第87話 死臭
山下の街は本当に大きい、通りは長い石畳、瓦屋根の建物が立ち並び、賑わいこそないものの……白蛇山温泉街を大きくしたような大きな街。
ダンネが近くの建物を見上げている。
「なんか、白蛇山温泉街みたい」
ガルデも同じ建物を見上げる。
「そっくりなのかい?」
ダンネが屋根を指さす。
「瓦」
「そうだね瓦……白蛇山温泉街も?」
「うん」
「へえ、行ってみたいなあ。僕は王国までしか行ったことがないんだ」
ガルデが道の先を行く。ウルガ帝国に来て、初めて道に行きかうオオカミたちを見かける。世間話をしている人や、どこかへ歩いて行く人たち。新しい家を建てている大工の人もいる。
「すごい人」
「そらそうさ。山下はウルガ帝国で、事実上一番栄えている街になる。川沿いに作られた街は灌漑しやすく、他の場所に比べて食糧も豊富で、山下に越して来る人も多いんだ。逆に山上は変人ばかり越して来る」
「変人?」
「戦の申し子みたいな人ばかり山上に集まって来る。まあ皆礼儀正しいんだけどね。皆穏やかに暮らしたいからね。山下に越して来る人が多いのさ」
立ち止まり、建てられている家を眺める。あれも誰か越して来る家なのか。ドロップが俺に近づいて来る。
「ねえ、灌漑ってなに?」
「川の水を田畑に流すのさ。雨水だけだと限界があるから、ときおり川の水も利用するのさ」
「へえ」
ダンネがじっと俺を見ている。
「なんだ?」
「珍しく詳しいなと思って」
「ちょうど、中庭の書斎小屋でそんな本があった」
右手で頬を掻く。
「なるほど」
ダンネは納得した。俺は頬を掻き続ける。なんだろう、急に痒くなってきた。
「お茶屋さんはこの先だよ、そこで食べられるかどうかは分からない」
皆が通りを進む中、俺は右手で頬を掻き続ける。痒さが消えない。爪を立て始め痛くなってきた。先を進んでいたニャーが、突如として振り返る。もの凄い速さで駆けてきて、俺の右手をはたき落とす。
「いった! 何するんだ!」
「隙ありニャ!」
はたき落とされた手を振る。頬の痒さは消え、逆にニャーに腹を立てる。俺はニャーと睨み合う。ニャーは両耳を横にし、いつも通り睨んでくる。
「シャアアアアアアア!」
「何がシャーだ!」
「ほらふたりとも、行くよ」
ガルデに呼ばれ、睨みながら追っていく。
大きな街へ進んでいく。たまに、ガルデを知っている人が声をかけ、俺を息子と喜んで紹介していく。紹介された俺は何していいか分からず、とりあえず瞬きをしている。
ダンネがじっと俺を見ている。
「なに?」
「ガウルって笑わないよね」
「そう?」
ガルデが笑い声をあげる。
「そこはパルム、母親に似たんだろうね! パルムは本当に笑わないから」
「私合ったことないんです。ちょうど入れ違いになって」
「しかし、パルムはどこで何してるんだ? とても気分屋だからね。気になったらどこでも行っちゃうんだよ」
本当に母さんはどこへ行ったのだろう? 思えば。国はこの三カ国だけのはず。ダンネに聞こう。
「ねえダンネ。国って、三つだけ」
「そうよ。ドギルス王国、フォクシネル共和国、ウルガ帝国」
「お母さんはどこ行ったんだろう?」
「それは私にも分からないわよ。でも、どこかですれ違ったかも。特にドギルス王国は本当に大きい国だから」
すれ違った可能性は大いにあるか。会いたいな。母さんにひとつだけ尋ねたいことがある。どうして俺の名前を「ガウル」にしたのかと。恐らく偶然ではないと思う。ガウルにガウルの記憶がある。ガルデに尋ねようと背を見るが、口を開いてそっと閉じる。ガルデは知らないだろう。
「ガルデは、俺が生まれたことをいつ知ったの?」
ガルデが無言で俺を見る。蒼い瞳の視線は少し不安を感じさせる。
「ドラスからの手紙かな。パルムは手紙もくれなかった」
「仲が悪いの?」
「いや、そんなことはない。その……パルムが妊娠してることすら知らなかった。ガウルにあえて本当に嬉しいよ」
嘘だ。ガルデは本当は嬉しくない。のだが、原因はどうも俺じゃなさそうだ。ガルデ自身の問題か。
「お腹空いた」
話を遮るように、空腹を知らせる。
「そうだね、こっちだよ」
案内された店は……本当に白蛇山温泉街と同じ作りだ。軒先に赤い布が敷かれた長椅子がひとつ。外から見える店内は、数名がお茶を啜っている。奥からおばさんがひとり、足早に現れる。笑顔でガルデを見上げると、ガルデだと気づいてか。とても驚いた表情をしている。
「若! 若様じゃありませんか! よくぞおいで下さいました!」
おばさんが深々と頭を下げると、店内でお茶を啜っていた人たちの動きが完全に止まる。声すら出さず、ガルデを真っすぐに見ている。
「突然ごめんね、実は僕に子供が出来た」
ガルデが嬉しそうに、俺を紹介する。おばさんは俺を見て、とても嬉しそうに笑顔を見せる。
「立派な男の子じゃありませんか! パルム様との子で?」
「そうだよ」
「それはそれは! こちらはお友達で? この子は……変わった尻尾されてますね」
ニャーは黒く細い尻尾を動かしている。
「ニャーはニャーだニャ!」
「珍しいところから来たネコさん。ガウルの友達だよ」
「世の中は広いことで、ささどうぞお座りください! こんなお茶しか出せないお店においでくださいまして」
案内された机、その椅子に腰を降ろして行く。
「実は、焼き魚とか置いてある?」
「鮎で宜しければ、塩焼きに出来ますが」
「じゃあ、それを人数分頂戴」
「お待ちを」
どうやら焼き魚を食べられるそうだ。店内に眼を凝らす。とても落ち着いた店だ、ちょっと好きかもしれない。別の机にいる、初老のオオカミと眼が合う。お爺さんが俺に会釈をした。俺はただじっと眺めている。代わりにガルデが手を振った。
「ごめんね。これから挨拶を教えようと思って」
「いえ……同席できるだけでも光栄です」
「僕は何もしていないよ」
笑顔で発したガルデの言葉が、少し気になる。気づかれない程度に、ガルデにそっと眼を向ける。
「なんだいガウル?」
気づかれてしまった。こんな些細な動作も見抜いてくるのか。
「何もしてないの?」
「そう。僕は本当に何もしていない。山上の長、山下の長……まあいいか。その間の子に産まれたのが僕さ。大変だ」
「大変なんだ」
「そう、大変なんだ」
奥から先ほどのおばさんが、お盆に湯呑を人数分載せ戻って来る。
「お茶どうぞ」
手際よく机の上に湯呑を置かれ、俺は早速お茶に手をつける。緑茶の渋みを味わいながら、外の通りを確認する。人通りは王国よりも多くない、誰もいない訳じゃないが、とても静かな良い街だ。
「良い街だ」
「そうだね」
ガルデもゆっくりとお茶を飲む。そのうち、奥から焼き魚の香りがしてくる。
先ほど会釈をした、お爺さんが席を立つ。
「若、お会いできて光栄でした。お先、失礼致します」
お爺さんは深々と頭を下げる。
「こちらこそお邪魔を」
お爺さんはどこか嬉しそうに、店を後にしていく。
「知り合い?」
「知らない人だよ。だけど、山下にはよく勉強に来たんだ。山上よりも、山下のほうが書が多いのが理由だけど」
ガルデはまたお茶を飲む。皆お茶を飲んでまったりしている。猫舌のニャーだけは、全力で緑茶を睨んでいた。冷めるまで睨んでいる気なのか。穏やかな空間でまったりしていると。鮎の塩焼きが皿に乗せられ運ばれてきた。焼かれた鮎に串が刺さっている。その串を手に取り、鮎の塩焼きを頬張る。美味しい。ドロップは嬉しそうに食べている。
鮎の塩焼きを食べ終えて、山下屋敷にたどり着く。
「おっきい」
自然と声が漏れてしまった。高い塀は白壁に、門構えは大きくも、門番の姿はどこにも見えない。カーリー以外、中に興味があるのか覗き込んでいる。
「ここが山下屋敷、ヴォルドが住んでいる屋敷だよ」
ガルデが勝手に門を開ける。
「勝手に入っていいの?」
「とても広いお屋敷だけど、山下守護のお仕事が無いときは、ひとり静かに暮らしている場所なんだ」
ダンネが急に手を上げる。
「どうぞ」
「山下守護のお仕事はなんですか?」
「名前の通り、山下を守るのがお仕事。治安を始め、資源や税と言ったことも任されている」
門を越えれば中すら広い。玄関まで続く岩の足場、両脇の広大な地面は砂利で埋め尽くされていた。眼前の屋敷は……暗い。人の気配がまるでない。それだけでこの暗さは説明できない、景色を楽しみつつ、岩の足場を踏んでいく。
「ハニャア」
ニャーが足を止め、屋敷を見上げている。
「どうしたの?」
「この屋敷も凄いニャ」
「何が?」
「難しい話は良く分からないニャ」
嘘だな、ニャーも何か察したのだろう。あえて聞かないでおく。恐らく俺と同じ感覚を味わっている。ガルデが引き戸を開け、中に入っていく。
「ごめんくださーい。ヴォルドいるう?」
ガルデが靴を脱いでいく。玄関は固く磨かれた岩、その先は少し高めの段差で廊下になっている。左へ続く廊下、正面に続く……この先から強烈な臭いを感じる。何よりも廊下が暗い。日当たりが悪いだけなのか。改めて左の廊下を見れば、外から差し込む日の光がしっかり廊下を照らしている。正面の廊下は奥だけあって日は当たらないが……明らかに暗すぎる。この暗さは、自然の暗さか? 傍のダンネの袖を引っ張る。
「なに?」
正面廊下を指さす。
「この廊下、暗くない?」
「そう?」
ダンネは正面廊下を眺める。
「こんなもんじゃない?」
「そうか」
ちょっと考えすぎたかもしれない。靴を脱いで廊下に上がる。いや、これは考えすぎじゃない。廊下に上がった瞬間に視線を感じる。全身に鳥肌が立ち静かに恐怖する。どこから見られている?
「ヴォルドー」
ガルデは呑気に廊下を歩いて行く、慌ててニャーを確認する。ニャーの瞳がおかしくなっている。瞳孔が、なんか縦長になっている気がする。
「ニャー」
「なんニャ?」
「もしかして誰かに見られてる」
ダンネが急に俺の服を掴んでくる。
「怖い話しないで!」
「珍しい声が聞こえるな」
正面廊下の奥から、変わった音が聞こえてくる。どん……どん、と。変わった足音だ。
暗い廊下の先から、ひとりのオオカミが姿を現す。右手に杖を持ち、右脚が無い。杖を支えに左足だけで地面を蹴り、こちらに近づいて来る。オオカミ。茶色い髪に頭上の両耳、垂れさがる尻尾が見えるも、両目の茶の瞳は真っすぐだ。
「若じゃないですか。俺は今日休みなのですよ」
言いながら、右脚の無いオオカミは大きな欠伸をする。
「急にごめんね。どうしても紹介したい子がいて」
寝ぼけ眼で頭を掻きながら、俺を見下ろして来るオオカミ。
「僕の子供のガウル」
「僕の子……子?」
明らかに、右脚の無いオオカミがいま目覚め、俺を真っすぐに見ている。かなり驚いている。
「皆、こちらが僕に色々と教えてくれた、山下守護のヴォルド」
この人がヴォルドか。無い右脚と杖を眺めてしまう……杖か。




