第88話 山下守護ヴォルド
眼をしっかりと見開いたヴォルドに案内され、お婆ちゃんと同じ様な広間に案内される。広く畳敷きの奥が一段上がっている。一番気になったのが、やはり暗い。人の気配が無いからではなく。強烈な視線、山上へ続く山道の殺意とは違う。純粋に「見」とした強烈な視線。右からか、ゆっくりと顔を右へ向ける。開いた戸の先には廊下の曲がり角から先が見える。暗すぎる。ただならぬ気配が襲って来る。
「改めまして」
ヴォルドの声に驚き、慌てて正面を向く。
「山下守護のヴォルドとなります。以後、お見知りおきを」
一段上がったその場所で、ヴォルドが深々と頭を下げる。
正座をしているガルデが、俺に顔を向ける。
「ガウル、名前を言いなさい」
「ガウル」
「僕にじゃない、ヴォルドにさ」
そうか、ヴォルドに言うのか。
「ガウル」
「です」
「です?」
「ガウルです。言葉遣いもしっかりしなさい」
そう言えばいいのか。
「ガウルです」
「よし、頭を下げろ」
「お待ちください!」
ガルデの言葉に、ヴォルドが慌てて左手を伸ばす。
「何を驚いている。ガウルよりヴォルドのほうが上じゃないか。ガウルはこの国に来たばかり、ならば序列を教えるのが親の責務だと思うが?」
ヴォルドは伸ばした手を戻し、自らの顔を上から拭っていく。
「こういうときだけ真面目になる」
「ここはヴォルドでも譲らん」
「どうか長にだけには」
「長は関係ないだろう!」
ガルデが急に大声を出す。うるさい。
「あるわい! 長の孫に頭を下げさせたと耳に入れば、俺の立場が危うくなる!」
「頭を下げさせるのは僕だ! 何も問題はない!」
「相変わらず強情な……殿に似ましたな」
ヴォルドは嫌気がさしたのか、荒いため息をひとつ。
「という訳だ。ガウル、頭を下げろ」
俺は頭をこくりと下げた。
「そうだね、僕の言い方が悪かった。まず正座で座りなさい、胡坐をかかない」
ガルデの真似をして正座になる。何か背後で動く音が、皆も正座しているのだろう。
「両手を前に置き、深々と頭を下げる」
ガルデが頭をゆっくりと下げる。その動作は綺麗だ、やってみよう。ガルデを見ながら真似をする。ガルデが起き上がり、俺も起き上がる。
「よし、その感じでヴォルド。山下守護に頭を下げろ」
嬉しそうな笑顔の反面、ヴォルドは左手で完全に顔を覆い隠している。
改めて、ヴォルドに向かって深々と頭を下げる。頭を上げようとして、ガルデの手に頭を抑えつけらる。
「良しと言われるまで頭を上げるな」
「面をお上げください。こんなの知れたら、俺の首が本当に飛ぶ!」
ガルデが頭から手を離し、俺はゆっくりと顔をあげる。ヴォルドが額の冷や汗を拭っていた。しかし瞳は真っすぐだ。そこに揺らぎはない。
「真っすぐだ」
その言葉にガルデが笑う。
「そうとも。色々と教わった、ヴォルドは信用できる」
「俺を信用しているならば、ご子息の頭を下げさせるのはやめてくれ」
ヴォルドは深く深呼吸をする。そして、俺の背後に眼を向ける。
「しかし、大勢の子をお連れに。キツネに、イヌに……ん?」
ヴォルドはが首を前に出す。またニャーだろうな。
「この子はネコだよ。実は、ガウルについて話したいことが。とても真面目な話だ」
ガルデは、俺の詳細をヴォルドに話してくれた。ちょっと長いので、俺は欠伸をしてしまう。そこをガルデに軽く頭を叩かれた。そして、ガルデが話し終える。ヴォルドは難しい顔を見せている。
「呪いの類……か」
顎に左手を添えて、人差し指を何度も動かすヴォルド。
「何かわかるかい?」
「しかし……いや、まさかな」
どうやらヴォルドは何か知っているようだ。
「何か分かるの?」
ガルデがまた俺の頭を軽く叩く。
「なんで叩くの?」
「言いかい? 目上の人に対する言葉遣いを覚えるんだ。敬語を覚えなさい」
「敬語?」
「敬語」
「わかった」
「一点だけ、話を聞いて引っかかることがある」
ヴォルドが左手を見る、俺もガルデも釣られて、右を向いてしまう。誰もいない廊下なのに、ハッキリと視線を感じる。そこに誰も立っていない。けれど、そこに誰か立っていてもおかしくないんだ。怖くなってガルデに抱き着く。
「幽霊だ」
「幽霊?」
「この屋敷には幽霊がいる」
「怖い話しないでって言ったのに」
後ろからダンネの小さな声が聞こえてくる。
「視線を感じますかな?」
ヴォルドの声に驚いて顔を見る。怖がる僕とは正反対に、ヴォルドは笑顔を見せていた。
ガルデが僕の背をさする。
「説明して欲しいな」
「時代の流れと言いますか」
これを見ろと言わんばかりに、ヴォルドは無い右脚、存在する腰下を二回叩く。
「この屋敷に、呪いをかけた男がおりましてな。山上への取り計らいを手記に残して命を……」
ヴォルドが咳ばらいをする。
「そんな男がおりまして。その後、当時の全員が視線を感じる様になりましてな。噂話や幽霊話ではなく。ハッキリとした視線です。みな怖がる故に、ここには殆ど自分しかおりません。昨今はそんな話も聞かなくなりましたが……死者が蘇り、生者として普通に暮らしている。それに近い気配は感じています。気のせいではない足音が夜更けにするのでよ、この屋敷は」
「ダンネ、抱き着かないでよ」
背後でドロップが、小声でダンネに注意している。
ガルデが首を傾げる。
「その話、いちども聞いたことないな」
「その……亡くなったのが山上の者故、こればかりは」
「誰が死んだ?」
「若と言えどこればかりは、お許しを」
ヴォルドは深々と頭を下げる。どうやら話す気はないようだ。
「なら、他に分かることはないか? どんな些細なことでもいい」
「もうひとつ……しかしこれも」
「言ってくれ」
「いま話を聞いて、辻褄が合う男がひとり。先代皇帝のザバラ、元は自分の配下になりますが。皇帝斬りにやられてから塞ぎこみ隠居の身に。よからぬことを口にしていたため、隠居を薦めたのが俺なのだが……」
ヴォルドはまた口を閉ざす。
「言え」
ガルデのひと言で、ヴォルドが顔を上げる。
「息子を見たと呟くのですよ。しかし息子は」
「死んでいる」
ヴォルドは頷いて見せる。
誰? と、尋ねていいものなのか。そんなこと思いつつ、ガルデの顔を見上げてしまう。ガルデはそんな俺の顔すら読み取った。
「皇帝ザバラとユリの間に産まれた子、ガルガと言って……僕の面倒を見てくれた兄さんだ。風邪を引いて、ふと亡くなってしまった。つまり、ザバラが息子を見たのが事実なら、ガルガ兄さんが生き返ったことに……そんなこと本当にありえるのか」
いまとても難しい話をしているかもしれない。俺はゆっくりと振り返り、この場に相応しいであろうカーリーを確認する。カーリーはカーリーしてた。
「あの……なんか大きい布あります?」
鳴れない敬語で確認をとる。
「布?」
「このカーリーに被せると。カーリーは普通に話すようになる」
「布……掛布団で宜しければ」
ガルデが立ち上がり、無言で去っていく。場が沈黙を占める、気まずい。念のためダンネを確認すると。ドロップに近づき、今にも泣きそうになっている。ニャーがずっと、右の廊下を眺めている。俺も改めて確認する。
「もしかして、この廊下の先で亡くなりました?」
尋ねてヴォルドに顔を向ければ、非常に驚いた表情を見せている。
「どうしてその様なことを」
「しかも、ふたり亡くなっている?」
俺の感覚ならそうだ。右の廊下へ続く先……。
ふたつの器が同時期にひとつ割れ、またひとつ……。
で、ふたり亡くなっているのが何故か分かる。ヴォルドは俺を見て、完全に驚いた顔を向けている。
「なぜそこまで分かる?」
「それは……お許しください」
知らない感覚が冴えている。男性がひとり、女性がひとり。
そしてそこに誰もいないはずの視線、そこに立つ視線は男の視線だ。ただし見ているだけだ。対象はヴォルド、理由はもちろん定かではない。誰もいないはずの視線が、ヴォルドからゆっくりと俺にズレて来る。それを知り、怖いので気づかれないように普通を装う。
なるほど、眼はここにあれど。他は別にありか。
俺の意識が、なんとなくチラチラしている? 慣れないことして疲れたのかな? そこへ、どこからともなく掛布団をガルデが持ってきた。
「これを?」
「カーリーに被せる」
「被せるの?」
「まんべんなく」
「まんべんなく……」
両眼を必死に瞑り、全身を震わせているカーリーが、掛布団に包まれる。
「ガウル、ここもすぐに出よう」
急に喋れるようになれば、すぐに出ようと言って来た。
「え?」
「一旦離れよう、ガウルの感覚が冴えすぎている」
「まあ……そうだね」
カーリーはすぐに答えを出す。難しい話はカーリーとダンネに任せよう。
「そうだ。どうせなら、皆で川の傍に行こうよ。僕、あそこ好きなんだ」
僕は笑顔を掛布団に向ける。掛布団は何も言わない。
ヴォルドもつれて、川のほとりまで戻って来た。ここは本当に景色が良い。特に川のせせらぎが心地よい。山上でなく山下に住むべきだったか。まあ、どちらにせよか。無言の掛布団が、ずっと僕を……これは見ているのだろうか? 僕は首を傾げる。
「なに?」
「ガウルの感覚が、異常に研ぎ澄まされている気がする」
「合ってると思う」
流石に、ふたり亡くなったと分かるのはおかしいか。しかしまあこの掛布団……カーリーか。カーリーはよく見ている。この子キツネは不確定だった。しかしこれで明確になった、カーリーの目的は僕だ。お婆ちゃんに言われ、外の世界を学んで来なさいは事実であり半ば嘘でもあるか。いや、その嘘は真眼をすり抜けている。何か策でもあるのだろうか、思えば鏡に伝言がまだだ。
「ヴォルド。カーリーのお婆ちゃんが、いつまでもメソメソしないのだって」
ダンネが、俺とヴォルドを交互に見る。
「なんで、カーリーのお婆ちゃん……写し……あー!」
どうやら気づいたようだな。ヴォルドはカーリーを眺めている。
「お婆ちゃん? 誰だ?」
「カーリーのお婆ちゃん、黒いキツネの」
「人違いじゃないのか? 知らないな」
嘘だ、なら伝言は正しく伝わったか。
「あれ? 違うんだ」
嘘に気づかないダンネは騙される。
僕は大きな欠伸をひとつする。すぐに体力が尽きてしまう。ガルデに両手を伸ばして「おんぶ」とせがむ。
「どうした?」
「怖い話したから、疲れちゃった。今日はどこかで泊まろうよ」
「それも、そうだな。ガウルの話とはいえ、難しい話を子供にしすぎた」
ガルデが背を向け、僕はガルデの背に飛び乗る。両足を交互に動かして、視点の高さを楽しむ。
少し、視線の主に会ってみたくなってきた。




