、武器を取れ、異端者」
彼女は本気だった。
自分自身に意図的なハンデを負わせてまで、戦いの条件を同じ結果に揃える。そうすることでしか、自分の正義と公平性を保てないのだ。
「馬鹿か、お前は」
俺は壁から背中を離し、剣も抜かずにイクアを見据えた。
「俺たちの傷を半分お前が被ったところで、三人の傷の『総量』は一切減っていない。右と左で中身を移し替えただけで、根本のダメージという原因は何も解決していないんだ」
「結果が等しいこと。それこそが完全な公平だ」
「違うな。同じ結果を押し付けるのは、公平じゃない。思考停止の平均化だ」
俺の言葉に、イクアの眉が微かにピクリと動いた。
「あの広場を見たか。基準体格の成人へ向けた薬を、神殿が『一人一瓶』という規則に変え、全員へ等しく飲ませたせいで、体力の少ない子供や老人が死んだ。条件の違いを無視して結果だけを等しくするのは、暴力でしかない」
「……異端者が、神託を愚弄するか」
「事実を言っているだけだ。俺たちはその薬害の証拠を止めるためにここへ来た。お前が信じる神殿と市民の関係が本当に『公平』だと言うなら、今すぐあの広場へ戻って、天秤にかけてみろ」
俺はイクアに一歩近づいた。双剣の切先が喉元に迫るが、止まらない。
「神殿が特効薬を売って得た『利益』。それと、薬を飲んだ市民が紫斑に苦しみ、命を落とした『損失』。その二つが、本当にお前の言うように等しく釣り合っているか、比較してみろ」
イクアの双剣が、僅かに震えた。
彼女の能力は、二つのものを比較し、均衡させること。だからこそ、彼女の精神構造は「左右が等しいこと」に強烈な執着を持っている。
利益と損害。それがもし圧倒的に偏っているとすれば、彼女の信じる神殿の公平性は根底から崩れ去ることになる。
「……神殿が、意図的に不均衡を生み出していると、そう言うのか」
「そうだ。上の連中は今、神殿の奥で配給の帳簿と薬の在庫を燃やして、証拠を隠滅しようとしている」
俺が言い切ると、イクアは深く沈黙した。
彼女の中で、異端審問官としての命令と、自身の能力の根幹である『公平原理』が激しく衝突しているのがわかった。
やがて、イクアはゆっくりと双剣を下ろし、鞘へと収めた。
「……お前たちの処刑は、一時保留とする」
イクアは冷徹な眼差しのまま、踵を返した。
「神殿の奥、『財庫』へ案内する。そこにすべての記録と薬の在庫が保管されているはずだ」
「案内するって……審問官のあなたが、私たちに協力するの?」
イネラが信じられないというように尋ねる。
イクアは振り返らずに答えた。
「協力ではない。私は私の目で、神殿の天秤が本当に釣り合っているかを確かめるだけだ。もしお前たちの言葉が偽りであり、神殿が正しかったと証明されれば、その時は直ちにその首を刎ねる」
徹底した公平原理主義。単なる能力装置ではなく、その思想そのものが彼女の強さであり、同時に危うさでもあった。
「上等だ。案内しろ」
俺たちは、一時的な休戦状態となった異端審問官の背中を追い、迷路のような地下水路を神殿の深部へと進み始めた。




