第73話 前哨戦
周りがうるさくなった。
「ヘイズ将軍が言うなら嘘はないだろ」
「じゃあなんで皇帝斬りと一緒にいる?」
「どうする? 仕掛けるか?」
「馬鹿! 怪我でもさせたら本当に首が飛ぶぞ!」
俺はパンを食べ終える。美味しかった。皆パンを食べ終えているのに、ダンネは半分残ってる。
「どうしたの?」
「美味しくない」
「そこまで酷くなかったと思う」
「すごいバサバサしてる」
「食べられないならニャーがもらうニャ」
「うん……お願い」
ダンネは残したパンをニャーに渡す。
「頂きニャ!」
ニャーはパンを貪り始める。周囲のオオカミたちが武器を構えている。ドロップとカーリーを確認すると、かなり怯えている。ドロップは泣きそうになっている。カーリーはいつも通りだ。
「ただいまあ」
巨大のザンガが配給所に姿を見せる。皆が「将軍!」と駆け寄る。
「ヘイズ将軍が、あの子供が長の孫だと」
「間違いないよ」
全員がどよめく。
「パン食べたかい?」
「まずかったぞお!」
「味は我慢してね。さて! 机と椅子を片付けろ」
ザンガのひと声で、机と椅子が壁際に手際よく片付けられていく。
「全員武器を降ろせ。素手で構え」
オオカミの人たちが全員武器を降ろす。
「食後の運動には持ってこいだ! ガキ共はどうするよ!」
「後ろに隠れて頂こう。パン焼いてるふたり! お前らはガウル様の警護だ!」
「は、はい!」
「じゃあガキ共! 俺は今から食後の運動するから隠れてろ!」
カーリーとドロップが、真っ先に後ろのカウンターに隠れる。ニャーとダンネも隠れ、俺もゆっくりとカウンターの背後に隠れる。奥に大きな窯が見える。あそこでパンを焼いているのか。ニャーもそれに気づいて釜をに近づく。
「ここでパンを焼いてるニャ?」
「そ、そうですが」
「ニャーも焼くニャ!」
「じゃ、じゃあ次にこの生地を窯に」
何故かニャーは、オオカミの男とパンを焼き始めた。俺はゆっくりとハチを眺める。ドロップが俺を引っ張る。
「危ないよ」
「大丈夫だよ」
ザンガがゆっくり壁に背を預ける。
「殺せ」
そのひと言で全員がハチに飛び掛かる。ハチは集団に怯えることなく、ひとりひとり捌いて行く。一撃で確実にひとりを沈める。拳で、足で。最初に飛び掛かった一団が全員床に倒れる。すんごい強い。隙をついた男がハチに襲いかかる。左足を軸に右脚を回し蹴りを繰り出す。ハチは左手で軽々と防ぎ、距離を詰めて右拳を振る。男は両腕で咄嗟に防御するが、その防御ごと男を床に叩き伏せた。すんごい強い。ハチってあんなに強かったんだ。俺は怯えているダンネの肩を叩く。
「ダンネも見なよ」
「嫌よ! 怖いもん!」
「見るべきだよ、じゃないとフォクシイの双剣が使えないよ」
ダンネは動かなかった。怖いのだから無理もないだろう。ハチを眺めていると、また別の集団と戦っていた。俺の隣でダンネが恐る恐る顔を出す。
「ハチが男の人たちを殴り飛ばしてる」
「俺の記憶が正しければ、フォクシイはあれぐらい強いよ」
ダンネが俺に驚いた表情を見せる。
「建国の母ってそんなに強いの!」
「うん。あれぐらい」
ハチは容赦なく男たちを殴り飛ばし、蹴り飛ばしている。防御態勢をとってもその上から容赦なく叩き伏せる。それに、ハチの体が少し大きくなったように感じる。ほんの少し。配給所にいた殆どが床に倒れ呻いている。痛そう。配給所の入り口からまた別の集団がハチに近づく。ザンガが言っていた、ハチにぶつけたい人たちかな。
「次」
ザンガの言葉に複数人が同時にハチに襲い掛かる。ハチはいつも通り一撃で眼前の男を叩き伏せようとしていた。その脇から別の男が拳を繰り出し、ハチは間一髪で避けたと思えば、また別の方角から蹴りを繰り出され、体勢を崩しながら後ろに下がる。その隙をつこうとした三人が前進する。体勢を崩しながらも片足で床を蹴り、一気に前進したハチがひとりの顔面を蹴る。対応しようとしたふたりが、時差をつけて攻撃をしようとしたが、ハチが先んじてこれを叩く。
「強いな」
隣でダンネが唾を呑み込む音が聞こえた。
「これでふっくら焼けるニャ?」
「膨らめば」
ニャーは相変わらずパンを焼いている。ドロップとカーリーはふたりして、両手で頭を抱えている。俺はハチに視線を戻す。ザンガが連れてきた集団がもう半分減っている。
「おいおい大将は図体がデカいだけか?」
明らかにハチがザンガを挑発した。
「大事な部下を育てるのには好都合でね。皇帝斬りは人を殺さん。こちらは全員それ相応の覚悟で挑んでいる。安心してくれ、僕は最後だよ」
「俺を弱らせてから戦うってか? 姑息な野郎だ」
「嫌なら辞めてもいいが」
「舐めてんのかよ! やろうぜ!」
ハチはお酒が抜けると、あんなに狂暴になるのか。
ダンネが俺の袖を引っ張る。
「私どうすればいいの?」
「ダンネは火の粉だけ払えればいいよ」
「火の粉?」
「うん。ダンネのことは俺が守るから。とりあえず、ここぞと言うときに震えるのやめて」
「う、うん」
「あ、あとハチがさっき嘘をついた」
ダンネの袖を引っ張る。
「どこで?」
「殺しは趣味じゃないって」
「あー、戦えればいいのであって、殺しは趣味じゃないって。それが嘘なの?」
「うん」
記憶力いいな本当に。
「でも、難しい嘘ね。でもあの感じだと」
ダンネがハチに顔を向ける。ハチはまたひとり殴り飛ばしている。ダンネは俺に顔を向ける。
「戦いたいのは本当だと思う。そうなると、殺しは趣味じゃない……誰かに禁じられてる?」
「なんで?」
「殺しが趣味じゃない、なんて普通の言葉よ。でもハチが嘘をついたなら、人を斬ることを禁じられているとか」
「そう言えば、育ての親が怨霊とか言ってた」
「なにそれ?」
「よく分からない」
「分からないことだらけね」
ダンネと一緒にハチに視線を戻す。ハチは最後のひとりを蹴り飛ばしていた。床は倒れた男の人たちでいっぱいだ。
「ようし次も勝つぞお!」
ハチは伸脚している。
「ふっくらしてきたニャ!」
「もうちょっとだね」
ニャーは相変わらずパンを焼いていた。
壁に寄り掛かっていたザンガがゆっくりとハチに近づいていく。歩く動作につられて動く尻尾が不気味に見える。構えを見せずそのままゆっくりとハチへ歩いて行く。ハチですら見上げるほどの背の高さ。
「相変わらずでけえなあ」
ザンガが乱暴に右手を振り、左手を振る。ハチを掴もうとしたのか、しかしハチは後ろに下がる。ハチはまた床を蹴り右足をザンガの腹に叩きつける。ザンガは気にすることなく、ハチを右手で弾き飛ばす。ハチは床に落下するが、すぐ起き上がりながら距離をとる。ザンガがお腹をさする。
「痛いなあほんと」
「頑丈すぎんだろ!」
「僕は別にこんなに大きくなる理由は無かったんだけど。それより前より弱くなったんじない?」
「ああ?」
ザンガがハチをと挑発した。ハチが唸り声をあげる、怖い。
「いやほら、前はもっと重かったと」
ハチがザンガに飛び掛かる。たぶんそれがザンガの狙いだったんだろう、ザンガは右手を伸ばしてハチを掴もうとした。なのに、ハチはその右手と胸倉を掴んでザンガを力づくで地面に叩きつけた。
「誰が弱くなったって?」
「最初から本気を出せばいいだろ!」
ザンガの右手で、ハチの左足首を掴む。
「……あれ?」
ふたりとも動かなくなった。何をしているんだろう。よく見ると、ザンガがハチの左足を引こうとしている。けど引けない。
「誰が弱くなったって!」
「これは話にならないな」
ハチが右拳をザンガに叩きつける。床板がひび割れる音が響き、配給所の建物が大きく揺れる。床に倒れていた何人かが慌てて外へ逃げだして行く。ザンガは両腕を十字にしてしっかり防御していた。そんなザンガの胸倉をハチが掴む。巨体を強引に壁へ投げつける。
「誰が弱くなっただ!」
ザンガは横の姿勢で背を壁にぶつけ、そのまま床に倒れる。
「将軍が投げ飛ばされたぞ!」
「あの体が浮いたぞ!」
「痛いなあもう」
ハチはザンガに近づいていく。
「てめえだけは絶対に許さん! 誰が弱くなったって!」
ザンガはゆっくり立ち上がる。
「悪かったよ、撤回するよ」
そのザンガの姿勢は降参していない。ハチをあえて誘っているのだろう。ハチが右手を少し動かした瞬間、ザンガが起き上がると同時に右拳を繰り出す。が、ハチが左拳でザンガの顔面を殴り、ザンガはゆっくりと床に倒れた。
「ハハハ馬鹿め! 俺を誘って一撃を、この俺が見逃すと思ったか! よっしゃあ俺の勝ちだ!」
「パンがふっくら焼けたニャ!」
「ようしそのパンをひとつ俺に寄越せ!」
カウンターまで来たハチに、ニャーが熱がりながらパンを運んでくる。
「焼き立てニャ! あっついニャ!」
ハチは熱々のパンを掴み、食いちぎる。
「帝国最高! どいつもこいつも強いじゃねえか!」
配給所は将軍を含めた人たちが倒れている。
「ハチって強いんだね」
「まあな。それでもポチの方が強いぞ」
「そうなの?」
「そこは気づかなかった。野郎は気配消すのがうめえ、いちど仕掛けようとして気圧されてやめた。そこで寝転がっているザンガいるだろ」
そのザンガがゆっくり起き上がる。
「あーいてて。また負けたあ、怒られるう」
「起きたな。あいつも強いが、ポチは格が違う」
「へえ」
「それで、いまお前はどっちなんだ?」
「それが、なんかひとつになったらしい。確か器に」
「ああもういい! 難しい話は無しだ。食うか?」
熱々のパンを差し出され、俺は手に持つ。
「熱い」
「焼き立てだからな」
「ニャーが焼いたニャ!」
ニャーを見ればパンを振り回していた。
「何してるの?」
「冷ましてるニャ!」
ハチが俺たちの警護を任されたふたりを睨みつける。
「おいそこのふたり!」
ふたりは身構えるが、ハチは倒れてる人たちに指をさす。
「さっさと助けに行け」
長たる将軍が敗北している以上、勝ち目がないことは眼に見えている。ふたりの男はハチを睨みながら、倒れている人たちを助けに行く。
「あれ他はどこ行ったよ?」
「ここで怯えてるよ」
ドロップとカーリーが、ハチから少しずつ距離をとる。
「おいおいそんなに怯えることないだろ! そんな大したことしてねえよ!」
俺は熱いパンを食べながら配給所を眺める。大勢のオオカミたちが床に倒れている。これが大したこと無いと言うのであれば、何が大したことになるのだろうか?
パンが美味しい。




