第28話 王国図書館
夜になっても僕は眠れなかった。真っ暗の部屋、夜なのに外から月明かりが部屋を照らす。それでも怖くなかった。だってニャーがベッドの横で立って赤い眼で僕をずっと見ているから。
「何してるの?」
「怖い夢を見た瞬間に叩くニャ」
「叩かないで」
僕はニャーと反対方向へ体を向ける。それでもすごい見ている気がする。なのでもういちど体を反対へ向ける。すごい見てる。ニャーの赤い眼がすごい見てる。
「寝なよ」
「昼間寝たから眠くないニャ」
「そう」
もう僕は諦めて仰向けに眠ることにした。
「いて」
何かに叩かれて眼を覚ます。ゆっくり眼を覚まして横を見ると、ニャーが赤い眼でじっと僕を見ていた。
「寝たの?」
「寝てないニャ」
「そう……うん」
あまり気にしないで行こう。ちょっとニャーが面倒くさくなってきた。窓の外は明るかった。流石に僕は気になった。
「ずっと僕を見てたの?」
「ニャ」
「ニャ?」
「ニャ!」
「どっち?」
「見てたニャ! ニャーは言ったニャ! 怖い夢を見た瞬間に叩くニャ! でも眠くなってきたニャ」
ニャーは眼を擦る。本当に面倒くさいネコだな。部屋の扉が開いてダンネが顔を覗かせる。
「朝ごはん出来たよ」
「朝ごはんだニャ!」
ニャーは部屋を飛び出していく。僕もベッドを降りて朝食を食べに行く。皆がパンを食べているけどポチの姿がない。
「ポチは?」
ダンネが僕にパンを渡してくる。僕は無我夢中でパンを食べ始める。
「ポチは手紙もって先に帰った。もう大丈夫なの……あ、聞いてない」
「さて今日は図書館に行って調べものをしよう。ハスタは先に図書館へ行ったよ」
「ママも探してくれるんだ」
「大使館員の人にも手伝って貰おうと思ったけど。彼らはどこ行ったんだい?」
「あいつなら命がいくつあっても足りないと笑いながら帰っていったぞ」
「ふむ。職務放棄とは由々しき事態だ。あとで人事を見直してもらおう」
「ところであたん何かしたのか? 首がいくつあっても足りないとか言ってたぞ」
「僕はただ共和国の財政管理をさせて貰っているだけのキツネさ。領主、ダンネのお父さんの許可を得て外交も兼任させてもらっているよ」
「へえ、大変そうだな」
「そんなことないよ。皆さん親切だから。僕は毎日お世話になってるよ。ところでハチ、君は僕たちと一緒に共和国へ来るかい?」
「いや、俺はいちど帝国に戻ろうと思う。こいつが刀欲しいと騒いでいたからな」
「刀? 子供には少々物騒ではないか? 刃を潰したナイフから始めるべきじゃないか?」
「おや、あんた何かと詳しそうだな」
「よしてくれよ。僕はただの金庫番さ」
僕はパンを飲み込む。美味しかった。ハチとハリスが笑い合っている。
「なに話してたの?」
ハチがパンを食い違って僕に顔を向ける。
「俺が帝国に行くって話だ。お前は刀が欲しいんだろ?」
ハチが腰に提げている刀を僕に見せる。
「うん欲しい」
「だからこいつを連れて帝国に行こうと思う」
ダンネが「でも」と口にする。
「ガウルは私たちと共和国に来てもらいたい」
「うん? 俺はそれでも問題ないぞ。どの道、帝国で挨拶回りはしたいし。まあたぶん俺も俺で忙しくなると思う。帝国に来たら俺に会いにくればいいさ、飛んだり跳ねたりしてると思うから」
「うん」
ハチはパンを飲み込んで立ちあがる。
「さて、ポチも帰ったし。俺も行くとしますかな」
「おや? もう行くのかい? もう少しゆっくりしていけばいいのに」
「俺はいつでもゆっくりさ。じゃあな子供たち!」
ハチが手を振りながら去っていく。
「さて、僕たちも行こうか」
皆で図書館へ向かう。
僕は建物を見上げる。城や白薔薇協会よりも小さい。それでも大きい建物だ。垂れ耳のひとたちがすごい出たり入ったりしている。中にはドロップと同じ白い服を着ている人たちもいる。何人かはニャーを気にしながら歩いている。僕もついニャーを見る。ニャーが僕に赤い眼を向ける。
「なに見てるニャ?」
「やっぱり目立つよね」
「何がニャ! ニャーはいまこの形ニャ! 別に大して不思議じゃないないニャ!」
「あ、そう」
僕はニャーから顔を反らす。ニャーは「シャアアア!」と声を出す。そんなニャーにハリスが笑顔を見せる。
「いいかい皆、図書館は静かにするんだ。決して騒いだりしてはいけないよ」
「分かったニャ」
「まあ立ち話もなんだ。入りながら紹介するよ。こっちおいで」
僕たちはハリスに付いて行く。
図書館の中は広くて、人が大勢いる。気配が多いのに聞こえてくるのは変な音だけだ。その音を探すと、長い机にある椅子に座って皆何かめくっている。その音が無数に聞こえてくるけど嫌な音じゃない。
「ここが王国図書館。棚に本が大量に入っていて読書をする場所さ。経済、政治、歴史、哲学、商売、娯楽、学問などなど。僕たちは歴史の本を探すよ、と言っても共和国建国の母であるフォクシイについて僕とダンネは分かっている。歴史から最古以前の糸口を見つけるのが僕とダンネの役目だ。念のため確認するが、君たちは文字が読めるかい?」
「僕読めない」
「ニャーも読めないニャ」
「あれ? 僕だけ?」
ドロップが僕とニャーを見る。僕とニャーはゆっくりドロップに顔を向ける。ドロップは不安そうに杖を両手で抱える。
「僕に頼らないでよ、お願いだから」
ハリスが笑い声をあげる。
「難しい箇所は僕とダンネで調べるよ。ハスタもどこかにいるだろうしね。三人は気軽に図書館を静かに見て回るといい。走ってはいけないよ」
僕は頷く。
「分かったニャ」
「分かりました」
ニャーが奥へ行くので僕とドロップは付いて行く。ドロップがニャーを覗く。
「ねえ、ネコの国も図書館はあるの?」
「図書室はあるニャ。ニャットがずっと本を読んでるニャ。禁書の棚に勝手に入って勝手に読んでるニャ」
「禁書?」
「ニャーはよく知らないニャ。文字読めないニャ」
僕はドロップの顔を見る。
「ドロップはどこで文字を覚えたの?」
「分からないよ。でも読めるよ」
ニャーが足を止める。壁にいっぱい本があって目が回りそうだ。
「この壁なんか変」
「棚ニャ」
「棚?」
ニャーが棚から何か取り出す。
「本ニャ」
「へえ」
ということは、一面の棚に無数の本が入っているということなのか。ニャーが手にしている本をドロップに向ける。
「これなんて書いてあるニャ?」
「美味しい朝食の作り方って書いてある」
「すごいニャ! ドロップは文字が読めるニャ!」
ニャーが本を戻して奥へ向かう。僕とドロップも辺りを見ながら追いかける。よく見ると棚の向こうが見える。知らない人たちが立ちながら本を読んでいる。僕は気軽に近くの本を手にする。本の表面に何か書いてあるけど、何も分からない。本をめくって何かいっぱい書いてある。ちょっと気持ち悪い。皆どこで文字を覚えるんだろう? 僕も読めた方がいいのかな?
ふと顔を上げると棚の向こうから赤い眼が僕を見ている。ちょっと驚いた。
「驚かさないでよ」
ニャーとドロップはいつの間にか棚の反対側へ行ったらしい。僕はまた本に顔を向ける。
「これなんて読むニャ?」
「えっと……政治の仕組みって書いてある」
あらぬ方向からニャーの声が聞こえてくる。すごい違和感があって、僕は右に顔を向ける。同じ通路の奥のほうでドロップとニャーが歩いている。そこには真っ黒な服を纏っているニャーがいる。そして僕は顔を正面に戻す。
誰かはしっかりいる赤い眼で棚の向こうから僕を見ている。もう一度だけニャーに首を向ける。ニャーはまたドロップに本を読ませている。そして僕はまた正面に顔を戻す。
赤い眼がしっかりと俺を見ている。睨んではいない、なのに敵意と殺意の気配がヒシヒシと伝わってくる。
「誰だお前?」
赤い眼が奥へと歩き出す。この眼から反らしてはいけない、得体の知れない視線。眼を離した瞬間に何をされるか分からない。俺はその眼と歩調を合わせていく。無意識に本を落とせば右手に真っ黒い剣、柄の感触が伝わってくる。最初俺はこの赤い眼がニャーだと思った。視線の高さが同じだからだ。ただしニャーは奥でドロップと本を見て回っている。そして俺の本能がこの赤い眼から敵意を読み取った。それは強烈な視線だった。
「俺を見ていたのはお前か? 誰だ?」
赤い眼は答えずに奥へ歩き続ける。俺は負けじと睨み返しが既に心が折れそうだった。
頭痛がする、息苦しい、明らかに鼓動が異常に高鳴っている。こいつがトゥビラの言っていたノロインか?
「もしかしてノロインか?」
赤い眼は何も答えない。敵なのは間違いない、ただ誰か分からない。一体誰なんだ?
赤い眼を見ながら奥へ歩けば歩くほど視界が暗くなっていく。俺はふと口にした。
「夢の礼拝堂で俺の脚を掴んだのはお前か」
赤い眼が開き瞳孔が縦に細長くなる。急に咳が出て慌てて左手を口に添える。何か吐いた。手のひらを見ると赤い血を吐いていた。明らかに俺を殺そうとしている。俺はつい赤い眼のことを考える。俺の脚を引っ張り、俺に痛みを残した。そしていまなお俺の体を蝕んでいる。それはまさしく毒に似ている。力で押し潰そうと言うのでわなく内から崩壊させていくような。俺を苦しませることが目的なのか?
「目的はなんだ?」
赤い眼は何も答えない。俺は苦しみながらそれを表に出さず共に歩き続ける。意思よりも体が先に崩壊した。倒れ込むときに棚にしがみつこうとして本を掴んでしまう。本が床にバタバタと数冊落ちて俺は床に膝をつく。また咳が出そうになって左手を口に添える。手のひらに血は付いている。ただ今回は血を吐かなかった。頭痛がそっと消えていく、息が肺に伝わってくる、鼓動が徐々におさまっていく。なぜだ、なぜ体調が戻っていく?
俺はゆっくりと立ちあがって棚の向こうにいる赤い眼を睨み返し。赤い眼は瞳孔するどくまた歩き始める。俺はそれについていく。するとまた体が蝕わられていく。俺はあえて足を止める。赤い眼は俺が起き上がる待っていた。俺が足を止めるとそいつも足を止めた。また体調が戻っていく。
「先へ行くなと言いたいのか?」
一歩下がれば赤い眼はその場から動かない。赤い眼より先へ進めばそいつも動かく。そうだ、こいつは俺にこの先へ進んで欲しくないんだ。俺は自分の体の崩壊を気にせず歩きはじめる。どうしてもこいつに聞きたいことがある。
「何も言わないなら尋ね続けるぞ。お前は誰だ?」
赤い眼は何も答えない。
「何か知っているのか?」
赤い眼は何も答えない。
「どうして俺だけを狙う」
赤い眼は何も答えない。考えろ、ダンネとドロップがいて、なぜこいつは俺だけ狙って来た? ふたりになくて俺にあるもの。右手にある真っ黒い剣を目にする。
枯れた古い木の幹、隙間から腕が伸び真っ黒な手を握ったことを思い出す。俺は鳥肌を立てる。
「お前は枯れ木から伸びた黒い手を知っているのか?」
赤い眼が足を止める。瞳孔が元の丸みを帯びる。同時に赤い視線から敵意が消え悲しみの気配が伝わってくる。
「お前は誰なんだ? 誰なんだ教えてくれよ」
初めて赤い眼が先に俺から眼を反らした。そして俺を置いて先へ歩いていく。俺は慌てて追いかける。
「そうだ。お前は礼拝堂の階段で俺に必死にしがみついた。どうして俺を苦しめる? 黒い手の意味をお前は知ってるな。お前の反応を見れば分かる、足を止めろ、どうして俺から逃げる。俺の目の前に現れたのは俺から逃げるためじゃないだろ。」
赤い眼は俺に二度と眼を合わせない。もう少しで通路の切れ目になる。そうすれば俺が赤い眼を捕まえてやる。そして棚が眼の前から消え、誰かの膝が眼に入った。
まずい。そう思った瞬間には顔を膝蹴りされていた。思った以上に強く。俺は床に腰を降ろす。思ったより痛くて
僕は両手で顔を抑える。
「痛い」
「ごめんなさい! 大丈夫?」
泣くのを我慢しながら顔をあげると、ダンネのママがいた。僕はダンネのママとぶつかったらしい。




