第80話 捕らわれのハチ
ガルデの指示で、北にいるサジルと文政長に会いに行く。なぜなのか。ニャーが俺の肩に乗っている。刀や槍を持ったオオカミたちが、ハチを指さして何か話している。
「あれが皇帝斬りだろ?」
「ヘイズ将軍の指示で攻撃中止だと」
「あの変なの肩車してるオオカミに気をつけろ。あれがご子息だ」
「へえあれが」
皆が俺を眺めている。ガルデや王国にいる帝国大使のドラスが、どうして僕の素性を明かさないのか分かった気がする。皆がすごい僕を見て来る。人の視線、人の視線、人の視線。ちょっと嫌だ、カーリーほど人の眼に恐怖はないけど。流石に人の視線が多い。
ハチが歩きながら俺を見る。
「平然と歩いているが、重くないのか?」
「重いよ。ニャー降りてよ」
「ニャーは降りないニャ! ここからの見晴らしが一番ニャ!」
「どうせまた、俺の負を吸っているんだろう?」
「モヤモヤが溜まってるからニャーが吸ってるニャ」
ニャーは両足を交互に動かす。ドロップが杖を近づけて来る。
「癒しの力使う?」
「いい、そういうのじゃない」
ダンネが俺に顔を向ける。
「なんでモヤモヤしてるの?」
「人の視線がすごい多い。あっちもこっちも僕を見ている」
「そんなに嫌?」
「嫌だ。ちょっと腹が立つ」
なぜだろう。見ている人に腹が立っているのではない、見られていることそれ自体に腹が立つ。いまカーリーに尋ねても、どうせ何も話せないから。後で視線に関して尋ねよう。
ハチが近くの、オオカミの男を見る。
「おい。文政長……ってのはどこだ?」
オオカミの男が、通りの先を指さす。
「ここ真っすぐ行けば、人の出入りが多い建物につく。嫌でも分かるさ」
「そうか」
ハチが嫌な笑みを浮かべる。
「おい。隙を見て俺を狙っても良いんだぜ?」
「ふざけやがって皇帝殺しが、こちらが手を出せないことを言いことに」
「そこはほら! 下手な指示なんか破っちまえよ!」
全身に鳥肌が湧く。なんだ?
強烈な気配は屋根の上にあり、陽気に話すハチを蒼の眼差しで捉え、長い銀髪がそよ風に揺れ動く。頭上には立派な両耳がふたつ、尻尾はしなやかに。ボロボロの服を身に纏うも、明らかに狩りの体勢だ。
急いでニャーを降ろし、ハチの足に抱き着く。
「ハチ! ハチ!」
「なんだ、どうした?」
「なんかすごいの来た!」
「すごいの!」
「あそこ!」
屋根の上を指さし、皆がその人物を見上げる。
ダンネ、ドロップ、ニャー、カーリーが全員、一瞬だけ一斉に両耳を畳み肩をすぼめる。
ハチは迷うことなく、鞘から刀を引き抜く。
「おっと。ありゃすごいな」
屋根の上にいた誰かが空を飛ぶ。二階の高さから音もなく着地をする。澄んだ蒼い眼がハチを捕まえた。
「まずい、ガキ共下がれ」
ハチが俺たちの前に出る、そこへ誰かは駆け出し、ハチに拳を振る。
「てめ」
ハチが手にもつ刀、峰内で容赦なく叩こうとするが横にかわされる。
誰かが眼にも止まらぬ速さで、ハチの顎を殴り腹を殴り膝を蹴る……一瞬だ。ハチは土の地面に倒れ、手から刀が離れ落ちる。ハチはすんごい強い、大勢のオオカミたちを殴り飛ばしたんだ。将軍だって三人は倒した。それを、屋根から降りて来た女の人だろうか、ハチを一瞬で負かして。
「これが皇帝斬り?」
女の人が、動かないハチに右足を乗せ、数回ゆっくり揺する。急に無邪気に大声で笑い始め、俺は驚いた少し下がる。
「これが皇帝斬り! こんな弱いのに帝国全軍で倒せないの! 冗談でしょ! 折角楽しみに来たのにこの程度なの! おもんな!」
女の人が、俺に狙いを定める。近づいて来る一歩一歩が恐怖でしかない。とりあえず、両拳を構えておく。
「その手を下げろ」
俺はすぐに両手を下げる。
「ガウルってあなた?」
尋ねられると同時に、強烈な異臭を感じて顔を背ける。
「あーごめんなさい。ずっと飲んでたからお酒臭いかも」
女の人が、自分の口元で手を振る。
「それで、ガウルってあなた?」
「そうだよ」
「元気?」
「うん、元気?」
「風邪だけは気をつけてね」
「風邪?」
「そ、死んじゃうから。あとあなた、誰よりも先に私に気づいたわね」
女の人が手を差し伸べて来る。
「この手を見て、どう思う?」
肌色の細い指、綺麗な手だ。
「綺麗な手」
「そのままこの手を見て、どう思う?」
なんかすごい難しいことを聞いて来る人だ。俺は改めて女の人の手を見る。
その手が俺の首を掴みにくる。そう感じ取った。
女の人を睨みながら大きく後退する。女の人は不気味な笑みを浮かべている。
「良い子ね」
子供の俺でも分かる、格が違いすぎる。ウルガ帝国で見て来た中で、誰よりも強い。
「あれ……ユリ様だ」
「そうだ間違いない」
「ユリ様だぞ、全員姿勢を正せ」
方々から「ユリ」と言う名が耳に入る。
「ユリ?」
「ウルガ帝国、長の妹ユリ。だからガウルは……まあ家族よ家族。それよりも、折角皇帝斬りを狩りに来たのに、これじゃ暇つぶしにもならない」
ハチを倒した、ユリがハチへ近づいていく。
「弱いわねえ、これがザバラを斬った男か。こんな弱い男をどうやったら逃がすのか?」
服の下から縄を取り出し、ハチの両手足を縛っていく。
「皇帝斬りは私が貰ってくんだあ」
ユリはとても嬉しそうな笑顔を見せている。俺は急いでユリに近づく。
「ハチを離せ!」
ユリが真っすぐに、蒼い眼で俺を見る。
「どうして? 皇帝斬りの大罪人よ?」
そう言われればそうだ。でも、ガルデが戦わないようにヘイズを通じて伝えたはず。
「その……ハチと戦っちゃ駄目だって」
「誰が?」
「ガルデが」
「あのガキが! 偉そうにほざきおって!」
歯を食いしばるユリに牙が見える。
「なんか、素行が悪いから、父さんと母さんに戦いを禁止されてた」
「馬鹿があいつは、禁止されているのは人殺しだ。よっこいしょ」
ユリがハチを肩に担ぐ。ハチのほうが体が大きいのに、軽々と肩に担いでいる。
「どこ連れて行くの?」
「とりあえず、文政長のあいつに見せびらかしに行こう」
嬉しそうにユリがハチを運んで行く。俺たちはそれを眺めている。
「どうしよう?」
「ユリは……皇后よね?」
「そ、……そうだね」
「偉い人なのニャ?」
「ねえどうするの! ハチが連れて行かれちゃうよ!」
ドロップが歩いて行くユリを指さす。
「行き先は同じだし、付いて行きましょ」
ダンネが先に駆け、俺たちも続く。
「ところで、子供たちはこれからどうするの?」
俺はダンネを見る。
「どうすんだっけ?」
「サジル将軍に会って、一緒に文政長に会い、そのあと山に登る予定だったけど」
ダンネが動かないハチを見上げる。
「それもガルデの指示?」
「はい……そうです」
「ま、そこは正解と言ったところか」
何が正解なのだろうか。ユリの背後に首を傾げる。
「おーい!」
腰の両脇に刀を一本ずつ提げたサジルが、運ばれているハチを見て叫んだ。
「弱ったところを俺が美味しく頂こうという、俺の計画を台無しにしないでくださいよ!」
「相変わらず考えることが姑息ね、サジル」
「今日こそ俺が皇帝斬りの首を斬り落とそうと思ったのに、そりゃユリ様出て来ちゃ話にならんて」
サジルは落胆しながらも嬉しそうだ。
「すぐ倒せたわよ、弱かったし。これに負けた馬鹿はどこのどいつだ?」
「ザンガ、ファルテ、サジル……それと少々、お耳を拝借しまして」
サジルは本当に嬉しそうに、ユリへ近づいていく。
「皇帝陛下自ら挑もうと」
「なに?」
サジルが慌てて距離をとる。
「そこはガルデが止めました」
「敗軍の将を私の部屋に呼べ、シルヴァも呼べ」
「早速部下に」
「お前がいけ」
「はーい。行ってきまーす」
サジルは全速力で駆けていく。
明らかに腹を立てている、ユリが俺を睨みおろす。
「ガウル、この国どう思う?」
「どう?」
「思ったことを口にして」
思ったことか……。
「ハチがすんごい強い」
「それだけウルガ帝国が弱いということ。大罪人ひとり捕らえられず、何が国か! まあ、あなたにする話じゃないわね。あなたたち、ちょうどいいからついて来なさい。紹介したい男がいるから」
ユリが先を行き、俺たちは後を追う。ハチは大丈夫だろうか、身動きひとつ取らない。
「わあ大きい」
そんな言葉がつい漏れる。文政長のいる、文政局までやってきた。ダンネたちの学校ぐらい、大きい気がする。オオカミたちが入れ分かり出たり入ったりしている。数人はユリに気づき、立ったまま動かなくなる。ユリが前を通ると同時に頭を下げる。次第にその数が増えて行く。両脇に並んだ人たちに、怯えながらユリを追う。中に入ると、とても広々としている。
「ザアアアアアアアアスロオオオオオオオオオ!」
ユリの大声が建物を揺らす。あまりの大声に、俺は両を塞ぐ。
「うるさい!」
ふと声を漏らしてしまった。ユリが驚いた顔で振り返る。
「あーごめんなさい! そうか、ガルデの子供だったな。ごめんごめん」
ユリは顔を引きつらせながら、自らの頬を指で掻く。建物奥から、大きな男がこちらへやってくる。ザンガよりは大きくないけど。とても大きいオオカミの男だ。
「御用でしょうか?」
ユリがハチへ足元に投げつける。その衝撃で、ハチが眼を覚ました。
「あれ? 俺何してた?」
ハチは何が起こったか分からず、辺りを見渡している。
「皇帝斬りを捕らえた、あとはお前に任せる。手続きを済ませて首を斬り落とせ」
奥から来た男がハチを見下ろす。
「分かりました」
「なんで俺縛られてるんだ? おいガウル! 何があった!」
「ハチすぐに倒されたよ」
「倒されただあ! こんな酔っ払いにか!」
「誰が酔っ払いだ! とっとと牢にぶち込んでおけ!」
近くにいたオオカミの男たちが、ハチを素早く引きずっていく。
「おのれえ!」
ハチは連れていかれてしまった。
「ザスロ。ガルデの子」
「ほう、あのガルデが親になったと」
「ね、すごいでしょ。しかもこの子、気配が分かる」
「それはまた」
ザスロは表情を変えず、俺を見下ろす。体格だけでなく、何か他の要素が大きく見える。それが何なのかはよく分からない。
「それでこっちがザスロ。文政長官のザスロ」
初めてザスロが笑顔を見せる。
「初めまして、ザスロと申します」
「と、言っても。他と違ってガルデの教育係をしていた。ガルデが上から物言えない数少ない男だ。上手く使え」
僕は瞬きをする。上手く使え?
「御用があればなんなりと」
「ザスロは文政長官なの?」
「はい。ここで法律の作成をしています。皇帝と長の承認があり、初めて法が施行されます」
文政長官……どっかで聞いた気がする。ダンネに尋ねよう。
「文政長官って誰だっけ?」
「私知らない」
「そうなの?」
「うん、私は何も知らない」
ダンネは嘘をついている。
「嘘だ、ダンネは」
ダンネが必死に俺の口を手で塞いで来る。俺とダンネは掴み合いの喧嘩になる。
「喧嘩ニャ!」
「この黒い子は誰ですか?」
「知らん」
「ニャーはニャーだニャ!」
「やめてよふたりとも!」
ドロップが、俺とダンネに割って入る。




