第86話 山下のほとり
山道を心穏やかに降り、ガルデの案内でウルガ帝国の街へ戻らず。山の西へ歩いていく。山上の険しい山道と違い、緩やかに続く山下への道。ここから先は俺の記憶に無いな。
「どのぐらいでつくの?」
「そこまでは遠くないさ」
何かすごい音が響いて振り返る。どうやら、ドロップのお腹が鳴ったようだ。お腹を鳴らしたドロップの顔が、徐々に赤くなっていく。
「お腹空いたの?」
「うん……」
ガルデが足を止め振り返る。
「そうか、この国じゃ一日一食が当たり前なんだ。そりゃお腹も空くよね。ヴォルドのところで何か食べられる……いや。先に食べたほうが失礼ないか?」
ガルデはボソボソ呟きながら、再び歩きはじめる。皆がそれについて行くが、俺は足を止めてニャーを眺める。静かだ、いつもなら「ご飯ニャ!」と喚くところ。ニャーはとても静かだ。そういえば、どこかで盗み食いでもしたようなゲップをしてたな。
「ニャーはお腹空いてないの?」
ニャーが足を止め振り返る。
「ニャーは常時お腹空いてるニャ。でもいまは困ってないニャ」
「そうなんだ」
「そうなのニャ」
ガルデを追いながらニャーの横に並ぶ。相変わらず何も考えてなさそうな顔をしている。見られていることに気づいたニャーが、両耳を横にして俺を睨みつける。
「なに見てるニャ?」
「なんか食べたの?」
ニャーが睨むのをやめ、すごい穏やかな笑顔を見せる。
「実はいっぱい食べたニャ」
「なにを?」
「異常なまでの負があったニャ、食べきれないから途中で帰って来たニャ」
「それって……もしかして書斎小屋の」
「ニャーは難しいことは知らないニャ。でもお腹いっぱいになったニャ」
「そうか」
「そうなのニャ」
ニャーは負を食べたのか、確か負を食べて魔力になるはず。大丈夫なら放っておくか。ダンネは食事に関して何も言わない、カーリーはカーリーだ。
「ん?」
俺は咄嗟にカーリーへ振り返る。相変わらず両眼を必死に瞑り、全身を震わせながら歩いている。基本カーリーは両眼をいつも瞑っている……なぜ歩ける? 足を止め、後ろを歩き続けるカーリーを観察する。両眼を瞑っているのに、カーリーは俺を通り過ぎず隣で足を止める。
「ど……どうしたの?」
「いや……なんでもない」
少しの不気味さもあって、カーリーから逃げるように前を歩く。
気になっていることがひとつある。書斎小屋が気持ち悪くて逃げだす前の話だ。ドロップが杖を向け、癒しの力で照らしてくれた。ニャーが飛びき背に乗って、恐らく負のなんたるかを食していたのだろう。
俺の背に手を添えたのは誰だ?
ドロップは杖を両手で持っていた、ニャーは背にのり両腕をだらりと俺の前に下げていた。ダンネは俺の隣で心配そうに眺めていた。そのとき、視界にカーリーが入っていない。カーリーはいつも最後尾を歩いている。人の眼が怖いからだ……なぜ人の眼が怖い? 山上の集落になんか帰らねば良かった。頭が異常に冴えている。ガルデから貰ったら薬のお陰か、気分はかなり良くなった。ただし思考が張り巡らされていく。難しいことは分からないはずなんだ、なのに情報が全て整理されていく。
人が行う一の行動がニとなり、二の行動は三となる。四五の行動は遠かれどいずれはたどり着く地となる。カーリーはダンネより頭が良い。フォクシネル共和国で一番の頭脳を持ち、口に出すと怒られるがダンネは二番だ。
俺は飽きもせず足を止める。この出会いは偶然なのか?
星空から落ちて来たドロップは、癒しの力で俺を癒してくれる。
ダンネは少しうるさいが、何かと俺を引っ張ってくれる。たまにフォクシイと間違える。
ニャーは事故で偶然出会い、負を食いながら俺の体を何故か狙っている。
カーリーは……カーリーは何故ついてきた? お婆ちゃんに外の世界を学んで来なさい。
そのとき、カーリーは嘘をついていないから、そう言われたのは間違いないだろう。カーリーは人の眼に恐怖している……眼か。 俺は右手で自分の顔、右半分を掴む。嘘を見抜く眼が、今の俺にはある。カーリーが恐れているのは人の眼じゃなくて……俺か? 俺の眼に怯えているのか?
三光の道標は冗談まじりに口にした「知識の人ぞ」
頭が良いから、そう呼んでいたと言われても気づかない。
僕は顔を掴んでいる手に力を入れる。
器の輪廻を回す三光が、人を知識の人とは呼ばない。
以前よりカーリーから何かしらの気配を感じていた。
それがもし、僕の推測する通りの立ち位置であるならば。
なぜ、僕を追って来た? 三光の手先か? いやそれは違う。
カーリーはことあるごとに僕を助けてくれた、強烈な印象はないにしろ、一手一手が俺たるガウルを助けている。敵であるなら容赦はせぬ。が、味方であろうこともない。カーリーという小さな存在が、いまの僕には不確定になっている。この子狐はどちらとなる?
ニャーが咄嗟に僕の……俺の顔を平手打ちしてきたので、その手を掴む。
「なに?」
「ボーっとしてたニャ!」
「してないよ」
俺は嘘をついた。ニャーの言う通り、ちょっとボーっとしていたかもしれない。ニャーの手を離し、歩きながらダンネと眼を合わせる。
「ねえ、本当に大丈夫なの?」
「うん。ニヤメの薬でだいぶ良くなった」
はずなんだ。本当に体調は良くなったはずなんだ。何かが僕に引っ付き、引き剥がそうとしてくる。別の記憶が僕を抑えようとしているが、無駄な足搔きも良いところ。しかし、少々出しゃばりすぎているか。新しい故郷の香りに、我ながらつい喜びを抑えらえなかった。しばし眠るとしようか。
急に足がもたついて、転び両手を地面につく。ダンネが慌てて駆けよって来る。
「ねえ! 本当は駄目なんじゃないの!」
「ど、どうだろう?」
自分で気づかない内に、俺は疲れているのか? 立ち上がらず、そのまま地面に腰を降ろす。
「なんか疲れた」
ドロップが杖を向けて来るが、右手でそっと杖を逸らす。
「いや、大丈夫なんだ。ただ、ただなんか疲れた」
皆が俺を心配そうに見つめて来る。どうしようかな? 思えば、ガルデは俺の父さんか。
「ガルデ、おんぶして」
俺は両手をガルデに伸ばす。
「またニヤメに見てもらうか?」
体を軽々と持ち上げられ立たされる。背を向けたガルデに、俺はのりかかり両の太ももを手で支えてもらう。立ち上がるガルデの視点はあまりにも高い。見慣れぬ高さに、つい嬉しくなってしまう。つい両足を交互に動かす。
「僕、背負われるの大好き」
「へえ、そうなんだ」
「うん」
ガルデは僕が両足を交互に動かしても、嫌な顔ひとつしないで逆に嬉しそうだ。僕は束の間を楽しんで、父の背に体を預けて眼を閉じる。
「父さん、少し眠るよ」
「ついたら起こす」
これをひとり占めするのは可哀想だ。
川のせせらぎが耳に聞こえる。飛び起きようとして落ちそうになる。背負われていることに気づいて、慌ててガルデの肩を掴み、ガルデも俺を支えてくれる。
「急に動くな。危ないじゃないか」
「ごめん」
俺はいつ、ガルデに背負われたんだ? そうだ、疲れて立てなくなったときだ。背負われてそのまま眠ったのか。大きな欠伸をひとつして、道の横に川を見る。
「大きな川」
「山下の街は川に沿って建てられている。山上の集落と違って大きいぞ」
「そうなんだ」
「そうなんだよ」
とても良い景色だ。川のせせらぎに草花が揺れ、風が吹けば自然の香りが鼻をかすめ、吹き抜けの青空はどこまでも続いている。
「降りる」
ガルデがしゃがみ、俺は降りて川に近づく。
「落ちるなよ」
「うん」
川底の石が石や砂が良く見える。綺麗な川だ。ニャーも隣に来て川を覗く。
「お魚いないニャ?」
「魚は……いない気がする」
「残念ニャ」
そう言えば、焼き魚もかれこれ食べていない気がする。ちょっとお腹が空いて来たかもしれない。ドロップもお腹が空いていたはず。でも、ドロップは自分からお願いできない。ちょうどいいからガルデに言おう。
「お腹すいた」
「だろうね。ヴォルドのところへ行く前に……しかしどうしよっかなあ悩む」
ガルデは頭を掻き始めた。ダンネが尋ねたそうに、体を少し左右に振っている。
「どうしたのダンネ?」
「その……さっきから何をお悩みになられているのかと思って」
「あーごめんね。実は、ヴォルドの下へ行きご馳走になるか。ヴォルドの下へ赴く前に、皆で食事を済ませようか。どちらがいいかなと思って」
「皆で先に済ませようよ」
俺のひと言で、皆がこちらに視線を送る。とりあえず、ドロップに先に食事をとらせたい。あれだけお腹が鳴ったんだ。俺はドロップに顔を向ける。
「お腹空いてるよね?」
「え、いや、うん、まあ」
ドロップが照れくさそうに顔を背ける。背けたところで、腹の虫は鳴り終わっている。
「そうだな、先に食べて行くな」
「ご飯ニャ!」
ニャーがいつも通り騒いだ。
「焼き魚が食べたい」
ガルデが両腕を組み、体を曲げる。
「うーん! 食べられるか分からないけど、行ってみるか」
ダンネがまた、何か尋ねたそうに体を動かしている。これにはガルデも気づいた。
「気楽に話してもらって構わないよ」
「じゃあ……やっぱり、恒久的な食糧難なのですか?」
「話はウルガ帝国統一前になる。六狼族それぞれが田畑を開墾していた、これが長き戦乱により荒れ果てて行く。ニ狼、いまの山上山下が残り、山下の降伏をもって山上が長となった。ところが、ここで長き戦乱の爪痕が現れた。荒された田畑はすぐに戻らない。そして、ひとつの国となった瞬間、総人口が大幅に増加してしまった。自給率の収支があわなくなるのは当然、山上山下の田畑を開いても充実した自給率にはほど遠い。ウルガ帝国としては王国から食料を援助して貰っているところさ。だから、王国みたいな煌びやかなお店はないよ。ドロップ、あまり期待しないでね」
ドロップは慌てて首を横に振る。
「とにかく行こうか。驚くと思うよ、なにせ本当に大きい街だから」
嬉しそうに案内するガルデを追っていく。
俺は知らぬ土地へ行く嬉しさと、そこに手掛かりがないことへの喜びを、胸中静かに喜んでしまう。何故なら山下の記憶が無いからだ。




