第48話 双剣のフォクシイ
背中に冷たさを感じる。そして、それが雪の冷たさと知る。眼を覚ました俺は必死に俺の体をまさぐる。「なに」かが……「なに」かが抜け落ちた気がする。慌てて立ち上がり「落とし物」を必死に探す。「それ」はどこにも落ちてなく、そして「それ」が何なのか理解できず。
「ガウル?」
それは「俺」の名前だ。「俺」の名前の響きが、俺に眼から一筋の涙を流す。訳も分からず涙を拭く。明らかに「俺」から「なに」かが抜け落ちた。思考から答えが導き出されず、頭の髪を右手で必死に掻く。周囲を見ても誰もいない。寒い雪景色の森の中、ふとした風も嫌になるほどの寒さだ。皆のところに戻ろう。見ると、雪の森に小さなあぜ道がある。このあぜ道を進めば、川に架かった橋がある。そこまでいけば暖かいはず。軽い小走りで駆けて、すぐに足を止めて振り返る。嫌な寒さが体を切る。なのに、それなのに何か見落としが無いかと探してしまう。ふと、真っ白な雪に場違いな紐、その先端が見える。その先端を凝視しながらしゃがみ手を伸ばす。握りつぶされた紙の玉。ゆっくり広げていくと小さな冊子の本になった。
「星空のガウル」
中身を覗くと汚い字で、物語が進んでいく。
それをもういちど見て、もういちど握り潰そうとしたが……堪えることが出来た。星空のガウル持つ両手が震え、込み上げる怒りを両眼を瞑り耐える。吸う息吐く息を整えて、そっと両眼を開ける。少々の腹立たしさはある。なのに何故嫌なほど清々しい気分を味わっている。俺は自分の胸に右手を置き、軽く指を食いこませていく。
明らかに何かが欠けている……何が欠けた?
考えながら歩いていると、白蛇山温泉街まで戻る。焼きまんじゅう屋の前まで戻る。道の真ん中に立つ灯篭の灯が、痛いほどの温もりを与えてくる。
「ガウル。焼きまんじゅう上げるニャ」
ニャーの声がして振り返る。黒い両耳がペタンとなっている。そして、両手に持った串に刺さった焼きまんじゅう。その一本を俺に渡して来る。焦し甘い香りに食欲をそそられ、俺は何も言わずに焼きまんじゅうを手にする。ニャーの両耳を見つめながら、焼きまんじゅうを口にする。
「うん! 美味いなこれ!」
口の中に広がる香りと甘みを味わいつつ、一緒に焼きまんじゅうを食べ続けるニャーが、とてつもなく落ち込んでいることは分かる。
「何かあったのか?」
「ニャ!」
ニャーは赤い眼を俺から逸らす。
「な、何も無かったニャ」
「そうか。まあいいや、ドロップの杖を取り戻しに行くぞ」
「どこにあるのか知ってるニャ?」
「受付の白キツネが何か知っている。ほら行くぞ」
「つ、付いて行くニャア!」
焼きまんじゅうを食べながら歩く。五階建ての綺麗な白い壁、丸い窓が見える温泉宿、正面口に入る前に残りの焼きまんじゅうを全て口に葬り。味わいながら正面口を越える。ちょうど受付に白キツネが立っていた。
「杖は」
「杖のありかを知ってるな?」
俺は白キツネを睨む。
「なんのこ」
「とぼけるな。いまかなり腹が立っている。あと、このゴミどこに捨てたらいい?」
俺は串を見せる。
「あーそれは……こちらのゴミ箱にどうぞ」
受付の後ろから小さな籠を出され、俺とニャーは串をゴミ箱に捨てる。
「じゃあその……ついてきて」
白キツネがゴミ箱を手にしたまま、受付から歩きはじめる。俺は振り返りニャーに指をさす。
「お前の様子がおかしいのも後で話を聞く。部屋に戻って黙って待て」
「わ、分かったニャ!」
ニャーは廊下を駆けていく。白キツネが待っていたので、顎を動かして「行け」とせかす。白キツネは歩いて行く。
「どうしてドロップの杖を盗んだ?」
「ぬ、盗んでないよ。ただその……この杖は危ないから隠しておいてと頼まれて」
「誰に?」
「そ、それは……」
「おい」
俺は白キツネの肩を掴んで、こちらを向かせる。白キツネは怯えていた。
「答えろ、ドロップが変になってんだ」
「ポ……ポテトの兄弟が、杖を隠しておいてって」
白キツネを突き放し、俺はまた顎を動かす。宿の外に出て、壁伝いに歩く。宿の裏に回るとそこは森。道なき道を進めば、岩肌にぽっかりと空いた大穴にたどり着く。
「ガウル!」
ダンネの声が聞こえて森の茂みを見る。浴衣から私服に戻っているダンネが姿を現した。こんなときに。
「この穴の中、なんか怪しいかもしれない。ところでなんで受付の人と一緒なの?」
「こいつがドロップの杖を隠した張本人だ」
「え?」
ダンネが白キツネに顔を向ける。
「あなたが?」
「うん、ごめんね」
白キツネはゴミ箱を外に置く。
「杖はこの中だよ、ついてきて」
白キツネが暗闇の洞窟を進んでいく。俺も続こうとしてダンネが俺の腕を掴む。
「罠じゃないの?」
「罠じゃないよ。ついてきて、洞窟の中に家があるんだ。そのほうがいいって」
俺はダンネの手を振り払い、白キツネを睨む。
「誰が?」
「姉さんが……そのほうがいいって」
白キツネが暗闇の先を行き、俺とダンネは後に続く。流石に暗すぎて壁に手を突く。冷たい岩が少し滑り、苔の感触が少し気持ち悪い。陽の光も当たらず、灯篭の灯もない洞窟、外から吹いて来る風が強烈に寒い。後ろを歩くダンネが気になり、歩きながら背後を見る。
「大丈夫か?」
「え? うん、大丈夫」
ダンネの返事を聞いて、また正面に向き直る。歩き続けていると奥に明かりが見える。
「あそこだよ。暗いから気をつけてね」
白キツネをの後を追い、奥の異様な空間にたどり着く。洞窟の中に家がある。石の塀が立てられ、しっかり作られた木製の門。二機建ての家に瓦屋根。白蛇山温泉にあった灯篭がひとつ、温もりの光と明るさを提供している。洞窟の中にいて充分に明るい。
「ここが僕の家だよ。杖は家の中にあるんだ」
「持ってこい」
「うん」
白キツネが家へと歩いて行く。俺は両腕を組んで白キツネを睨み続ける。これでドロップが元に戻れば、ひとまずは安心だろう。ダンネが俺の前に姿を現し、後ろ歩きで少し距離を取りながら俺を見ている。
「なんだ?」
「もうひとりのガウルのほうかなって」
「もうひとり?」
その言葉に俺は思い出す。そうだ「ガウル」が消えている。
仕組みは分からない。ふたりでひとつの体、意識も記憶も体験も、全て同一人物として共有されていた。俺の清々しく、ぽっかりと空いた穴に「ガウル」はいた。俺はおそるおそろる封じた記憶「片方」に共有したくない記憶をそっと開ける……強烈な頭痛は起きず、凄惨な記憶が画となって思い出せてしまう。俺は両手で頭を抱える。
「大丈夫ガウル?」
「見られた」
「え?」
封じたいた、強引に俺自身が閉ざしていた記憶を「片方」に見られてしまった。それは子供に見せて耐えらえれる記憶ではない。俺に何があった? なぜ俺が残っている?
ひとりでひとつの体になっている。
そんなことは当たり前だ。当たり前なのに「ガウル」が消えている。本来の体の持ち主である「ガウル」が消えている。
「消えた」
「何が消えたの?」
「ガウルが消えた」
ダンネが眉間に皺を寄せる。
「その……どっちかのガウルが?」
「この体の持ち主が……消えている」
「それはだから」
「いや実際には全て覚えている。覚えているが……「僕」が確実に消えている」
「それって……子供の」
「そうだ! 元いたガウルが消えている!」
落としたとか、見落としたとか、何か忘れているという話ではない! 子供の「ガウル」が消えいてる! この体の持ち主であるガウルが消えている! なぜだ!
「本当にごめん、杖を持って」
白キツネがドロップの杖を両手に持ち戻って来る。俺は反射的に白キツネに飛び掛かってしまう。
「ガウル!」
地面に押し倒し、白キツネの胸倉を掴み引き寄せる。
「どうして杖を隠した! お前のせいでガウルが消えた!」
「ガウル?」
「この体の持ち主であるガウルが消えたぞ! 答えろ!」
白キツネは震え怯えている。
「ぼ、僕は杖が危ないからって」
俺はこの白キツネに見覚えがあった、以前は記憶が焼き消され思い出すことが出来なかった。なのに今はしっかりと思い出せてしまう。
それは過去の出来ことだ。
小さな白キツネが俺に何かおもちゃを見せてくる。俺は右手を伸ばして白キツネの頭を上から撫でる。白キツネは嬉しそうに無邪気な笑顔を見せる。そして俺は白キツネにこう言った。
「答えろトルピー! 返答次第でお前を殴り殺す!」
俺は立ちあがり……白キツネ。トルピーの胸倉を引き上げ強引に立たせる。トルピーは俺を見ながら涙を流し始める。
「ガウル……ガウルなの?」
「答えろトルピー!」
俺は握り拳を上げる、それをダンネが両手で抑えに来る。
「落ち着いてガウル!」
「邪魔だ!」
俺は強引に右腕を振るいダンネを地面に落とす。そして、握り拳をトルピーに放とうとする。
「姉さん駄目だ!」
トルピーの顔が、俺の右へ動く。咄嗟に顔を向けた瞬間、視界に影が映り顔面に強烈な一撃を貰う。意識が一瞬だけ飛び、強烈な耳鳴りと激痛が俺を襲う。歯が数本折られたか、口の中に何か転がっている。同時に濃い鉄の味が広がって来る。俺の顔はあるのだろうか? そっと右手で顔を触れば、あるにはあるが痺れて感覚がない。
「ガウル!」
ダンネの声が聞こえ、かろうじて意識を取り戻す。気づけば地面に倒れていた。
「ガウル?」
どこかで聞いた声が聞こえ、左眼だけを開ける。巨大な白蛇がそこにいた。俺を飲み込もうと思えばひと口で飲み込める顔の大きさに口、鋭い黄色い眼光が俺とダンネを見下し、嫌でも白い鱗の切れ目が無数に見える。トルピーがその白蛇に抱き着こうとした。俺が瞬きをしている間に、巨大な白蛇が背の高い白いキツネへと変貌していた。肩下まで伸びた白い髪、頭上にそびえる白いふたつ耳。尻尾はキツネにして堂々としており。腰の両脇に提げらえている双剣は今も健在か。鍛えられた肉体は、服の上からでも分かる体格が厚みを帯びている。
トルピーが背の高い白キツネに飛びつく。俺はそれを見てつい笑ってしまう。
「懐かしいな」
「駄目だよ姉さん! ガウルだよ!」
「ガウル?」
怖い白キツネが、倒れている俺の胸倉を掴んで軽々と持ち上げる。
「ひとつだけ答えて。返事次第で殴り殺してあげる」
ダンネが「駄目!」と必死に叫ぶが、怖い白キツネはダンネを見下す。
「お前は黙ってろ」
「少しは子供に優しくしたらどうだ……」
怖い白キツネが俺を揺する。
「私の弟を殴り殺そうとしたのだから、それ相応に報いは受けて然るべき。あなたがガウルと名乗るなら、ガウルは一度だけ私に何か物をくれたわね。それはなに? 間違えた瞬間に」
「白い蛇の首飾り」
いまだ朦朧とする意識の中、フォクシイに上げたのは白い蛇の首飾りだ。俺はゆっくりと降ろされていくのを感じる。そして足の感触からして地面に降ろされたのだろう。
「お前も産まれた日を知らないから……俺が勝手に誕生日を決めた。ついでに安いガラクタの白蛇の首飾りをお前に渡した。ここいたのかフォクシイ」
「フォクシイって……この人が?」
「いずれ……いずれあなたも姿を現すとは長年思っていた。私はあなたに会いたくなかった、二度とあなたに会いたくなかった! どうしてまた私の前に現れたの!」
「俺は……俺に関する全てを消せと言ったはずだ」
ポケットから、いちど握り潰された星空のガウルを取り出す。
「そ、それは僕が書いたんだ」
これを書いたのはトルピーだったか。どうりで字が汚い訳だ。
「よし、今から俺はお前を殴り殺すぞ」
「あなたどうして」
「僕は悪くないよ! ガウルがおかしいんだ! ガウルは何も悪いことしてないじゃないか! なのにどうしてガウルを消さなくちゃいけないんだ!」
「落ち着きなさいトルピー」
「皆が頭がおかしいんだ! どうして皆ガウルの言うことを聞いたの!」
俺は息を吸い込んで「やめろ!」と今できうる限りの大声を出す。
「せ、説明はするから……ひとまず俺の心配を……」
俺は気を失った。




