第46話 消えていく物
温泉の湯でまったり過ごした僕は……まったりしている。湯から上がる頃には両眼を瞑り、自然と笑みが出る程に湯の余韻に浸る。とても気持ち良かった。また入ろう。皆浴衣を着てダンネのパパが棚の上に手を伸ばす。
「あれ?」
僕たちはダンネのパパがドロップの杖を降ろすのを待っている。
そこにキツネ子供がふたり、裸でニャーのことを眺めている。
「パパ! 知らない子がいる!」
キツネの子供がニャーに指さし、ニャーは両耳を横にしてその指を睨みつける。
「シャー!」
「こら! 知らない子に指さすな!」
ふたりのキツネは、浴衣を着て現れたポチに怒られて両耳をペタンとする……パパ?
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「パパ?」
「あー。俺は妻、キツネと結婚して孤児院で暮らしてるんだ。だからこいつらは実の子じゃないけど、俺の可愛い子供たち」
キツネの子供ふたりが、ポチの両腕を片方ずつ掴み引っ張っている。
「早くご飯食べに行こうよ!」
「早く!」
「待て待て服を着ろ服を! またどっかで会えたらな!」
ポチは両腕を引っ張られ。違う棚へ移動していく。僕はダンネのパパに向き直る。まだ棚の上を探していた。
「ちょっと待てよ」
棚の足場に足を掛け登り棚の上を見るダンネパパ。黙って見上げていると、軽々と降りて来たダンネパパ。
「……ない」
僕たち三人は無言で瞬きだけをしている。
「杖がない。どこにもない」
僕とニャーはそっとドロップに顔を向ける。
「僕の杖が……ああ……」
ドロップがふらつき倒れそうになるのを、僕とニャーが慌てて支える。そっと床に仰向けに寝かせる。
「倒れたニャ!」
「大丈夫かい?」
僕はドロップの頬を軽く叩く。ドロップはうつろな眼をして呆然としている。
「僕はもう駄目なんだ。自分が誰かも分からないし、大事な杖も無くしちゃうし。きっと僕は駄目なんだあ」
「やはり受付に預けるべきだったかな。僕の間違いだ許してくれ」
ドロップは静かに首を横に振る。
「僕が悪いんですよ、タリヌさんは杖を受付に預けようと言って……」
ドロップが眼を瞑り急に静かになる。僕はちょっと強めにドロップの頬を叩く。
「ドロップ、ドロップ」
「大変ニャ! 気を失ったニャ! 救急……そうニャ! 世界が違うニャ!」
「とりあえず、部屋へ運ぼう!」
ダンネのパパがドロップを抱える。
「ニャーたちは頑張って杖を探すニャ! あの杖はドロップの大事な物ニャ!」
「そうだね」
「僕はドロップを部屋に運んでお医者さんを呼んでくるよ! のぼせたかもしれない」
ダンネのパパはドロップを抱えて行く。僕とニャーは早速、脱衣所の中を探し始める。大人が持っても、それなりに長い杖。どこかに落ちて気づかない、そんな大きさの杖じゃない。僕はダンネのパパを真似て棚に足を掛け上まで登る。もちろんドロップの杖はない。僕は棚の上を手で撫でる。確か、ダンネのパパはここに置いたはず。ドロップの杖を誰かが持って行ったとする。絶対に誰かに見られているはず。僕は棚から降りて脱衣所を出る。青い暖簾をくぐると、浴衣姿のキツネの女の子と眼が合う。
「なに?」と、言われてしまった。
「誰?」
「ダンネよ! 分かるでしょ!」
ダンネだった。髪が濡れて細くなっているから気づかなかった。
「ところで皆は?」
「ドロップの杖が無くなって、ドロップが倒れた」
「そういうこと早く言ってよ! ドロップはどうしたの?」
「ダンネのパパが連れて行った」
「パパなら大丈夫か……私もドロップの杖を探す! でも、ドロップの杖ってこのぐらいの長さよね?」
ダンネは右手を上げ、かなり背伸びをする。
「うん、それぐらいだった」
「盗まれたの?」
「分からない。温泉から出たら無くなってた」
「誰かに盗まれた……というより、忘れ物として届けられたんじゃない? 受付に聞いてみましょう」
「うん」
ちょうど青い暖簾をくぐってニャーが出て来た。
「無かったニャ!」
「受付に行きましょう」
僕たち三人は廊下を歩き、入り口にある受付へ向かう。ちょうど白キツネの子が、とある一家の案内をしていた。
「こちら鍵です。ごゆっくりどうぞ」
お客さんがいなくなったところで、ダンネを前に僕たちは足早に近づく。
「何か御用で?」
「ドロップの杖が無くなったの」
ダンネは右手を上げ背伸びをする。
「このぐらいの長さの杖、落とし物で届いてない?」
「杖は届いてないなあ」
僕は白キツネについ首を傾げてしまう。嘘だ。この白キツネは嘘をついている。僕はダンネの浴衣、余裕のある袖を引っ張る。
「そう。ありがとう」
「もし見つけたら声をかけるよ」
白キツネは笑顔を見せる。そこに影はない、堂々たる嘘。
「じゃああっちを探しましょう」
歩きはじめるダンネ、僕とニャーはついて行く。廊下を歩き続け直角の曲がり角を左へ曲がる。ダンネが足を止めて角の物影から廊下を確認する。
「あの子がドロップの杖を持っているということ?」
「嘘はついてたよ」
「ドロップの杖は届いている。でも、あの子はそれを隠している」
「ニャーが取り返して来るニャ!」
「待って」
ダンネが飛び出したニャーの襟に手を伸ばし捕まえる。ニャーはダンネに引き戻される。
「私、この白蛇山温泉がおかしいと思うの」
「おかしい?」
「流石に慈愛の光が異常すぎる気がするの。私あまりポテト三兄弟のこと考えていなかったのよ。ただの赤点三兄弟だと思って。ジャガイモも慈愛の光とか言って、なんかしてるんだろうなしか思っていなかったの。でも、白蛇山温泉の暖かさ。心地よいけど暖かすぎると思って。道の真ん中に置かれた灯篭の火、あれも慈愛の光とか説明受けたけど。流石に雪が積もっていなさすぎるの。そのことに皆が気にしなさすぎている気がする。私も以前は気にならなかった。でも、バカラスやヒキモウコリにトゥビラとか見た後だと。得体の知れない何かがある気がする。それにドロップの杖を隠し持っているキツネの子。ちょっと用心してもいいかもしれない」
僕はダンネの長い話をあまり理解出来てないけど、とりあえず頷いておく。
さて、狙いをあの白キツネに定めよう。問題はこのふたりが邪魔だ。
「僕たち皆で手分けして探したほうが良いかな?」
ダンネが俺に顔を向ける、俺は無表情を貫く。
「そうね。私は食堂を探してみる」
「ご飯ニャ!」
ニャーの赤い眼がご飯に輝く……こいつを利用しようか。
「ねえダンネ。僕は外を探してみるから。ニャーと食堂を一緒に探してきなよ。これじゃあ、ニャーはたぶんひとりで探せないと思う」
ダンネがため息を吐く。
「しょうがなわいね。じゃあニャーは私と付いてきて」
「ご飯食べられるニャ?」
「さっき食べたばっかりでしょ! いいから付いてきて!」
ダンネがニャーを連れて、廊下の奥へ歩いて行く。俺はその背後を笑顔で見送る。
「行ってらっしゃい」
こうして邪魔者は消えた。笑顔を消し足早に受付へ向かう。注意しなくてはいけないのが、俺はいまガウルじゃない。宿帳に記した名は「シルケ」だ。この世にガウルは存在しない。力強く息をいちど吐く。そして受付に戻って来た。
「また何か御用で?」
白キツネは笑顔を俺に向けている。
「実は友達に、面白い本がここにあるって言われて」
「どんな名前の本?」
「星空の……ガウルって言う名前聞いたことある?」
白キツネの顔から少し笑顔が消える。
「星空のガウル……聞いたことないなあ」
嘘だ。こいつはガウルを知っている。
「そっか。どこにあるんだろう。この建物の中にあるかな?」
「無いと思うなあ。外の売店かなあ?」
嘘だ。星空のガウルはこの建物にある。
「ありがとう。僕、ちょっと外を……そうだ。皆でご飯食べるのを忘れてた。じゃあね」
白キツネは笑顔を見せる。
「また御用があればいつでも」
俺も笑顔を見せる。そのまま表情を固めたまま受付から見えない位置まで廊下を歩く。
偽りの笑顔と言うのは反吐が出る。右手で汚い笑顔を吹くように顔を撫でる。嘘が多いキツネだったな。星空のガウルという名の本を探しているのは事実だ。しかし、俺が尋ねたのは「星空のガウル」と「ガウルの名前」だ。奴は両方とも知っている、星空のガウルはここにある。もう片方の嘘は説明がいらないだろう、なんせ俺の焼き消され行く記憶に映っているのだから。俺は白キツネをどこで見たか思い出せない。思い出す必要もないかもしれない。まずは本を見つけて握りつぶす。闇雲に歩いても仕方がない。いちど食堂へ向かう。
ご飯処ということもあり、キツネの人々が大勢、卓で食事を取っている。独り身、家族、老人。そして奥でニャーが厨房を眺めているのをダンネが必死に浴衣を軽く引っ張っている。あのふたりは俺に気づいていない。この場にいる存在気配を探りながら視線を流す。そして、椅子に腰かけ、本を手に読んでいるお爺さんを見つける。俺はそのお爺さんに近づく。
「おじさん」
キツネのおじさんは顔をあげる。
「なんだい?」
「本ってどっかで読めるの?」
「あー、あそこにある本棚で好きな本を探すと良いよ。持ち出しは厳禁だよ」
おじさんが指さした方向、食堂の隅にある一角に、茶色い本棚が五つ並んでいる。キツネの人が数人、本棚で本を探している。俺はそれを見て口角を上げる。
「ありがとう」
さて、そこに消すべき名前はあるのだろうか。子供ながら好奇心を抑えつつ本棚を眺めていく。本の題字をひとつひとつ読んでいく。熟睡のすすめ、雪国での暮らし、ポテト三兄弟から学ぶ自営業の仕方……ついポテト三兄弟の本を取ってしまう。あいつらこんな本まで出てるのか。ふと、本と本の隙間から薄い本。本と呼ぶには薄すぎる白い紙の束、紐で括られた表紙には汚い字で「星空のガウル」と書かれていた。
あった。これが俺の探していた本だ。それを手に取り紙を捲る。
文字は汚い子供の文字だ。
星空のガウル。
星に導かれた主人公ガウルが皆のために立ちあがる。
オオカミのガウルはネコとイヌとキツネを連れて、星の導くままに皆を平和な
土地へ導いていく。ガウルは
俺は右手で星空のガウルを握り潰して行く。これ以上とない握力で偽りの書を握り潰すしていく。両耳に聞こえる強烈な耳鳴り、怒り込み上げる頭痛、右手最大の力握りつぶす憎しみ。誰がこのふざけた物を書いた。受付にいた奴か? 今すぐ問いただすか、右手に感じる痛みを原動力に踵を返す。
すぐそこ、眼前にニャーが立っていた。赤い眼で俺を見ている。俺の頭は一瞬で真っ白になる。
「何してるニャ?」
「この辺りに、ドロップの杖が、無いかなって」
「ここはもう見たニャ」
「そうか。じゃあ俺はあっちを探すよ」
悟られる前に離れよう。
「温泉ニャ」
ニャーの声に足を止めて、体を少しだけ捻る。
「温泉……が、どうした?」
「もしかしたらドロップの杖が戻ってるかもしれないニャ。ついでに温泉に入ってくればいいニャ」
「俺は」
温泉に入る気はない。と言いかけ、すぐに考えを改める。確かに、ドロップの杖が棚の上に戻っている可能性はある。それに、温泉に入った後は心地よかった。
「そうニャ、温泉に入ればいいニャア」
「そうだな。ついでにまた入って来るよ」
俺は無心で足を動かす。
「行ってらっしゃいニャア」




