第34話 雪
続く道を皆で歩き続け、途中から白い何かが眼に入る。僕とドロップとニャーは足を止めて白い何かを見下ろす。
「なにこれ?」
「分からないニャ」
「なんだろうね?」
ダンネがやって来てその白い何かを手にする。
「雪」
「雪?」
「雪ってなんニャ?」
「掴んでみて」
ダンネに言われて僕とニャーは雪を手にする。
「なにこれ冷たい!」
「冷たいニャ!」
ドロップも手を伸ばして雪に触れる。
「本当だ! なにこれ!」
「雪よ。ここから東は雪がよく振るの。だから本当に寒い土地なの。でもそこが私たちの故郷なの」
「雪が降るの?」
「そう空から降ってくるの。ちょっとなら綺麗だけど、振り過ぎてただの迷惑なの。途中から寒くなるから、この先にある宿屋でちょっと厚めの服を着るの。じゃないと寒くて死んじゃうから」
「死んじゃうの?」
「死んじゃうニャ?」
「そうよ。凍死の危険があるから」
「なんでそんな危ない場所に住んでるの?」
「私に聞かないでよ! ご先祖様がそこに住んで私がそこで産まれたの! とにかくこの先、雪が酷いから絶対にはぐれないで」
僕は頷く。
さらに東へ進み、僕とドロップとニャーはまた足を止める。雪が地面いっぱいになってきた。道も徐々に消えてきて足元も雪、踏みなれない感触につい首を傾げる。
「雪すごいね」
「雪いっぱいニャ」
ドロップは雪を片手で掴む。
「すごいよ、いっぱいある」
そこにちょっと不機嫌なダンネがやってくる。
「いちいち止まらないで! 夜になると大変なんだから!」
「怒られた」
「怒られたニャ」
「はいついてきて!」
ドロップは歩き始めドロップだけがついて行く。僕とニャーは雪の上に倒れ込む。地面にぶつかることなく雪が僕たちを支えて包む。すごい楽しい! 僕とニャーはその場で転がり始める。雪がふかふかで冷たくて気持ちがいい。
「ダンネ、ふたりが」
ドロップがダンネに伝えてダンネがこちらにやってくる。
「何してるの!」
「雪の上でごろごろしてるの」
「ゴロゴロニャー!」
「早く起き上がって! 雪は溶けると水になるんだから! 風邪引くわよ!」
「ダンネはうるさいなあ」
「そうだニャ、もうちょっと子供らしく遊ぶニャ」
ダンネが僕とニャーの腕を掴んで引きずっていく。
「風邪引いても知らないからね私!」
「僕たち怒られてるの?」
「また怒られたニャ」
ドロップがちょっと真似したそうに雪を眺めている。
「ドロップ、倒れちゃえ」
「え?」
「そうだな倒れるだけでいいニャ」
僕とニャーはドロップが倒れるのを今か今かと待ち望んでいる。そのドロップをダンネが睨んでいる。
「やめて」
ドロップは両眼を瞑って雪の上に倒れる。
夜になる直前に目的の宿屋に着いた。僕は鼻水をすする。
「ここが宿屋なの?」
ニャーが鼻水をすする。
「きっとそうニャ」
ドロップがくしゃみをする。
そんな僕たちをダンネが睨んでいる。それに僕が気づく。
「なに?」
「皆風邪引いたでしょ?」
僕は鼻水をすする。
「そんなことないよ」
ニャーがふらふらし始める。
「ちょっと冷えて来たニャ」
ドロップが鼻水をすする。
「夜だから寒くなってきたね」
「もう知らない! さっさと暖炉の傍に行って! 早く!」
僕たちは怒られて宿屋の中へ入っていく。扉を開けると本当に暖かかった。左の奥にある暖炉に火が点けられ、皆がそれを静かに喜ぶ。僕たちも暖炉の傍に近づく。
「お前たち、雪の上に寝転がったろ。ほら暖炉の前に行って暖まれ」
知らない男の人に案内されて僕たちは暖炉の前に座る。火がとても暖かい。
ダンネのママが暖炉の前にやって来る。
「そこの三人、悪いけどちょっと立ってくれる。身長が見たくて」
暖炉の前に座ったばかりの僕たちは立ち上がる。
「うん、ありがとう。もう座っていいわ。大人たちはちょっと手伝って」
ダンネのママが皆を連れてその場を離れていく。僕は背の高さを確認する。僕が一番背が卓て、次にドロップ。ドロップとダンネは同じぐらいだと思う。一番小さいのがニャーだ。僕たちはまた暖炉の前に座る。
「暖かいニャー」
ニャーが床に寝転がって体を伸ばす。そしてそのまま寝始めた。
「寝た?」
「うん、寝たと思う」
ドロップと一緒にニャーを覗き込んでいると寝息を漏らしている。
「僕たちの中でニャーがよく分からないと思う」
「そうだね。別の世界の……ネコの国だっけ?」
「なんか学校があって友達がいて、校長がいるとか」
「バカラスたちと違って、普通の子供に暮らしている感じがする。魔力とかいうちょっと分からないこと言ってたけど」
「僕ニャーの魔法浮いてるところしか見てないと思う」
「あれ凄かったね」
「もしかして浮くことしか出来ないんじゃない?」
「それだけでも凄いと思う」
「なんかこうバカラスみたいに、ぼわーって火出せないのかな?」
「それはそれで僕怖いよ」
「こうぼわーって」
僕とドロップはニャーを眺める。
「ニャーって何か持ってるかな?
「え?」
いまの内に何か持っていないか探ってみよう。僕はニャーに手を伸ばす。
「やめなよガウル!」
ドロップの制止を無視してニャーに手を伸ばす。服の上から触れるとすごい冷たくて咄嗟に手を離す。
「冷たい」
「え?」
ドロップがニャーに手を伸ばして服を触る。
「雪の上に寝転がったから濡れたのかな? 確かに冷たい」
そこにダンネがやってきた。一緒にニャーを眺める。
「何してるの?」
「ニャーの服が冷たい」
「そりゃ雪の上で転がればそうなるわよ! 私があれだけ言ったのに……ニャーは寝てるの?」
「寝てる」
ダンネもじっとニャーを眺めている。
「何か持ってた?」
「やめなって!」
「でも私思うの。ニャーが一番よく分かっていないって
「いま僕たちその話してた」
僕たち三人で寝ているニャーを眺める。そこにダンネのママがやってくる。
「夕飯の準備が」
ニャーの眼が急に開いて飛び起きる。
「ご飯だニャ!」
僕たち三人は驚いて後ろに転ぶ。
ご飯を食べたあと、僕たち子供はひとつの部屋で眠ることになった。ベッド四つあって、皆それぞれのベッドで眠っている。僕は何故かベッドで横になるのが嫌だった。自分のベッドの影に隠れるように、部屋の隅でちょっと厚めの布を被って腰を降ろしている。この体勢のほうが楽なんだ。ふと、窓から月明りが差している。星が見えるかもしれない。皆を起こさないように部屋の扉を開ける。二階の廊下から階段を降りて宿屋入り口の扉を開けて外に出る。
凍てつく寒さだ、それが何故かとても心地よい。空を見上げながら前に歩く。月が見えて星が綺麗だ。星空に夢中になって足が勝手に動き出す。ちょっとした風すらも衣服の隙間を塗って体を冷やして行く。誰もいない寒空の下、たったひとりで星空を眺め、どうしてこうまで心満たされてしまうのか。ひとりでいることの安心感、誰もいないことの満足感。孤独であることに幸せを感じてしまう。
そんな幸せを背後から駆けてくる足音がかき消す。睨むように振り返ればダンネが俺を追ってきていた。
「何しに来た?」
「こんな夜にひとりで何してるの!」
「星を眺めていた」
「星?」
俺は星空を指さし、ダンネも星空を眺める。
「いいから中に入って、冷えちゃうから」
「もう少し眺めていたい」
俺はダンネを気にせず星空を見上げ続ける。いつ見ても見飽きることがない。
「いい加減にしてよ! 風邪より酷いことになっちゃう!」
「俺のことは気にせず先に寝ててくれ」
「俺……」
「ひとりにしてくれ、安心しろちゃんと帰るさ」
ダンネを突き放すような言葉に僕はそっと眼を閉じる。心配して来てくれたのは分かる。ただいまはひとりで星空を楽しみたい、心身共に温もりを奪う寒さすら楽しんで。雪を踏む足音が遠くなっていく。なぜ……なぜ孤独になるにつれ心が満たされて行くのか。俺はまた眼を閉じて凍てつく自然を謳歌する。誰の声も聞こえない、誰の気配も感じない。あるのはたまに吹く風が耳を撫でる音だけ。
「静かだ」
そろそろ戻ろう、このままでは冷えすぎて本当に危ない。やや俯きながら宿屋へ目指してい歩いていく。足元は月明りに照らされた真っ白な雪。そしてダンネが帰っていった足跡が残っている。しゃがんでダンネの足跡を眺める。ダンネは子供だからまだ足が小さいんだ。俺の足あとだって小さい。
ただ、白い雪のような髪をしたあいつは、大きな足をしていた。思い出そうとして静かに記憶が焼き消されていく。焼き消されているのか、俺が思い出したくないのか。崩壊の気配はない、まるで記憶の骨格をしっかり建てられたように俺の記憶だけ綺麗に焼き消されていく。そして俺は何を考えていたのかすら覚えていない。覚えているのは冷えすぎた体を案じて宿屋に戻ろうとしたことだ。足を動かし宿屋へ戻る。
部屋に戻って同じようにちょっと厚めの布を纏って、部屋の隅で腰を降ろす。冷え切った体の奥底からゆっくりと僕の体温が戻って来る。そっと眼を瞑り静かに鼻で息を吸う。僕はしっかり覚えている。誰かを思い出そうとして記憶が焼き消されていくことに。その炎を消すこと出来ず、僕はただそれに甘んじていた。僕の中で知らない言葉が次々出てくるようになった。きっとそれは僕の記憶じゃないんだ、僕の記憶であり誰かの記憶なんだ。僕はあまりひとりでいたくない。ひとりでいるとふと自分が消えそうになる。誰にも知られず誰にも悟られず、皆から忘れ去られて記憶すら残さず……僕は久々に強い頭痛を味わう。一部の記憶に蓋がされている。僕にそれを見せないようにしている記憶、俺が蓋をしている記憶。
この世に「ガウル」と言う名のオオカミは存在しない。
それでも僕は「ガウル」としてここにいるんだ。
穏やかな眠気が僕を心地よい眠りに誘って来る。半ば意識があるのに誰かの夢を見る。その夢も静かに焼き消されていく。少しぐらい夢を見たっていいじゃないか。どうしtそこまでして僕をいじめるのか、自分をいじめるのか。トゥビラの言葉を思い出す。
鏡を見ちゃ駄目、自分を大事に。
僕は着ている服を貰った店の鏡を割ってしまった。
それはきっと、僕が割ったんじゃない。




