第30話 偽りの晩餐会
僕はベッドの上で眼を覚ます。それでもジョイの店で紅茶とケーキを忘れられない。紅茶のほろ苦さとケーキの甘さ……頭痛が静かにやってくる。僕は片手で頭を抑える。すぐに頭痛は去って行った。最近、頭痛が多い気がする。ダンネに相談しようかな。
ベッドから足を降ろすと「ニャン」という声と同時にニャーが僕の両足首を掴む。なんでそんなところに寝ているのだろう?
「離して」
ニャーは素直に手を離した。そしてベッドの下から勢いよく滑りながら出てくる。
「何してるの?」
「起きたニャ!」
朝からうるさい。ニャーが仰向けになって天井を見ている。
「きのうの紅茶とケーキ美味しかったニャ」
「うん、美味しかった」
「また食べに行くニャ!」
「そうだね」
部屋の扉が開いてドロップが部屋を覗いて来る。
「朝ごはんだって」
ニャーがすぐに起き上がって駆けていく。
「ご飯だニャー!」
僕とドロップも部屋を出て階段を降りていく。するといつも食事しているキッチンからニャーが飛び出して来る。
「ご飯がないニャ!」
「あ、ごめん。今日はそっちじゃないよ。こっち」
ドロップはキッチンとは反対方向へ歩いていく。壁が茶色く綺麗な部屋の扉。
「今日のご飯はこっちだって」
ドロップが扉を開ける。
長い机が縦に三つ並んで、たくさんのキツネが椅子に座っている。その中にダンネとダンネのママが、真ん中の机の奥に座っている。ハリスが奥で歩き続けている。
「だから……おはようガウルとニャー。どうか気にせず食事を取ってくれ」
ダンネが僕たちに手を大きく振る。ニャーが急いで駆けダンネの横に座る。僕とドロップも向かう。
「今回は僕がダンネを純粋に挨拶させたい、というところから始まっている。皆それぞれ忙しいのに僕の招待を受けてくれた。なのでその恩を返さなくてはいけない。帝国と王国貴族は僕がダンネを利用して策を講じてこようと思っているだろう。僕が子供まで利用する酷い大人だと思うかい?」
皆が穏やかに笑う。ドロップがニャーの隣に座って、僕はドロップの隣に座る。ニャーはもう直色を食べ始めている。四角いパンに何か黄色いのが溶けていて、野菜がいくつか綺麗に盛られている。僕はパンを手にして食べ始める。黄色い何かが甘くて美味しい。
「なので我々は今回その狙いを逆に利用させてもらう。我々の狙いは、ダンネの挨拶と投資だ。相手が警戒しているところにこちらが少し譲歩する。相手は驚きと同時に我々の狙いを探るだろう。しかし、領主の娘であるダンネの挨拶、僕が大きく出ることは領主に対して無礼を働くことにある。そのため我々の譲歩を妥当と見なしこちらの投資を受けてくださるだろう」
「何が投資だ。金庫のハリスに逆らえる者は共和国にいないじゃないか」
「元々領主の地位をタリヌに譲ったらしいじゃないか」
「そうとも! 僕は領主の地位をタリヌに譲った! 僕は人の上に立つ器でわない! そしてそこのふたり! その場で立て! 晩餐会というのは人が出入りする当たり前だな。我々の相手は王国か? 帝国か? いや違う全てを相手にするのさ! 立っている衛兵は誰の兵だ? 立っている給仕は誰の給仕だ? そして彼らはなぜそこに立つ。仕事だからさ! いま僕が立たせたふたりも今現在大使館の勤務をこなしてくれている非常に優秀な人材だ。ただひとつ注意をするのであれば! 君たちふたりの小声はハッキリと聞こえたぞ! そのひと言でもし僕の計画が露呈したら僕はどう思う? 気軽に、答えてくれ」
「お、お怒りになられます」
「そうとも僕は怒るぞ! 僕はまだまだ未熟者だ、君たち優秀な人々に支えられて初めて僕みたいな未熟者が仕事を出来るんだ。誰しもミスはするものだ、僕だってする。それはしょうがない。ただしそのひと言が相手に隙を与える口実になる。口は災いの元だ。君たちふたりは僕と敵対したいのかい?」
「いえ、そのようなことは決して」
「その言葉が聞けて嬉しいよ、もちろん僕も君たちふたりと戦う気はない。共に協力していく仲間なのだから。ただし僕のように王国と帝国が寛容だと思うな。客人を前に、客人を語るな。分かったら座れ」
僕はパンを飲み込む。美味しかった。隣に座るドロップの手を見るとパンを食べようとした手が止まっている。椅子の動く音が聞こえて、ふたりの男が椅子に座る。
「ダマル」
「はい」
僕は野菜を手に取って食べる。美味しい。
「全員の髪型服装言動も全て再確認しろ」
「あのふたりは外しますか?」
「逆だ。積極的に使ってやれ良い勉強になるだろう」
「承知しました」
「さて諸君! 楽しい朝食をとろうじゃないか!」
僕は野菜を食べ終える。美味しかった。皆が朝食を取り始める。僕はもう食べ終えてしまった。ドロップは何故か固まっている。
「食べないの?」
「え? あ、うん」
ドロップは食べ始める。僕はずっとドロップのパンを眺める。美味しそうだ。
朝食を食べ終えた僕とドロップとニャーは残ってダンネを待つ。ダンネは着替えをしているらしい。
「暇だニャ」
「そうだね」
僕は窓の外を見る。今日も天気がいい。僕はドロップを見る。ドロップは杖を両手で抱えて机をじっと見て黙っている。
「ドロップは結局誰なの?」
ドロップは眼を閉じる。
「分からない。でもガウルのほうが大変なんだ。僕のことは後でいいよ」
ちょっとドロップがイライラしている気がする。
ニャーがドロップに歩み寄る。
「ドロップは不機嫌ニャ」
ドロップが顔を上げる。
「え?」
「不機嫌ニャ」
「そんなことないよ」
僕はドロップを頭の上から足の先まで見る。ドロップの手掛かりがない。僕はダンネを待つまでの間、ドロップのことを思い出す。そういえばあんなことがあった。
「星」
僕の声にドロップとニャーが僕に顔を向ける。
「星が綺麗だった。そしたらドロップが落ちて来た」
「それがどうかしたニャ?」
「だからドロップは星空から来たんだ」
僕たちは顔を見合わせて誰も何も言わない。
「じゃあドロップは星空から来たニャ!」
「そ、そんなこと言われても困るよ!」
「星空の向こうってどうなってるんだろう?」
「そればっかりはダンネに聞かないと」
部屋の扉が開かれて、綺麗な服を着たダンネが姿を見せた。白い服にちょっとピカピカしたものが付いていて髪がちょっと短くなったかも。
僕たち三人はダンネが黙って見続ける。
「なに?」
ドロップがダンネに体を向ける。
「すごい綺麗だよダンネ!」
「ありがとう。ところで何してたの?」
「ドロップは星空から来たニャ!」
「え?」
「ガウルがそんなこと言ってたニャ!」
「どういうこと?」
僕は窓から空を見上げて指さす。
「ドロップは星空から落ちてきたんだ」
「まあそうね。ガウルしか見てないけど」
「だから星空の向こうから来たと思って」
「その星空の向こうが分からないから困って……」
ダンネが眼を細める。
「どうしたニャ?」
「しまった。皆で図書館に行ったとき。白薔薇協会の本ばかり探していた。星の本を探していない。けど星って誰か調べてるのかな? ねえ、また図書館に行きましょう」
「僕行きたくない。頭が痛いんだ」
「いつから?」
「起きたときから」
ニャーが僕に駆けてきて抱き着いてくる。
「暖かいニャ!」
ダンネも僕の傍に来ておでこに手を触れる。
「熱が出てるじゃない!」
「そうなの?」
「そうよ! 部屋に戻ろう!」
僕はダンネの背に乗って部屋に戻る。どんどん視界が暗くなっていく。
「なんか気持ち悪くなってきた」
誰かが何か言っている。でも声がよく聞こえない。ダンネが僕をベットに降ろしたのは分かる。
長い夢を見ていた気がして、実はそんなに時間は過ぎていないのだろう。よくあることだ。治まった頭痛を確認するように片手で頭を撫でる。窓の外は夕暮れだ。半日寝たのか? 人の気配も声もない。誰もいないことは分かる、だから声を出すこともない。ベッドから足を降ろして……そうだ。あの店に行こう、ジョイの店に行こう。紅茶もケーキも美味しかった。俺は誰もいない、扉という扉が全て開かれた街並みを歩く。人が誰ひとりとしていない。不気味な状況でありつつも、俺はついそれを楽しんでしまう。単純に人混みが好きじゃない。何故なら……何故なんだろうな。その理由が説明できない。あまり深く考えないでおこう。
白薔薇協会や図書館を少し警戒しながら避けるように歩いていく。そしてジョイの店にたどり着く。もちろん扉は開きっぱなし、窓から見える店内は誰もいない。俺は喜んで店の中に入る。誰もいないのだから紅茶もケーキも無しだ。扉を閉めると小さな鐘が静かに鳴り響く。席は皆で座った同じ席だ。店内中央の机にあるひとつの椅子。俺はそこにゆっくり腰を降ろす。とても居心地が良い。誰もいないからというのもあるが、なんだろうか……こういう空間がそものが好きなんだ。窓から見える茜空が静かに消えていく。もうすぐ夜になろうとしていた。店内に明かりはない、ジョイはいない俺だけなのだから。その暗さすらつい楽しんでしまう。
閉めたはずの扉が開かれる。小さな鐘が誰もいない店内に響いて来る。誰かが歩いてきて俺の前の席に座る……姿形なく。俺はつい手元にない紅茶に手を伸ばす。それが無いことに気づきひとりで恥ずかしくなる。正面からは話し声が聞こえてくる……実際は聞こえて来ない。俺は聞こえない話し声に笑みを見せ涙を流しつづける。そこには誰もいない、誰も喋っていない。何かが見えそうで見えない、何かが聞こえて来そうで何も聞こえない。
眼見えず音も聞こえず声は無く。何かが俺の頬にぶつかってきた。
咄嗟に眼を覚ます。
「ここはどこだ?」
「病人を殴らないで!」
「ガウルは悪夢を見ていたニャ! だから殴ったニャ!」
「だからって病人なんだから殴らないで!」
俺は視線を巡らせる。どこだここ? 一体どこだ?
ゆっくりと上体を起こす。子供が俺を眺めている。ネコにキツネにイヌがいる……そうだ、ニャーとダンネとドロップだ。
「まだ寝てなくちゃ駄目だよ」
イヌの……ドロップが俺に近づいて来る。杖が眼に入る。
「杖」
「杖?」
「向けておいてくれ」
窓の外を見る……知らない景色だ。いや分かる、ドギルス王国だ。ドロップの杖から白い輝き小さく現れる。それが心地よくも俺はかなり混乱している。
「えっと……どれぐらい眠っていた?」
「どれぐらい? 部屋に来てそんなに経ってないよ」
「そうか、そうだね」
右手で顔を拭う。それほど時間は経っていないだろう。
「ガウルはここで休んでて、晩餐会は私だけ出ればいいだけだし」
「晩餐会?」
キツネの……ダンネを見る。綺麗な服を着ている。そうだ晩餐会に出るのか。
「それ出るよ」
「ガウルは病気なのよ! 休んでたほうがいいよ!」
「いや行きたいんだ。ちょっと話しがしたい」
部屋の扉が開かれる。オオカミの男……ハチが姿を見せる。
「よう子供たち! 実はガウルに」
笑顔を見せながら俺を見て動きを止める。感づかれたか。
「お前たち三人! ハリスが呼んでたぞ。ガウルは俺が見ておくから確認してこい」
ハチは半ば強引に三人を部屋の外へ出す。そして俺がいるベッド横まで近づいて来る。
「変なこと聞くぞ。誰だお前?」
やはりそうだ、気配に気づくか。
「僕だよガウルだよ」
ハチが腰からぶら提げている何かを引き抜く、曲線美の綺麗な刀身が俺の首元に添えられる。俺は恐れることなくその刀身を見る。
「とぼけるな、気配がまるで違う」
「お前、ひとり斬ったな。ただし殺してはいない」
刀身から漂う血の量はまさしくそれだ。ハチはそっと曲線美の刀身……そうだ刀とか言ったな。それを鞘に戻してしゃがみ込む。俺と目線の高さを合わせた。
「なあ変なこと聞いていいか?」
「なんだ?」
「この世にその……怨霊っていると思うか?」
「僕が知る訳ないでしょ」
「気配が俺の育ての親にそっくりだ……」
「子供の僕に聞かれても困るよ」
「俺はひとり斬ったぞ、ただし殺してはいない。俺の知っているガウルはまず見抜けるはずがない。血の臭いを嗅いだな。誰だお前?」
面倒な男が来たもんだ。俺はハチを睨みつける。ハチが怯えて立ち上がり二歩下がる。
「下がるな」
つい本音が出てしまう。
「あんた本当に誰だよ」
「説明するのが面倒くさい。俺も何かと混乱しているところだ。話ってなんだ?」
ハチは腰に提げている刀を手にする。
「これの説明を最低限しようと思ってな。俺の直感が正しければ、ガウルは刀を嫌うようになる」
「それが殺しの道具だからか?」
ハチは何も言わずに俺を見下ろす。
「確かウルガ帝国と言ったな。その国はもしかして王国から西にある国か?」
「そうだ」
「後で向かう。それとひとつ頼みがある。俺を見つけたら何も知らない子供と思って接しろ。本来俺はここにいない。失せろ」
ハチは逃げるように部屋を後にしていく。俺はひと安心してため息を吐く。まったくなんて物騒な世の中なんだ。同時に俺は今の状況がまずいと悟る。どうしたら元に戻る?




