第29話 この先進めばお前を殺す
ダンネのママが慌てて白い布を僕に渡して来る。
「鼻を抑えて」
「鼻?」
「本当にごめんなさい、鼻血が」
ダンネのママが僕の鼻に白い布を押し当てる。僕は鼻血を気にせずにダンネのママを見る。そしてつい首を傾げる。
「どうしたの?」
やっぱり似ている。お母さんに似ている。
「お母さんに似ている」
ダンネのママが笑顔を見せる。それを見てお母さんじゃないと思った。お母さんは笑わない。笑うことが苦手とか言ってた。
「そんなに似てる?」
「やっぱり似てないと思う」
「キツネだから?」
「母さんは笑わないから」
ダンネのママは笑顔を見せる。
「ハスタ、そこで何をしている?」
ハリスが僕とダンネのママを見下ろしている。無表情だ。
「その……すれ違い様にぶつかってしまって」
「僕は、気をつけろと伝えたはずだが」
僕は咄嗟に手を上げる! ハリスが僕に顔を向ける。
「ん? なんだい?」
「僕がちょっと走ったせいなんだ。ごめんなさい」
ハリスは僕の顔を無表情で見ている。それがちょっと怖かった。
「そうか……気をつけてね」
ハリスが笑顔を見せる。それを見て僕は安心する。怖かった。そのうち皆が集まって来る。
「鼻血ニャ」
「うん鼻血」
僕はニャーの赤い眼を見る。
「何見てるニャ?」
赤い眼か。
「僕」
話そうか悩んだ。左手を見ると吐いた血がある。それを隠すように握りつぶす。
「なんでもない」
「何か隠したニャ」
ニャーが僕の左手を見る。僕は眼を反らす。
「隠してないよ」
「見せるニャ!」
ニャーが僕の左手を開く。赤い血が皆に見られる。
「鼻血ニャ」
「鼻血じゃないよ。口から吐いた」
「ガウル」
ハスタの怒っているような声、そして怖い無表情。
「話すんだ、何があった?」
「えっと」
僕は近くの椅子に座らされ、今起きたことを話す。
ハリスは片手を顎に添えて何か考え始めている。
ダンネが「ねえ」と言う。
「赤い眼なら、やっぱりネコじゃない? ニャーがそうだし」
「ニャーはネコがいたら絶対に気づくニャ。ネコは魔力いっぱいニャ。でもあのとき何も感じなかったニャ」
ハリスがニャーを見下ろす。
「ダンネの言うことは正しいかもしれない、ネコは皆赤い眼なのかい?」
「皆真っ赤ニャ」
「ふむ、ネコの国か」
「ニャーはそろそろ思って来たにゃ。ニャリスもニャットもたぶんニャーのこと探してないニャ」
「ニャリスとニャット?」
「ニャーの友達ニャ。ニャーは帰れなくて困ってるニャ」
ハリスが片手を頭の上に乗せる。
「いや参ったね。僕でどうこう出来る話ではないよ。ここはあの方にご協力願うしかないか」
ダンネのママがハリスに近づく。
「よろしいのですか?」
「ことがことだ。ハスタ、大使館の全ての人間を仕事に戻らせろ。どうも僕を利用して休暇を楽しんでいるのもいるらしいじゃないか」
「承知しました」
ダンネのママが歩いていく。そしてダンネが手をあげる。
「あの方ってどの方ですか?」
「僕のお母さんだよ、ちなみに僕は母が大嫌いなんだ。それ以上の質問は受け付けないよ」
笑顔のハリスがちょっと怖かった。
「さて、ひとつだけ分かったことがある。ただし場所を変えよう。それに打ってつけの場所を知っている」
図書館を出ると陽の光が非常に眩しかった。僕は両眼を力強く瞑って眼を擦る。
ダンネが「大丈夫?」と声をかけてくる。
「眩しい」
僕はすぐに慣れて眼を開く。青空を見上げると首を傾げる。こんなに明るかったっけ?
「ねえ大丈夫なの?」
「うん大丈夫」
ハリスが笑顔を見せる。
「少し歩いておくれ、軽く食事を出来る場所があるんだ」
僕は食事の言葉に眼を輝かせる。
「ご飯ニャ?」
ニャーも眼を輝かせる。
「ご飯じゃないよ、ちょっとしたおやつ」
歩くハリスを僕たちは付いて行く。僕は道を歩く人の気配や声や音が気にならなくなっていた。なので僕は街並みを楽しんでいく。
「ここだよ」
綺麗な建物に着いた。窓ガラスが大きくて中の様子が見える。垂れ耳の人が椅子に吸わて何か飲んでいる。ニャーが上にある看板を指さす。
「あれなんて書いてあるニャ?」
僕とダンネが同時に看板を見上げる。
「紅茶って書いてある」
「紅茶って……」
その紅茶の看板を見ながら首を傾げる。なんで僕は文字が読めるようになったんだろう? 同時に紅茶と口にしたダンネは驚いた顔を見せている。
「なんで読めるの?」
「なんでだろう? 図書館で本を読んだからかな」
そう言ってもダンネは驚いた表情を向けている。
「とにかく、まずは中へ」
ハリスが笑顔で扉を開ける。また鐘が鳴る。僕は足を止めて扉の上にある小さな鐘を見上げる。ドロップも鐘を見上げる。
「どうしたの?」
「良い音だなと思って」
「これはこれはハリスさん! お久しぶりですな!」
「ジョイ! 元気そうで何よりだ!」
老いたキツネの男の人がハリスと握手を交わしいる。
「実は数日前に王国に来ていてね。皆の顔を見たくて挨拶しようとしたけど仕事が何かとね」
「こんな老いぼれの所まで来なくていいんですよ! 今日はお子さんが大勢いることで」
「先にこの子を紹介させてくれ。ダンネだよ」
ジョイは嬉しそうにダンネを覗き込む。
「お嬢ですか! これまた大きくなりましたなあ!」
「こんにちは」
「どうも、ジョイと申します。まあ紅茶を売っています。ぜひ食べて行ってくださいよ」
「もちろんその為に来たんだ。ここのケーキは美味しいからね。彼らはダンネの友達さ。ガウル、ドロップ、それにニャーだ」
もちろんジョイはニャーを見て驚く。
「えっと」
「あー、彼はネコだよ」
「ネコだニャ!」
「あまり気にしないであげてくれ」
「あーいや、つい驚いてしまって。どうぞお好きな席に」
ハリスが歩くので僕たちはついていく。何かいい香りがする。僕とニャーは同時に足を止める。
「すごい良い香りがする」
「甘い匂いニャ」
僕とニャーはカウンターの向こうから漂う匂いを嗅ぎ続ける。そこにダンネがやってきて僕とニャーを引きずっていく。窓際の椅子にハリスとドロップが座っている。ニャーが奥に座って僕がその隣、ダンネが僕の隣に座る。
「さて、話をしようかガウル。悪いが話したくない箇所を掘らせてもらうよ。気づいたことがひとつあってね。君は確か……バカラスだったか。北へ行けと言われたね」
僕は頷く。
「バカラスの言った北というのがドギルス王国のことでいいのか僕なりに考えた。ドギルス王国より北は未開の地だ。誰も知らぬ道の先を語ることは出来ない。ただここでガウルの見た夢のような礼拝堂の階段と、さっき図書館で聞いた話だ。礼拝堂の入り口は北を向いている、そしてガウルが図書館で赤い眼を追っていた方角も実は北になる。つまり北へ進むことを拒んでいる。結果から見れば君に危害を加えているのは明らかだ。つまり、これより先の北へ行くことを拒んでいる可能性がある。僕が烏滸がましく助言をするなら、北へ行かないことを強くお勧めする。未開の地、得体の知れない存在。何が起こるか分かったもんじゃない。ガウルさえ良ければダンネと一緒に共和国に招待したい、三カ国で一番小さな国になるが、知識は豊富にある」
僕はハリスの顔を眺める。何を言っているのか理解出来なかった。ダンネが僕の肩を突く。
「つまり、私と一緒に共和国へ来る?」
「うん行く」
「そんなあっさり決めて大丈夫なの?」
「僕、何したらいいのか分からない」
「まあそれは……そうね」
ハリスはドロップに笑顔を見せる。
「もちろん君も良ければ」
「行く! 行きます!」
ドロップは杖を力強く握る。その杖をハリスは見る。
「癒しの力か……ドロップの杖も考えたけど、得体の知れないことすら治せる癒しの力。明らかに僕よりニャーのほうが詳しいだろう」
皆でニャーを見る。
「ニャーは難しいこと分からないニャ」
ダンネがニャーを覗き込む。
「魔力と癒しの力は別なんでしょ?」
「そうだニャ。詳しいことは知らないニャ。全部ニャットに説明させてたニャ」
「そうそこなんだ。ドロップの杖、原初の花というのはネコの国に話が繋がるのでわないかと思って。ただ……帰り方が分からないんだね?」
「帰れるならさっさと帰るニャ! 学食の食事が恋しいニャ」
「ネコの国に話が繋がるとしたら、ガウルが図書館で見た赤い眼はネコではないのか?」
僕は赤い眼を思い出す。そして縦に細長くなった赤い眼。僕はニャーを眺める。
「ニャー、眼を縦に細くできる?」
「出来る訳ないニャ。それにさっきの場所にネコはいなかったニャ」
「魔力で分かるのかい?」
「ネコは皆魔力を持っているニャ。皆それぞれ個性があって違う魔力ニャ」
ハリスはドロップの杖を指さす。
「その魔力と癒しの力は別ということだね」
「そうだニャ。でも杖から魔力を感じるニャ」
「そうなると、ドロップの杖には魔力と癒しの力が同時にあることになる」
「ニャ?」
ダンネがニャーの顔を覗き込む。
「つまり、魔力と癒しの力は別なのに。その別の力がドロップの杖にあるということ」
「ニャーに難しい話をされても困るニャ!」
ダンネとハリスが同時に頭を下げる。ハリスがゆっくりと顔を上げる。
「僕が理に会えればなあ。ただひとつ……嫌なんでもない。この話はしないでおこう」
僕は首を傾げる。ちょっと気になった。
「僕聞きたい」
僕はハリスと見つめ合う。そしてハリスがため息を吐く。
「その理という存在。どうにもダンネの話を聞くと死を連想させる」
「死?」
「バカラスは世界を滅ぼした、ヒキコウモリはドロップが海に飛び込んだ深淵の先、トゥビラは人を部屋に閉じ込めて死を観察している。人の命を弄ぶ……というより命の扱いに手慣れている。恐らく僕みたいな未熟者が語っていい箇所ではない。僕の知識だけじゃ到底理解できない。今の僕じゃ君の役に立てそうにない」
「お待たせしました」
ジョイが何かを押してやってきた。その上には良い香りのする紅茶と甘いケーキの臭いがした。僕はそれが気になってしょうがなかった。
「ご飯ニャ!」
ハリスとジョイが笑う。
「ご飯ではないかな」
「紅茶をケーキをお持ちしました」
なぜか懐かしい香りがした。




