第70話 破壊される静寂
牢から無事解放されたニャー、両手を前に出して飛び掛かろうとするので、俺が咄嗟に取り押さえる。両手足をバタバタさせるので、対応に困っている門番から離して行く。
「ニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
ニャーの大声が強烈に炸裂する。俺の両耳がその大声をしっかり捉えてしまう。耳鳴りが発生する。
「よくもニャーを閉じ込め」
ニャーを勢いよく回しこちらを向かせる。今の大声は流石に怒りを覚えた。俺はニャーを睨みつける。
「俺の傍で二度とその大声を出すな!」
横になっていたニャーの両耳が後ろに下がり、両目を細くして顔をゆっくり逸らす。
「怒られたニャ」
ニャーを突き飛ばすと、ニャーは突き飛ばされた勢いを利用し、カーリーの背後に隠れる。ニャーを睨み続ける俺がカーリーも睨むことになる。
「ひい!」
情けないカーリーの声に我に返る。耳鳴りが酷いので、頭上の両耳を手で軽く抑える。
「あ、あの」
声をかけられ睨みながら振り返る。ここまで案内してくれた門番の兵だと気づき、慌てて表情を元に戻す。
「なに?」
「宜しければ、山上までご案内しますが?」
耳鳴りが酷くてそれどころじゃない。
「静かな場所に行きたい」
「静かな場所でございますか?」
「そう! 静かな場所!」
ダンネが近づいて来た。
「宿に泊まりたい!」
「それなりの宿は御座いますが」
「じゃあそこでいいです!」
ダンネがチラチラと俺を眺める。
「なに見てるんだ?」
「だってガウル凄い怒ってるもん」
「怒るに決まってるだろ、あのクソネコが! 俺の両耳を潰しやがった!」
カーリーの背後からニャーが顔を覗かせる。
「誰がクソネコニャ」
とても小さい声で抗議してきた。
「でしたら宿にご案内します。こちらへどうぞ」
皆で門番の後について行く。ウルガ帝国の街中は……静かだ。かなり広い土剥き出しの大通り、お陰で空が良く見える。家は飾り気のない木造。家の扉が床板で作ったみたいな粗雑な扉。オオカミの人々が数人歩いているが、笑い声も話し声も聞こえない。ちょっと静かで良いなと思ってしまう。ダンネが門番の人に近づく。
「山上って遠いの?」
「山道が険しく、山全体が長の敷地となっております。登り降りで丸一日はかかる距離でございます。また、勝手に登るは断罪される恐れがあります」
「じゃあ、私たちが真っすぐ山上を目指しちゃ駄目だったの?」
「いえ、ガウル様のご親友なれば問題ないでしょうが……失礼を承知で申し上げますと。少々騒がしくなるかと」
俺は絶望に落とされる。騒がしくなるのか。
「それって人が大勢動くということ?」
「書類と手紙を拝見しまして……お孫様の存在を私も初めて知りました」
ダンネが勢いよく手を上げる。
「ガウルってこの国だとやっぱり偉いの?」
「まずご身分が違います。ご案内させて頂けるだけでも名誉です」
ダンネが俺を確認するように、頭の上から足の先まで何往復もする。
俺はそんなダンネを睨みつける。
二階建ての宿屋の一室。ベッドがふたつあり、俺はそのひとつに前のめりで倒れ込む。どういう神経をしているのか。俺の上でニャーが背伸びをしている。
「ウニャア!」
「どけ」
「もうちょっと待ってニャ」
「いま俺の怒りを吸ってるな?」
「うまうまニャ」
こいつは本当に化け物じゃないのか? いまの俺の怒りはニャーから来ている。それが徐々に引いていくのが分かる。ニャーが自分で人を怒らせ、その負の感情を吸えるなら……もうニャーについて考えるのはやめよう。起き上がるついでに、ニャーをベッドへ転がり落とす。
「ウニャン」
気晴らしに窓から街を眺める。家の形状に統一感がない、王国や共和国は屋根の高さや見た目が統一されていた。ウルガ帝国はなんと言うのか、街並みがガタガタだ。屋根の高さが合っていない。一階しかない家もあれば二階建てもある。平らな屋根もあれば、斜めの屋根と……不揃いだ。そんな屋根の上を、大人たちが駆けている。大人たちは皆、手に刀を握っている。
「ねえ、屋根の上で何かしてる?」
「どれ?」
ダンネが近づいて来て窓の外を見る。
「あ、ほんとだ……なにしてるの?」
どうやら先頭のオオカミを追っているらしい。そのオオカミと周りの大人たちが刀を振り合っている。そしてひとりが倒れふたりが倒されていく。
「ねえいま斬ったんじゃない!」
「いや、斬ってないよ」
「どうして分かるのよ!」
「刀を逆さに持っているからたぶん……斬れないと思う。それに」
血の臭いもしない。これは口にしないでおこう。ニャーも窓に近づいて来る。
「凄いニャ! 戦ってるニャ!」
「ねえこれ誰かに伝えたほうがいいのかな!」
追われている男が屋根を駆けこちらに近づいて来る。
「こっち来てるニャ」
「本当ね」
「ね、ねえ。皆下がったほうが良いよ。危ないよ」
ドロップの弱弱しい声が背後から聞こえてくる。
「ドロップは弱虫ニャ!」
「でも私怖いかも」
追われている男は本当に強い。追っ手を全てひとりで片づけている。
「すごい近くに来たニャ」
ダンネが俺とニャーの服を引っ張る。
「ねえ下がろうよ」
流石にこっちには来ないだろうと眺め続ける。オオカミの男が屋根をつたい、こちらに近づいて来る。しかし、手前には広々とした大通り。ここまで来れる訳がない。それと追われている男に少し見覚えがある。まだ距離があるので核心が持てない、もう少し近づいてくれると分かるんだけど。
屋根の上で囲まれた男が助走をつけて走り出す。この大通りを飛び越えて来ることはないだろう。この距離は無理だ。楽観視していると、男が屋根を蹴り宙を舞う。飛ぶ勢いと放物線を咄嗟に察知して、俺はニャーとダンネを片腕ずつに抱え横のベッドへ飛ぶ。
窓ガラスが盛大に割られ、先ほど飛んだ男が部屋に転がる。恐るべき速さで床に這いつくばり窓を見上げる。尻尾の毛が真っすぐ水平に伸びている。ドロップとカーリーは男を挟んだ反対側、壁の隅で丸まっている。
「ここまで飛べる馬鹿はいねえか」
右手に刀を握った男が、俺に顔を向けてくる。
「ガキがこんなところで何してんだ?」
顔は違うが声はそうだ……気のせいか?
部屋の外から大勢の足音が響いて来る。追手が来たのだろう。追われていた男は扉が開くと影になる場所に隠れる。銀の髪に蒼い眼して、嬉しそうな笑顔の癖に、眼をギラギラしながら敵を待つ。右手に持つ刀は刃を己に向けている。血の臭いはただひとつ。間違いない、この男は。
「ここだ!」
「待て! 駄目だこの部屋駄目だ!」
「何故邪魔をする!」
「これを見ろ!」
なにやら外で喧嘩が始まっている。扉の影に隠れた男……ハチは未だに警戒を解かない。人相が違いすぎて誰か分からなかった。ハチだと分かったので俺は近づく。ハチが俺を蒼い眼で睨みつけて来る。俺は無言で瞬きをする。すると、ハチが俺が誰かと分かったのか、眼をまん丸くして指をさす。俺は首を縦に触れ。
「この手紙に偽りないな?」
「ございません!」
「こんな話があってたまるか、引け! 全員引け!」
部屋の外、大勢の足音がバタバタと去っていく。ひとつの足音が慌てて部屋に入って来る。姿を見せたのは門番の人だ。
部屋に入った瞬間、ハチが刀を振る。
そんな気がしたので、俺はわざと部屋から出ようとし、門番の人の膝をとぶつかる。痛い。
「失礼しました! お怪我はありませんか!」
「大丈夫。何かあったの?」
俺は嘘をついた。
「実は皇帝斬りが現れまして、危険な男故、もし見かけても近づかないようお願いします。その男がこちらの部屋に逃げたとか。行き先をご存知ありませんか?」
「知らない」
「さようで」
門番の男から一瞬、鼻で息を吸う男が聞こえた。違う、嗅いだのか。ゆっくりと部屋の中へ顔を向け、腰に提げている刀の柄にそっと手を掛ける。門番の男の顔が、ゆっくりとハチの隠れている方向へ向く。すごいや、臭いだけで居場所まで特定した。ダンネと違い、相手に危害を加えることに恐怖心やためらいなく。眼に入り次第斬る自然体。門番の男が右足を一歩前に出す。
「あの」
俺の声に門番は足を止める。恐らく割って入ってはいけないのだろう。門番は俺を真っすぐに見下ろしている。
「なにか?」
俺の身分だから許された感じがする。ちょっと怖い。でも門番の男を追い払わないと、ハチが危ない気がする! どうしよう!
「お、お名前聞いてもいいですか?」
「ハルと申します」
「えっと……ハチは外に逃げました。この部屋の中には……そうダンネ! ダンネがいるんだ! 女の子で……領主の娘だから怪我すると危ないし……」
まわりくどいな。
「はあ……しかとその名を耳にしました。日々のお勤め素晴らしきこと故、長に名をお伝えしたく。部屋に友が多く、怪我されると僕が困るので。今日は御下がり頂きたく」
明らかに俺の知らない言葉がスラスラと出てくる。少し気持ちが悪い。いま口にしたのは「俺」なのか?
門番、ハルはゆっくりと右足を一歩下げる。そして俺に向きなおり、深々と頭を下げる。
「出すぎた真似を致しました。お許しください。ここまでご案内させて頂きましたことすら名誉なこと。門番としての勤めに戻ります。これにて失礼」
「ありがとうございます」
門番のハルが帰っていく……すっごい怖かった! 本当にハチと喧嘩になるかと思った。安堵のため息をつきながら、部屋に入り扉を閉める。突然、胸倉を掴まれ軽々と持ちあげられる。
「ようガウル、随分偉そうな口じゃねえか」
俺は必死にハチの手を両手で掴む。
「離せ!」
ダンネとドロップとカーリーが怯えて隠れる中、ニャーが勇ましく両手を前に出したかと思えば。赤い炎の球が現れる。
「待てニャー! ハチだハチ!」
ハチも顔を向け、ことの次第に気づいたのか俺を急いで降ろし、刀を降ろして両手をニャーに晒す。
「何してんだ! 待て待て待て! ハチだハチ! もう忘れたのか!」
「ニャーはそんな男知らないニャ! 闘争の火をいまこそ」
「闘争の火は使うな! お酒飲んでいたハチだよ!」
ニャーが出した火の球が徐々に小さくなっていく。
「ハチにゃ? 誰ニャ?」
ハチが肩を落とす。
「本当に覚えてねのかよ」
ダンネが顔を見せる。
「ハチ? 絶対違うと思うけど」
「なんで?」
「だって顔が違うじゃない! もっとこうベロベロに酔っているのがハチよ!」
ハチが落とした刀を手にし、ゆっくりと鞘に戻して行く。
「帝国に入る前に酒は全部抜いた。死ぬからな」
鞘に納まる刀が一音鳴らす。




