第45話 同族同類
強烈からすこし治まった頭痛を隠しながら部屋へ入る。慣れない感触が伝わる畳の和室。濃い茶色の机がひとつあり座布団が四枚引かれている。ニャーが座布団に座ったかと思えばすぐ横になって背伸びをする。そしてまさかの寝始めてしまう。気をつけないとニャーは寝ているようで寝ていないときがある。
「さて早速お風呂に入りに行こうか」
「お風呂?」
「温泉が湧いてるからね。暖かい湯に浸かるんだよ。気持ちいいよ」
笑顔のタリヌと反面、表面は笑顔でありつつも内心焦っている。いっそのことを頭が痛いことを伝えてドロップに治してもらおうか。ただし、ドロップの杖で頭痛を治してしまうと。先ほど見かけた白キツネのことを整理され忘れてしまう気がする。記憶には姿と声は残るだろう。俺は書でフォクシイの画を見た。俺は「その画を見た」ことしか覚えていない。その画を見て何を思ったその画を見て何をしてた?
ドロップの杖は間違いなく俺を整理してくれる。しかしシルケのそれとは少し違う。頭痛は治してくれるが少し雑なんだ。慌ててバタバタと荷物を片付ける様に。だからこそ。
「行こう」と、無表情で口にしてしまう。
ドギルス王国から逃げるようにフォクシネル共和国へ来た、ダンネを「フォクシイ」と言い間違えた。たったそれだけのはずなんだ、恐らく皆、俺が王国を出たいと言ったから半信半疑で手掛かりを探す振りをし、半ば俺をかばってくれたのだろう。実際は苦痛だ。「白」が苦痛だ、建国の母フォクシイの画が苦痛だ、白いキツネが苦痛だ。そして星空のガウルに抱く殺意の念。封じた記憶が隙間からどす黒く零れ始めている。誰が書き残した? どこの誰が書き残した? そして俺はカウンターの白キツネに強烈な頭痛を覚えている。封じ焼き消された記憶が現世の記憶と重なり消去と再生を高速で行っている。
「まずは浴衣に着替えようか」
タリヌの声に驚いて体が跳ねそうになる。出来るだけ平常心に努めよう。
「ちょっと待っててね確かここにあるはず」
「私たちは風呂上りに着替えるわ。先に行きましょうダンネ」
「うん! 皆あとでね」
ダンネとハスタが先に部屋を出ていく。タリヌが背を向け小さな扉を開ける。
「ねえ、大丈夫?」
ドロップに話しかけられて俺はつい、反射的に笑顔を作ろうと表情の筋を動かしてしまう。それを咄嗟に制止したことで歪な笑顔が出来上がる。恐らく大丈夫でないことがバレただろう。ドロップがそっと杖の先を俺に向ける。それは俺に向けた敵意ではないのは明らかだ。なのになぜ。俺は左手で口を覆う。
目障りだ、消えろ。
その汚い言葉が口から落ちそうになった。ドロップの善意が、人の善意が俺の憎しみに変換されていく。優しい白い光が俺に敵意を剥き出しにさせ徐々によろしくない感情へと突き進む。そこにニャーが俺の腹に抱き着いてくる。両膝で立ち俺に抱き着いてきた。
「この部屋はポカポカニャア」
うとうとしているニャーを見続ける。僕の心が平常心を取り戻していく。溢れ零れ落ちそうだった知らない記憶が鎮まり帰る。そして、カウンターで見た白いキツネのこともしっかり覚えている。僕はニャーを見続ける。ドロップの杖から放たれていた白い光が消えていく。僕の頭痛は消えてなお、僕に気持ち悪さが残っている。
「ねえニャー」
「なんニャ?」
「何かした?」
「何もしてないニャ。胴ががら空きニャアー」
ニャーは大きな欠伸をする。小さな牙が少し見えた。
「ネコって牙あるんだね」
「え? そうなんだ」
ドロップもニャーの口を覗き込む。ダンネのパパはどうしたのかと言えば、浴衣を広げては畳んでいる。
「子供用の大きさが無いなあ。ごめんね待たせて。これなら合うかな。はい」
ダンネのパパが浴衣を三枚僕たちに渡して来る。僕たちは着替えるために服を脱ぎ始める。上着を脱いでズボンを脱いで。ドロップとニャーは同じ様に羽織っている服を頭かあ脱いで。白い服と黒い服になる。ダンネのパパがニャーの服に興味を示す。
「変わった服を着てるね」
「ジャージニャ」
「ジャージ」
僕はニャーを指さす。
「ネコの国は皆ジャージなんだって」
「通気性抜群ニャ」
ニャーは上下のジャージも脱ぐ。裸になるけど……付いてない。
僕は首を傾げる
「ニャーって女の子なの?」
「違うニャ、ニャーは男ニャ」
僕はニャーの股を指さす。
「ついてない」
「ニャ?」
ニャーは自分の股を見る。
「ニャーは股に何も付いてないニャ。お尻の穴も無いニャ」
言っている意味がまるで分からなかった。
「でもニャーは男の子とニャリスに強く言われたから、ニャーは男の子ニャ!」
取り残された僕たちは何も言わず、たぶん何も考えられなかっただろう。僕とドロップより遥かに頭が良いダンネのパパも固まっている。ニャーはひとりで浴衣に着替えていく。
「ヒラヒラニャ」
「えっと……尋ねてもいいかな?」
やっとダンネのパパが口を開いた。
「なんニャ?」
「お手洗いはその……どうしてるんだい?」
「お手洗いニャ?」
「その、おしっことか」
「ニャーは食べた物全部魔力に分解してるらしいニャ。問題ないから気にしなくていい言われたニャ。難しい話はよく分からないニャ」
「そ、そうなんだね……そうなのか?」
ダンネのパパは明らかに混乱している。ドロップも無表情でニャーの股をじっと眺めている。本来はよろしくないのだが、僕もニャーの股を眺めてしまう。眺めたところで答えは出ない。
「これどう着るニャ?」
「そ、そうだね! 教えてあげるよ!」
正気を取り戻したダンネのパパがニャーに浴衣を着せていく。
「前を閉じて帯を締めるんだ」
「不便ニャ、ジャージが一番ニャ」
僕とドロップは見よう見真似で浴衣を着ていく。
廊下を歩いていると、三人のキツネがひとりずつ、手に赤い何かを持って歩いてくる。よく見るとポテト三兄弟だった。
「おや、こっちでも仕事かい?」
ダンネのパパが微笑みかける。
「料理をお客様に届けてるのだ」
「のだ」
「だあ」
三人が手にしている赤い上には小皿がいっぱい、料理を運んでいるらしい。三人は廊下を歩いて行く。ニャーがその背後を睨んでいる。両耳を横にして鋭い眼つきで。
「こっちだよ」
ダンネのパパの声に僕たちは歩きはじめる。そして僕だけ足を止めて振り返る。もう廊下にポテト三兄弟の姿はない。僕は首を傾げる。確か、ダンネに勉強をしに行きなさいと言われて、僕たちとは反対方向へ駆けて行ったと思うけど。どこかで僕たちを追い抜いた? 僕たちが気づかなかっただけか。きっと僕の勘違いだろう。僕は皆を追いかける。
ダンネのパパに付いて行くと、赤い布と青い布が掛かっている。
「僕たちは男湯だからこっちの青いほう。赤いほうは女湯だから入っちゃ駄目だよ」
僕たちは青い布をくぐって少しだけ長い廊下を歩く。奥は広い部屋になっていて、キツネの子供がふたり裸で駆けまわっている。大きな棚に大きい籠がいくつも入っている。
「走るな!」
「はーい」
お兄さんキツネに怒られたふたりが、三人揃って奥へ行く。
「ここで服を脱いでお風呂に入るんだ」
皆で服を脱ぎ始める。
「そういえば、その杖どうしようか。受付の人に預けて来ようか?」
僕はドロップの杖を見る。
「持ってっちゃ駄目なのニャ?」
「流石にねえ」
ドロップは杖を両手に大事に抱える。僕はどっかに置ける場所ないかなと周囲を見る。そして眼前の棚を見上げる。棚の上に置けば誰にも見つからないだろう。僕は棚の上を指さす。
「この上に置けば?」
皆で棚の上を見上げる。
「確かに棚の上なら盗まれる心配もないだろう。まあ盗んだら大変なことになるけど」
「どうなるニャ?」
「白蛇山の祟りがね。どういう訳か、この土地で盗みを働いた人は皆自主してくるんだよ。白蛇様に怒られたって」
「へえ」
僕は前に、自分の住んでいた村の傍で見た蛇を思い出す。舌がちろちろしていて、つぶらな瞳で可愛かった。ドロップが杖を棚の上にあげようとして届かない。
「良かったら僕が……本当に受け付けに預けなくていいのかい?」
「はい、その……あまり人に渡したくないので」
ドロップは杖をダンネのパパにそっと手渡す。ダンネのパパは両手で杖を受け取る。丁寧だ。
「じゃあ失礼して……安心してくれ、棚の上も綺麗だよ。相変わらずよく掃除されている。じゃあこっちだよ」
僕たちはダンネのパパに付いていく。木の引き戸が開かれると外だった。暖かい湯気が宙を占め、湯が染み込んだ濃く濁った木の高い壁。敷地内にも関わらず壁際に植えられた植物や木が違和感なく自然を再現している。何よりも中央を縦に広く存在している湯の池。
「これが温泉」
僕は上を見上げる。空が見える外。裸でいいのだろうか?
「露天風呂だね、まずはかけ湯で体を流してね」
「かけ湯ってなんニャ?」
「あそこに置いてある桶でお湯を掬って体を流すんだ」
皆でダンネのパパに付いていく。ダンネのパパの尻尾もモフモフしていた。全員桶を手にして熱さを感じる湯の淵に戻る。ダンネのパパが桶で湯を掬い体を流す。僕たち皆真似して体をお湯で洗い流す。
「これで始めお湯に入れるよ。奥には行かないでくれ、奥に行けば行くほど熱いからね。そこだけは気をつけてくれ」
僕とドロップは頷く。ニャーは湯の表面を何度も叩いていた。
「何してるの?」
「熱くないか見てるニャ」
「そう」
ダンネのパパが足を湯に入れるので、僕とドロップは先に湯に足を入れる。
「ん?」
なんだこのお湯は?
俺はつい首を傾げる。湯に触れた瞬間、皮膚を介して熱が伝わる。表面の熱は骨の芯まで届いているようなのだが、俺の心も同時に洗い流されている気がする。
「ふむ」
両足を湯に入れた状態でじっと湯を眺めてしまう。湯加減を見終わったニャーがそっと足を入れ湯に入っていく。
「ニャ! このお湯はすごいニャ!」
俺は肩まで浸かるニャーに顔を向ける。
「何が凄いんだ?」
「ガッツリ来るニャ!」
相変わらずよく分からないな。しかし、ニャーの曖昧な表現は間違っていないと思う。俺の心が清められていく。汚泥に沈んだ心がピカピカに磨かれていくような感覚。考えに耽りながら、ゆっくりと肩まで湯に浸かる。
「あー……」
なんか情けない声が出た。とても心地が良い。そんな俺の顔を見てドロップが笑顔を見せる。
「なんかすごい気持ちよさそう」
「温泉というのは凄いな」
「うん。そうだね」
俺は視線をドロップに送る。その表情に影を見た。
「どうした?」
「確かに暖かくて心地良いのだけど、なんて言えばいいのか。ちょっと恥ずかしさが勝ってるのかな。裸だから」
「きっと慣れてないだけニャ」
ニャーの言葉にドロップが笑顔を見せる。
「そうかもね」
「あれ? 領主様じゃねえか」
声が聞こえて振り返り見上げる。すごい筋肉質のオオカミの男が立っていた。
「ポチ、君も来てたのかい?」
ポチだった。ポチはダンネのパパの横に座る。ちょっと湯が揺れて体が揺れる。
「子供たちは無事に着いたようで何よりだ」
「ハリスが連れて来てくれたんだよ」
「そりゃあ安心だ……ん?」
ポチが俺をじっと凝視している。俺は咄嗟に視線を逸らす。
「へえ」
笑いながらポチが正面に向き直る。変わりに俺はポチを睨む。
「僕の何がおかしいの?」
「気配がまるで別人だ」
それを聞いて俺は何故か安心してしまう。そっと微笑み零して両手で湯を掬う。
「すごいな。気づく奴は気づくな」
両手の湯を顔にぶつける。温泉独特の匂いとでも言うのか、何かが腐ったような臭いと思いつつも風情がある。
「別人? つまりハリスが言っていたもうひとつの」
「そうだ。湯に入ったらこうなった。まあどちらも同一人物なのだが」
自分で言ってても不思議な感覚だ、意識も思考もハッキリしている。温泉のせいか?
「ガウル、下手なことひとつ聞いていいか?」
ポチの笑顔に俺は視線を刺す。
「なんだ?」
「記憶喪失だったりするか?」
「それは俺じゃない。ドロップだ」
「じゃあ隠してる記憶……みたいなのとかあるか?」
俺はつい無心でポチを睨む。湯のせいか負の感情は噴き出さず一滴も零れない。この男、俺を始めて言い当てたのではないのか。ポチは自分に親指を立てる。
「俺も実は記憶喪失なんだぜ」
笑顔と発言が釣り合ってない。
「そうだね、ポチは記憶喪失だね」
タリヌはそれを知っていたようだ。
「どうして隠してた?」
「ハチがいたろ? あいつもごっそり記憶が無いんだ」
ドロップが湯の中を進む。ニャーが静かだと思ったら、湯に浸かり物凄く温泉を堪能していた。放っておこう。
「そうなんですか?」
「そ、あいつずっと酒飲んでたろ? 皇帝を斬ったんだあ、とか冗談ぬかすから。いちどだけ酒と水を変えたんだよ面白がって。強烈だったね、まるで別人だ。そうだなそれこそ今のガウルと同じぐらいだ」
「俺?」
「視線によろしくない感情が乗っている」
笑顔を見せるポチに俺は眼を見開いて内心驚いている。こいつは俺の殆どを言い当ててくる。
「そう言えばハチはどうした? 一緒じゃないのか?」
「あいつは皇帝斬りだ、ひとり斬っている」
「へえ! なんだ本物だったのか! ウルガ帝国の皇帝斬り、たったひとりで帝国全土と戦い生き抜いた大罪人! それが帝国に帰ったとなると何してるやら」
ポチは両手でを上げ大きく背伸びをする。
「あいつはなんで帝国に戻ったんだろうな」
皇帝斬りの大罪人なら帝国に行ったら捕まるのは当然だろう。極刑も免れないだろう。
「恐らく気取られたな。奴の本能はピカイチだ。酒に酔いながらも、あいつ今から盗み働くぞ。と笑顔で言えば当たるほどに人を見る眼は確実だ。皇帝斬りであることをバレたのを先んじて察したのだろう。酔い潰れながら言ってる馬鹿程度、実際そう見えるし皆そう思っていたんだろう。ただ本格的に察した、それが答えだろう」
気取られたのは恐らく俺だろうな。俺はダンネにそのことを話した。寿司屋でのことだったか。ダンネにその嘘を伝えた。ダンネは恐らくそれを誰かに伝えているはずだ。派生先は知らんが元は俺だ。そして変なことを口にしていたな。
この世にその……怨霊っていると思うか?
なにを持って怨霊とするか。そっと湯の水面に視線を落とす。鏡と違って薄くはあるが、歪んだ自分の顔が俺と眼を合わせる。怨霊か。俺自身は自らを怨霊だとは思わない。果たして本当にそうか?
「どう思う?」
誰にも聞こえない声量で、湯に映る歪な自分に語りかける。




