第83話 記憶にある集落
ドロップを背負いながら山道を登っていく。周囲の真っ暗な森から、相変わらず俺たちを見守っているのか。十人ぐらいが潜みながら追ってきている。泣き止んだダンネに、それを伝えれば泣き叫ぶかもしれないので……黙っておこう。ダンネは渡した提灯を手に、ニャーは何故か俺をじっと見続け、カーリーはカーリーだった。無言の山道を登っていくと、道の先に明かりが見える。壁に掛けられた松明がふたつ、周囲を茜色で照らしふたりのオオカミを照らしている。ひとりがすごい大きな欠伸をした。もうひとりが何か話かけ、俺たちに顎を動かす。ふたりのオオカミがこちらを真っすぐに捉える。同時に、森に潜んでいた気配が一斉に消えて行く。
ダンネが提灯を少し上げる。
「ついたの?」
「たぶん」
今の立ち位置から、見上げた景色に見覚えがある。ドロップをその場に降ろし、全速力で山道を駆け上げる。
「ちょっと!」
「逃げたニャ!」
ダンネとニャーを無視して、坂道を駆けあがり、ふたりの合間を抜けて行く。少しだけ左に曲がる通る。そうだ、右の地盤が弱かったから、左へ道を曲げたんだ。古い藁ぶき屋根の木造建築の家々、溢れんばかりの懐かしさに全速力で駆け続ける。集落の中に明かり鳴く、月明かりが道を照らす。奥には屋敷がひとつ、こちらの屋根は瓦屋根。前にはしっかりとした門が建ち、五人も門番が立っている。五人全員が俺に気づき、既に話は通っているのか。無言が開かれて、全員が並び頭を下げる。
飽きもせず全速力で中へ駆ける。屋敷の玄関に突っ込まず、外回りで中庭を目指す。
そこが僕の部屋なんだ、そして僕がそこにいた。
大きく建物を回りながら、つい口角が上がっていく。裏手から大きく回り込めば中庭へ通じる。離れの小屋がひとつある。
「……ハハ」
帰って来たぞ。記憶の断片が悲鳴を上げている。押し寄せる頭痛が喜びとなり足を進ませる。建てつけが悪くなった戸を強引に開き、暗闇の小さな書斎を眼にする。なにも変わっていない。吹き抜けの本棚に書がびっしりと並び、中には古すぎてここでないと読めない書もあるだろう。奥に行けば机がひとつ。その机を見下ろし、僕の口角は最高に上がる。帰った来たぞ。机から三歩下がり……足元の床板を静かに見下ろす。膝折り背を丸めしゃがんでみれば、床板一枚に人差し指を降ろし、上から下にスーッと撫でる。
「ただいま」
馬鹿みたいにそんなことを呟いてしまう。この場には誰もおらぬのに……。
気配を察して振り返る。知らない男がすぐ背後に立っていた。とても真っすぐに、寝間着なのか、かなり地味な服を着ている。頭上の耳に尻尾があり。俺はついゆっくりと立ちあがる。ここまで真っすぐな男がこの世にいるのか? ついそんなことを思ってしまう。
「誰?」
男がゆっくりと首を傾げて行く、合わせて俺も首を傾げて行く。
「それは俺が言う言葉だと思うが?」
両眼を逸らして考える。
「あ、ほんとだ」
「それで、誰なんだい?」
「ガウル」
「そうか。君がガウルか」
男はゆっくりとしゃがみ、俺と視線の高さを合わせる。
「ひとつ尋ねる、いいね?」
「うん」
「ここで、何をしていた?」
笑みを見せる男の眼差しが、暗がりにして蒼と分かり、ぶれぬ眼に心が焦る。
俺は……本当に何をしていたんだ? 元気に、走り回っていた。
「広いからつい……走り回っていた?」
自分でも不思議に思いながら、ゆっくりと首を傾げて行く。
同時に、男も合わせて首を傾げて行く。男が噴き出して笑い声を上げる。重みのある声だ。
「そうかそうか。確か、友達がいたと聞いていたが?」
男がゆっくりと立ちあがりながら、俺は皆のことを思い出す。
「あ、置いてきちゃった」
「そうか。なら皆を連れて玄関から入るんだ。長……お婆ちゃんはもう眠ったから。他の者が部屋まで案内させるよ。俺ももう寝るよ。お休み」
男は欠伸をしながら、背を見せ外へと歩いて行く。立ち振る舞い全てが綺麗だ。いまは皆の下へ戻ろう。中庭から来た道を戻り、屋敷の門まで駆け戻る。提灯を持っているダンネが、俺を今まで以上に睨んでいる。
「もう! どうして私たちを置いていったの!」
「大声はご遠慮ください」
ひとりのオオカミに怒られてしまった。ダンネの両耳がペタンとなる。今にも泣きそうだ、どうも木陰に潜む人を見てから、ダンネが完全に崩れている。ダンネの空いている手を取り、玄関へ案内する。
「こっちだって」
知らないはずの屋敷を、何故か案内出来てしまう。それすら恐怖を抱いてしまう。ダンネの手を握る手が震え始め、慌てて手を離す。その手をダンネが掴んでしまう。
「ねえ、なんで震えてるの?」
俺は強引にダンネの手を振り払う。
「なんでもないよ。ところで」
ダンネのことを、ついフォクシイと呼びそうになってしまう。右手で額に手を当てる。嫌な予感がしてきた。なのでドロップに頼もう。ドロップの杖からは光がもう消えていた。
「ドロップ!」
「なに!」
大声を出したせいで、ドロップが驚いてしまう。
「癒しの力で照らして。いまの内に」
「癒し……わかったよ」
ドロップが近づき、杖を向ければ光が灯る。徐々に気持ちが楽になっていく。つい笑顔が漏れてしまう。
「何かあったの?」
「何でもないよ」
僕は嘘をついた。そのまま、玄関へ歩いていく。戸を開くと、知らないおばさんが立っていた。耳と尻尾からしてオオカミだ。すごい純粋に満面の笑みを向けて来る。
「まあまあ、こんな夜遅くに良くぞおいでで。ささ、こちらへどうぞ」
俺だけ靴を脱ぎ始め、みんな土足で上がってしまう。
「お靴は脱いでくださいね」
慌てて降りた皆が靴を脱ぎ始める。俺だけ先に靴を脱ぎ終え、吐いている靴下を見ると、右足親指のところに穴が開いていた。親指を無意味に動かす。
「どうぞこちらです。ところで光ってるそれなあに?」
おばさんがドロップの杖を眺め、俺は慌てて杖をそっと降ろす。光が徐々に消えていく。
「癒しの杖」
「へえ、色んなものあるのね。おばさん集落から出たこと無いから」
おばさんは暗い廊下を歩いて行く。どうやら、あまりドロップの杖を気にしていないらしい。長い廊下を歩き続け、戸が開かれた居間に布団が五つ並んでいる。
「今日はここでお休みください。明朝声をかけますんで」
全員が息を合わせたように、空いている布団へひとりずつ倒れて行く。ニャーは布団に飛び込んだ。
布団に入り、心地よく眠っていた。外の風だろうか? 色々なところがガタガタと鳴り、暴風の音が耳に入る。同時に、周囲に人の気配を感じた。起き上がろうとした瞬間、見慣れた連中が眼に入る。ダンネが俺の右隣りで仰向けになって眠り、ドロップは左隣で横向けに眠り。ニャーは俺の足首を枕にして仰向け、白まんじゅうが傍らにいる。
枕に頭を落とす
「なんでよ?」
鬱陶しい。これは流石に不快である。多少の涼しさはあれど、こんなに密集されると暑い。起き上がろうとすると、ダンネが力強く俺を引っ張る。起きれない、そして暑い。ダンネが急に顔を上げる。
「オシッコ」
面倒くさい。
「もう、こっち」
ニャーを脇にずらし、ダンネの手を握り半ば強引に引っ張る。確か……厠は廊下を出て右奥だったような。こういうとき、知らない建物を知っているのは便利だな。廊下を歩き、ダンネを厠に放り込む。ため息をつき、厠から少し離れて外を眺める。中庭が見える位置ではないが、代わりに立派な塀が見える。前は確か、質素な木の柵だったはず。右手をまた額に添える。ここにいて大丈夫だろうか? 知らない記憶が自分を押しのけて来そうで怖い。ドロップがピカピカ……癒しの力で抑えてくれたみたいだけど。
なぜ、俺は中庭の離れにいた?
無意識に走っていた、無意識に懐かしんでいた、無意識に離れにいた。
あそこで何をしてたっけ? 確か、床板をなぞっていたような。
「いるう?」
ダンネの声に思考が止まる。
「いるう」
難しいことを考えてもしょうがない。とにかく、この集落に何か手掛かりがあるのか。ドロップの原初の花を探すだけでいいのか? 隙を見てカーリーに相談してみよう。意味の分からない行動を取っている。これはシルケやドロップが使う、癒しの力でどうこう出来る話じゃないかもしれない。ダンネが厠から出て来たので、寝ぼけて進まないダンネの手を握り、居間に戻り開いてる布団にダンネを置く。ダンネは布団にくるまって眠り始める。ドロップが寝て、カーリーが白くふっくらしていて……ニャーの姿がどこにも見えない。どこ行った? 部屋中探して、見える範囲で外を見る。どこにもニャーの姿が無かった……まあいいか。ニャーのことだ。きっとどこかで散歩でもしているのだろう。どうせその内に戻って来る。
急にお腹が鳴ってしまう。そう言えば、ご飯を食べていない。ウルガ帝国に来てから、まともな食事をしていない気がする。そうなると、ニャーもかなりお腹が空いているはず。流石に、他人様の食糧を食べたりはしないと思う。念のため、外を軽く眺める。流石のニャーでもそんなことしないと思う。
「まさかな」
ニャーはそこまで馬鹿じゃないだろう。大きな欠伸をして、皆から一番離れた布団で横になる。今度こそ眠れるだろう。
暑い。眼を開けると、皆がまた俺の傍で眠っている。流石に腹が立ってきた。一番驚いたのはニャーだ。いったいどこに行っていたのか?
「グエップニャア」
今のはゲップなのだろか、ニャーが口を眠りながら動かしている。まさかと思って上体を起こす。人の食糧盗んでないよな? ニャーの口元を見ても、何もついていない。流石に考えすぎか、ニャーは満足そうな顔して眠っている。なぜ、俺の傍で眠るのだろうか。鬱陶しい、流石に不快すぎて眠れない。空いてる布団に移動しようとして、ダンネが力強く俺を引っ張る。動けない、眠れない、不快……今日はどうやらまともに眠れる気がしない。諦めて、枕に頭を深く降ろす。
体がグッと重くなり、怖いほど沈んでいく感覚。焦って起きようとしても、意識が途切れて行く。




