第53話 壮大な勘違い
フォクシイと別れて部屋に戻り。体の痛みを感じながら、空いている布団に潜り込む。そしてときが過ぎたのか、皆の足音が動いているのが分かる。そして頬に何かがぶつかり、顔を歪めて寝返りをうつ。もういちど何かが顔に当たり、流石に眼を覚まして起きる。
ニャーが俺を見下ろし、右手を軽く握っている。
「どうした?」
「寝すぎニャ」
「もう朝か?」
「お昼前ニャ。ずっと寝てたニャ」
ゆっくりと掛布団を剥いで部屋を見る。布団の中で浴衣姿なのは俺だけだ。皆もう私服に着替えていた。机を囲んで話でもしていたのだろう。ダンネが俺に気づいてじっと見つめて来る。ダンネの行動が明らかにおかしい、恐らくフォクシイのせいだろう。俺は少し寝ぼけながら浴衣姿のまま歩きはじめる。
「ガウル、そろそろ宿を出ようと思う」
タリヌの言葉に足を止めず。俺は歩き続ける。
「ちょっとお風呂に入って来る」
「そうか。皆も入ってきたらどうだい? 僕たちは大丈夫だから。杖は僕がしっかりと預かっておくよ」
「お願いします!」
俺は皆を置いて先に部屋を出る。寝ぼけ眼で部屋を出て、歩きながら大きな欠伸をする。
「あ」
歯に違和感がある。口の中に指を突っ込んで指先に触れると歯が生えている。フォクシイに折れられた歯が、もう生えて来たのだろう。そもそも俺はフォクシイの何で殴られた? 白蛇の尻尾か?
ニャーとドロップが追いついて来る。
「口に何かあるニャ?」
「折れた歯が生えてきた」
「それって大丈夫なの? お医者さんに診てもらったほうが」
「大丈夫だ。歯は何度でも生えてくる」
「そうなんだ。僕も折れたら生えて来るかな?」
「生えてこない。今の話は忘れてくれ、俺だけの話だ」
「へえ。ガウルってすごいんだね」
「すごくないニャ。寝坊すけニャ」
俺はニャーを睨みつける。
「俺の朝ごはんはどうした?」
「もちろんニャーとドロップで食べたニャ!」
笑顔で語るニャーから、ドロップへ視線を逸らす。ドロップがゆっくり視線を逸らした。
こいつも意外と食いしん坊だな。
飽きもせず温泉の湯に浸かる。湯の暖かさに温泉特有の香り、そしてこの青空である。遠くまで澄み切った青空、白い雲が薄い膜を降ろしてなお静かだな。俺は温泉でまったりしている。ニャーは相変わらず顔半分だけ出し、四つん這いで進んでいる。ドロップはとりあえず俺の隣にいる。そこへトルピーが裸でやってきた。白い両耳と白い髪、そして白い尻尾を携えて。
「やあガウル」
「うん」
トルピーはひとまず俺の隣に腰を降ろした。
「何しに来た?」
「酷いなあ! 僕だって休憩はちゃんと取るよ! 姉さんは先に王国へ発ったよ。とある女の密書を受け取れと。その女は杖を突いている。その密書があれば西はガウルに味方するだろうって。共和国は全員ガウルの味方だよ。上手く使ってくれ、ガウルがいなければこうして温泉宿も出来なかった」
「俺がいたから温泉宿が出来たのか?」
トルピーが無邪気に笑う。
「ガウルは馬鹿だよ。本物の馬鹿だ」
俺はトルピーの顔にお湯をぶちまける。トルピーは眼を瞑りながら顔を拭う。
「もちろんガウルだけじゃないよ。ダンネは元より、ドロップもニャーも共和国が味方する。何かあれば頼って欲しい」
「だいぶ偉そうに言ってるが、お前に国を動かす権限があるのか?」
「ある訳ないよ。ただその……姉さんが動いたと言えば分かるよね?」
「俺が馬鹿だった、いまのことは忘れてくれ」
「そうだね。そうのほうがいいね」
フォクシイが強引に動かしたか。いや、シウェルが強引に動かしているのか。どちらにしてもあまり近づかないようにしよう。まずは杖を突いた女か。
「その、杖を突いた女というのは?」
トルピーが立ち上がる。白い尻尾が湯を吸収し萎びている。
「言伝は既にしてあるよ。宿から出れば自ずとガウルの前に現れる。僕は仕事に戻るよ。ガウル、会えて本当に嬉しかったよ」
「またな」
「気をつけて」
トルピーは温泉を出ていく。ニャーはまだ顔の上半分を出し、湯の中を移動している。ドロップは両眼を瞑って静かにしている。もう少しゆっくりしよう。
最後に温泉を味わい終えて、脱衣所へ向かう。思えば浴衣で着てしまった。とりあえず浴衣に着替えよう。棚にある籠の前に立ち、ニャーは黒いジャージを着始めて、ドロップは白い服を着始める。俺は宿の浴衣に着替え始める。
「ところで、ふたりに尋ねたいことがある」
「なんニャ?」
「ダンネの様子がおかしい」
「あー。すごい張り切ってたよ。私がガウルを守るんだって」
「たぶん、そうなんだろうな」
ダンネは恐らく、フォクシイからひとりにしないで。と、言われたと口にしていたが。その意味をはき違えている気がする。俺たちは服を着替え終え、脱衣所を出るのだが。俺の予想が正しければ、ダンネがその前で俺たちを待っているだろう。恐らく姿勢はこうだ、しっかりと直立、両足を肩幅ほどに広げ、待ち時間を考えれば両腕を組んでいるというところか。青い暖簾をくぐれば、ダンネがまさしくその姿勢で待っていた。
俺はつい、両手で自分の顔を覆いつくす。
「はあ」
ついため息が漏れてしまう。
「どうしたの? のぼせたの?」
「いや大丈夫だ」
いや駄目だ。フォクシイの「ひとりにしないで」を、ダンネは間違った意味で捉えている。フォクシイが伝えたいことは「俺を守れ」という意味で、ずっと「傍にいて見てろ」な訳がない。そして、俺は大事なことを思い出す。俺を含めて皆子供なんだ。ダンネは頭が良くて格闘の動きも何となく理解している。それでもダンネは子供なんだ。念の為に聞いておこう。
「ダンネはずっと俺を見ているな、フォクシイに何を言われた?」
「領主の娘という身分だけで満足するのか? 真の強さを見に付けたければガウルを守れと言われたわ! あなたはそれが出来る強い子なのだから! だから私はガウルを傍を離れずにガウルを守るの!」
「そうか」
大人のフォクシイが、子供のダンネの自尊心を煽り、ダンネは間違えた方向にそれを認識した。そしてフォクシイめ! ダンネに真意を伝えることを俺に放り投げた!
「とりあえず……服を取りに行こう」
全員で廊下を歩きながら、背後にダンネの視線を強烈に感じる。
違うぞダンネ、見るべきなのは俺じゃない。人を見ているだけで人は守れないんだ。それをどうダンネに伝えようか。フォクシイは説明するのが下手だ、そして俺は説明をするのが好きじゃない。ひとりで勝手に険しい顔になり右手で髪を掻きまくる。
シウェルが口にしたことを思い出す「それはちょっと早いわね」如何にしてダンネに上手くことを伝えるか。部屋に戻っても思考は続く。俺は誰にも目をくれず、畳んでくれていた服を見つけ浴衣を脱ぎ始める。もはや着替えは無意識だ。
「ゆっくりできたかい? ドロップ、杖を返すよ」
「ありがとうございます!」
「それじゃあガウルが着替えたら宿を出ようか」
俺は着替えながら、気づかれないように視線をタリヌとハスタに送る。
ここにダンネの両親がいる。あえて尋ねるか? いや、両親に言ったところで断られるだろう。あとはこの国に誰がいる? ハリスは……血の臭いが濃すぎる。この国には誰かいないのか! 子供に優しく説き、学びを与えてくれる大人が! あっちもこっちも怖い大人しかない! いきなりそれはまずすぎる! そして俺は説明するのが大嫌いだ!
「着替えた!」
ちょっと大声を出してしまう。皆が何か話していたと思う。部屋が嫌な静寂に包まれる。
「着替えた」
念のためもう一度伝えておこう。
「よし、じゃあ行こうか」
「ここのご飯美味しかったニャ」
「そうだね! また皆で来ようよ!」
「私もまた皆と来たい!」
皆が前を歩き、俺は最後尾を歩く。ダンネは家族と過ごせたことが嬉しかったらしい。喜びの笑顔が見てとれる。その背にそっと、よろしくない情を抱く。攻撃の意思だ。それに気づいたのはダンネじゃない。ハスタだ。ダンネの母親にして子を守る親である。立ち止まり、俺をしっかりと見下ろしている。このハスタの感覚こそが、フォクシイの伝えたいことだ。ダンネはニャーとドロップと楽しく会話をしている。気づけダンネ、お前の母親はいま誰を見ている? これを上手く伝えられる奴がどこにいる? よろしくない意思を消し去り、ダンネのママを悲しい表情で見る。ダンネのママは少し驚いた表情を見せる。
「人を守るというのは本当に難しい」
俺は両耳をペタンとし、ダンネのママを通り過ぎてしまう。ダンネのママ、ハスタは何も言わずに後に続く。廊下を歩きに歩きダンネの背を再び見る。
フォクシイは馬鹿じゃない、奴がダンネにそう伝えたのであれば。ダンネに何かしら光るものを見た。ということになる。フォクシイの伝えたことはダンネに向けたことか? 俺に向けたことではないだろうと思いたい。
「また来るよ。お世話になりました」
タリヌが受付にいたトルピーに声を掛ける。
「いつでも起こしください」
「ご飯美味しかったニャ!」
ニャーの声に驚いて我に返る。そして笑顔のトルピーと眼が合う。
「また来るよ」
そう言うと、なぜかトルピーが俺を睨んでくる。
「絶対だよ! また来るの待ってるからね!」
「ああ」
本当にまた来よう。良い宿だった。
正面口を出れば、白蛇山温泉街の商店が立ち並ぶ。道の真ん中にある灯篭が、行きかう人々の笑顔を照らす。
どこかで……こういう情景が好きだと言った気がする。
それがどこだか思い出せない。フォクシイは何も教えてくれなかった。
いちど大きく息を吸い、暖かさの中にある僅かな寒さを肺に感じる。そっと息を吐き出して、俺は皆の背を追いかける。商店を歩いていると、道沿いの赤い布が敷かれた長椅子。ハリスとカーリーが腰掛けて何かを食べている。
「やあ! 久々の休暇はどうだった?」
カーリーが俺たちに気づき、ハリスの背後にすぐ隠れる。
「こらこら、人を見てすぐ隠れるのは失礼だぞ」
ハリスは笑顔でカーリーを諭す。
なるほど。自ずと俺の前に現れて来たのはハリスか。




