第84話 影からの刺客ニャ
誰かに頭を撫でられた気がして目を覚ます。軽く寝返りを打つと、布団じゃない固さに気づく。眼を開ければ本棚が眼に入る。寝ている間に、中庭の離れで眠っていた? 周囲を確認しようと首を動かすと、赤い眼をしたニャーが床に座っており驚く。息を飲み込んで飛び上がる。
「驚かすな!」
「なんでこんなところで寝てるニャ?」
「知らないよ……本当にどうしてだろう?」
寝ている間に誰かに運ばれた、いやそんなことはありえない。じゃあ、自分からここに来たとでも言うのか? つい癖で……髪の毛を掻いてしまう。こんな癖、あったか?
「ニャーはどうしてここにいるの?」
「ガウルがフラフラしてたから追ってみたニャ」
「フラフラ?」
「おしっこかと思ったら外出たニャ。だから黙って追いかけて見たニャ」
じゃあやっぱり、俺が勝手に中庭の離れまで移動したということなのか? この書斎小屋は何なのだろうか? 吹き抜けの本棚に一杯の本。いくつか手を伸ばすと、少し古い髪の感触が手に伝わる。殆どが紐が纏められているが、中には色付きの表紙まである。開いて見れば、学問の書だろうか。農業のなんたるかが書かれていた。本を閉じて棚に戻す。
そうだ、誰かに頭を撫でられた気がした。
「俺の頭撫でたか?」
「撫でてないニャ」
「そうか」
自分の頭をそっと撫でる。確かに頭を撫でられた気がした……誰に? 自分の頭を撫でながら、赤い眼のニャーと目を合わせる。思えばニャーも訳が分からない。
「ニャーってさ、俺の体で何かしようとしてる?」
「ニャ?」
「いやほら、ここに来る前に、体を寄越せとか言ってたよね?」
ニャーは何も言わずに瞬きをする。ゆっくりと赤い眼が横へ逸らして行く。
「なんのことニャ?」
誰が見ても分かるほどの嘘をつくニャー。しかしそうなると、ニャーが色々とおかしいことになる。
「ニャーってさ、確か……テレポーニャの事故で王国に来ちゃったんだよね?」
「そうニャ」
「それでどうして、俺の体が欲しいんだ」
「なんのことニャ?」
ニャーは何かを隠していることは見れば分かる。問題は、いまの僕の頭だ。なんだ? 自分でも怖いほどに頭が冴えて来る。
「ニャーは別の世界から、テレポーニャの事故で王国に来た。そのとき、眼の前にいたのは俺だ。そうだ、それからニャーは俺の傍で良く眠ってたよね? ベッドの下とか、悪夢を見ているとかで叩いて来たり……ニャーは何か知ってるの?」
ニャーは眼をそらしたまま、俺を見ようともしない。
「ニャーは何も知らないニャ」
「じゃあなんで俺の体が欲しいんだよ?」
ニャーがゆっくりと立ちあがり……外へ駆けだす! すかさず俺はニャーを追いかけ飛びつき、ふたりして地面に転ぶ。ニャーが必死に両手足を動かして逃げようとする。俺は必死にニャーを抑えつける。
「何か知ってるな! 言えよ!」
「ニャーは何も知らないニャ! 知らないものは知らないニャ!」
「言えっての!」
ニャーを仰向けにし、両手を掴み合って押し合う。俺は唸り声を上げながら、ニャーはシャーシャー言いながら続ける。
強烈な血の臭いを感じた。
思考も動作も全てが止まる。無意識に顔を上げれば、中庭に面した廊下にひとり立っていた。地味な寝間着を着ている。銀色の長髪に蒼の眼……そして誰よりも感じたことのない、吐き気を催すほどの血の臭い。全身が震え鳥肌が立つ。
「そこで何してるの?」
ニャーが隙をついて、全速力で逃げ出す。俺はそれどころじゃない。
「その」
「何か臭う?」
「血の臭いが……」
「そう」
女の人が欠伸をする。銀の長髪を揺らしながら、廊下を歩いて行く横向きですら恐怖を感じる。骨の髄まで血の臭いが染みている、ハリスも少なからず臭いはあったが、その比ではない。間違いない、あの人が長だ。じゃあ、あの人が俺のお婆ちゃんになるのかな? なんだか難しいことを考えていたせいで、何も分からなくなってきた。部屋に戻って寝よう。中庭から廊下へ上がり……俺は靴すら履いていない。靴下についた土をはらい落とし、廊下を歩いて布団の間まで迷わず戻る。皆グッスリ眠っていた。部屋の隅に、白いおまんじゅうがふたつ落ちている。布団を被ったカーリーと、恐らくニャーだろう。二人で何をしているんだ? ふたつのふっくら白まんじゅうに近づくと。ひとつがそそくさと別の隅へ逃げて行く。あれがニャーだな。ちょうどいいから、カーリーに尋ねよう。
「ねえカーリー」
「なんだい?」
「なんか……変なんだ」
「変?」
「うん、なんて言えばいいのか……中庭にある小さな書斎小屋に引き寄せられる」
それも俺の知らない間に、ここ来てもう二回もそれが起こっている。
「きっと、この集落に僕の手掛かりがあるんじゃないかと思って」
「ガウル」
「なんだい?」
「長の挨拶をしたら、この集落から急いで出よう」
「どうして?」
「ニャーから聞いたけど、知らない間に離れにいたんだって?」
僕は別の隅にいるニャーに顔を向ける。ニャーは寝ている、ダンネとドロップにゆっくり近づいていく。
「あの書斎小屋はなんだろうね?」
「ガウル」
「なに? さっきから僕の名前を呼んで」
「挨拶したら、この集落を出るよ、いいね?」
「それは残念だ、あそこは僕のお気に入りなのに」
大きな欠伸をひとつ、白い布団に腰降ろし、全身の力を抜いて横になる。いちどだけ、不快深呼吸をする。懐かしい畳敷きの香りがした……。
誰かに頬を叩かれて、俺は眼を覚ます。
「いった」
上体を起こすとニャーと眼が合う。仕返しに引っぱたこうと手を上げるが、ニャーが素早く後ろへ下がる。
「シャアアアアアアアア!」
と、言うもんだから。俺は唸り声をあげる。
「なに喧嘩してるの? 早く仕度して!」
ダンネに怒られてしまった。
「怒られた」
「怒られたニャ」
「そうだニャー。きのう……」
きのうなに話したっけ? きのうのことだっけ?
「きのうなんニャ?」
「あれ? 俺が中庭の書斎で寝てたのは」
「それさっきニャ! そんなに経ってないニャ!」
「そうか、そうだよね」
あまりにグッスリ眠れたせいで、すでに一日が過ぎたと思ってしまう。
この集落、いや。中庭の書斎小屋だ、あそこにガウルの手掛かりがある。ただし、俺の記憶が途切れすぎている。カーリーと話した……カーリーと話したはずだ。長に挨拶して、出来るだけ早くこの集落。あの書斎小屋から離れよう。それでいいのか?
「大丈夫だよ」
カーリーの声? がした。振り返ると、カーリーはいつも通りのカーリーだった。両眼を必死に瞑り、全身を震わせている。カーリーはこう見えて頭が良いんだ。カーリーの言葉を信じよう。
「おはようございます、皆グッスリ眠れた?」
きのう、この部屋まで案内してくれた、おばさんがやってきた。笑顔だ。
「眠れました!」
「僕も」
「それは良かった、朝早くごめんなさい。長がすぐにでも会いたいって」
俺は血の香る横顔を思い出す。間違いなくあの人だ。見て分かる、気配で分かる、臭いで分かる……。
「こちらへどうぞ」
ドロップが杖を持ち、俺たちはおばさんの案内について行く。廊下を歩き、中庭に面した廊下から、書斎小屋を眺めてしまう。ついその場で足を止めてしまう。なんと言うか、すごい好みな建物だ。広い庭に、ポツンと小さな小屋がひとつ。産まれ故郷の村にある家を思い出す。カーリーが両手で、珍しく俺の背を押して来る。そうだ、ついていかないと。急いで皆を追いかける。案内された場所は驚くほどに広い。畳が何枚も敷かれ、奥は一段上がっている。すごい広い。
「こちらでお待ちください」
おばさんが正座をし、両手をそっと床に添え、深々と頭を下げる。おばさんはその場から立ち去った。奥の廊下、長の気配を感じ取る。
「す、座って……座って」
カーリーが必死に座れと促して来る。なのでその場で腰を降ろす。奥の廊下から姿を現したのは、やはりこの人だった。桜の花が飾られた桃色の着物、華やかでありながら顔立ちの凛々しさが場を引き締める。一歩一歩が優雅に見えるも、血の臭いが邪魔をする。どれだけ……どれだけ殺せばこのような臭いがするのか。頭から思う存分、血を浴びたような臭い。骨の髄まで血みどろだ。これが、俺のお婆ちゃんになるのか。
長き戦乱を沈めた六狼族の頂点。見るからに普通ではない、存在そのものが強すぎる。これがウルガ帝国の長か。
「よっこいしょ」
姿に似合わず、長であるウルガは気楽に腰を降ろす。そして、俺たちに笑顔を見せる。
「わざわざ会いに来てくれて嬉しいわ。私がウルガ帝国の長、ウルガです。あなたがガウル?」
「うん」
「そう、息子にそっくりね。でも雰囲気はお母さんに似てる」
笑顔を見せつつ覗く蒼の眼、視線が容赦なく俺を貫いて来る。見て探られている。
「その眼は怖い」
お婆ちゃんは静かに笑い、そっと両眼を閉じてくれた。
「孫に会えるなんて嬉しいわ。ただし、かなり難しい状況のようね」
お婆ちゃんは嘘をついた。俺に会えてさほど嬉しくないのだろう。ただ、少々お婆ちゃんに疲れの色が見える。忙しいときに会いに来ちゃったのかな?
「もしかして忙しかった?」
「いいえ。長の権限を弱めてから、何かと暇なのよ。逆に今まででが忙しすぎたの」
笑顔でため息を吐くお婆ちゃん。疲れの色なんかではない、完全に疲れ切っている。
「ガウル」
「なに?」
「その眼は怖い」
咄嗟に眼を逸らしてしまう。見て探っていることを見抜かれた。お婆ちゃんがゆっくり立ち上がり、段差を降りて俺の眼の前まで近づいて来る。着物のせいか圧迫感が……違う。堂々とした本人から感じる圧だ。つい、真っすぐ見つめてしまう。眼を逸らせば狩り殺される。それぐらいの恐怖を抱く。お婆ちゃんが腰を降ろし、笑顔で俺を見つめている。
これがいまの長となるか。
お婆ちゃんが右手で俺の顔を鷲掴みにし、俺を自分に引き寄せた。お婆ちゃんに笑顔はない。あまりの力の強さに逃れようと腕を掴むも、どうしようもできない。
「いはい! いはいよ!」
「ちょっと我慢してね」
血の臭いとは裏腹に、澄んだ蒼い眼が俺を……いや……僕に探りを入れているかもしれない。
「孫の中に別の記憶。ちらちらと気配が変わる。見た瞬間に分かる、感覚が子供のそれではない。先に手紙でことを知ったが、いささか難儀な話か」
これが婆ちゃんの正体か。いつ食い殺されてもおかしくない。恐怖心が全身を震わせる。
「おっと、ごめんなさい」
婆ちゃんが急に手を離し、俺は強く握られた頬を両手でさする。本当に痛かった。
「ついね、つい」
「痛かった」
「私を見てどう思う?」
「どう?」
「そう。どう思う?」
改めて婆ちゃんを、顔の痛さもあって睨んでしまう。凛々しくあるも疲れ切り、笑顔の影に本心を忍ばせ、間合いを詰めて首を取りにくる。
「歪だ」
婆ちゃんは大声で笑い始める。
「そうか歪か!」
立ちあがり、元の場所へ戻っていく姿が、もはや別人だ。いや、こちらが本当の婆ちゃんなのか。さきほど違い、かなり乱暴に腰を降ろす。笑顔をなく蒼い眼で俺を眺める。
「パルムはどこへ?」
「旅に出た」
「旅?」
「うん」
「まあパルムのことだ不思議じゃない」
「そうなの?」
「そうなの。ねえ、足崩していい?」
「いいけど」
「ありがとう」
婆ちゃんは両足を伸ばし、段差の下に降ろす。そして両足を交互に動かす。
「さてガウル。難しい話をする前に、ちゃんとお友達を紹介しなさい」
「うん。ダンネ、ドロップ、ニャー、カーリー」
ひとりずつ指を指して行く。婆ちゃんは笑顔を見せる。
「初めまして。長のウルガです」
ダンネが正座になり、背を伸ばす。
「は! 初めまして! フォクシネル共和国領主の娘! ダンネです!」
「初めまして。あんまり緊張しないでね、見ての通り。私固い挨拶というのがどうも苦手で」
ダンネが小さくため息を吐いた。
「僕はドロップと言います」
「ニャーはニャーだな」
「ぼ……僕は……カーリーです」
「皆よろしく。さて!」
長ウルガが前のめりになる。
「何をすればいい?」




