第89話 「 」
山下の宿屋でひと夜を眠る。みなが静かに眠る中、抑えられぬ高揚感は誰にも止められず。音を立てずに忍び出る。山下屋敷に見る視線、明らかに死後の眼であり生者にあらず。死者が蘇りしこの世の歪みを、直に体験できる貴重な瞬間。いまを生かさず、何を生かせと言うのであろうか。
宿屋の外へ出て見れば、誰ひとりとして影はなし。街を外れ、道なき道を進む先、闇世の森は底深く。月明りも闇に門前払いされ、虫の音が闇を謳歌し鳴り響く。足音を息を殺して森へ入る。一寸先も見えぬ闇すら、喜びとなり歩が進む。視られた視線の感覚を、そのまま返して進み続ける。人里離れた森深く、ひとりが焚火の傍に腰降ろす。山下屋敷の視線の主が、僕に気づいて振り返る。両眼を目隠しで覆うオオカミが、咄嗟に森の闇へと消える。既に気配悟りしは、ただひたらすに闇を進むのみ。自然と上がる口角を、咄嗟に右手で引き戻す。
森の奥深くに紅一点、そこを目指して両脚動かす。音なく気配をなく無我夢中で歩き続ける。紅一点が焚火に変わり、腰降ろす男は誰かと思えば。皇帝斬りと悪名高い、ハチが魚を焼いていた。
「ここで何をしている?」
「おわあ!」
驚いたハチが、焚火に照らされ僕を見る。
「ガウル……驚かすなよ!」
落胆のため息は、ハチに真意が伝わらない。会いたいのはハチではなく、両目を隠し、ここに立っていた男だ。
「ここにもうひとり立っていたな」
「あーそれは……なぜそれを知っている?」
穏やかな表情を消し去り、腰に提げた刀に手を添える。
目的の男は消え、闇の彼方から殺気がひとつ駆けてくる。山上の坂道で、僕に向けた殺意の情。あえて何もせず、ただときに流れを任せてみる。荒い気配が駆け、姿現すは老体のオオカミがひとつ。焚火に照らされながら刀を振り下ろし、刃に笑顔を向けてしまう。
代わりにハチが、刀を刀で捌いて見せる。刀を弾かれたオオカミが構え直して対峙する。
「いま、確実に殺しに来たな。誰だ?」
「ズミル」
「ズミル?」
「この俺が生き返ったんだ! いずれ貴様も戻ってくると思っていた! ガウル! その首斬り落として再び地獄に落としてくれる!」
「こいつ、お前の知り合いか?」
目的の男は闇に隠れ、過去の友が老い現れる。これを不愉快と称せずにはいられない。またその言も、不愉快極まりつつも懐かしむ。
「ズミル、僕はいま子供なんだ」
「黙れ! 姿も気配もガウルのままだ!」
「おい爺さん! さっきから何言ってんだ!」
「お前はこの男がただの子供に見えるのか!」
「そりゃあだって……なんだお前!」
気づけば、ハチとズミルに刀を向けられる始末。髪撫でれば長く延び、風もなく揺らめいている。恐らく、目隠しの男がハチの育ての親となるのであろう。
「目隠しの男が、お前の育ての親だな?」
「そうだ」
「ならハチを叩けば、奴はおのずと姿見せるか」
「悪いが、来ると言うなら手加減はしないぞ」
「ハチは構わん。ズミル、貴様さっき、首斬り落として地獄に落とすと言ったな?」
「しかと言った! 二言はない!」
懐かしき共に我慢できずに笑みを見せ、久しい心音高鳴りて、純度の高い好奇心が溢れ出る。右手にあるは黒い剣、闇の稲光宙を舞い、周囲の大木砕き折る。
「あっぶね!」
「この昂りはふたりで昇華させてみせよう! 武器をとれ!」
全身が肥大していく、幼き子供の体が、おのずと僕の体となっていく。視点の高さは背負われた視点より高く。ズミル、ハチ両名を見下ろす位置にあり。
「ズミル! 地獄の底より再び舞い戻ったぞ! この首を斬り落として見ろ!」
低い声が場を震わせる。ズミルの手が意思に反して震え始めている。
それこそが、僕がズミルにみた不愉快さだ。
「なぜ手が震える!」
ハチを眼中捕らえず、古き友へと歩み寄る。こちらが歩を前出せば、友はおのずと後ずさる。
「なぜ下がる!」
「悪いなガウル」
横からの峰内を振るわれ、見ずして拳で刀を弾く。
「……は?」
「前に出ろズミル! 言ったはずだ! ひと振りで殺せと! ひと振りで殺さねば終わらないぞと伝えたはずだ! 老いてなお、その意味分からぬか!」
「黙れ!」
迷いの刀が振るわれて、向けられた刃すら素手で返せる意思の弱さ。攻撃ではなく、友の手を握ってしまう。
「この手はなんだ! なぜ震える! この首斬り落として地獄に落とすのであろう!」
黒い剣を振るわずに、拳で友の顔面を殴りつける。共に戦っただけのことはある堅固な作り。両者骨折れず構えなおす。肩に何かが衝突する、振り向けばハチの刀だ。
「何をしている?」
「ふざけんなよお前……俺は刀で叩いているんだぞ!」
「若いの、ガウルに刀は通じない」
「本気で言ってんのか!」
「刀も銃弾も通さないんだよ。時代の……体の作りが違う」
それ相応に痛みはあれど、どの武器も体を傷つけるには至らなかった。
「じゅうだんって……なんだ?」
「懐かしい……懐かしいなズミル」
「黙れ!」
「老いさらばえてなお、戦う意思は良し。ならば全力で相手しよう! 行くぞズミル!」
ズミルへ飛び、黒い剣を片手で振るう。それをズミルは、両手の刀で防いで見せる。空いた胴へ左拳を繰り出し、奥深く沈めてみせる。重心ズレたところ、頭上より黒い剣を振り下ろし、ズミルを地面へ叩きつける。そこを片足で蹴り上げようものなら、体重軽く思ったよりも友が飛ぶ。木の幹へ利用して、体勢を変えられる前に幹に体を叩きつける。
「弱いな」
体は丈夫であろうと、全身を叩きつけられ友は気を失う。それを投げ捨てる。以前と変わらぬ弱さに反吐が出る。さて、目的の男を引きずり出すため。次はハチを叩くとしよう。見ればズミルと違い、戦う意思は感じられない。
「刀効かねえなら……素手か? いや話にならねえか」
「何をぶつくさ言っている?」
「うるさい! いいか俺はいま化け物見てえなお前にどう対応するか考えてるんだ! 刀が駄目なら素手か上等だ素手で勝負してやるよ! かかってこいよ化け物が!」
大声でよく叫ぶ。耳障りだ、この場で殺してしまおうか。
不意にハチが不敵な笑みを見せる。
「馬鹿が、中身はガキのまんまだなガウル」
気配に気づき振り返る。背後に誰も、違う足下だ。黒い服を来たニャーが、大きく息を吸っている。
「なぜここに?」
瞬時の思考に狙いを見極め、容赦なく黒い剣を振るう。
「ウニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
強烈な大声が俺の耳に響いてくる。咄嗟に両耳塞いでも遅く、極度の耳鳴りが聴覚を塞ぐ。ニャーは地面を蹴り、宙を回転しながら闇へ消えていく。
「これ上げるニャ」
闇に浮かぶ火の玉が、三つ弧を描きながら体に衝突する。炎の熱さと衝撃はあれど大したことはない。ただしこれが、僕の怒りを呼び覚ます。
「貴様ああああああああああ! 三光の道標と共に邪魔をしたのは貴様だな!」
ネコはいつ何時も不思議な魔力を用いて来る! 不愉快だ! 実に不愉快だ! まずはあのネコから始末しよう! 全力で追いかけ、すぐにクロネコを手が届く距離まで詰める。
「こっち来たニャアアアアアアアアアア!」
パチパチ……そんな音が二回聞こえて立ち止まる。
ゆっくりと、闇の彼方を覗き込む。呼ばれた? 違う! 身体の本能を利用されたか! 振り返ればクロネコの姿は消えていた。身近な大木をひとつ拳で崩し、掴んで引きちぎり、音のしたほうへ大木を丸ごと投げる。大木同士で衝突、粉々になりながら周囲を木片が蹴散らす。その衝撃で気配が動く。そこか。足音消して忍び寄る。
木陰に潜んでいたのは、怯えてきった小さな子キツネ。それを見て、僕は深くため息をつく。
「なんだフォクシイじゃないか。いいか? 何度も言ってるが、店先の掃除は丁寧にしろと言っているだろう。この前もゴミが落ちてたぞ。それを見られたら汚い店と勘違いされるじゃないか」
「わ……私」
「うん?」
「フォクシイじゃない」
「何訳の分からないことを言っている、ついに自分が誰だか分からなくなったか? お前がフォクシイじゃなくて誰がフォクシイなんだ。いいか」
パチパチ……また誰かに呼ばれた。
「ちょっと見て来るよ。明日は休みだろ?」
「知らない。私知らないもん」
「まったく」
フォクシイを放って呼ばれた方角へ進む。
不意に振り返り「フォクシイ?」と暗闇へ尋ねる。あの子の名前はダンネだったはず。
そうだあいつはダンネだ! フォクシイじゃない!
パチパチ……再び呼ばれたので、そちらへ向かう。
「悪いな」
ハチの声が聞こえ振り向く、刀を振られ拳で弾こうとする。が、ハチは刀を振らず、僕は拳を空ぶってしまう。両耳が耳鳴りで潰され、思うように集中できない。ハチは素早く刀を振るう。狙いは僕の黒い剣だ。振られる刀に、微かに光が姿を見せる。
癒しの力を纏った刀が、黒い剣を完璧に捉える。刃は立たずも、衝撃が全身に伝わる。鉄で殴れたに等しく、耐えがたい激痛に、喉の奥底から血が口から流れ出してしまう。
「痛い……痛いよハチ……」
声だけが子供に戻ってしまう。黒い剣を叩かれて、確実に崩壊が始まる。
ハチの両手は震え、握る刀も振るえている。
「とりあえず……頼むから戻ってくれよ、ガウル」
弱っている僕に、闇から両眼を隠した男が追撃を仕掛けて来る。刀を振るい、狙いは明らかに僕の首だ。その刀を、ハチが防いでしまう。
「何をしている?」
「待ってくれ。頼む待ってくれ」
「いや駄目だ。こいつは殺せるときに殺せ」
この男だ! 僕はこの男に会いたかった!
「山下屋敷で、山上への取り計らいを手記に残し、命を絶ったのはお前だな?」
目隠しの男は刀を構えたまま何も語らない。ハチが怯えた表情を僕に見せる。
「なんだ、なんの話をしている?」
「答えろ! いや答えて欲しい! そのためにここへ馳せ参じた! 戦いは本意ではない!」
喜び隠さず笑顔を向ける、同時に体の修復も行っていく。
「そうだ」
目隠しの男はしかと告げた。
「やはりそうか! 死してなお呪いとしてこの世に自らを縛り付けたか」
「いや……気づいたら……生き返っていた。ただそれだけのこと」
「ほう」
輪廻の逸脱者か? しかしの視線は本物だ。
「この世の構造を説明できるか?」
「構造?」
「そうだ」
僕は期待を胸に返事を待つ。
「待て、そんなこと分かるはずもない」
ふむ。どうやら見当違いだったようだ。これは少し残念だ、戦乱の世、時の流れが偶然に生み出した産物か。ならばここに用はない。
「帰るとしようか」
ただし、キツネをひとり殺してからだ。ダンネではない、僕の両耳を潰し、身体に刻まれた本能を利用した。これを咄嗟に思いつけるのはただひとり、カーリーだ。漂う香りをかぎ分けて、微かな違いで狙いを決める。カーリーが隠れている場所は他者よりも少し遠い、森の闇を駆け抜けていく。カーリーがいると思い木陰を覗けば、そこにカーリーがいない。僕は首を傾げてしまう。確かにここにいたはずだ、どこへ行った? 再び香りをかげば、また遠くに移動している。気を取り直して再び追いかけるも、また同じ結果となる。
カーリーは移動していない、飛んでいる。僕は首を傾げる。こちらの動きを捉えているな。ならばただひたすらに、闇に乗じて近くのみ。全ての音を消してカーリーに近づいて行く。許されるのは草葉の揺れの範囲内。それ以上でもそれ以下でも駄目だ。範囲越えた瞬間に、カーリーはそれを人と認識しまうだろう。
闇の中を歩き続け、怯えたカーリーが木陰に腰降ろし震えている。一寸先の闇の中、視覚として僕を捉えていない。意地悪に「やあ」と声をかけてしまう。カーリーは驚いた顔を見せ、僕は黒い剣を振り下ろす。




