第16話 閉ざされた記憶
トゥビラが扉を開けると部屋ではなく外だった。
青白い粒子が無数に見える。トゥビラが先に入って俺は警戒しながら扉を越える。
とても綺麗な場所だった。夜、満点の星空に大きく光る三日月ひとつ。遠くまで見える平原には青白い粒子が地面を照らす。風が吹けばそれが暖かい。小さな池がひとつあり、緑の葉を被る木が一本。そして小さな小屋がひとつある。
ダンネが口を開けたまま星空を見上げている。ドロップは青白い粒子を掴もうとするが掴めないずに次を追う。トゥビラが小屋を指さす。
「あの小屋には近づかないでくれ、あれが僕の部屋だからね」
俺は小屋を眺める。ちょっと古さを感じさせる小屋だ。
「まあその小屋でクッキーを焼いているんだ。持ってくるからちょっと待っててよ」
トゥビラは小屋へと歩いていく。ダンネは星空に見とれ、ドロップは青白い光相手に楽しく遊んでいる。俺は池に向かう。池はしっかりと星空と三日月を映し俺の顔も映している。俺は自分の顔を右手で撫でる。俺の顔はこんな顔だったか? 鏡なんて高価な物が無かったせいか、久々に見る自分の顔に少し驚く。ふと俺の横にドロップが映る。
「僕ってこんな顔してるんだあ」
「俺も同じ感想だ」
「僕の顔がこんな顔してるのが?」
「違う、俺も久々に自分の顔を見た気がした」
「僕はなんだか初めて見た気がする」
ドロップとは反対側にダンネの顔が映る。
「私は自分の部屋に鏡があるから、まあいつも通りの顔」
俺とドロップはダンネに顔を向ける。
「部屋に鏡があるのか」
「あるよ、うちの国は身だしなみとかうるさいから、皆普通に持ってるよ」
ドロップが「へえ」と言う。トゥビラが小屋の扉を開く音、俺は無心で顔を上げる。閉じていく扉の隙間、誰かと目があった気がした。小屋に誰かいるのかな? まあトゥビラが近づかないでくれと言ったんだ。なら近づかないでおこう。
ダンネが空を見上げて指をさす。
「あんな綺麗で大きい三日月、見たことがない」
俺もドロップも三日月を見上げる。俺は念のため聞いておこうと思った。
「ここって、外だよな?」
ダンネもドロップもすぐに答えない。俺だってここがどこだか分からない。ただ外だとしたら、宿に入る前と明らかに景色が違う。
「私は外だと思うけど。なんだろう、確かにそう言われると」
「僕は外だと思うよ。だってこんなに広いんだし。ここがどこかは分からないけど」
ここはどこなんだ? 傍にトゥビラがいないせいか。本当に答えが返って来ない。ちょうどトゥビラが小屋から出てきた。左手に白い袋を手にしている。そして俺たちに歩み寄って来る。
「お待たせ、クッキー持ってきたよ」
トゥビラが俺に白い袋を差し出す。なので俺はそれを受け取って袋を開ける。長方形のクッキーだろうか、それが三枚入っている。俺は一枚取り出すと扉の形をしたクッキーだ。同じ形のクッキーをダンネとドロップに渡す。
「お口に合うといいな」
口元が見えないのにトゥビラが微笑んだように見えた。俺たちはクッキーを食べ始める。甘くておいしい。ちょっと固いのがまた食感を楽しませる。
「これ美味しい!」
ドロップがクッキーを嬉しそうに食べる。ダンネも黙って食べ続けている。俺も黙って食べ続ける。本当に美味しい。
「良かった。急いで焼いたんだ」
俺はトゥビラに聞こうとしてやめた。クッキーを食べているので夢中で頭で尋ねることにした。ここは一体どこなんだ?
「ここはどこなのか。どういえば言いのかな。僕の世界……まあ言ってしまえば生まれ故郷と言えばいいかな」
俺たちはクッキーを食べながら辺りを見渡す。ここがトゥビラの故郷なのか。すごい綺麗なところだ。ダンネがトゥビラに手をあげる。
「トゥビラの世界はどこにあるの?」
「もう無いよ。僕が崩壊した瞬間に世界は崩れてしまった。ただ僕はどうしても自分の世界が忘れられなくてね。こうして同じ空間を作ったんだ。外だけど、宿の外とは別なのさ。ちょっと難しいかな」
「つまり、宿の部屋ひとつが別空間の外ということ?」
「そういうことだね」
どういうことだ? ダンネは理解できているのがすごい。俺はよく分からない。とりあえず美味しいクッキーを食べる。
「それを食べ終えたらまた眠るといい。流石に夜も遅い。ガウルは別に部屋を用意したよ」
トゥビラが左手を出して俺に新しい鍵を渡す。俺はそれをそっと手にする。どこに部屋があるのかが分かる。
ダンネもドロップも元の部屋へと戻った。俺は至って普通の部屋? そういう認識で正しいと思う。机がひとつ椅子がふたつ、窓がひとつにベッドがふたつ。宿部屋を思わせる部屋だ。俺はベッドに倒れ込んで眠りにつく。難しい話をされ続けて眠気が限界だ。すぐに瞼が閉じる。
俺の髪を誰かがそっと撫でた。罠だ。
飛び起きた瞬間に手遅れだった。部屋はあらゆる物が溶けた状態で固まり、あたり一面に赤黒い眼が俺を捉えている。窓の外にもビッシリと赤黒い眼だ。廊下へ続く扉を見ればトゥビラが扉の隙間から赤黒い眼で俺を真っすぐ見ている。
「俺を殺そうとしたな?」
「それが叶わぬから困っていたところさ。理すら跳ねのける力、そんなもの許されて良いはずはない。君は死んだ瞬間に君は蘇る。無限の命はこの世の物にあらず、異物を除去して誰が責めようか」
俺の右にはいつの間にか真っ黒な剣がある。
「でもあたんは俺を殺せないんだろ? さあどうする?」
トゥビラは不気味に笑う。
「ここに封じてしまえばいいのさ。ここは安息の地、何人も介入を許さず」
トゥビラがそっと扉を閉める。
「待て!」
追いかけようとした矢先、俺の体は自力で動かせなくなった。息は出来る。体の自由がまったく聞かない。周囲の赤黒い眼が俺を邪魔してるのか?
邪魔だどけ!
俺の思考を強引に振り払い周囲の赤黒い眼を一気に潰す。潰れた赤黒い眼から赤い血が流れ出るが、恐らくトゥビラにはなんの影響もないだろう。そもそも俺が相手できる存在か? 難しいことを考えるのはやめだ、まずは奴を追う。待ち伏せを警戒して勢いよく扉を蹴り壊す。トゥビラは廊下の少し先に立っている。
「待ち伏せなんかしないさ」
俺は真っ黒い剣をトゥビラに向ける。
「ひとつだけ確認したい。俺はあんたを倒せるのか?」
「その力は既に手にしている。ただし僕も手を抜く気はない」
「それだけ聞ければ満足さ」
俺は真っ黒な剣を下げ、一気にトゥビラ目掛けて駆け出す。廊下が急激に伸びた気がした。トゥビラが滑るように遠くに移動した。俺の頭が理解できず混乱する。また嫌な頭痛が俺を襲う。
「縛りの契約、呪いの保護。それを取り除いたとき君は死ぬのか? バカラスやヒキコウモリは逃がしたが僕は容赦せん。この真眼で見えないものなし、君はやはりこの世の異物だ。僕の世界に入った時点で君に勝ち目はない。ゆっくりと余生を過ごすがいい」
不気味な笑みを見せながらトゥビラが近くの扉を入っていく。
「待て!」
一歩前に踏み出すと腰まで水に浸かる。俺の足元が廊下から湖になっていた。顔を上げればあたり一面が真っ暗。その暗闇に音も無く赤黒い眼が大小開かれていく。急激な寒さが俺を襲い始める。俺の体は震えだすも闇雲に足を動かし水を蹴る。急に足が引っ張られたと思えば水中に沈む。沈んだかと思えば水ごとベッドへ落とされるが俺は何故か水に濡れていない。溶けた部屋に戻された。振り出しということか? 壁にはまた無数に赤黒い眼が大小様々に現れると。流石に繰り返し作業は骨が折れる。俺の体はまた固定される。体を強引に動かそうとする度に頭痛が酷くなっていく。
赤黒い眼を潰す想像をもって再び周囲の赤黒い眼を全て潰す。そこから赤い血が流れるんだ。俺はまた部屋から出ようとするが強烈な頭痛に頭を抑えてふらつく。壁に左手をつくと気持ち悪い感触。俺の左手は血で真っ赤になってしまった。慌てて左手の血を服で吹いてしまう。今度は服に血が付いてしまった。どれだけ血を拭いても色はもう落ちない。俺の呼吸が徐々に早まっていく。呼吸が早くなるのに息が詰まっていく。吸っても吐いても息が苦しい。部屋の扉を開けて廊下に倒れ込む。
「おや、思ったより早く弱ったな。そのまま大人しくしていてくれ、少しずつ剥してみようか」
廊下は無数の赤黒い眼で満たされる。そのひとつひとつの視線があまりにも痛い。深く何かに突き刺されているみたいだ。それは物理的な痛みじゃない、トゥビラが俺から何かを引き剥がしている痛みだ。視線で俺を紐解き始めている。強烈な痛みが何度も何度も俺を襲う。俺の視界がチラつく。走馬灯のように記憶が混在してくる。
そして僕はある記憶に触れかかった。
真っ黒な剣を手から離し剣は消えた。僕は両手で頭を必死に抑える。
「やめてよ」
トゥビラは何も答えない。僕を無数の赤黒い眼の視線が延々と突き刺して来る。
「やめてよトゥビラ!」
僕は心臓の高鳴りを感じる。強烈な頭痛、息苦しさ。そして見たくない記憶がチラついて来る。
「やめてくれ! 僕はガウルにこの記憶を見せたくない!」
ふと全ての痛みが消える。僕は廊下に四つん這いになり息を整える。
「いま何を口にした? ガウルに見せたくない記憶……ガウルは君だろ?」
僕は右手で顔を拭う。高揚感が増して来る。
今から俺が倒すべき敵がどこにいるのか感覚が研ぎ澄まされていく。全ての敵を滅ぼせばそれが友の道となる。ならばこの身を血に染めるまで! それが友の道となるのだから! 俺はトゥビラに顔を向ける。あれは偽物か。
トゥビラが怯えた表情を見せる。
「何がどうなっている。なぜ僕の真眼ですら見抜けない!」
「トゥビラ、お前はいまどこにいる?」
トゥビラの全てが見通していく。トゥビラが何を考え、何をしようとしているのか。トゥビラが震えはじめる。
「何故だ! 何故お前がその眼を持つ!」
「そうかお前は小屋の中にいるんだな」
トゥビラの震えが止まる。俺はゆっくりと立ちあがって。右手をかざす。黒い真っ黒な剣が俺の手に現れ右腕に血管に似た黒い線が巡る。
「今行くぞトゥビラ。どこへ逃げようと必ず向かうぞ」




