第75話 寝室の縄張り
北東に足を踏み入れようとしたハチ。足を止め空を見上げる。
「うーん」
「どうしたの?」
「夜になるな」
空を指さしたハチ、俺は空を見上げる。夕暮れから夜になろうとしていた。
「俺はまあ夜通し暴れてもいいんだよ。でもほれ」
ハチが指をドロップに向ける。ドロップは杖を手に、今にも眠りそうになっていた。眼を瞑り落ちそうになっている首を、かろうじて持ち直している。
ニャーが右手を軽く握り、ゆっくりと上に上げていく。何を思ってのことか、右手をドロップの頭に降り下ろす。
「いた! 寝てないよ!」
「寝てたニャ」
「寝てたな」
ドロップの顔が少し赤くなったかと思えば。また眼が虚ろになっていく。
「寝てるニャ」
「駄目だ話にならん! 他に眠い奴は手をあげろ」
ハチ以外、皆で手を上げる。眠い。
「子供は寝る時間ニャ」
「まったく。サジルとは戦えねえし、これから北東の軍とやりおうってときに」
ハチは通りの先を眺める。そんなに戦いたいのか?
「どうしてハチはそんなに戦いたいの?」
「そりゃあ楽しいからだよ」
「楽しい?」
「武の強さはただひとつ、武のみ。俺の強さがどこまでなのか試してえ」
「ハチはもう強いよ思うよ」
「いやまだだ。前は変な気配を感じて帝国から逃げた?」
「どんな気配?」
「そうだなあ……押して来る感じ?」
ハチは首を傾げる。俺も首を傾げる。
「押して来る?」
「まあ見れば分かる。ところでガキ共の寝る場所だ。前みたいに道端で寝かせる訳にもいかねえしなあ」
「オホン!」
変な声が聞こえた。少し離れた建物の角、笑顔の……ヘイズ将軍が口に手を当てている。
「どうやら風邪を引いてしまたったようだ。おっと大変だ! 体調の悪さから地図を落としてしまった!」
ヘイズが紙を投げ捨てた。
「この地図は泊まれる場所と食事を出来るとこが書かれている貴重な地図だ! それを体調が悪いせいで落としてしまった! こんな汚れた地図はもういらない! 僕には新しい地図があるからね! さて帰って眠るとしようか! 貴様ガウル様に怪我でもさせて見ろ、生きて返さん」
消えかかる直前、ヘイズがハチを睨んだ。
「なんだあいつ?」
ニャーが軽やかに地図を取りに行く。落ちた紙を手にして戻って来る。
「地図ニャ」
ニャーがハチに地図を渡す。
「お、すげえ。泊まれるところはあっちだな。行くぞおガキ共」
歩き始めた俺たちに、ダンネが「ちょっと待って」と声を掛ける。
「なんだ?」
「その地図、もしかして罠じゃないの?」
「いやそれは無いな。あの男は明らかに、ガウルの……いやどう考えてもガウルのための地図だ。以前は寝る暇も無いぐらい俺を殺しに掛かって来ていた。それが来ねえ。ガウルに怪我させたくねえんだろうよ」
ダンネが俺を真っすぐに見る。
「ガウルってやっぱり偉いんだ」
「知らないよ」
「いや、相当身分は高いと思うぞ。こうして道のど真ん中でお前たちと話してること自体おかしい。俺はちょっと物足りねえ気はしてるが」
「ハチは怖くないの?」
皇帝斬りの罪人だから、この国の人たちに狙われるのは分かる。でも、明らかにハチを殺そうとしている。それでもハチは平然としている。
「怖くはねえな、手応えがねえ。王国は平和すぎて反吐が出る。ちょうどいいから、山に挑んでみようと思った訳よ」
「ね……ねえ……」
カーリーの小さい声が聞こえる。半ば眠っているドロップを、カーリーが支えていた。
「とりあえず寝るかあ。俺は寝れんのかな?」
ハチが地図を見ながら歩き出す。俺たちは後を追う。
通りの一角にある宿屋へとたどり着く。ハチが刀の柄にそっと手を置く。
「誰もいねえかのか?」
人の気配がしない。
「人の気配が」
「人の気配が」
俺とハチは顔を向け合う。
「ねえよな?」
「うん」
「じゃあ好きな部屋……鍵が置いてあるな。番号からして二階か?」
ハチは誰もいない宿屋を歩いて行く。奥にある階段を上がって二階へ。二階廊下は窓から差し込む月明りしかない。暗くて怖いのでドロップに抱き着く。
「うぇえ! なに!」
「寝てたニャ」
「そう……」
ドロップはまた眠り始める。
「ガウル、ちょうどいいから、そのままドロップ連れてって」
ダンネに言われ、ドロップに抱き着きながら押して行く。
「この部屋か」
ハチが扉を開いて中に入る。
「おおすげえ! ベッドが六個もあるぞ!」
俺は部屋に入り、一番違いベッドのドロップを落とす。ドロップは完全に眠っていた。そのままにしていたのを、ダンネが近くの布をドロップに被せた。カーリーが震えながら別のベッドへ横になる。俺はカーリーへ、ベッドに用意されていた白い布を被せる。少し上から叩いていく。すると、カーリーは白まんじゅうになった。
「ねえハチ」
ハチは窓から外を眺めていた。
「なんだ?」
「カーリーはこうなると、よく喋るんだよ」
ハチがカーリーに振り返る。
「なんかすごい綺麗な丸になってんな」
「こうするほうが落ち着くんだ」
「うお! ほんとだ喋ったぞ!」
「ごめんなさい、人の眼が苦手で」
「そうなると喋れるのか?」
「うん」
「変わった奴だな。まあでも視野は見かけによらず視野は広いな」
「そうなの?」
「足音で気づいた。こいつはわざと最後尾を歩いてるぞ」
「人の眼が苦手だからね」
「その話し方からすると、ただの臆病者じゃねえな」
「カーリーは本当に頭が良いんだよ」
「へえ!」
ハチが笑顔でカーリーのベッドへ腰降ろす。
「何か面白い話してみろよ!」
「そんな急に言われても……」
ダンネがベッドへやって来る。
「ウルガ帝国のことどれぐらい知ってるの?」
「歴史は殆ど知ってるよ」
歴史か。俺にある記憶の手掛かりも知ってるのかな?
「じゃあよ! 山の歴史を教えてくれよ!」
「山?」
「ほら! 帝国が出来る前の話だよ」
「結構長いよ?」
「大体でいいよ暇つぶしに面白いの頼むよ」
「じゃあ……ウルガ帝国の前身、それは王国から西。ここに移り住んだオオカミたちが今のウルガ帝国の北にある山に移り住んだ。最初は皆ひっそりと暮らしてていたんだけど。あるとき、オオカミたちが争い始めたんだ。ひとりが長を名乗ると、その他のオオカミも自ら長を名乗った。これが六狼族。長年の戦乱を経て、長であるウルガが山下の降伏を持って戦乱の世は幕を閉じた。その後、長であるウルガは二国に遅れをとっていると、ウルガ帝国を発足させた」
ハチが空いているベッドへ横になる。
「初代皇帝に葉、山下守護の家臣だったザバラになったけど……」
「俺が斬った」
「そうだね……その後。皇帝ザバラに、長の双子の妹であるユリが嫁ぎ皇后となった。世継ぎとなる息子が生まれたんだけど、病死してしまったんだ。ここからはあまり口にしないほうがいいかもしれない。ウルガ帝国は世継ぎの死で荒れ始めた。皇帝ザバラも疲弊していき、皇后のユリは隠居することになった。この隙を見て、悪事を働く人が多かった。横領、汚職、中には犯罪を隠蔽していたとさえ言われている。そのまま帝国は栄えることが出来ず。ときが経ち、ハチが皇帝ザバラを斬った。ハチの話はハチから聞いてね。皇帝ザバラは心身ともに弱り果て隠居の身に。ここで悪が栄えたと言っても過言じゃない。それは長の怒りを招いた。決定的な証拠を元に、長が四将の処刑を命じた。汚職をしていた四将は処刑され、いまの将軍に代替わりした。その後、王国では反国王派の貴族が反乱を企てた。王国とウルガ帝国……フォクシネル共和国もだけど。三カ国は同盟国。だから、ウルガ帝国は全軍を率いて王国の反国王派を叩き潰した。そのウルガ帝国の留守を狙って、ガウルのお父さん、長の息子であるガルデが……最終調整をした。誰が敵か誰が味方を選別したんだ。旗色選別、なんて呼ばれているよ。ガウルのお父さんは歴史から見ても変わり者なんだ。長に異を唱えれば罰し、逆に長に異を唱えてなお味方にみたいな人で。とても難しい人なんだ。帝国軍がウルガ帝国に戻れば、既に帝国から反旗が完全に消えていた。このときガルデは帝国に文政官を設けた。法律と行政を担う組織であり、軍の権限から半数ほど権限を文政官に移譲した。文政長にはガルデの側近、ザスロが文政長官となり帝国の治安維持に努めている。こんなもんかな」
話が難しすぎて途中から訳が分からなくなった。寝よう。俺は空いてるベッドへ倒れ込む。
「お前、よくそんな難しい話知ってるな」
「これは、僕も父さんから聞いた話なんだ」
「へえ物知りな親父だな」
「ハチの話もしてたよ。僕の父さんはハリスだよ」
「ハリス……あいつの子供がお前なのか! 似てねえじゃん!」
「それは……よく言われるよ」
「ちなみによ、帝国で強い奴って誰だ?」
「それは難しい質問だね。共和国は情報を生業にしてるから」
「あと何聞こうかなあ」
「僕もしかして、ずっと質問されるの?」
ハチがくだらないことを質問し続ける横で、俺はそっと眼を閉じた。
強烈な気配に眼を覚ます。何かに押されるような……ハチの言っていることを理解した。どこからだ? 部屋では既に皆ベッドで眠っていた。月明り差し込む窓。外を見ると、見える屋根に誰か座っていた。雲ひとつない星空に、月が光輝いている。屋根の上に座る人影、その月を見上げながら何かを飲んでいる。その人影、不意に俺へ顔を向けた。つい咄嗟に隠れてしまう。見られた? 見ていることに気づかれた? そっと外を覗いてみると。月を見上げていた人影は無くなっていた。
夜も更けたせいか、階下から扉が開く軋む音が良く聞こえた。足音を消しているのか、床板の軋む音だけが聞こえてくる。軋む音が一階を歩き、階段を上がり、俺たちがいる部屋へ近づいて来る。誰が来たか分らない、急いで眠っているハチを揺する。皆を起こさないように声を抑える。
「ハチ! ハチ!」
「どうしたあ?」
ハチは眼を開けない。
「誰か来たよ!」
「大丈夫だ……人の気配は……」
ハチはこの音が聞こえないのだろうか? 床板が踏まれ軋む音が、部屋の扉の前で止まる。扉一枚隔てた先から、強烈な気配を感じる。ただ……なんだろう。そこに恐怖は無かった。俺は扉に近づいていく。知らない人が近づいて来る恐怖はあった。なのに、気配が近づくにつれ、その気配は大丈夫だと確信していった。扉の前に立ち見上げる。
「誰かいるの?」
扉の先からは返事はない。少しだけ待っても返事はない。誰か気になり、俺は扉を開けてしまう。二階の廊下に誰も居ず、あるのは月明りだけ。ここに気配はもういない。ちょっと、会いたい気もした。幽霊が怖いので急いで扉を閉める。




