第62話 大人たちの反省会
名の知らない男が去った。自分の名前も名乗らずに、明らかに他者を置き去りにした。ハリスは眼を瞑り、やや宙を見上げて笑みを見せ。共和国大使のダマルは完全に机に突っ伏し、シウェルは椅子に倒れているように座っている。反対の、帝国大使ことドラスは両手で頭を抱えている。なぜ皆こんなに疲れているのだろうか? やはりさっきの男が原因だろう。いつもなら興味本位で追いかけて尋ねるのだが……いまは右脚が動かない。なので、ここで今にも倒れそうになっている大人たちに聞こう。まずは帝国大使のドラス。
「ねえさっきの男」
「ごめんよガウル。僕たちみんな、君に説明を禁じられているんだ」
「なんで?」
「その質問をされたらこう返せてと言われた。何も知らないで体験したほうがガウルにとって楽しい。流石にこれだけは伝えておこう。ガウル、君の身分はちょっと複雑な立ち位置になる」
「身分? 王国貴族みたいな?」
「いや、うん……そうだね。いま説明しようとするより、自分の眼で確かめながら帝国を見て歩いたほうがいい。さっきの男の人、どんな人だった?」
「皆より気配が少し違った」
言うなればそう、重み……重厚感のある気配とでも言うのか。
「やはりそうだ。ガウルに牙はあるだろ?」
「ある」
「オオカミだけ実は二種いてね。まあ見た目は同じだけど。大体のオオカミに牙はない。ただしガウルのように、牙をもち感覚が優れているオオカミは全体から見て少数なんだ。そして帝国は上に行けば行くほど、牙をもった人が多くなる。ということになる」
俺は産まれたときから、小さいながら牙もある。あまりそこは考えなかったな。
「大丈夫だよガウル。あまりそこは気にしなくていいよ。牙があって人より気配を感じとれやすいと思えばいいさ」
「へえ」
誰かが、息の音が聞こえるぐらいの深呼吸をする。ハリスだ。
「とにかく助かったよガウル。生きた心地がしなかったあ。言い訳になるが、僕は君を保護することを自ら名乗り出て起きながら。君の右脚は守れなかった。許してくれ」
「いやこれは流石に……ハリスがどうこうできる話じゃない。その……夢の中の話だし」
「ハスタから聞いたよ。大人になっても分からないことは出て来るが。やはり謎が深すぎる」
「シルケは?」
ハスタが首をゆっくりと横に振る。駄目か。
「手掛かりすら見つからない。髪の毛一本も見つからない。分かっているのは、以前は白薔薇協会礼拝堂、その敷地内のひと部屋。本当に大したこともない部屋さ。許可を得て壁床天井まで調べさせてもらった。なにひとつ手掛かりが見つからない! 分かっているのは、ドロップがシルケにそっくりと言うことさ。こういうとき僕は自分に言い聞かせる。何か小さなものを見落としているんじゃないかと」
誰ひとり動こうとしない。いや、俺を含めて皆考えているのだろう。
俺には過去のガウルの記憶がある。
ドロップはシルケと似ているが年齢が違う。
ダンネは何もないと思う。
ニャーはネコの国に帰れない……クロネコか。
「変なこと聞くけど。誰かネコの国の行き方とか……」
誰ひとりとして動かない。そうだよな、誰が分かるって言うんだ。北を目指すべきだと言われて進んでみれば。俺の不思議な状況も理解できない、ドロップの記憶喪失の糸口も見えない。変なクロネコことニャーが樽から出て来るし。いまのところ、家出したダンネが家に帰っただけじゃないか。そういえば、トゥビラがノロインを探せとか言ってたな。
「ちなみにノロインというのを誰か……」
誰ひとりとして動かない。そうだよな。誰が分かると言うんだ。
ここで俺が南、自分の村に帰ったらどうなるのだろうか? 今も思えば、何も無かった平和な村が恋しくなる。母さんの言う通り村から出なければ……母さん? なんだ? いまふとした違和感が来た。その違和感が正確には分からない。手が届きそうで届かない距離。
母さんは無表情で感情を表に出さない。言いたいことはハッキリ言う。雰囲気はハスタに似ている、でもハスタは笑顔を見せる。俺の母さんは本当に笑わない。確かドラスは、俺の身分がちょっと複雑な立ち位置にあると言ったな。ドラスを見ると、まだ両手で頭を抱えている。
「ドラス。俺の母さんが誰か知ってる?」
「ああ、それなら検討がついてるよ」
「どんな人だった? 人柄だけでいいよ」
「怖い笑わない怖い」
「そうだその通りだね」
母さんから何も得られなかった。母さんを思い出して、ちょっと寂しくなってきた。母さんに会いたくなってきた。最後に呼んでもらったのは……そうだ。俺は「ガウル」だ。そう俺は「ガウル」なんだ。それがなんだ? いや、俺が抱いた違和感はここで合っている。
「ガウル……ガウル……」
俺は自分の名前を呟き続ける。それにハリスが気づいて首を傾げる。
「自分の名前がどうしたんだい?」
その言葉に俺は「ガウルだ!」と、声をあげる。
「うんそうだね。君はガウルだね」
「違うんだ! ガウルの中にガウルが入ってる!」
「うん……そうだよね」
「ガウルと名付けられた体に! ガウルの記憶が後から来たんだよ!」
俺の言葉に全員が動く。そうだこれが違和感の正体だ! 俺はガウル! そして過去の記憶も「ガウル」だ! 俺自身はフォクシーもトルピーも記憶にある。そしてあのふたりは「ガウル」と伝えて俺を信じた。なぜだ?
「フォクシイは?」
シウェルが姿勢を正す。
「寝てるけど」
「悪いが叩き起こしてくれ! 重要な話だ!」
シウェルが席を立つ。俺の予想が正しければ、フォクシイの驚く顔が見れるはず。
ハリスが人差し指で机をトントンする。
「ガウルと名付けた子供に、ガウルの記憶が後から来た。これを偶然というのは無理がある。例えばだ、ガウルの名前がハリスとしよう。そうすれば、ハリスのガウルの記憶が後から来た。と言うことになる。でも現実は、ガウルと名付けた子供にガウルの記憶が……ありえないだろそんなこと」
「俺をガウルと名付けたのは……母さんか?」
よくよく考えると、俺は自分の名前について尋ねたことが無かった。
ハリスが両腕を大きく広げる。
「ここに来て母親以外が名付けたという気かい? いやすまない。可能性は捨てきれないか」
ダマルがハリスに体を向ける。
「親近者が名付け親になる。なんてのはよくある話です。ただ、この場合はハリスさんが合っていると思います。名づけ親が誰であれ、ガウルと名付けた子供にガウルの記憶が……我ながら説明してて混乱してきました」
ダマルは机に向き直り項垂れる。そこへ、フォクシイが部屋へやってくる。俺を真っすぐに寝ぼけ眼で睨んでいる。
「こんな夜遅くになに?」
「フォクシイ、今から重要なことを聞くぞ」
「なによ?」
「俺はガウルだ」
「そうねガウルよ」
「お前はどうして俺をガウルだと分かった?」
「何を訳の分からないことを、背は縮んだけど子供のときのまんまじゃない」
やはりそうだ。
「俺のガウルの……フォクシイとトルピーを知っている記憶は、黒い腕を掴んだ後に来たんだ。それ以前から、俺はこの顔なんだよ」
俺は自分の右手で、自分の顔に円を描き続ける。自分で違和感の正体に気づき、答えを得てみれば。自分に対する気持ち悪さしかない。フォクシイは頭が良い、すぐに俺の意図に気づいて寝ぼけ眼から完全に眼を覚ます。
「ちょっと待って。どういうこと?」
「トルピーとフォクシイは……あまり言いたくないが、死んだあとに気づけば生き返っていたのか?」
「えー、何故か若返って」
「俺は……昔の俺がどこかで死んだとしよう。でも俺は気づけば……」
駄目だ、自分で自分のことを考えて気持ち悪くなる。俺は……一体誰なんだ? 子供の中に割って入って来た「ガウル」なのか。元がそもそも過去のガウルなのか。机に両膝を着いて、両手で顔面を覆う。誰かが俺の方にそっと手を置いてきた。フォクシイだろう。
「ちゃんと答えてガウル。あなたは……過去の記憶が戻る前の記憶。子供としての記憶がちゃんとあるわね?」
「もちろんあるさ」
「なら、この複雑な状況を今すぐ考えるのをやめて。あなたはまだ子供なのよ。過去の記憶があるせいで自分を大人だと勘違いしているの。いい? あなたはいま子供なの」
「僕は一体誰なんだ?」
「ガウルなのは間違いないわ。ただし、ひとりでふたり分の記憶を同時に感じているかもしれない。それは普通に考えて耐えらえることじゃないと思う」
「フォクシイは俺の過去を知っているんだろ?」
「知ってるわ。そして、いまのあなたを見て伝えなくて良かったと思う。あなたは子供のガウルよ。お寧いだから考えるのをやめて」
そう言われても思考は止まらず。高速で蠢く記憶が衝突し、俺の意識が途絶えた。
とても息苦しい、また悪夢でも見始めたのか。息を求めながら眼を開けば。ニャーが俺の腹の上で堂々と寝ていた。それを強引にどかす。呼吸が楽になった。よく見ると、ドロップが杖を両手に床に座り、壁にもたれながら落ちる首を無意識に上げるを繰り返している。ダンネは隣のベッドで眠っている。部屋が明るい。俺はいつの間に寝たんだ? 窓その外を確認しようと顔を向ければ、両目を必死に瞑ったカーリーが震えながら横に立っていた。
「わあ! 驚かさないでよ!」
俺の声で皆が一斉に起きてしまう。
「なんニャ! 何があったニャ!」
「なに! なにがあったの!」
「僕寝てないよ!」
「ごめん大声出して。カーリーがに気づいた驚いただけだ」
三人はカーリーを確認して一斉に元の位置へ寝始める。
「ご……ごめん……僕が」
「もういいよ、俺はいつ寝たんだ?」
「それは……その……」
カーリーのもたつき具合には腹が立つ。
「なあ、人の眼がなきゃ普通に話せるんだよな?」
「え? う……うん……そうだけど」
「じゃあ悪いんだけど。さっささと白まんじゅうになってくれ。その話し方が鬱陶しくてしょうがない。普通に喋れるのを知ってるからなおさらに鬱陶しい」
「ご、ごめんよ……僕が……僕が悪いんだ……」
カーリーが泣き始めてしまった。
「違う違う! 言い過ぎた悪かったよ! でも、普通に喋れるだろ! 早く布を被ってくれ」
「うん……そうするよ……」
カーリーは震えながら、誰も使っていない白い布を被る。すると、綺麗な丸みを帯びた白まんじゅうの形になる。
「ごめんね、急に泣いちゃって」
なぜだろうか。普通に話せるカーリーに少し腹が立つ。




