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「足し算しかできない無能」と追放された俺、切り捨てられた一万人の力を合計して神託王国を救う  作者: 他力本願寺


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第12話「昨日までの傷は消えない」

「あ、あああッ……! ルカ、嘘でしょう、目を開けて……っ!」


 完全に事切れた少年の身体を抱きしめ、母親の張り裂けるような絶叫が神殿の広場に響き渡った。


 つい数分前まで「特効薬」の奇跡に沸き立っていた群衆は、目の前で起きた突然の死に水を打たれたように静まり返る。


 その沈黙を破ったのは、薬を処方した下級神官の金切り声だった。


「呪いだ! あの銀髪の女が、疫病を悪化させる呪いをかけたのだ! 神託の特効薬が毒であるはずがない!」


 神官は震える指でイネラを指差した。自分が神託どおりだと信じて従った規則が、人を殺したという現実から逃れるための、無様な責任転嫁。だが、特効薬を飲んでしまった大勢の市民たちにとって、その狂信は『すがりたい唯一の希望』だった。


「そうだ……神殿の薬が悪いわけじゃない……」


「あの魔女を殺せ! 殺して、呪いを解かせろ!」


 殺気立った群衆が、手に手に石や木片を握り締め、じりじりとイネラへ歩み寄ってくる。


 イネラは青ざめた顔で立ちすくみ、自らの右手首を握り締めていた。彼女はいつだってそうやって、人間に利用され、恐れられ、石を投げられてきたのだろう。


 俺はため息をつき、彼女の前に立ちはだかった。


「そこを退け、お前も同類か!」


「同類だが、魔女じゃない」


 俺は群衆を冷たく見据え、ルカの遺体へと視線を落とした。


「その子は呪いで死んだんじゃない。お前たちの盲信と、基準量を全員分の命令へ書き換えた配給規則に殺されたんだ。今からそれを証明してやる」


「証明だと? ふざけるな!」


「イネラ、やれ」


 俺は背後のイネラに短く命じた。


「この子の体内で、薬を飲んでから何が起きたか。細胞の損傷と魔力の暴走を『積算』して、こいつらの目に見える形で可視化しろ」


「……え?」


 イネラが戸惑う。彼女の力は『治癒』だけではない。一地点に生じた小さな変化を、時間の中で蓄積し、大きな結果として見せる能力だ。


「病魔の熱は消えても、身体を壊したという昨日の傷は消えない。治すのではなく、壊れた過程を蓄積して表に引きずり出せ」


「……分かったわ」


 イネラは唇を噛み、ルカの胸に両手をかざした。


 曲線の紋章が、先ほどとは違う深い紫色の光を放つ。


 それは、少年の体内で劇薬がもたらした『微小な血管の断裂』と『臓器の焼損』を、外側から見える形へと強制的に蓄積・早送りする魔法だった。


 数秒後。ルカの首筋にしかなかった不気味な紫斑が、まるで毒の根を張るように、一気に顔から胸、全身へと広がっていった。皮膚の下で、青い特効薬の魔力が制御を失い、細胞を無差別に焼き切った痕跡が、誰の目にも明らかな『内側からの破壊』として浮かび上がったのだ。


「ひっ……!」


 最前列にいた男が悲鳴を上げて後ずさる。


「呪いなんかじゃない。これが、お前たちが飲んだ薬の正体だ」


 俺は広場に散らばる空の薬瓶、投薬された時刻、そして患者たちの体格へと意識を広げた。俺の『総和』が、それらの情報を同時に知覚し、照合していく。


「大柄な大人は、体内の許容量が大きいから紫斑が出るだけで済んでいる。だが、子供や老人、極度に衰弱した者の体は、魔力の暴走に耐えきれない」


 俺は広場の隅で倒れている患者たちを指差した。


「計算してみろ。今倒れて苦しんでいるのは、全員が体力の少ない弱者だ。劇薬が一時的に熱の症状を抑え込んでいるだけで、根本の病魔ごと、患者の肉体を損なっているんだよ」


 その巨大な照合計算を頭の中で回した瞬間。


 ズキリと、俺の脳の奥で氷のような痛みが弾けた。


 まただ。視界が白く飛び、記憶の欠片がフラッシュバックする。


 無数の数字の羅列。


 薬の適正量。巨大な橋梁の強度計算。気象の変化による災害予測。


 かつて俺は、誰の目にも触れない場所で、人間社会の事故を防ぐために、そうした膨大なリスクの計算を延々と行っていた。個人の体格、誤差、例外。それらをすべて拾い上げ、破綻しないように世界を支え続けていた感覚。


 それが俺の『仕事』だった。


 俺が消えたから、この世界の計算は、こんなにも大雑把で残酷なものに成り下がってしまったのか?


「シグ!」


 イネラの声で、俺は現実へ引き戻された。


 広場の空気は、一変していた。


 視覚的な証拠と、誰が倒れているかという明白な事実。それを突きつけられた市民たちは、ついに自分たちが飲んだ特効薬が『毒』であることを悟ったのだ。


「あ、ああ……俺の腕にも、紫の染みが……」


「嘘だろ、神託どおりじゃなかったのか!?」


「騙したな! 神殿は、勝手な規則で俺たちに毒を飲ませたんだ!」


 恐怖は、一瞬にして凄まじい怒りへと変換された。


 群衆の憎悪の矛先が、イネラから下級神官たちへと反転する。


 数千人の患者たちが、血走った目で一斉に神殿の入り口へと詰め寄った。


「ば、馬鹿な! 女神様のお告げが間違っているはずがない! 下がれ、下がらんか!」


 下級神官はパニックを起こし、兵士たちを盾にして神殿の奥へと逃げ腰になった。


 俺は広場に積み上げられた配給用の木箱と、奥の倉庫から漂う魔力の痕跡へ意識を向けた。


「……なるほどな。さらに腐った計算が隠れているぞ」


 俺の言葉に、イネラが顔を上げる。


「今、広場にある空き瓶の総数を計算した。どう少なく見積もっても、公表されている患者数の『十倍』はある」


「十倍……? それって、どういうこと?」


「奴ら、今日初めて薬を配ったわけじゃない。以前から、劇薬で一度治ったと見せかけて再発した患者に、何度も何度も繰り返しこの毒を飲ませていたんだ。紫斑の副作用を知りながら、『神託どおりの奇跡』を演出するためにな」


 神殿の奥で、炎の明かりが揺れるのが見えた。


「奴ら、暴動に乗じて配給の帳簿と残りの薬瓶を燃やす気だ。記録が灰になれば、すべては疫病のせいにして逃げ切れる」


 事故を防ぐのが俺の仕事なら。


 計算を誤魔化し、切り捨てられた犠牲者をなかったことにする行為は、絶対に許容できない。


「行くぞ、イネラ。記録を焼かれる前に、中へ踏み込む」

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