第78話 医長ニヤメ
ハチの戦っている場所から少し北。通りの先は開けた広場になっていた。そこには呻き声をあげるオオカミたちが横たわっていた。白い服を着ているオオカミの人が、倒れている人を診ている。
「いた」
ガルデがとある人物に近づいていく。
「ニヤメ。この子が風邪なんだ、診て欲しい」
茶髪に茶色い眼をしたオオカミ、胸になにか入っている様な膨らみがある。
「風邪、ですか。分かりました、薬はこちらにあるので連れてきてください」
ガルデはドロップを抱えたまま連れて行く。ドロップが困ったように俺たちに視線を送っている。とりあえずついていこう。
「うわ! なに!」
急にダンネの悲鳴が聞こえ、振り返れば、ダンネがオオカミの少女に抱き着かれていた。
「なんか捕まえた!」
「誰!」
ダンネはそっと、オオカミの少女の腕を掴む。
「離して!」
「離さないもん!」
しかし、ダンネのほうが力が強く、自ら脱出し俺の背後に隠れる。オオカミの少女がニャーに狙いを定めた。
「この黒いのなに?」
「ニャーはニャーだな!」
「へえ……でも私、こっちのモフモフ尻尾がいい!」
オオカミの少女が、再びダンネに狙いを定める。少女とダンネが俺を中心に回り始める。俺たちと同じぐらいの少女だ。
「ねえなんで尻尾がモフモフしてるの?」
「キツネだから」
「キツネってなあに?」
「王国の東にキツネが住んでるんだよ」
「ねえ尻尾頂戴!」
すごいこと言い出した。
「だ、駄目よ! 私の大事な尻尾だもん!」
いつも強気なダンネが、謎の少女に翻弄されている。
「君だれ?」
「私? よく分からない」
謎の少女は本当に謎の少女だった。
「名前は?」
「ニヤメ」
「ニヤメって言うんだ」
「うん。お母さんの名前」
お母さんの名前だった。少女は周囲を確認している。
「さっきまでここにいた」
「もしかして、胸の大きい綺麗な人」
「うんそう」
「ガウルのお父さんを案内してくれた人だ」
さっきの胸の大きい綺麗な人が、この症状のお母さんなのか。症状はまたダンネの尻尾を狙い始め。俺を中心にふたりは回り始める。鬱陶しい。
「尻尾ちょうだい!」
「あげない!」
「私はキツネになるんだ!」
凄いこと言い始めた。
「キツネになりたいの?」
「だってモフモフ尻尾可愛いもん」
俺は両眼を瞑り、震えているカーリーを指さす。
「あっちにも尻尾あるよ」
症状はカーリーを確認する。
「あっちの尻尾いいや。なんか怖い?」
「怖い?」
「だって、凄い震えているもん」
確かにカーリーは震え続けている。人の眼が怖いから臆病なのを知っているが、知らない人から見れば怖いのか。
「カーリーは人の眼が怖いから、怯えているんだ」
「なんで?」
「知らない」
「パパが臆病者の男はいらないって」
カーリの両耳がゆっくりと下がっていく。今にも泣きそうだ。
「そ! そんなことないよ! 皆頑張ってるんだから!」
ダンネの言葉にカーリーの両耳起き上がっていく。ちょっと嬉しそうに見えた。ニャーは倒れているオオカミたちの合間を、軽やかに歩き続けている。
「負がいっぱいニャ! 敗者から出る悔しさ憎しみの負が吸い放題ニャ!」
あれは放っておこう。ひとまず、眼の前の症状をどうにかしないと。ダンネがずっと俺の影に隠れている。
「お母さんはあっち」
「そうなんだ」
少女は返事するが動かない。
「行きなよ」
「どうして?」
数回瞬きをする。確か、お母さんを探していたはずじゃ?
「お母さん探してたんじゃないの?」
「探してない。それより、どうなったらキツネになれるの?」
どうやらこの少女はキツネになりたいようだ。なんで?
「キツネになってどうするの?」
「だって可愛いんだもん。私もモフモフ尻尾になりたい」
俺は自分の尻尾を確かめる。あまり変わらないように見えるが……少女の尻尾はそれなりにモフモフしている。
「今のままで可愛いと思う」
「ほんと?」
「うんほんと」
少女はダンネの尻尾を眺める。
「じゃあキツネの尻尾は諦める」
やっと諦めてくれた。少女がいきなり俺を指さす。
「なに?」
「おっきな杖!」
ダンネと一緒に振り返ると、明らかに元気になっているドロップがいた。両手に杖をもち、何故か嬉しそうな顔を見せている。
「なんか……すごい元気だね」
「うん! お薬ひとつ貰って飲んだら元気になった!」
爽やかな笑顔を見せるドロップ、その背後へガルデとニヤメが戻って来た。
「ママ、キツネの尻尾とって」
少女がまた物騒なことを口にして、ダンネが俺の影に隠れる。
「とれる訳ないでしょ。怖がらせたのだから謝りなさい」
少女は両耳を下げ、ダンネに頭を下げる。
「ごめんなさい」
ダンネはずっと俺の背後に隠れ続けている。
「ニヤメ、この子がガウルだよ」
ガルデに紹介され、ニヤメを見上げる。俺はニヤメの大きな胸を指さす。
「どうしてこんなに胸大きいの?」
「間違いないわ、この子はパルムの子ね」
ダンネが俺の袖を引っ張る。
「そんなこと聞いちゃ駄目!」
「駄目なの?」
「駄目!」
ニヤメが俺を覗き込む。ちょっと怖くて数歩下がる。
「どう見てもお母さん似ね。それで、ひとりの中にふたりとか。訳の分からない話を聞いたけど」
ニヤメが俺にそっと両手を伸ばす。逃げようとした俺に「動かないで」と言葉で動きを封じられる。隣にいるガルデが笑っている。
「大丈夫だよ、ニヤメは怖いけどお医者さんなんだ」
「ガウルも見てもらいなよ! 僕元気になった!」
ドロップが元気になって良かったけど。元気すぎる気がする。
ニヤメが俺の顔を両手で掴む。
「ふむ」
少女がニヤメに近づく。
「ママなにしてるの?」
「お顔を見てるのよ」
「顔?」
「ええ、顔を見れば大抵のことは分かるわ」
ダンネが俺の顔を覗き込む。
「そうなの?」
「まあ一番良いのは、患者さんから正確に説明してもらうことだけど」
ニヤメの眼が怖くて、俺は後ろに下がろうとする。けれど、ニヤメの両手がそれを許さない。澄んだ茶色い眼がじっと俺を捉えている。
「皆で何してるニャ?」
ニャーが戻って来た。同時にニヤメが両手を離す。
「流石に病気の類じゃないわね、最近、どっか悪いとかある?」
俺は少し考える。以前に比べれば体調は良いほうだと思う。
「大丈夫」
「そう。それなら良かった」
ニヤメが無表情で、ガルデに顔を向ける。
「皇帝斬りの首はいつと届きます」
「いまヘイズと戦ってるよ。ヘイズは負けるだろうね」
「誰でも良いので、早く皇帝斬りの首を落としてください。打撲、骨折の患者が増え続ける一方です」
俺はガルデを指さす。
「ガルデは戦わないんだ」
「でしょうね、素行の悪さが災いして。戦闘行為全般を長に禁止にされているのだから」
ガルデが咳ばらいをする。
「ニヤメ」
「素行の悪さ?」
「殴る蹴る」
「ニヤメ!」
「あなたのお父さんは強すぎるの」
「ニヤメえ!」
ガルデがニヤメに困った顔を向けている。ガルデは強いのか。
「じゃあ、ガルデがハチと戦ったらどっちが勝つ?」
「ハチ?」
「うん! 皇帝斬りのハチ! ガルデとハチが戦ったらどっちが勝つ?」
周囲から呻き声が全て消えた。
俺は楽しく尻尾を振る。ハチはすんごい強い! ガルデも強いなら、戦って勝つのはどっちだろう? そんなこと考えていると、ニャーがニヤメに登り始めていた。ニヤメは何も気にしていない。
「そうね……どう?」
「僕に直接聞かないでよ」
ガルデはため息を小さく吐いて、俺を見下ろす。
「楽しそうだね?」
「うん! だって、ハチはすごい強いし、ガルデも強いんでしょ! どっちが強いのか気になる!」
「ちょうどニヤメもいるし、確認しておこう。ガウル、無性に暴れたいとき」
ニヤメがガルデの前に手を上げる。
「聞き方がちょっと違うわね。ねえガウル。無性に興奮するときとかある?」
俺は共和国での出来事を思い出す。トルピーに対して抱いた情だ。ガウルの手掛かりを残したトルピー。どうしてもそれが説明できないほどの情をもたらした。
「あった。でも怖かった」
ガルデとニヤメはふたりして、驚いた表情を見せ向き合う。
「そんなとき、パルムはこうしなさいとか教えた?」
「うん。二回手を叩いたら、全てを忘れて追いかけなさいって言われた」
ダンネが俺の顔を見る。
「そういえば、港でハチを追いかけてた」
ドロップがダンネに近づく。
「確か……大きな音が駄目で、長い説明が理解できなくて、非常時には手を二回叩いてと言われた」
俺はドロップに顔を向ける。
「非常時ってなに?」
「わ、分からないよ」
ガルデが俺の頭を撫でた。咄嗟にその手を振り払う。けれど、ガルデはまた俺の頭を撫で始める。
「頭触るな!」
「まあ、パルムの血が入ったから。この辺りのことは大丈夫だと思いたい」
「私のママに登らないで!」
少女がニャーを引きずり降ろそうと、服を掴んでいる。
「ニャーは頂きに登るのニャ!」
「そうだ皆で山に登ろうぜ!」
ハチの声が聞こえてきた。笑顔のハチ、右手に……動かないヘイズ将軍を掴み、ヘイズはぐったりして動かない。そんなハチはニヤメを見てヘイズを離す。
「すっげえ美人がいる!」
ニヤメがハチを睨む。
「これ以上、患者を増やすのはやめて」
ハチは両手を広げる。
「しょうがねえじゃん! 襲われてるのは俺だぜ!」
「そりゃあ、皇帝斬りは大罪なんだから」
俺はガルデとハチを交互に見る。今なら確かめられる!
「ねえハチ! ガルデは強いんだって! どっちが強い!」
「知るか。なんだ次の相手はこいつか?」
俺は首を横に振る。
「ハチは戦えないんだ、禁じられてるんだって」
「誰に?」
「お父さんと母さん?」
「なんで?」
「素行が悪くて強すぎるからって」
「ガウル!」
ガルデに怒られ、俺は両耳を下げる。
「怒られた」
「怒られてるニャ」
ハチがじっくりと、ガルデを眺める。
「ちょうどいいや、山登る前にいっちょ戦おうぜ」
やる気満々のハチに対し、ガルデは眼を逸らす。
「僕はいいよ。戦う気はないし」
「まあ見るからに、腰抜けの臆病だからな」
明らかな挑発にガルデが乗る。ハチを睨んだのち、ガルデは両眼を必死に瞑る。
ニヤメが自らの体に登っていた、ニャーを掴んで降ろす。
「ニャ」
「ガルデ、落ちついて」
「でもニヤメ、ここには父さんも母さんもいない」
「駄目です。長の怒りに触れますよ」
止めようとしているニヤメに、ハチが悪い笑顔を見せる。
「なに少しぐらいんらバレないさ」
その言葉に、ガルデがやりと笑顔を見せる。近くに倒れている人へ足早に近づき、傍らに置いてある刀を見下ろす。
「お借りしても?」
倒れ苦しんでいる男が、ガルデに驚きの表情を見せる。
「ぜ……ぜひ!」
「ありがとう」
ガルデが刀を手にし、こちらへ戻って来る。
ハチが「おやおや」と声漏らす。
俺の感覚が悲鳴を上げている。強烈な気配とは別、これから戦えるであろうことの喜びが全身から感じ取れる。ハチは今まで多くの人を殴り倒して来た。みんなでハチを殺そうとしてた。それは皇帝斬りという罪人だからだ。
しかし、ガルデ……俺の父さんは雰囲気からして違う。素行の悪さ、強すぎるが故なぜに遷都行為を禁止された。いまのガルデを見て理解できた。ハチは戦って暴れたい気性の粗さ。ガルデは……眼前の敵を叩き潰したい類のオオカミだ。ハチもそれを感じ取ったに違いない、真剣な顔で刀をゆっくりと鞘から引き抜く。ガルデも同様。
今まで倒れて呻き声上げてた人たちが、体勢を変え全員こちらを見ている。
「私は止めましたよ」
ニヤメがニャーの襟と、症状の腕を掴んで離れる。
「ダンネ、ドロップ。こっちに来て」
ふたりはすぐに俺の背後に隠れる。カーリーは既に離れ、両目を瞑り離れていた。
ハチとガルデが刀を構えて対峙する。そのふたりが……いや。俺の頭の中で、勝手にふたりが戦い始める。急に浮かぶ映像に、両眼をつぶりそのまま何度もつぶりなおす。両者の刀がぶつかりあう。すれすれを刃が通り、ハチが刀の峰内でガルデを叩く……ガウルではその隙をついてハチを斬り殺す。駄目だ、死人が出る。
少々、見たい気もするが。これは止めねばならない。子供たちには悪影響だろう、それに血は好まん。さて如何にして止めようか、割って入るは不自然なり、しかして己に武器はなく。既にふたりの戦は幕を開け、刀を振るはどちらが先かのみ。ふたりか。背後に隠れるダンネの腰、両脇にはフォクシイから受け継いだ白蛇の双剣がある。
僕はダンネの双剣を黙って手にする。
「ちょっと」
「貸して」
両手に持つ小さな剣を巧みに手で回す。そして、ふたりが手にする刀に狙いを定める。ハチとガルデ一歩前へ踏み出し、最初の一撃をぶつけ合う。ハチは峰内のまま、ガルデは刃を向け。ふたりは想像どうりの動きをする、ハチは純粋に戦いに明け暮れるも、ガルデのそれはよろしくない。先ほど、ガルデは血を気にしていた。それは恐らく勘違いだろう、血の香りはしない。口調からして理性はあり、暴れたい人間など禁止されようと暴れる。あれが僕の父になるのか……弱い。いまだ未成熟と言ったところか。つい、僕は小さな剣を手にしたまま、自らの頭を撫でる。急に撫でられて嫌悪を抱いた。当然だ、全員が頭を撫でられて喜ぶ訳がない。けれど……あれが僕の父になるのか。
俺はため息を吐き、そっと両眼を瞑り剣を一本ずつ投げる。剣はふたりの刀に命中し、ふたりとも綺麗に刀を落とす。ハチは驚いた表情を俺に向け、ガルデは俺に怒りの感情を向ける。ガルデが俺に詰め寄ろうとした瞬間、ハチがガルデの肩を掴む。ガルデがハチを睨む。
「離せ」
「いや離さん」
ハチは僕に指をさす。
「あいつは別のガウルだ」




