第49話 空洞の家
眼を覚ました瞬間、右側の顔が非常に痛い。無意識に顔がちゃんとあるのかどうか、右手を動かす。するりと布、布団の感触を確かめながら右側の顔を触る。顔は流石にある、指先に感じるこれは……恐らく包帯だろう。痛みに耐えつつ上体を起こす、白く柔らかい掛け布団がするりと体から滑り落ちる。
どうやら、布団に寝かされていたようだ。
「が、ガウル」
左へ顔を向けると、トルピーの姿があった。
白キツネのトルピー、フォクシイの弟で髪は白く両耳も白い、黄色い眼をして尻尾も白い。そして何故か子供の姿に違和感があった。右の人差し指でトルピーを指さす。
「お前はなんで子供なんだ?」
急にトルピーが俺に抱き着いて来る。白い尻尾をグルグル回し続け、頭を擦りつけてくる。
「会いたかったよガウル!」
どうも、質問できる状態にない。俺は呆れながらトルピーの頭を撫でる。
「それで」
半ば強引にトルピーを離し、再びトルピーに指をさす。
「なんで子供なんだ?」
「それは……分からないよ。そもそもガウルも子供になってるし」
「この体は俺の体じゃない」
「ぼ、僕も……あんまり言いたくないんだけど。お爺ちゃんになって老衰で……」
「死んだのか?」
「た、たぶん……姉さんが先に亡くなってから、その後僕はひとりで……」
トルピーの両耳がペタンとなる。
「皆死んだ?」
俺は自分の生涯を思い出そうとする。すると、やはり記憶がかき消されていく。記憶の手助けにトルピーの顔をしっかり見る。
「お前……俺におもちゃを渡したよな」
「おもちゃ?」
「何かのおもちゃだ。それを俺に渡して、俺はお前の頭を撫でたんだ」
トルピーは首を横に振る。
「ごめん、思い出せないよ」
俺は右手で頭を掻く。
「なぜ思い出せないんだろう?」
強烈な頭痛は起きず、俺が見せたくなかった記憶……それはなんだ? 頭を何かで殴られたせいか? 記憶の欠落が酷い。
「トルピー、俺は死んだのか?」
「知らないよそんなこと! ガウルは!」
トルピーが怒鳴り声をあげたと思えば、口を閉ざして顔に影を見せる。何か知ってはいるのだろうが、それを口にしたくないのだろう。前の俺なら言を吐き出させるところ。今は何故か友を案じることができる。
「分かった。ただし、俺がこうなる直前に何があったか教えてくれ」
「それなら……ガウルが、僕が杖を隠していることを知って。怖かった僕はガウルを案内したんだ。そしたらガウルが怒って……それを見た姉さんが蛇の尻尾でこう」
とルプーは右手を勢いよく横に薙ぎる。
「ぶん殴ったということだな?」
「うん」
話を聞いて頭が思考が追いつかない。
老衰で死んだトルピーが子供になって生きている。
フォクシイは確か、重度の肺炎で死に白い大蛇になっている。
ついでに言えば、俺が子供の体を乗っ取る形になっている。
「この状況を説明できる奴はいないのか?」
「ここにいるわよ」
怖い白キツネ……体格がしっかりしているフォクシイが、手に持った黒い塊を俺に投げて来る。三つの丸い塊、まんじゅうみたいな形をした大きい黒い塊が、掛布団の上に落ちる。
「これはなんだ?」
「ポテト三兄弟よ」
「は?」
いちどフォクシイを見上げ、黒い塊に顔を戻す。見えないところから、縦長に丸い黄色の眼がふたつ。全ての黒い塊に現れる。俺は咄嗟に布団から逃げだす。
「なんだこれ!」
「だから、ポテト三兄弟」
「ポルテです」
「テルトです」
「トルポです」
「さ……三人合わせて」
「黙れ」
フォクシイがポテト三兄弟? を睨みつける。相変わらず眼つきが悪い。鋭いと言い変えておくか、後が怖い。
「はい。黙ります」
「話せ」
「はい。話します。えっと」
「ちょっと待て! 説明しろなんだこれは!」
「だからポテト」
「はいそうですか、で通る訳がないだろ!」
「黙って聞け」
相変わらず説明が下手な奴だな。
「ぼ……僕たちは輪廻を照らす三光の道標」
「廻る器を照らして」
「器を光に導く道標」
俺は右手で必死に頭を掻く。意味が分からん!
急に黒い塊たち、ポテト三兄弟が涙を川のように流し始める。
「僕たち何も悪いことしてないのに追放された」
「器をしかと廻そうとしたのに追放された」
「彷徨っていて店長に拾われた」
「店長?」
ポテト三兄弟の黄色い縦丸の眼が、フォクシイを見上げる。
「店長……お前が店長!」
フォクシイが俺を睨みつける。
「私が店を経営して何が悪い?」
「人を殴るか蹴るしか能のないお前が?」
フォクシイが俺に近づいてくると同時に、トルピーがフォクシイの片膝に抱きつく。
「駄目だよ姉さん」
フォクシイの足は止まる。弟の言うことだけ聞く。ふと、フォクシイの面影にダンネを思い出す。
「そうだ。ダンネはどうした?」
「事情を全部吐き出させて」
「お前!」
「何もしてないわよ! 事情を聞いて杖を先に届けに行って貰ったの! ここのことは一切口外しないことを条件にね」
「そうか……それで。ポテト三兄弟がなんだって?」
「そ、その……逸脱した器を見つけた」
「そいつは黒いネコだった」
「だから器を元の場所に戻そうとした」
黒いネコ、ニャーのことか。
「そ! そしたら! 黒いネコとオオカミが喧嘩を始めた!」
「オオカミには器がふたつあった!」
「だから確認しようとした!」
俺は眉間に皺を寄せる。それを覚えていないからだ。
「器のひとつが」
「待て!」
「はい。待ちます」
俺はドロップの杖を探そうと脱衣所を探し、果たし状を見つけ観光地図に書かれている案内に従って……そうだ。川に架かる橋を渡り、木陰でシウェルと話し、雪の山からポテト三兄弟が飛び出して……何かをして、あぜ道を戻り、ニャーに出会い、焼きまんじゅうを貰い、トルピーに杖の在りかを尋ねた。
俺の記憶はこれで合っているはず。なのに、自分の記憶に違和感がある。俺は「何かをした」はずだ。何をした?
「続けろ」
「器のひとつにヒビが入ってた! だから治した!」
「クロネコとオオカミが喧嘩を始めた!」
「だから僕らは必死に止めた!」
思い出した。そうだ、俺とニャーは、ふとしたことで喧嘩になったんだ。ニャーの奴、得体の知れない魔力なんか使って俺を攻撃し始めた。それでなんで俺はひとり、雪の上で取り残されていたんだ?
「俺をなんで皆置いて行ったんだ?」
「あまり動かしたくなかった」
「ふたつの器がひとつになった」
「もうひとりのガウルは消えてないよ」
そうか「ガウル」は消えていないのか。思えば母さんのことも、ドロップとダンネと出会ったこともしっかり覚えている。俺は「ガウル」だ。そうだ「ガウル」だ。それでなお強い違和感がある。外へ繋がる障子戸のように、紙一重で思い出せない。
「俺は」
急にフォクシイの手が俺の右肩を掴む。
「今は休んで。殴って悪かったわね」
その言葉に俺は顔の痛みを思い出す。とりあえず、暖かい布団へ戻ろうと畳の上を四つん這いで進む。布団に入ると温もりがまだ残っている。ゆっくり仰向けになりトルピーが掛布団を動かしてくれる。
「お前、重度の肺炎で死んだんだってな」
「そうね」
「俺の最後を覚えているか?」
トルピーの記憶もフォクシイの記憶も思い出せる。その記憶は焼き消えない。記憶を焼き尽くす火は起こらず、ただただ何も思い出せない。多少の混乱もあり睡魔がそっとやってきた。
「お茶でも淹れるわね」
フォクシイの声が耳に届いて眼を瞑る。
誰かが俺の額に触れた。俺は反射的に眼を覚まし、誰かの手を掴んでしまう。
「痛い!」
ダンネの声がして、すぐに手を離す。
「悪い」
俺を睨むダンネの隣に、ドロップが杖を持って座っている。
「起きたのか」
「うん。ごめんね、僕気分が」
「いいさ。気にするな」
ドロップが戻ったのならば充分だ。
「ニャ……ニャ……」
ニャーニャーうるさい鳴き声を聞いて、障子戸に顔を向ける。黒い両耳がペタンとした、赤い眼をしたクロネコが俺を覗いては隠れている。
「お前、よくも魔力で俺を叩いたな」
「ニャ……ニャーが悪かったニャ。ごめんニャ」
ニャーの謝罪に嘘はない、少し珍しく感じた。そして、俺はなぜニャーと喧嘩したのかを思い出せない。
「俺とお前は何で喧嘩したんだっけか?」
「ニャーがガウルを小馬鹿にしたからガウルが……怒ったニャ! そうニャ! ガウルが怒ったニャ!」
そんなくだらない喧嘩をしたのか。あんな人里から離れたところで。
俺は変に真っ黒な剣を持ち。
ドロップは癒しの力の杖を持ち。
ニャーは訳の分からない魔力を使う。
そうなると自然と……。
「ダンネとはここでお別れだな」
「ど、どうしてよ!」
「何が起こるか分からないし危ないだろ。ダンネは不思議な力を何も持っていないからな。この先、頭が良いだけじゃ話にならない」
「わ、私は!」
「何ができる?」
出来ないことは分かっている。頭の良いダンネも、俺に嫌味を言われたと思いつつ自覚をしているだろう。何がどう出てくるのか分からない。だからダンネは俺から離れるべきなんだ。
「失せろ役立たず」
誰も俺の嘘を見破れない。だから、ダンネは怒りの眼を俺に向け、涙が落ちる前にこの場所を去っていく。その背を見ながら俺はつい両耳をペタンとしてしまう。
「ひ、酷いよガウル! あんな言い方しなくたっていいじゃないか!」
ドロップが俺に説教を始める。ドロップもダンネに負けないぐらい怒っている。
「嘘だよ」
「嘘ってどういうこと!」
「今のは全部俺の嘘さ」
初めて俺の嘘に気づいたドロップが、怒りの表情を下げていく。
「どうしてそんな酷い嘘をついたの?」
「知らない」
俺は子供みたいな布団の中に隠れる。
「お茶を淹れたけど、女の子を泣かせた奴はどこのどいつだ?」
怖い白キツネのフォクシイの声がした。面倒だな。
「ガウルだよ!」
「ガウルニャ!」
掛布団が引き剥がされてしまう。
「何を言ったの?」
「失せろ役立たずと言った」
それを聞いたフォクシイが、お盆に乗せたお茶を落としながら、踵を返して駆け始める。落ちた湯飲みが熱々のお茶を、ほぼ全て俺に撒き散らす。
「あっちい!」
お茶の風味と熱に飛び起き、慌てて上着を脱いでいく。
「大丈夫ガウル!」
「大変ニャ!」
ふたりが無意味に俺の服をはたいてくる。そこへトルピーが戻って来た。
「どうしたの?」
「フォクシイの奴! 俺にお茶を零して行きやがった!」
「大丈夫?」
「大丈夫な訳あるか!」
「ふっふっふ! ここは我々の出番だな!」
どこからともなく声がした。
「とう!」
黒い塊が三つ、俺にべったり引っ付いて来る。
「うわ気持ちわりい!」
ふと熱が引いて行くのが分かる。
「お茶が美味しいございます」
「緑茶でございますな」
「温かいお茶ですな」
どうやらポテト三兄弟が、俺にかかったお茶を吸い取ってくれたようだ。黒い塊でぷよぷよしていた形が、元のポテト三兄弟、キツネの姿になっていく。
「赤点の道標」
「三光の道標だ! その間違いだけはやめろ!」
「でも兄さん! 僕たちは赤点だよ!」
「勉強は嫌だけど、お仕事は楽しい!」
ポテト三兄弟が俺を睨む。ちょうど得体の知れない化け物がいるんだ。色々と尋ねてみるか。
「いくつか尋ねたい」
「答えられる範囲で答えるぞ」
「なんで死んでいるはずの……トルピーやフォクシイ、たぶん俺もそうだと思うが。死んだ連中が生きている」
「そんなこと、僕たちが分かる訳ないじゃないか」
「は? 分からないのか?」
「答えられる範囲で答えるぞ」
「知らないことは知らないぞ」
「あまり難しく考えちゃ駄目だぞ」
ドロップが「じゃ、じゃあ!」と声をあげて尋ねる。
「ぼ、僕の記憶とか」
「それも知らないぞ」
「なんでも知ってると思うな」
「意外と知らないことだらけだぞ」
役立たずじゃねえか。いや、こいつら何か知っているはずだ。そもそも人じゃない。
トルピーが落ちているお盆を手に、湯呑をひとつひとつ拾っていく。
「彼らに何か助言をしてあげなよ」
「それぐらいなら出来るぞ。この世は怒りに満ちている」
「怒り?」
「人が計り知れないほどの怒りに満ちている」
「だから僕たちは追放されたんだぞ」
「誰に?」
「創世の世だぞ」
「創世の世があって、初めて理が花開くんだぞ」
「創世の世が怒ってるぞ」
「なんでだ?」
「お気に入りの器が割れちゃった」
「本当は次に廻さなくちゃいけない」
「でも創世の世は器を大事に閉まった」
俺は理解しようとして無意識に眉間に皺を寄せる。
「その……器というのはなんだ?」
「皆器を持っているぞ」
「器に魂、命という人生が盛られていく」
「それがこの世の仕組みなり」
俺は少し背伸びをし、両手を重ね後頭部に添える。まったく理解できない。
「えーっとお……他に聞きたい奴いるか?」
俺はドロップとニャーを眺めてしまう。
「僕らは助言をするぞ。助言だぞ。ドロップはガウルから離れちゃいけないぞ」
「僕?」
「ガウルがドロップを守る道標」
「ガウルから離れちゃいけない」
ポテト三兄弟が、ニャーに顔を同時に向ける。
「このクロネコは特別だぞ」
「シャー!」
「でもガウルの心強い味方だぞ」
「ガウルはこのクロネコから離れちゃいけない」
つまり……。
俺がドロップを守り。
ニャーが俺の心強い味方。
ということになるのか。
「俺たちはどうしたらいい?」
「知らないぞ。何がしたい?」
改めて問われると難しい質問だ。俺は順に思い出そうとして頭が回らない。
「ダンネ」
俺は本物の馬鹿だ。ダンネに尋ねてもらおうとして、自ら追い払ったダンネの姿はこの場にない。
「俺はどうしたらいい?」
小声でぼそりと呟いた。
「死の大地に備えるべき」
「死の大地?」
「創世の世が怒ってるぞ」
「生きとし生ける者、全てが死ぬぞ」
俺はポテト三兄弟を睨みつける。いまさらりと恐ろしいことを口にしたな。
「何をどう備えろって?」
「北の大地は死の大地」
「足を踏み入れることまかりならん」
「三本柱こそ世を守りし柱なり」
「三本柱?」
「央は光の道標」
「東は友を守る盾なりて」
「西は全てを穿つ剣となる」
王国が光の道標、共和国が友を守る盾なりて、帝国は全てを穿つ剣となる……これで合ってるのか?
「その……まず俺たちはどうすればいい?」
「ガウルは馬鹿なのか?」
「同じこと聞いてきたぞ」
「人の話はしっかり聞きなさい」
反論できる術がねえ! 話が理解できなくてちょっと恥ずかしくなってきた!
どうして俺は難しい話も理解出来ないのに、ダンネを突き放してしまったのか。
失せろ役立たず。
俺は以前にも同じことを言った記憶がどこかにある。非常に後悔した気がする。




