第58話 動かぬ足
あんな悪夢を見て怖くて眠れるはずがない。吹雪が揺らす窓の音を聞きながら、気づけば朝になっていた。吹雪も去り窓も揺れなくなっていた。ちょっと思い出そうとすれば、泣けるほどに怖かった。なのに平常心を保てているのは、ニャーが俺の負の感情を吸っているからなのか。そもそも、寝ながら吸えるものなのか? 少しだけしか眠れず、大口開いて声を漏らす。大きな欠伸が気づかれて、皆ゆっくり動き出す。
まずダンネがベッドから起きて、両手を高く上げて背伸びをする。ドロップはいちど起きようとするが、寝ぼけ眼と共にまたベッドへ沈む。ニャーが俺の上に這い上ろうとするので降ろす。カーリーは白い布を全身に被り、布の動きからして背伸びをしているのは分かる。ダンネが窓の外を見る。
「朝」
俺はゆっくりと起き上がる。
「おはよう」
「おはよう」
ダンネはベッドから降りて、いち早く部屋を出ていく。
「隙ありニャー」
ニャーが寝ぼけて抱き着いて来るので、そっとゆっくり引き剥がす。まだ寝ている。ドロップも再び眠り、カーリーは白い布に包まれながらベッドの上を転がり続けている。
「カーリーは何をしてるんだ?」
「邪魔しないでくれ! 僕がどれだけ人前に出るのが苦手で、決意をしてからじゃないと外に出られないんだ! いま僕は決意を固めている!」
「大変だな」
「隙あり」
ニャーがまた抱き着いてきそうだったので、頬を軽くつねる。
「いい加減に起きろ朝だぞ」
ニャーの眼がそっと開く。
「闘争の炎をくらうがいいニャー」
そんなことを言いながら、ニャーが右手の拳を上げた瞬間。ものすごい速さで俺に向かって降ろされる拳。防ぐ暇も避ける暇もなく、肩を強く殴られる。
「いった! 何するんだ!」
俺の大声にドロップが慌てて起きだす。
「なに! なにがあったの!」
「ニャーが俺の方を殴ったんだ!」
思ったより痛い! 叩かれた方をそっと撫でる。
「ごめんニャ、間違えたニャ」
「何と間違えたら、こんな強く殴るんだ」
ニャーも飛び起きて背伸びをする。
「よく寝たニャ。グッスリニャ」
「羨ましいよ」
「ニャ?」
「なんでもない」
「みんなー! ご飯だよお!」
ダンネの声が聞こえてくる。
「ご飯だニャー!」
ニャーがベットから飛び降りて部屋を出る。
「よし!」
決意を固めたカーリーが白い布を取る。全身を震わせながら足早に部屋を出て行った。ドロップは壁に立てかけた杖を持つ。
「行こうガウル」
「ああ」
俺はベッドから足を降ろそうとする。そして違和感に気づく。
「あれ?」
「どうしたの?」
「右足がおかしいんだ」
「右足? これで治るかな」
ドロップが杖の先を、俺の右足に向ける。そこから白い輝きが放たれる。俺はそれで治ると思っていた。いつもならそうだ、だけど今回は治らなかった。
「駄目だ、右足が動かない」
左足は問題ない、とりあえず自分の手で右足を動かし、ベッドの下に降ろす。自分で右膝を突く。その感触はある、どういう訳か力がまったく入らない。
「ぼ、僕カーリーを呼んでくるよ!」
「カーリーをどうして呼ぶ?」
「頭が良いからだよ!」
それでどうにかなるのか? ドロップがカーリーを引っ張って来た。カーリーは両眼を瞑って全身を震わせている。折角固めた決意がもう崩れかかっている。その後ろにはダンネもニャーもいる。
「カーリー、とりあえず横になってよ。白い布をかけるから」
カーリーが震えながらベッドに横になる。
「なんか悪いな」
その上からドロップが白い布を全身にかける。白い布はが徐々に丸くなっていき、白いおまんじゅうみたいな……たぶん体を丸めているのだろうけど。
「ふう……右足が動かなくなったんだね?」
「あ、うん……」
カーリーも面倒くさそうだな。
「病気や怪我が原因じゃなければ、他に何かきっかけがあるはず。何か思いつくことはあるかい?」
俺はきのう見た悪夢を思い出す。それだけでも船酔いに似た気分を味わう。
「きのう……酷い悪夢を見た?」
「それはどんな悪夢だい?」
「言いたくない」
俺はベッドに倒れる。ダンネが距離を詰めて来た。
「でも言わないと分からないままかも」
「言いたくないのは言いたくない! 怖かったんだぞ! 右足が化け物に掴まれていたのは確かだ!」
その後は滅茶苦茶だ。夢らしいと言えば夢らしい。
「ふむ。ガウル、足を見せてくれるかい?」
「うん。でもカーリーはそのままじゃ見えないだろ?」
「そうだね。他の人に見てもらおう」
ちょっと疑問に思いつつも、右足の裾をあげる。以前のように、手の跡でも残っているのかと思ったが……何もない。綺麗な俺の足だ。
「綺麗な足ニャ」
「綺麗ね」
「うん、見た目は普通だね」
「ふむ。誰か触ってごらんよ」
ニャーが俺の右足をくすぐってくる。俺はくすぐられて少し笑う。
「やめろよ、くすぐったいじゃないか。あれ?」
「くすぐれたニャ」
「感覚があるのに足は動かない。そして悪夢で右足を掴まれた。うーん……右足を持って行かれた?」
俺は自分の右足を強く叩く。ちょっと痛い。
「ちゃんと右足はあるぞ、動かないけど」
「右足の動きを止められた、と言うほうが正しいかもしれない。悪夢で右足を掴まれたことがきっかけだろう」
「ちょっと待ってくれ、前もそうだったが。どうして夢の中のことが現実に影響するんだ」
「そこは難しい話だね。夢の出来事が現実に残るなら、その夢は現実なのかもしれない」
俺は両手で頭を抱える。
「難しい話を俺にしないでくれ」
「ガウルが良い夢を見るかい?」
「良い夢?」
「楽しい夢さ、見て良かったという感じの夢さ」
俺は出来るだけ思い出そうとする。今まで見た夢。覚えている限りいちども無かった。
「無い。楽しい夢も、見て良かったという夢もない」
ダンネが「ん?」と、声を漏らす。
「夢を見たとき覚えてるの?」
「そりゃ覚えてるだろ」
「覚えてるニャ」
「うん、覚えてるよ」
俺とニャーとカーリーの三人は、見た夢を覚えているらしい。
「みんな凄いわね」
「僕も覚えてないよ」
ダンネとドロップは夢を見ても覚えていないらしい。
「問題はガウルの夢さ。ガウルの夢、悪夢は現実と思っていい。明らかにそれはガウルにとって悪夢であり現実になる。ドロップの癒しの力で治らないのは非常にまずい。そうなると、いつ元に戻るか分からないんだ」
俺はカーリーの言葉を耳にして、眉間に皺を寄せてしまう。
「いつ元に戻るか分からないだと?」
「右脚の感覚があるのに、力がまったく入らない。ドロップ、出来るだけガウルに光を照らすんだ。それで様子を見よう」
「うん、分かった」
ドロップが俺に杖を向ける。白い輝きが浮かんでも俺の不安が沈んでいく。
「いまニャ!」
ニャーが俺に抱き着いてきた。
「ということは、いま俺の負を吸ってるな?」
「負っ負っ負っ! よく分かったニャ!」
ニャーの言い方に少し腹を立てる。なんか腹が立った。
ダンネが軽くニャーを指さす。
「ニャーが抱き着いて、ガウルの負を吸収しているということは」
「黙れ」
俺が怒り、不安、悲しみの類に浸っているということだ。ひたひたに浸っているんだ。ひたすらにひたひた……俺の頭が変になったのか? ニャーの変な言い方が移ったか? もう難しい話は無しだ。悪夢のせいで寝不足だ……俺はそっと眼を閉じる。
とう……さん……。
「父さん?」
俺は眼を開けて両腕を支えにベッドから起きる。右脚を動かそうとして見たが、動かせる気配はない。
ダンネが「父さん?」と尋ねて来る。
「悪夢の中で、俺が口にしたんだと思う。父さん……父さん?」
今まであまり気に下ことが無かった、俺に父さんはいるよな? そんなの当たり前じゃないか。でも、俺は自分の父さんを見たことがない。
「なんで、あそこで父さんと言ったんだろう?」
俺はひとりで考え始める。
「そうなるとガウル、やはり悪夢の詳細が知りたい。どうしても言いたくないような酷い悪夢なら、言わない選択は間違いじゃないよ」
俺は見た悪夢を鮮明に覚えている。言いたくない思い出したくないのは事実だ。もうひとつ問題があって。
「上手く伝えられるかどうか分からないが」
俺は悪夢を皆に伝える。
「という悪夢だ……そんな悪夢だ」
皆を俺を真っすぐに見ている。視線が痛い!
「よく分からないニャ、説明が下手すぎるニャ」
「確かに下手だけど……夢ってこんな感じでグチャグチャよね?」
「僕は怖かった!」
「ガウルの見た夢はこうだね。真っ黒い化け物に右脚を引きずられていた、それに気づいたガウルは抵抗しようとするも捕まってしまう。炎が現れてガウルを化け物から救った、そして星空が渦巻きながら落ちてきて、人の形となって真っ黒な化け物と戦い始めた。無数の黒い手星空を掴もうとしたそのとき、ガウルが黒い剣を振って眼を覚ました。こういうことだね」
「そういうことだ!」
姿の見えないカーリーが上手く纏めてくれた。なぜかちょっと嬉しくなった。俺は説明が嫌いだから。
「今の話を聞いて思ったのが、ガウルは何かに助けられた。そしてガウルはあることをして夢から目覚めた。それは右手に持つ真っ黒な剣を振ることだ。振った剣は誰かに命中したかい? ここだけしっかり教えて欲しい」
俺は嫌な、悪夢の最後を思い出す。全てが赤に染まり、真っ黒い不気味な手が無数に現れた悪夢の最後。俺は……。
「慌てて黒い剣を振るったんだ」
「慌てて?」
「そうだ……星空の人影が……俺に顔を向けたように。何か言いたげな」
駄目だ、考えれば考えるほど頭痛がしてきた。両眼を力強く瞑ってしまう。
「ごめんねガウル。無理に聞いた僕が悪かったよ。ちょっと休んでくれ」
「そうさせてもらう……皆で俺がなんで父さんと口にした考えてくれ」
悪夢のせいで寝不足だ、悪夢のせいで右脚が動かなくなった、思い出すほど気持ちの悪い悪夢だ……そこに場違いな言葉がひとつある。
「父さんか」
見覚えのない父さんを勝手に想像する。俺は自分の父さんをこの眼で見たことがない。触れたことすらない、そもそも生きているのかという話にすらなる。
なぜ「父さん」という言葉が漏れたのか?




