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「足し算しかできない無能」と追放された俺、切り捨てられた一万人の力を合計して神託王国を救う  作者: 他力本願寺


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第11話「神託どおりの薬」

特効薬を飲んだ患者たちの首筋に浮かび上がった、不気味な紫斑。


 それが何を意味するのか、計算結果が俺の脳裏で像を結ぶより早く、悲鳴が広場をつんざいた。


「あ、あああッ! ルカ! ルカ、どうしたの!」


 先ほど、イネラが時間をかけて熱を散らした五歳ほどの少年。


 特効薬を飲んで立ち上がったはずの彼が、突然白目を剥き、石畳の上に崩れ落ちた。少年は自らの細い首を掻きむしり、口から白い泡を吹きながら激しく痙攣している。


 ひゅう、ひゅうと、空気を求める肺の音が漏れるが、気道が塞がっているのか呼吸ができていない。


「お、おい! しっかりしろ! 何故だ、神託どおりの特効薬を飲ませたというのに!」


 少年に薬を与えた下級神官が、血相を変えて駆け寄る。


 彼の顔に浮かんでいるのは、明らかな狼狽と混乱だった。そこに悪意はない。彼は本気で、この薬が目の前の少年を救う奇跡の一滴だと信じ切っていたのだ。


「触らないでッ!」


 路地裏から飛び出したイネラが、下級神官を突き飛ばして少年のそばに膝をついた。彼女の右手首の曲線が紫色の光を放ち、少年の胸ぐらへと向けられる。


 だが、イネラの顔色が一瞬にして蒼白になった。


「駄目……病魔の熱は消えているけど、代わりに強烈な魔力の塊が、この子の心臓と肺を物理的に焼き切ろうとしている……! 私の『積算』じゃ、急激すぎる破壊に修復が追いつかない!」


「どけ、イネラ」


 俺はイネラの横にしゃがみ込み、少年の脈に触れた。


 同時に、意識を広場全体へと拡張する。


 対象は、配給用の木箱に並べられた数百本の『薬瓶』。そして、薬を飲んだ『患者たち』。


 俺の『総和』の知覚は、視覚情報を介さずとも、対象が持つ物理的な量を正確に弾き出す。


 木箱にある薬瓶の内容量、魔力密度、薬効成分。そのすべてが、寸分違わず完全に『同じ数値』に統一されている。


 一方で、患者たちの状態はどうだ。


 俺は広場を見渡した。薬を飲んで無事に立ち上がり、神を讃えているのは、恰幅の良い男や、元々体力のある若い層だけだ。彼らの首筋にも紫斑は出ているが、倒れるには至っていない。


 だが、列の端や広場の隅を見てみろ。


 倒れてうめき声を上げているのは、ルカと同じような小さな子供、腰の曲がった老人、あるいは疫病で極限まで衰弱しきっていた者たちばかりだ。


「……なるほどな。数字の暴力だ」


 俺は立ち上がり、へたり込んでいる下級神官を見下ろした。


「おい、神官。神託が示した処方の原文を、お前は自分で読んだのか」


「な、何を言っている! 神殿は神託碑に『この疫病を消し去るための最適な薬量』を問い、女神様はこの瓶一本分だとお答えになった!」


「お前が直接、問うたのか」


 神官は口を開いたまま固まった。視線が、配給箱の蓋に貼られた神殿本部の命令書へ泳ぐ。


「……処方を問うたのは上位の調薬官だ。我々は、神託に基づく配給規則として『一人一瓶』と命じられた。原文など、下位の者が読む必要はない」


「なら、お前が従ったのは神託じゃない。上から渡された一枚の命令書だ」


 俺の冷たい声に、神官が息を呑む。


「薬瓶の魔力密度は、健康で体力のある『基準体格の成人』へ投じる一回量に揃っている。屈強な大人の体内に巣食う病魔を、一撃で焼き払うための分量だ。だが、原文を見てもいないお前には、赤子から老人まで一律に飲ませろという答えだったか確かめられない。今ここにあるのは、測定の手間を省いた『一人一瓶』という神殿の命令だけだ」


「そ、それは……当然だ。神託は一人一本と……」


「馬鹿野郎」


 俺は静かに、だが確かな怒りを込めて吐き捨てた。


「大人の身体と子供の身体は違う。体力のある者と衰弱した者の許容量も違う。基準を測定なしの一律命令へ変えればどうなるか。病魔を焼き払う劇薬は、許容量を超えて溢れ出し、患者自身の肉体ごと破壊する毒に変わるんだよ」


 少年の首筋に浮かぶ紫斑は、許容量を超えた魔薬が体内で暴走し、毛細血管を焼き切っている証拠だった。


 個人の違いを無視し、全体を一つの数字に均して扱う。


 それは、俺が第一の村で感じた『自分を計算に入れない』ことと同じ、冷酷な最適化の罠だ。


「今すぐ配給を止めろ。大人と子供で列を分け、患者の体格と症状に合わせて薬の量を調整するんだ。子供なら、瓶の三分の一に薄めればいい。そうすれば――」


「た、たわけたことを言うなッ!」


 俺の提案を、下級神官が金切り声で遮った。


「配給規則を勝手に変えるだと!? 上位神官の封印が押された命令に逆らえば、私まで異端として裁かれる!」


「目の前で子供が死にかけているのに、まだルールにしがみつくのか」


「黙れ異端者! この子が苦しんでいるのは、お前たちと一緒にいたその女のせいだ!」


 神官は、必死にルカの胸に治癒の光を当て続けているイネラを指差した。


「そうだ! さっきあの女が、得体の知れない遅い魔法をかけたからだ!」


「神殿の薬が毒のはずがない! あの女が疫病を悪化させる呪いをかけたんだ!」


 周囲を取り囲んでいた市民たちが、一斉にイネラへ敵意を剥き出しにして叫び始めた。


 彼らの目は、恐怖と狂信に濁っていた。


 自分たちが飲んだ薬、自分たちの家族に飲ませた薬が「毒かもしれない」という事実を、彼らは絶対に認めたくないのだ。自分が間違った選択をしたという恐怖から逃れるため、彼らは『偽物の聖女』という分かりやすい悪役を仕立て上げ、現実から目を背けようとしている。


「違う、私は……っ」


 イネラが青ざめた顔で周囲を見る。


 飛んできた石が、イネラの額を掠め、一筋の血が流れた。


 正しい情報を並べれば、人は理解し、正しい行動を選ぶ。俺は心のどこかでそう思っていた。だが、現実は違う。


 人は、自分が信じたい結果のためなら、平気で残酷な選択をする。


「お前たち……!」


 俺が激昂し、群衆の前に立ちはだかろうとしたその時。


 イネラの手の下で、ルカの小さな身体が大きく痙攣し、そして――。


 ふつりと、魔法の糸が切れたように、完全に動かなくなった。

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