第18話 崩壊の足音
俺は両眼を力強く瞑るが、俺の理解追いつかない。
「あんたは俺の頭が弱いと言った。いや実にその通りだと思う。なにも理解できない」
「なら君に残すことはただひと言さ。自分を大事にするんだ。そうでないと君は崩壊してしまう」
俺は体を見る。至って普通の子供の体だ。オオカミなので尻尾もあるし頭上のふたつ耳もペタンとできる。
「崩壊するとどうなるんだ?」
「そうならないようにするんだよ!」
トゥビラに怒られてしまった。
「ごめんなさい」
俺は素直に謝る。また暖炉の火が薪を焼く音しか聞こえなくなる。
「なあひとつ聞いていいか?」
「なんだい?」
「どうしてこの部屋に閉じ込めっているんだ?」
純粋に聞いて聞かなきゃ良かったと思った。トゥビラはひと言も話さなくなった。そして一枚の扉なのに大きいため息がどこからか漏れ。
「まあ君に迷惑をかけた手前、少しは話しておこうか。あるとき僕の宿に自責の念に捕らわれた人がやって来た。その人は別に大した悪さをしていないどころか優しい人だった。なのにその人は自分の死をそっと願っていた。だから僕はその人の願いを叶えてあげた。それが僕を崩壊させた。悪人を閉じ込め衰弱を楽しむぼくが、善人の命をそっと取り除いてしまった。これは矛盾である。僕は理という責を授かり自分自身の存在に疑問を持ってしまった。そして馬鹿なことをした、鏡を見て自分を見つめなおしたのさ。そして僕の真眼は真っすぐに僕に答えを叩きつけた。お前の存在はおかしいと。僕は死を願うその人になってしまったのさ。小さな矛盾から生まれたヒビが僕の存在を指定し、僕自身が己の世界を閉ざしてしまった。理として扉としての僕が崩壊しても僕は修復され存在を許された。しかし僕は自分の存在を否定し続けた。そしてただ無意味に偽りの人形を作り誰も食べないクッキーを毎日焼く日々さ」
俺は山積みのクッキーを眺める。本当に山なんだ。どれも同じ扉の形をしている。
「あれ食べられるのか?」
「食べられるよ。僕のクッキーは腐らないからね」
「食べていい?」
「いいよ」
俺はクッキーの山まで近づいて一枚手に取り食べる。美味しい。俺は甘さと食感を楽しみつつ食べていく。そして飲み込む。
「どうしてクッキーを?」
「なんでだろうね。いつ覚えたのか、気づいたら日課になってたよ。原材料は自分で創ればいいだけだし」
俺はふと懐かしいクッキーの味を思い出す。
「なあトゥビラ、いっそのことクッキー屋さんを始めたらどうだ?」
「今から僕に自営業をしろって?」
「そうだ、以前に」
頭を殴られたような頭痛が俺を襲う。両手で抑えてもそれは治まらない。
「どうしたの?」
「トゥビラ……俺の記憶を消せるか?」
「記憶を?」
「大事なところだけ残して、お前と戦い始めたときから全て消してくれ。この子に……この子に地獄を見せたくない」
僕は風邪を引いたらしい。頭痛と咳が酷いんだ。喉も痛いし体中痛くて頭がフワフワしている。ダンネが木のバケツに入った水で布を湿らせて絞る。水音すら僕の頭に響いて来る。ダンネがそっと僕の額に湿った布を置いてくれた。ひんやりしていて気持ちがいい。ドロップがベッドの隣で立って僕を見下ろしている。何故かその眼が目障りなんだ。
「ほら君たち、病人はそっとしておいてあげるんだ」
ダンネとドロップがトゥビラの言うことを聞いて部屋から静かに出ていく。
トゥビラは右手に曲がりくねった杖を持ち、黒い布を全身に被って頭に黒いフードを被って口元を隠している。その姿に僕は何故か違和感を覚える。
「トゥビラ?」
「具合はどうだい?」
「気持ち悪いよ」
「そうか」
僕は気持ち悪いけど上体を起こす。
「寝てないと駄目じゃないか?」
僕はじっとトゥビラを眺める。
「トゥビラ?」
「なんだい?」
「トゥビラってそんな姿だっけ?」
僕の言葉にトゥビラの眼が開く。そして目が優しく笑った。
「僕は昔からこの姿だよ。さあ横になるんだ」
トゥビラがちょっと強引に僕を横にさせる。ちょっと頭を動かしただけでも
頭がグルグルして気持ち悪い。
「お母さんに会いたい」
「君のお母さんはどこ行ったんだい?」
「旅に出た。村から出ないでって書いてあった」
「村から出ないで。か」
トゥビラは左手で顎をさする。
「僕がお母さんの言いつけ守ったから風邪になったんだ」
「それは違うよ。君の体は……君の体は他の人より脆いんだ。自分を大事にするといい」
「もろいってなに?」
「体が弱いってことさ。もう薬も飲んだしゆっくり眠るといい」
「うん」
僕は両眼を瞑る。
僕はたぶん夢を見ているんだと思う。とても変な夢だ。
暗闇の彼方で細長いパンが……フリフリしている。片側が暗闇に隠れているが、確かに細長いパンがフリフリフリフリしている。この夢はなんだろう?
変な夢のせいで目を覚ます。パンがフリフリしていた。パンが食べたくなってきた。
なんでパンがフリフリしていたんだろう。どうしよう、パンが食べたくなってきた。僕は上体を起こす。いつの間にか気持ち悪さが消えていた。頭痛も消えていた。どうしよう! パンが食べたくなってきた!
部屋の扉が開いてトゥビラがそっと覗いて来る。
「調子は」
「パン! パンが食べたい!」
「パン?」
「うん細長いやつ!」
「分かった用意してくるよ」
僕は被っている布を力強く握りしめる。
無性にパンが食べたくてしょうがない! それも細長いやつだ!
僕は布を被ってベッドの上で暴れはじめる。パンだ! 僕にパンをくれ! ずっとベッドの上で布を被りながら体を動かしていると気配を感じて顔を出す。いつの間にかダンネとドロップがいた。
「元気になったみたい」
「パンが食べたい!」
僕の大声にダンネとドロップが驚く。ふたりを気にせず僕は布の下にもぐり体を動かす。
「と、とりあえず元気になって良かったよ。僕心配したよ」
「たぶん聞いてないと思う」
暴れ続けていると香ばしいパンの香りが漂って来る。部屋の扉が開いてトゥビラが左手に袋を手にしている。僕は布を投げすててベットから飛びおりて、トゥビラに駆けて袋に手を突っ込んで細長いパンを手にする。
「あった!」
僕はそれを咥えて部屋の奥の角に移動する。パンの片側を口に銜えて細長いパンをフリフリする。そうだこのフリフリだ! 僕はこのフリフリを食べたかったんだ! 僕は静かにパンを食べ始める。
「えっと……君たちの分もあるよ」
パンを食べ終えた僕は満足した。パンも美味しくて思い出してちょっと微笑む。ダンネがそんな僕の顔を覗く。
「そんなに美味しかった?」
「うん! 美味しかった!」
トゥビラが小さく笑う。
「さあガウルの体調も良くなったし、そろそろ出発するときだよ」
ダンネがトゥビラに顔を向ける。
「お世話になりました」
トゥビラがそっと左手をあげる。
「いやいや、僕は何もしてないよ」
僕はトゥビラを見て思い出す。
「そうだ、トゥビラ。外に出ようよ」
僕の言葉に、皆が顔を向けてくる。
「ガウル、それはどういう」
僕は走り始める。部屋を出てカウンター横にある扉を開く。そこは外だ。大きな三日月があって満天の星空。どこまでも見渡せる平原に地表では青白い光の球が無数に草を照らし、小さな池に葉の茂った木がひとつ。ひとつだけ何故か覚えている。トゥビラの位置はそこじゃない。小屋へ駆けて扉を開く。山積みのクッキーに目が行くけど、反対に壁に駆けられている扉を手にする。重くて動かせない。ダンネとドロップが追いかけて来る。
「ねえトゥビラを外に運ぶの手伝って」
ダンネがトゥビラを指さす。
「この扉を外に出すの?」
「うん」
ドロップが杖を壁に立てかける。ダンネもドロップも手伝ってくれる。一枚の扉を木まで運ぶ。そこにトゥビラを立てかける。するとトゥビラが無数眼をそっと開いていく。ダンネとドロップが悲鳴を上げながら距離を取る。僕はトゥビラを指さす。
「トゥビラだよ」
白く濁ったトゥビラの無数の瞳、月夜を眺め星空が照らされていく。
「すごい綺麗な夜空だと思わないか。これを僕が壊してしまったのさ。ガウル、ひとつ尋ねるよ。どうしてここに僕を連れてきた?」
僕は少し考える。
「こっちのほうがいいと思って。なんでだろう?」
僕はなんでそんなこと思ったんだろう? よく分からない。
トゥビラが大声で笑い始める。
「そうか! そういうことか! これは傑作だ!」
トゥビラが大声で笑い続け、ひとつの目から涙をこぼす。その涙が本当に綺麗なんだ。星空がそのまま映ったかのように綺麗だ。その星空が地面に溜まり始め何かの芽が出始める。すくすく育ってそっと花咲く白い花、輝き纏いて堂々と咲き誇る。原初の花だ。
「受け取ってくれ、僕の世界さ」
ダンネがゆっくりと近づいて来る。
「げ、原初の花ってなに?」
トゥビラがダンネに無数の眼を向けて、ダンネが僕の背後に隠れる。トゥビラの眼は星空の様に輝いていた。
「原初の花は世の始まりを知らせる花さ。白き花輝きをもて開けば世の幕開けとなりし花。僕はこの原初の花だけはなんとか持ってきたんだ。これしか守れなかったけどね」
ドロップがトゥビラに近づく。
「そんな花を僕たちに渡していいの?」
「逆さ、君たちだから渡すんだ。まあ持っていてどうこうできる類の花じゃないからね。ただ持って行ってくれ。僕のお願いだよ」
「うん」
ドロップが杖を原初の花に向ける。原初の花から輝きを伸びてドロップの杖に静かに吸われていく。
「ありがとう、迷惑かけたね」
ドロップが「え?」と尋ねる。
「今のは気にしないでくれ、ひとり言さ。そうだ君たち! 山積みのクッキーを持って行ってよ! 折角焼いたのに食べる人がいないから全部持って行ってくれ!」
僕はその言葉を聞いて尻尾を振る。
「いいの?」
「あー全部持って行ってくれ」
僕は嬉しくて小屋へ駆けていく。扉を開けて釜戸の横にある山積みのクッキー……多くて全部持てそうもない。
ダンネとドロップも小屋に来てクッキーを眺める。
「この量無理よ」
「ところがそうでもないんだよ」
声に驚いて振り返る、人型のトゥビラが小屋へ入って来た。左手には何か布を持っている。
「この大きな袋にクッキーを全部詰めるんだ」
「うん」
布を受け取ると大きな袋だった。僕たちはひとりずつ袋を持ってクッキーを詰め込んでいく。全て詰め終ると三つの袋は一杯になった。僕たち三人一枚ずつつまみ食いをする。
「よし詰めたね」
トゥビラがひとつの袋を持って僕に押し付けようとしてくる。僕は咄嗟に手を伸ばすけど、袋は途中で消えていく。そして完全に消えた。
「これで運び放題だね」
トゥビラはまた別の袋を両手に抱える。今度はダンネに袋を向けていく。
「ねえ何したの!」
「君たち深淵の塩昆布を食べたでしょ。それただの昆布じゃないんだ、荷物の出し入れが出来るようになる便利な深淵なの。よっこいしょ」
今度は袋がダンネに向かい消えていく。トゥビラは同じ様にしてドロップに袋を押し付けようとしてまた袋が消える。
「じゃあ練習しようか。クッキーを一枚出してごらん。ポッケを漁る感じでいいよ」
僕たちは胸に手を突っ込むと手が途中で消える。そして三人同時に一枚のクッキーを手にする。
「よく出来たね。要はポケットさ。あまり大きいのは駄目だけどね。そしてガウル」
僕はトゥビラの顔を見上げる。
「覚えていることを全部僕に話してくれ」
僕は頷く。
「北へ行ってノロインを探す、鏡を見ちゃ駄目、自分を大事に?」
僕は首を傾げる、これで合ってるのかな? トゥビラがちょっと大きめな声で笑う。
「そうだよ合ってるよ」
ダンネとドロップは顔を見合わせる。




